ホーム » エッセイ » 荒れ果てた故郷、目に見えない恐怖:2011年東日本大震災・福島第一原子力発電所の崩壊《後編》
崩壊によってむき出しになった原子炉が、致命的な量のヨウ素-131、セシウム-134、セシウム-137を大気中に噴きあげた
避難した先で『放射線の運び屋』呼ばわりされ、嘲られた原発難民
スティーヴ・チャオ / アルジャジーラ 2021年3月10日
破壊はそこで終わりませんでした。
地震と津波により何もかも破壊された後、今度は目に見えない恐怖を伴う徹底的な破壊が襲ってきたのです。
東北太平洋岸で徹底的な破壊を行った津波は、福島第一原子力発電所において原子炉を損傷させ、1986年のチェルノブイリ原発事故に次ぐ前例のない3基の原子炉のメルトダウンという世界最悪の原子力災害の1つを発生させたのです。
▽ 放射能汚染と混乱
放射能による汚染によって大きな混乱とパニックが引き起こされた事を、私は記憶しています。
崩壊によってむき出しになった原子炉から大気中に噴きあげられたのは、致命的な量のヨウ素-131、セシウム-134、そしてセシウム-137でした。
日本政府は当初、住民に屋内に避難するように告げましたが、福島第一原発の周囲20キロメートルに立入禁止区域を設置することを発表しました。
その範囲は30キロメートル、さらに80キロメートルと瞬く間に拡大していきました。
そして約160,000人の住民に対し、通知からわずか数時間のうちに荷造りを済ませて自宅を放棄して避難するよう勧告が行われたのです。
その際、再び自宅に戻る事ができるかどうかについては何も知らされませんでした。
大規模な避難が行なわれてから数週間、避難先の市町村でまるで厄介者扱いを受けた経験がある、アルジャジーラの取材に避難民となった家族の多くがそう語りました。
避難民の複数の家族が子供たちが転校先の学校でいじめに遭い、『放射線の運び屋』呼ばわりされ嘲られた経験を持っていました。
そして10年が過ぎた今、人びとの中の恐怖は目に見えにくくなりました。
差別についても同様です。
日本政府と関係当局は福島県内の放射能汚染地域の除染に何千億円もの費用をつぎ込んできました。
人が住む事ができない帰還困難区域は約307平方キロメートルに縮小しました。
10万人以上の住民が帰還を果たしました。
「福島第一原子力発電所の崩壊が始まった当時、これ程の悲劇、その規模の大きさを忘れることなど考えられませんでした。」
とアルジャジーラの朝倉ディレクターがこう語りました。
彼女は2011年以降、取材スタッフを率いて被災地を何十回も訪れてきました。
「その記憶は一面に広がるとても広大なものであり、今なお私たちの心のから消える事はありません。しかし今では、多くの日本人にとってその記憶は遠いものになっています。今私たちが一番懸念しているのは新型コロナウイルスの方です。」
東京電力は崩壊した福島第一原発の事故収束・廃炉作業と放射性核廃棄物の安全な処分を行わなければなりませんが、その現状に関する報道はほとんどが新聞の中面の目立たない場所に小さく掲載されているだけです。
しかし、福島の問題ははまだ何も終わっていません。
3基の原子炉がメルトダウンしたことによって引き起こされた放射能汚染の脅威は残されたままです。
▽ 犠牲者を追悼する
昨年、東京電力と日本政府は放射能汚染水125万トン以上(オリンピックサイズのプール約500個分の水量に相当)を太平洋に放出したいと発表しました。
理由は福島第一原発の敷地内にこれ以上保管場所を確保できなくなったことが理由です。
これに対し様々な環境保護団体に加え、国連もこの決定を批判しました。
福島から放出された放射能はすでに広範囲にわたる漁業資源の汚染を引き起こしており、カリフォルニア沖で漁獲されたマグロからも検出されています。
日本政府の発表を聞いて、私は田所忠義さんのことを思い浮かべました。
福島第一原発の原子炉がメルトダウンしてから数ヶ月後、私は彼が操船する漁船に乗っていました。
日本政府当局は福島県沖のすべての漁獲を禁止していたために、田所さんと船の乗組員たちは魚種ごとの放射性セシウムについてテストする見返りに、政府から少額の金銭的補償を受けていました。
福島第一原発を正面に見ながら流し釣りをしながら原子力発電所の反対側をトローリングしていた際、誇り高き漁師の一団から尊敬されていた田所さんは、彼の家族と彼自身が経験している経済的困難について語りました。
田所さんは福島の海で生計を立てる漁師の家系が自分の代で終わってしまう事を心配していました。
数年後、日本政府は福島県沖で漁獲された魚を再び市場で販売することを許可しました。
しかし計画されている放射能汚染水の放出が現実になれば、田所さんを初めとする漁業関係者は福島県沖での漁獲を再び諦めざるを得ない状況に追い込まれるでしょう。
日本政府は10周年を機に、東日本大震災の犠牲者を追悼する政府主催の公式の式典を終了させると述べています。
先に進むことの大切さを認めながらも、東北地方太平洋岸のコミュニティは忘れられてしまうことへの懸念を表明しました。
多くの人が死者を悼むために、そしてさらに重要な意義として災害の教訓を忘れないようにするために、独自に追悼式典を主催し続けることを検討しています。
※スティーヴ・チャオは、日本での3重災害発生当時、アルジャジーラのアジア特派員でした。
エミー賞にノミネートされた経験を持つジャーナリストであるチャオは現在、ドキュメンタリー映画の製作者として活躍しています。
《完》
https://www.aljazeera.com/news/2021/3/10/devastated-communities-unseen-fear-japan-tsunami-2011
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2011年3月11日に始まった福島第一原子力発電所の大崩壊を、人として忘れて良いのか?!
声を大にして言いたいのはその事です。
暮らしを、住む場所を、家族というつながりを台無しにされた原発難民の人びと。
私は絶対あのような形で自分の人生を壊されたくない!
そう痛感するから、こうして福島第一原発の問題を取り上げている海外の記事をいちいち翻訳しているのです。