ホーム » エッセイ » 原子力発電はもうやめる、それは倫理的決断
【 何よりも人倫的観点を優先し、原子力発電廃止を決めたドイツ政府 】
再生可能エネルギーに否定的なジャーナリストに対する、イギリス各界の反応
ザ・ガーディアン(英国) 2月5日
例によってイギリスのコラムニストであるジョージ・モンビオットが2月5日付の『原子力発電の終わり?もっと注意深く考えてください』と題したコラムで、昨年のドイツの二酸化炭素の排出量が5%増加したことをやり玉に挙げました。
しかし彼は長期的な計画の中の、ある特定の期間だけを取り上げ、挙げ足を取ったに過ぎません。
ドイツは、急進的とも言える「エネルギー政策の転換」に乗り出しています。
ドイツのような経済規模が大きな国がエネルギー政策を転換させる以上、その巨大な船体が進路を変更するまでに若干の紆余曲折があるのは当然のことです。
しかしひとたびその巨大な船体が進路変更を完了し、新たな航路に向けすべり出せば、全く新しい概念のエネルギー政策に支えられた新しい社会的枠組みの完成を目指した航海に乗り出すことになり、ヨーロッパの旗艦としての役割を担うことになります。
そしてモンビオットが問題にした二酸化炭素排出量も、2050年には現在の20%にまで削減が進むことになり、その行程は順調です。
様々な障害が立ちはだかることは承知の上で、ドイツ政府は何よりも「人倫的観点を優先する」との立場をとり、原子力発電の廃止を決定しました。
福島第一原発の事故のような、人も生活も環境も破壊してしまう事故の脅威に国民をさらし続けることこそが、非論理的だと考えたのです。
そのためにドイツは現在、再生が可能であり、しかも安全なエネルギーシステムの研究開発に、何十億何百億という単位で資金の投入を行っています。
一方でドイツは完全に原子力発電を廃止するまでの代替手段として、熱源と電力を組み合わせたエネルギー技術を実用化するなど、徐々に二酸化炭素の排出量を減らす取り組みも行っています。
言い換えればドイツは、ビジョンを明快にしつつ、こなすべき行程を着実に消化しているのです。
ひるがえってわが英国はどうでしょうか?
次々に明らかにされる「不都合な真実」には目をつぶり、原子力発電推進の立場を変えていません。さらに環境への負荷がどうなるか、未だ検証が不十分な水圧破砕の導入すら検討しています。
世界は今、大きな変革期に入っています。
このようなときには、思考の基礎にしっかりした人倫的観念を持ち、この国の将来について先の先まで見通し、負の遺産を作り出さない指導者、そして啓蒙を行う人々が必要なのです。
カミラ・ベレンス
英国反原子力発電活動家
原子力発電はただ単に発電を行うための技術であり、熱変換効率は最大で35%と、石炭同様能率の悪い発電手段です。
そして原子力発電がおこなわれる過程で生み出される核廃棄物は、その最終的処分方法が未解決のまま放置されており、その処理のためいったいどれだけの費用がかかるのか、計算することもできません。そして高レベル放射性核廃棄物は他の物質とは比較にならない程危険であるにもかかわらず、これから一体どれほどの量が蓄積されることになるのか、その見通しすら立っていません。
一方、二酸化炭素の清浄化技術はすでに実用化されていますが、気候変動と環境破壊を最小限にとどめるためには、化石燃料はそのまま地中に留めおいた方が得策です。
ひとり再生可能エネルギーだけが電気だけではなく、熱やバイオマスなどによる燃料の生産も可能です。二酸化炭素を排出する事もありません、永遠に。
これからの社会において、必要なエネルギー源を確保するためには、エネルギー使用効率が劇的に改善されつつある再生可能エネルギー・プラントの建設こそ、最も確実・安全な方法なのです。
時代遅れとなった原子力発電や化石燃料にしがみつくことは、あらゆる観点から得策ではありません。
ジョン・トゥイデル博士
ホーニングホールド、レスタシャー
使用年限の到来によって廃炉にされていく原子力発電所を、すべて再生可能エネルギーによって肩代わりさせることにより、英国の将来の電力需要を賄い、エネルギー安全保障を実現するのはまだ難しいと考えています。
セラフィールド原子力発電所の廃炉作業については、必要とする費用や時間に関する数値が公表され、その金額の大きさが論議の的となりました。
その検証について、かつて核軍拡競争が行われていた当時、核廃棄物をどう処理するのか、現在程の知識も見識も無かったために、不要になった兵器の処理費用が、想定もしていなかった莫大な金額になった事を考えることは無駄ではないかもしれません。
