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福島ダイアリー第3部:農地と誇りの復活に向けて

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所要時間 約 10分

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福島第一原発事故発生から8年間に及んだ避難生活、ようやく故郷に戻った故郷は今…

故郷の居住環境を素晴らしいものに戻すため一生懸命働くことに、私たちは誇りをもって取り組んできた

              

写真:試験栽培用の水田で田植えをする大熊町の人々

               

渡辺利綱 / ガーディアン 2019年6月21日

                     

2011年3月に発生した福島第一原子力発電所の3基の原子炉のメルトダウン事故は、大熊町の住民全員を含む15万人以上の人々に自宅を捨てて避難することを余儀なくさせました。
福島第一原発は2つの町にまたがって立地していましたが、その一つ大熊町で当局により環境中の放射線量が安全なレベルにまで下がったため戻って生活しても差し支えないとの見解が示されるまで8年という時間がかかりました。

              

現在でも大熊町の全面積60%は立ち入り禁止のままであり、残る40パーセントの地域の避難命令が今年4月に解除されても、戻ってきたのは震災前11,500人いた人口のうちごくわずかな人々でした。
その1ヵ月後大熊町長の渡辺敏綱氏と町の職員たちが、新しく建設された庁舎での勤務を行うために戻ってきました。
大熊町長の渡辺敏綱氏は、現在長年住んでいた自宅とは違う場所で暮らしていますが、改装工事が終わり次第戻るつもりです。

              

写真:大熊町長、渡辺敏綱さん

           

私たち家族が代々住み暮らしていた自宅があるのは大熊町大川原地区です。
この地区の環境中の放射線量は日常生活をしても安全というレベルにまで低下したため、日本政府の避難命令が今年4月に解除されました。
住民が一人残らず避難生活を強いられてから、すでに8年の歳月が経過していました。
その間ずっと無人のままだった我が家は現在改装工事が進行中で、今年8月には再び人が住めるようになる予定です。

           

しかし我が家は古い上に大きいため、相当の手直しが必要です。
屋根と壁は東日本大震災の地震で受けた損傷がひどく、一旦すべて取り去る必要があります。
その他の部分も新しいものに交換する必要があるでしょう。
さらに建物の基礎を補強し、外壁はすべて建て直さなければなりません。
今ある家を解体して新しい家を建築する方が費用も安く、そして早く出来上がるでしょう。
でも私は60年前に父親が建てた家の残せる部分は残すという決心をしたので、新築するという考えは捨てました。

                

父親はいつも熱心に勉強した人でした。
彼は東京の大学で新しい農業技術を学び、当時はまだ日本ではほとんど普及していなかった養鶏や水産養殖に力を入れていました。
その長男である私が後を継いで農業に従事することは当然のことと思われていました。
私自身もそれが当然だと思っていました。

                

写真 : かつては大熊町の穀物畑だった場所に育ったひまわり。

              

私は仙台の農業専門学校で勉強するため2年間大熊を離れましたが、若い時は父親とよく意見が衝突しましたが、やがて父親の考え方が理解できるようになりました。
家族の中で代々の自宅を守ることの重要さがわかるようになったのです。
今、私はまったく同じことを私の息子に伝えています。

                  

私は日本語で言うところの晴耕雨読という暮らしに憧れています。
晴れた日には働き、雨が降っている日は自宅で読書をするという生活のことです。
ですから最終的に大熊町で本格的に暮らし始めたら私は農業を再開するつもりですが、ただし今度は趣味として取り組むつもりです。

                 

我が家の畑は除染が終わっていますが、8年間使われていなかったため、まずは作物を栽培できる状態にまで戻す必要があります。
最終的には鶏と羊を飼い、キノコの栽培もしたいと考えています。
そのことを想像するたび密かに興奮しています。

                   

しかし悲しいことに、同じような夢をもつ人はかつての大熊町の人口の4%にも足りません。
残りの96%の人々が住んでいた地域はまだ放射線レベルが高く「帰還困難地域」に指定されています。
この場所の避難命令が解除されるまではまだ何年もかかるでしょう、あるいは永遠に解除されないかもしれません。

          

私たちと同じ大熊町の住人が、帰宅できる人とできない人とに分断されてしまっていると考えると心が痛みます。

                   

写真 : 大熊の住人は2018年のお盆の期間、一時帰宅が許可されましたが泊まることはできませんでした。その際の盆踊りの時の様子。

              

この町の知り合いと交わした会話が私に忘れ難い印象を残しました。
この女性は避難命令さえ解除されれば住んでいた場所の近くに戻ることができると、実際に言われたことがあると語りました。
しかし彼女はこう語りました。
「私は単に大熊に帰りたいだけじゃなく、もともと住んでいた自分の家に帰りたいのです。」

             

私は彼女がどう感じているのかよくわかります。
そして大熊に戻りたいと思っている他の人々も皆同じ思いなのです。
もはや元の自宅に戻ることがかなわない人々のことを考えると、自分がいかに恵まれているかを痛感しますが素直には喜ぶことはできません。

            

これから町を再建するために私たちは2通りの方法に取り組むことになるでしょう。

                

まず第一はもう永遠に大熊町で住み暮らすことはできなくなってしまったと諦めてしまった人々も含め、すべての住民が戻りたくなったらいつでも戻れるようにすることです。
第二は大熊町に住んだことがない人を引きつけることができるまちづくりを進めることです。

                      

                

大熊町の居住環境を素晴らしいものにするために一生懸命働くことに、私たちは誇りをもって取り組んできました。
そして大熊町を再建し、少しでも住みやすい場所にするための取り組みをする際にも、そうした誇りは支えになってくれると確信しています。

                      

私たちの懐かしい故郷を取り戻すために私はできる限りのことをして残りの人生を過ごすつもりです。
そのために晴耕雨読の生活が少し遠のいたとしても、それはそれで仕方のないことです。

                  

https://www.theguardian.com/environment/2019/jun/22/fukushima-diary-part-three-restoring-crops-and-a-sense-of-pride

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私はこれまで福島第一原発事故に関する海外メディアの記事を数百本という単位で翻訳してきましたが、このガーディアンの『福島ダイアリー』はその最新のものです。

           

8年間を原発難民として暮らさなければならないという生活を私は想像できません。

                

私が暮らす仙台市は東日本大震災の被災地のほぼ中心にあり、市内の若林区を中心に信じられない程多くの方々が津波で命を奪われました。
私自身も震災直後からしばらくは『失われた日々』ともいうべき時間を過ごさなければなりませんでしたが、仙台市北東部の丘陵地帯にある当時建ててから5年目の自宅は壁紙のコーナー部分が破れた程度の被害で済み、やがてライフラインの復旧とともに震災前とさほど変わらぬ日常が戻ることになりました。
3.11当日、会社員の娘は代休で大学生の息子は休講で在宅、自家用車は2台とも前日に給油済みと偶然が重なり、他の方々より心労心痛の少ない日々を過ごしました。

                

同じ被災地でもそこに原子力発電所事故が加わると様相は一変します。
放射線被曝の恐怖に加え、生活の基盤を根こそぎ壊され、精神のバランスを失うほどの心労心痛に苦しむことになりました。
そんな人々が160,000人も作り出されたのです。

               

そのことに対し現在の安倍政権はどんな心の痛みも感じていないように見えます。
そういう政権に国の舵取りを任せて、国民は幸せになれるものなのでしょうか?

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