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戦争が日常化した世界 : たちまちのうちに奪い去られた人権『『敵呼ばわりされた私たち』
生まれ落ちた瞬間から幸せとは無縁だった少女の物語『 Grass 』
ジョージ・タケイ / ニューヨークタイムズ 2019年9月9日
1941年のその日も、ロサンゼルスの一つの家庭のいつもの平和な1日のはずでした。
ラジオからクリスマス・キャロルソングが流れる中、4歳のジョージは父親が木の剪定をするのを手伝っていました。
母は赤ちゃんをあやし、もう一人の子供はおもちゃの汽車で遊んでいました。
しかし「サイレントナイト」の曲の終了間際、日本軍が真珠湾を奇襲したという臨時ニュースが報じられ、番組が突如打ち切られあたりを不気味な緊張が支配しました。
翌12月8日、アメリカは第二次世界大戦に突入し、フランクリン・D・ルーズベルト大統領はすぐに米国内のすべての日本人が「敵性外国人」として管理登録されなければならないと宣言しました。
大統領令第9066号の結果、翌年の秋までに私たち家族は実際に列車に乗られ、「家畜の牛と同じやり方で」標識をつけられ、ルーズベルト大統領の命令により設置された10か所の収容キャンプのうち、最も東側にあるフォート・ローワーに向かいました。
「各車両ごと前後に武装した兵士が配置された列車に乗って、みんなで休暇旅行に行くのだとばかり思っていました。」
ジョージは当時自分が置かれていた状況についてこう語りました。
「冒険の始まりのように思っていたのです。」
母親はアメリカ生まれでしたが、父親はすでにアメリカに住んで25年が経過していたにもかかわらず市民権を申請できずにいました。
そしてジョージはのちに他でもない「スター・トレック」の俳優ジョージ・タケイとして有名になった後、現在82歳になりました。
彼の新しい自伝、『敵と呼ばれて(THEY CALLED US ENEMY)』は真珠湾攻撃の後、アメリカにいた日系人がどのようなつらい目にあったのかを自らの体験を基に詳細に綴ったものです。
そうした体験はこれまでジュリー・オオツカのもうひとつの非常に美しい作品『天皇が神であった時代』ジョン・オカダの「ノー・ノー・ボーイ」、そして1946年発表の現代のコミック本の先駆けともいうべき、イラストと文章によって見事な表現力を持った作品ミネ・オオクボの「シチズン13660」などを通し、力強く世の中に伝えられてきました。
この『敵と呼ばれて(THEY CALLED US ENEMY)』はジョージ・タケイの長いキャリアの中のハイライトともいうべき感動的な作品ですが、彼の芸術的感性と道徳的基準がアーカンソー州とカリフォルニアの2か所の収容所生活によって形成されたことを思うと、感慨深いものがあります。
ジョージ・タケイは存命する人々の中で、最も有名なアジア系アメリカ人の一人であることに間違いありません。
オリジナルの「スタートレック」シリーズ(60年代後半に3年間放映された後、再放送が繰り返されています)でのヒカル・スールー役を演じました。
彼は準主役とまではいかなくとも、誰も行ったことがない場所へ向かう大胆な使命を持つエンタープライズ号の中で有能で勇敢で尊敬されるスターシップのメンバーとしてその場所にいました。
タケイは新しい著作の中で、「スタートレック」シリーズにも通じる冒険の精神は、文字どおり見慣れない有色人種として20世紀初頭のアメリカで暮らしていたタケイの両親のような人々が、どのようにして生き延び、そして成功を掴んだのかを解き明かす際の鍵になりました。
しかし彼らのアメリカにおける挑戦の日々は1945年12月7日突如暗転します。
人権を踏みにじる追放生活を経験させられたことは、後に「スタートレック」シリーズの全ての物語を通じての題材として生かされた可能性があります。
第二次世界大戦の後アメリカの子供たちが戦争ごっこをしていた時代、『卑怯な日本兵』役をしたがる子供はいませんでした。
誰もが『アメリカの』兵士として遊ぼうとしました。
しかしその『アメリカ』は、日系アメリカ人たちを快適に暮らしていた家から追い出し、周囲を有刺鉄線でぐるりと囲まれた窮屈な小屋がいくつも立ち並ぶ場所に追い込みました。
戦後、タケイと父親が1952年のアドレイ・スティーブンソンの大統領選挙戦での応援運動を行っていた際、人気が高かったエレノア・ルーズベルトがやってくる予定になっていました。
ジョージは興奮しましたが、その日父親は病気を理由に家に留まりました。
後にジョージは父が築き上げたものすべてを奪った人間の妻と会いたくなかったのだということをだんだん理解するようになりました。
ただし著作の中には不具合が何点かあります。
多分料理人が多すぎるためです(Justin EisingerとSteven Scottが共同執筆者として記載されています)。
父親は1950年代のどこかの時点で、民主主義は『実存的に(existentially)……民主主義はその輝かしい最高の理想を大事にする人々が存在するか否かにかかっている」とタケイに語ったと記されていますが、出来すぎのように聞こえます。
私の記憶違いでなければ、今日まで実存的に(existentially)という単語はこのような使い方はしません。
「私たちの民主主義の輝かしい理想」という表現がすでに5ページ前で使われていることも、この章の主題をほやかしてしまう原因になっています。
著作全体の構成も、人生経験豊かな著名人であるジョージ・タケイが聴衆に語りかけるという手法は少々古臭く、主題も二転三転しています。2014年に無料のオンライン講演TED Talkで、あるいは2017年にフランクリン・ルーズベルト記念館で、あるいはコミック・マーケットで私たちはタケイの講演で「私たちの民主主義の輝かしい理想」という表現を耳にしてきました。
しかし表現上多少の問題があったとしても、タケイが綴ったストーリーは純粋な力を失わず、ハーモニー・ベッカーの明確で共感に満ちたさし絵(共感できるマンガ調の絵も添えられています)は人間扱いされない収容所での扱いを実感させるものてだあり、仕事で大きな歴史的な力をうまく伝えています。
「彼らは私を敵呼ばわりした(They Called Us Enemy)」には、タケイの社会活動の様々な側面が含まれており、締めくくりは親孝行の物語です。
しかし物語が終わる直前、私たちは過去の教訓が生かされていないという恐ろしい事実を再認識することになります。
今この時代になっても、アメリカの最高権力者はアメリカ人以外の民族を攻撃の的にしています。
《後編》に続く
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少々掲載された日は古いのですが、この年末にみなさんと一緒に『戦争』というものについて改めて考えたいと思い、訳しためていたうちの一編です。
もともとはニューヨークタイムズに掲載された『書評』なのですが、紹介されている著作を読まなくとも胸に迫る思いがあります。
戦争は戦場に送られた人間にとっても地獄である一方、広島原爆や長崎原爆の例を引くまでもなく、あらゆる人間に地獄の思いをさせる、だから戦争は許さない、それが私の信念です。
今回前編はアメリカの日系移民強制収容所、そして後編は従軍慰安婦という存在を通し、戦争というものがいかに残酷なものであるか改めて考えさせられました。