しかし現在の民間事業としての原子力発電については、計画の初めから将来必要になる廃炉費用、そして排出される高レベル放射性核廃棄物、低レベル核廃棄物の処理方法を確立してその費用を算定の上、予め費用として計上するのであれば、冷戦時代の産物である核兵器を廃棄するために必要となる金額程、莫大なものにはならないはずです。
サイモン・ハリソン博士
エンジニアリング・テクノロジー研究所
サイモン・ホガートは2月2日に掲載したコラムの中で、風力発電用のタービンは景観を台無しにするだけでなく、「発電手段としても、きわめて貧弱なものだ。」と批判しました。
私は彼の個人的感想にまで立ち入るつもりはありませんが、その根拠のあいまいな技術に関する見解を見過ごすわけにはいきません。
風力発電タービンはきちんと機能しています。
その建設のために費やされた費用は、電気の形に変えて、ほぼ一年以内に返済を終えることができます。
以降毎年、石油・石炭に代わって電気を生産し続けます。
昨年の9月には、英国内で消費される電力の10%を風力発電が賄いました。
20年前にはどのような手段を用いて発電を行っていたかを考えると、決して悪い話ではありません。
確かに風力タービンを建設するための土地には限りがありますが、代わって現在は洋上風力発電の設備が積極的に進められており、この方にはまだまだ将来性があります。
ジェイミー・テイラー
エディンバラ
サイモン・ホガートが風力タービンの性能に対する信頼について、「宗教的なものに近い」と書きました。
それをそのまま信用すれば、その「宗教」を信奉する人々は世界中に数限りなく存在します、数百万数千万の中国人を含めて。
中国は風力発電の大規模設備建設をすでに開始しています。
やがて世界中で風力発電に関する技術開発が各国で進み、実用化が図られれば、旧来の方法にしがみつく英国は、またしても技術的に後れを取ることになります。
フェイ・マーシャル
ワージング、西サセックス
http://www.guardian.co.uk/environment/2013/feb/05/changing-course-on-nuclear-power?INTCMP=SRCH
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +
この記事は2月6日にガーディアンに掲載された、英国の原子力発電推進派のコラムニスト、ジョージ・モンビオットの「The end of nuclear power? Careful what you wish for(原子力発電を終わらせたい?何もかも解った上で、そんなことを言ってるんでしようね?!) http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2013/feb/04/end-of-nuclear-careful-what-you-wish-for というコラム記事に対する、コメントその他をまとめて一本の記事にしたものです。
モンビオットの記事そのものは訳しませんでしたが、概略は以下のようになります。
まず、イギリスのセラフィールド原子力発電所に高レベル放射性核廃棄物、その他の核廃棄物が蓄積されている問題を認めた上で、二酸化炭素の排出の方がもっと深刻な問題だとします。
そして実際に原子力発電所の廃止を決めたドイツでは、停止させた原子力発電所の分を主に火力発電所に肩代わりさせたため、核廃棄物以上の『悪役』、二酸化炭素の排出量が5%増えた、と非難しています。
しかしそれは翻訳した中にあるように、原子力発電から二酸化炭素をほぼ全く排出しない再生可能エネルギーへの移行期、一時的に火力発電に頼った、その「瞬間風速」値に過ぎません。
モンビオットもそうですが、原子力発電推進の立場の「論客」のほとんどが、「現在の状態」が未来永劫続くような言い方をして、問題の本質をごまかそうとします。
さらには[原発はクリーンエネルギーなどではない!原発の有毒核廃棄物を処理し、安全に貯蔵し続けるための設備は、大量の二酸化炭素を放出 ](ル・モンド・ディプロマティーク http://kobajun.biz/?p=1612 )という指摘もあります。
原子力発電が地球温暖化を防止するなどという論理もまた、欺瞞に過ぎない事が解ります。
これ以上いちいち論駁していくと、際限も無く長くなります。
一言にまとめましょう。
原子力発電の推進が口にする「科学」、それは自分たちにとって都合が良い部分だけを抜き出したものなのです。