ホーム » エッセイ » 日本政府、大飯原子力発電所の原子炉2基の再稼動を承認
日本国内における一般国民の原子力発電への支持を一掃した福島第一原発の事故
東日本大震災という巨大な自然災害は、すぐに福島第一原発の最悪の人為的災害へと姿を変えた
ドイチェ・ヴェレ 2017年11月27日
2011年に発生した福島第一原子力発電所の事故は日本国内における一般国民の原子力発電への支持を一掃し、その結果化石燃料の使用量の増加をもたらしました。
福島第一原発の事故から6年後、日本は原子力能力を回復するための措置を講じ始めています。
日本政府の原子力発電当局は月曜日、大飯原子力発電所の2基の原子炉が再稼働のための最終審査に合格し、立地する地元県知事が同意したため、来年初めにも再稼働する見通しであることを明らかにしました。
西川福井県知事は、関西電力の原子力発電所運転にゴーサインを与え、大飯原子力発電所の3号機、4基の原子炉を再稼動させる計画です。福島第一原発の事故以来長年にわたり多くの国民が原子力発電の継続に反対しているにも関わらず、今回も再稼働が認められることになりました。
西川氏は、記者会見で「原子炉の再開に合意した」と述べました。
2011年の福島第一原発の事故発生により原子力発電に対する一般国民の支持が激減した結果、日本はいったんすべての原子力事業を停止しました。
大飯原発日本海沿岸にあり、日本の古都京都の北約60キロの場所にあります。
原子炉の3号機と4号機は2011年に停止、その後2012年に一時的に短期間再稼働されましたが、その後再び停止しここ数年間は使用されていませんでした。
2基の原子炉は2012年、福島第一原発の事故後日本国内で唯一稼働した実績を持つ唯一の原子炉でした。
▽事故への懸念は無くならない
2011年東日本大震災の巨大地震と巨大津波が福島第一原発の原子炉冷却システムを破壊した結果、3基の原子炉でメルトダウンが発生し、日本はすべての原子炉を停止しました。
この事故は1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所の事故以来、最悪のものとなりましたが、2017年10月福島地方裁判所は福島第一原発の管理責任者である東京電力と日本政府の責任を認め、被災者となった周辺住民に対する損害賠償を命じました。
国民の意見の大勢は原子力発電の停止を求めており、多くの事案が法廷に持ち込まれ、これまで再稼働した原子力発電所はわずかな数に留まっています。
現在、日本の43基の原子炉のうち5基だけが稼動しています。
福井県に隣接する京都と滋賀の地方自治体の住民は、原子炉の再稼動に反対しています。
11月24日には滋賀県の三日月大造知事が不測の事態が発生した際の対応計画に懸念があるとして、再稼働に反対を表明したと日本のメディアが伝えました。
「原子力発電所の事故に対する滋賀県民の懸念はずっと続いており、知事として再稼働に合意できる状況にはない。」
と述べたと時事通信が伝えました。
原子力発電の継続に対する反対意見が多いことにより、日本では発電手段の化石燃料からの転換が思うように進んでいません。
国際エネルギー機関(IEA)による日本のエネルギー使用状況調査によれば、福島第一原子力発電所の事故が日本の近年のエネルギー政策を「支配している」と報告しました。
「福島第一原発の事故の影響のひとつとして、すべての原子力発電所において原子炉の段階的な廃止傾向が続いている。その結果化石燃料の使用が大幅に増加し、燃料の輸入量も増加し、二酸化炭素の排出量が増加している。」
▽東日本大震災 - 福島第一原発が作り出した長く伸びる影
①戦後の日本史において最悪の災害となった東日本大震災(写真上・以下同じ)。
2011年、マグニチュード9.3の巨大地震が宮城県沖の海底で発生し、引き起こされた津波は東北地方の太平洋岸一帯を全滅させました。
少なくとも15,880人が命を奪われ、2,694人が行方不明になりました。負傷者は6,135人です。
②福島のメルトダウン
しかし福島第一原子力発電所を高さ13mの津波が押し寄せたとき、巨大な自然災害はすぐに最悪の人為的災害へと変わりました。
