ホーム » エッセイ » 実録『トモダチ』作戦・第4部「放射能汚染」[第5回]汚染されてしまった人生・その2
本人、そして幼い子供を襲った原因不明の症状、治療の目安も無く
ロジャー・ウィザースプーン / ハフィントン・ポスト 3月15日
マイケル・セバーンは海軍の飛行整備士として勤務した17年間、様々に摩耗したヘリコプターの部品の交換を行ってきました。
厚木の基地で彼が行っていた部品交換は、安全性の確保、そして航空機の性能を最大限引き出すために行われます。
しかし『トモダチ』作戦が実行されていた間小名こわれた、ヘリコプターの部品交換はどうだったでしょうか?
特にラジエター、そして吸排気に関連する部品は?
作戦期間中、これらの部品は一度飛行するごとに交換しなければなりませんでした。
大量の放射性物質をエンジン内に送り込んだあげく、これらの部品も汚染がひどく二度と使えなくなりました。
「ラジエターを再び装着することは論外でした。」
「そっくり交換しなければなりませんでした。そしてそれを警察の非常線のようにロープを張った、立ち入り禁止エリアの石鹸水をいっぱいに張った大きな容器の中に放り込むのです。そして私たちは放射能がそこから漏れ出していないかどうか、毎日測定を行っていしました。」
「容器は放射線を放っていました。これから何年も何年もかけて放射性物質が崩壊しない限り、放射線が放出され続けるでしょう。私たちは着ていたタイベック(アメリカ・デュポン社の防護用衣料)製の防護服も脱いで、切ってバラバラにし、その容器の中に放り込むことになりました。放射線をさえぎるために着ていた物、身に着けていたものはどれもすべてひどく汚染されており、その廃棄容器に詰め込まなければなりませんでした。」
「その後も放射線に汚染されたものがどんどん増え、私たちはそれらを容器の中にどんどん放り込みました。まるで生きものである容器に、エサを与え続けているような感じでした。」
2011年春のてんてこ舞いの80日間が終わり、セバーンはこれで何もかも終わったとほっと一息ついていました。
しかし彼は間違っていました。
2011年5月、彼の8才の息子カイ君が、原因不明の体調不良に陥りました。
「息子は嘔吐の発作が止まらず、3週間学校を休まなければなりませんでした。」
「息子は日に10回から15回も嘔吐を繰り返しました。気分は悪くないのに、嘔吐が止まらないのです。」
「最終的に医師たちはストレスが原因だという診断を下しました。未だに息子の嘔吐は続いていますが、未だに原因を特定できずにいます。」
しかしセバーン自身の体調は問題ありませんでした、2011年いっぱいまでは…
「2012年3月、私は海軍の軍医たちが説明できない症状に見舞われました。」
セバーンがこう語りました。
「右半身のすべての能力が、通常の40%から50%に低下してしまったのです。」
「私は2度のMRIの検査、複数回のレントゲン検査、そして超音波検査を受けましたが、私の症状については何も究明できませんでした。」
「腕、胸、そして肩に居は痛みがあります。そして奇妙なことに、私の左半身が異常に大きくなり始めたのです。私は生来右利きで、右側を使う事の方が多かったにもかかわらず。」
彼も息子のカイも、遺伝相談または放射線被ばく線量調査は受けませんでした。
17年間海軍勤務を行ったセバーンは、退役後も5年間は医療費その他について海軍が負担しますが、その期間が過ぎた後は100%自己負担になります。
「本人は退役後少しの間は海軍が面倒を見てくれますが、家族にはその権利もありません。」
その5年が過ぎてしまったらどうなるのでしょうか?
「そう、考えたくもありません。」
まるで一気に老化が早まったかのように、セバーンの右半身は現在も衰弱し続けています。
「私は『トモダチ』作戦医療記録簿は、70,000人の軍人と家族の生活と健康を守るためのものだと思っていました。そして10年、15年が過ぎてしまった後に、この作戦に参加したことが原因で何らかの病気や障害を発症した場合、私たちは救済措置を受ける資格があるものとばかり思っていました。」
「しかし国防総省は最後の瞬間になって、その医療記録簿を封印してしまいました。これから先、私たちの運命がどうなるのか、わからなくなってしまいました。」
セバーンが東京電力を告発する原告団に加わった理由は、汚染を引き起こし、虚偽の報告を繰り返したことにより多くの将兵を放射能に被爆させ健康被害を引き起こした、その責任を取らせるとともに、自分たちが必要とするであろう医療に対する補償を確立するためでした。
「私は兵士に放射線被ばくをさせてしまったことに対する責任を、アメリカ海軍に求めてはいません。彼等もまた、正しい情報を与えられなかったため、正しい対処ができなかったからです。
海軍は私たちにウソをついてはいませんでした。海軍は最善を尽くしたが、及ばなかった、そういう事だと思います。兵士たちも海軍自体も、与えられるべき情報を与えられないまま、前に進むことを強いられたのです。」
〈 第4部・第6回へ続く 〉
A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Part 4 Living with the Aftermath
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【 あなたの電子機器を動かしているものは?】
南アメリカの『リチウム三角地帯』
アメリカNBCニュース 4月7日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
携帯電話からノートパソコン、そして電気自動車まで最新技術の鍵となっているのがリチウム電池です。この世界で最も軽い金属であるリチウムは、南米のアルゼンチン、チリ、そしてボリビアが世界の供給の大半を賄っています。
子の三か国に股がる『リチウム三角地帯』と呼ばれる地域では、高まる一方の需要に対し生産活動も活発化しています。
中でもチリは世界で産出されるこの金属の40%を供給しており、アルゼンチンの生産量もまた莫大です。
しかし最大の埋蔵量があるのはボリビアのアンデス山中で、世界全体の埋蔵量の50%がこの場所に集中していると言われています。
ボリビアは2013年1月、同国初となる試験採掘施設を立ち上げました。
アタカマ塩原にある塩水貯水池とソキミチリチウム鉱山の空撮写真。チリ北部にあるアタカマ砂漠にあるこの施設は、現在世界最大のリチウム生産拠点となっている。2013年1月10日。(写真下・以下同じ)
太陽光線から顔を守るため、目だけを出してアタカマ塩原にあるロックウッド・リチウムプラントで、採掘場所の機会探査をする労働者。1月8日。
アタカマ塩原にあるロックウッド・リチウムプラントで採取されたリチウム炭酸塩のサンプル。チリ北部のアントファガスタにあるこの場所には、現在生産が行われている中では、世界最大のリチウムの鉱脈がある。1月14日。
チリとアルゼンチン北部との国境近く、海抜4,000メートルの場所にある、リチウムの主要な生産場所であるサラー・デル・オンブレ・ムエルト(死者の塩原)にある、鉱山労働者のための簡易宿舎。2012年10月28日。
ボリビア南西部、海抜3,600メートルの場所にあるウユニ塩水湖の中のインカウアシ島のサボテンの隣に立つラマ。この場所には世界最大量のリチウムが眠っている。2012年11月7日。
ウユニ塩水湖にピクニックにやって来た観光客。2012年11月7日。