ホーム » エッセイ » 大切だった人が、心の中に住まう日が来る
私は40代のとき、いわゆる「過労」で倒れ、ごく短い間でしたが、記憶を失ったことがあります。
そのときの恐怖は、たとえようのないものでした。
記憶が無い、ということは人生が無いのと同じだということを痛感しました。
今度の大震災では、津波が数えきれないほどの命を奪いました。
一瞬にして、多くの「人生」が「無」になってしまいました。
本当に痛ましいことです。
でも、逝ってしまわれた方々の人生を、「無」のままで終わらせない方法があると思います。
逝ってしまわれた方々のことを、思い出として心の中に大切にしまっておく。
そして、折に触れ思い出したとき、一緒にいたときの幸せをかみしめることだと思います。
私も、大好きだった祖母を中学生のときに病で亡くしました。
大切な人を亡くす、ということは、悲しみではなく、恐ろしいほど虚しい喪失感に襲われるということでした。
でもいつの日からか祖母はお墓の中ではなく、私の心の中に住まい続けています。
私の手を引いて、夕暮れの町を歩く祖母。
そのことを思い出すきっかけは決まってなどいませんが、優しく手を引かれて本当に幸せだったことを思い出します。
その思い出が私に「人間」を取り戻させてくれたことが、何度あったことか。
もうすぐ私は祖母が亡くなった年齢を超えることになります。
でも、祖母が大切に守ってくれていた幼い私と祖母は、いつまでも私の中に住まい続けることでしょう。
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