原子力発電所の冷却システムが故障して原子炉の冷却がストップしたため、3基の原子炉の炉心が過熱してメルトダウンし、放射能漏れが発生しました。
③スリーマイル島事故
福島第一原発の事故は先例のないものではありませんでした。
1979年、ペンシルバニア州ミドルタウン近郊のスリーマイル島原子力発電所では、原子炉が部分的にメルトダウンいる事故が発生しました。
炉心を冷やして蒸気を発生させるために水を送り込む給水ポンプが停止し、行き場がなくなった冷却水が故障した弁から漏れ出しました。
周辺地区からは約14万人の子供たちと妊娠中の女性が避難することになりました。
④チェルノブイリの負の遺産
福島第一原発の事故が発生するまで、チェルノブイリ原子力発電所の事故は歴史上最悪の産業事故でした。
1986年、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の原子炉4号機が突然の電圧が急上昇して原子炉が破壊され、ロシアとヨーロッパ全域に放射性物質が放出されました。
原子力発電所の周辺30キロ圏の地域が封鎖され、335,000人が避難しましたが、少なくとも30人が死亡しました。
⑤全原発停止へのドイツのためらい
原子力発電に対する反対運動が活発なドイツですが、ドアンゲラ・メルケル首相の中道右派政権は、もともとは2022年に設定されていた全原発の停止時期を2034年まで遅らせようとしていました。2022年にすべての原子力発電所の稼働を停止させるという目標は、メルケル首相の前任者である中央左派連合政権のゲルハルト・シュレーダー首相が設定したものでした。
メルケルの連立政権は、再生可能エネルギーへの全面的移行には相応の期間が必要だとして、遅延を正当化していました。
⑥メルケル首相の原子力発電の継続へのバックペダル
しかし2011年3月、日本で福島第一原子力発電所の事故発生を見たドイツ政府は、原子力発電所8基を永久に廃炉にするために迅速に動き出しました。
そして結局メルケル首相率いる中道右派連合は2022年までに原子力発電を段階的に、完全に廃止することを決定しました。
ドイツは2050年までに再生可能エネルギーによる電力供給割合を80%にまで引き上げることを目標を設定しています。
今年再生可能エネルギー発電割合は27%を達成しました。
⑦イタリア人は核兵器禁止を維持する
ドイツ同様、イタリアも原子力発電に対する反対運動が活発で、長い歴史を持っています。
1986年のチェルノブイリの大惨事の後、イタリアは1987年という早い段階で国民投票を行い原子力発電の禁止を決定しました。
しかし2011年に当時のシルヴィオ・ベルルスコーニ首相が原子力発電の再導入への途を模索し始めました。
結局この動議は国民投票によって再び否定されることになりました。
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福島第一原発の事故によって日本人は何を学んだのか?
という事に関する議論、それを取り上げた記事を繰り返しご紹介してきました。
原子力発電が始まった当初から使用済み核燃料、すなわち高レベル核廃棄物の処理は懸案のはずでした。
当然、優秀な科学者や技術者を結集させてこの問題に取り組むべきところでしたが、現実は異りました。
もっとももこの問題は日本だけでなく、世界で高レベル核廃棄物の処理は不可能というのが現実です。
しかも高レベル核廃棄物は口に入れるのはもちろん、触ったりしなくとも、近よっただけで人間の体のメカニズムを完全に狂わせ破壊し殺してしまう、他に例の無い恐ろしい物質です。
発電と言う事について他に方法が無いのならまだしも、今や再生可能エネルギーと言う安全で低コストの発電手段が多種多様に揃っています。
電気を作るために人間や地球の生物にとって致命的な物質を作り続ける事に、どんな合理性があるのでしょうか?
原子力発電を続けるのは経済的合理性によるものでもなんでもなく、多額の投資をしてしまった日本の電力各社の自己都合によるものとしか考えられません。