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【『3.11の被災地をさまよう死者たちの霊と忍び寄る前時代の亡霊』リチャード・ロイド・パリー著 】《前篇》

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東日本大震災によって破壊されたコミュニティーへの温かい目線の先にあったもの

不満をもらすことなく秩序正しく東日本大震災の復興に立ち上がった東北の人々、その「負の側面」とは…

 

堀田えり / ガーディアン  2017年8月16日

日本の東北地方は、厳しい気候、そして東京と大阪結ぶ日本の中心地から遠く離れていることもあり、長い間典型的な田舎だとみなされてきました。

そうした見方に加え、東北地方の人びとには固定観念とも言うべき評価が常につきまとっています、いわく口数が少なく、頑固で、幾分謎めいています。

弱音を吐こうとはせず、口元を引き締めて自らの気持ちを奮い立たせ、たとえ希望が見えていなくとも黙々と働き続けていました。

こうしたまさに東北人気質とも言うべき、そして称賛されるべき姿は、東日本大震災が発生、マグニチュード9.0の巨大地震に続いて津波が発生し、福島第一原発で原子炉が破壊される事故が発生した直後の東北地方のいたるところで見ることができました。

 

現地の被災地から報道したジャーナリストたちは、東北地方の人々の苦境の中から懸命に立ち上がろうとする姿を称賛し、生き残った人々の秩序正しい行動に感銘を受けました。

その中にはほとんど何もかもを失ってしまった人々もいたのです。

彼らは緊急避難場所の中でも不満を言うことなく組織立った行動をし、列を乱さずに食糧を受け取り、進んで病気やけがで苦しんでいる人々の世話をしていました。

被災地を訪れた人々は、東北が災害に見事に立ち向かっている事を痛感しました。


しかしリチャード・ロイド・パリーの著作を読むと、東北地方とその場所の人々に関するこれまで世界に伝えられた話が、真実の半分も伝えていないという事を教えてくれます。

もっと厳しい現実が災害後の人びとの暮らしの表面の、もっと下に隠されていたのです。

 

東京在住の英紙タイムズのジャーナリストであるロイド・パリー氏は、被災地で何が起きているのかを理解するために東北地方を何度も訪れました。

そして津波によって破壊されたコミュニティに対する感想は思いやりに満ちた、そして心を痛めずにはいられないものになりました。

津波によってその日のうちに命を落としたのは犠牲者のうちの99%、18,500人に上り、一度の災害でこれ程の数の人が死亡したのは長崎への原爆投下以来のことでした。

 

この著作の中で取材を受けた1人の女性は、震災以降変わったのはライフスタイルではないと振り返りました。

「それはみんなの心の中です。あの日以来、誰もが何かしっくりこないものを感じているのです。」
ロイド・パリーはこうしたひとりひとりの心の中の様子を確かめようとし、その何層もの奥深い場所にある深い悲しみが「何かしっくりこないもの」ではないことに気が付きました。

彼は「一人一人の悲しみの内容は異なっており、それはどのようにして大切な人の命が失われてしまったのか小さな微妙な違いに拠っている。」という事に気がつきました。

そしてさらに遺体がいつの時点で回収され埋葬されたのかということにも影響され、結果が違っていました。

そして大切な人の遺体が見つからず行方不明のままというケースでは、残された家族を始めとする多くの人びとが霊能者の助けが必要だと考えたのです。

東北太平洋側の被災地には多くの犠牲者たちの霊がさまよい、その目撃情報はいくつも報告されています。

これは津波によって実に多くの人々が現世との決別について心の準備も何もできないうちに、避けられない形で死を迎えてしまったという事実を、ある意味言い表すものです。

 

死者たちの霊に関する目撃情報は、ほぼ似た内容のものです。

死んだはずの女性が仮設住宅で暮らしていた古くからの友人を訪問し、一緒にお茶を飲んでいなくなりましたが、彼女が座っていたと思われるクッションは濡れていました。

ひとりのタクシー運転手は男性客をのせたところ、津波によってもはや消滅してしまった住所まで行くように言われました。しかしその場所に向かう途中、後部座席に乗っていたはずの男性の姿は消えてしまいました。

この際こうした超常現象を信ずべきかどうかという点は脇に置いておきます。

多くの津波の犠牲者の霊を弔うため教を詠んだ仏教の僧侶によれば、大切なことは多くの人々が死者の霊を間違いなく目撃したと信じている点です。

津波の被災地の『死者たちの霊の問題』の拡大とともに、ひとつひとつの目撃情報を整理記録する大学の研究者が現れ、キリスト教の司祭、神道の宮司、仏教僧などが、極端な例では生きている人に憑りついてしまう『不幸な死者たちの霊を弔うため』に繰り返し奔走するようになったのです。

〈後篇に続く〉

https://www.theguardian.com/books/2017/aug/16/ghosts-of-tsunami-japan-disaster-richard-lloyd-parry-review

 

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