ホーム » エッセイ » イメージを変える!プレイボール in 福島《後篇》
大手建設会社はオリンピック関連事業に集中、福島第一原発事故の被災地の復興のための公共事業には大幅な遅れが発生
スポーツがスポーツ以上の役割を果たすことが出来るよう取り組む、福島の地元チームの選手たち
福島の問題の根本的解決のため、日本政府事実を積み上げた正確な情報を公開する必要がある
セス・バークマン/ ニューヨークタイムズ 2017年12月29日
2013年9月、2020年のオリンピック開催地が東京に決定した時、安倍晋三首相は福島の「状況はコントロール下に置かれている」と語りました。
しかしその4年後、大手建設会社の多くが東京オリンピックに関連する事業に集中することになった結果、東日本大震災・福島第一原発事故の被災地の復興のための公共事業に大幅な遅れが発生することになったと、セイフキャストで活動しているアズビー・ブラウン氏が語りました。
しかし福島県の内堀知事は、県内の被災地の再建事業は著しい進展を見せていると主張しています。
内堀知事はその一例として県内の観光施設が次々とリニューアル・オープンしていること、そしてスポーツ関連事業の活性化により市民が自信を取り戻す動きが広がっていると指摘しました。
一方で知事は放射性物質によって汚染された地域の再建と人口の減少は見過ごせない事実であり、これらの対照的な側面を「福島の光と影」と表現しました。
内堀知事は
「現時点で福島の地でオリンピック競技を開催することに否定的な点は見当たりません。」
と述べ、
「組織委員会と日本政府と協力しながら、福島でイベントを開催します。」
と付け加えました。
内堀知事は、福島の状況に関する「風評被害」が県内の影の部分を大きくしているとも語りました。
広範囲に及んだ福島第一原発の事故の影響により、未だに多く市町村が人が住めない状態のままです。
福島第一原発の事故収束・廃炉作業そのものも完了まで40年以上がかかるとされ、その費用も20兆円以上が見込まれています。
それでもオリンピックの競技開催に希望を見出そうとしている住民たちがいます。
「福島でのオリンピック競技開催が実現しなければ、これからも長い間福島のイメージは変わらないままになってしまいます。」
福島大学の学生である渡辺あやさんがこう語りました。
彼女は2017年夏にヒューストンに短期留学し、大リーグの地元チーム・アストロズがワールドシリーズで優勝したことにより、ハリケーンで大きな被害に見舞われた同市の人びとが勇気づけられる様子を見てきました。
「福島の見方を変えるためのまたとない大きなチャンスです。」
ホープスもファイアー・ボンズも比較的新しいチームですが、選手たちは福島の立ち直りにスポーツがどれほど役立つかをつぶさに目撃してきました。
アメリカ・ニュージャージー州にあるモンマス大学で大学バスケットボールの選手だったデオン・ジョーンズ氏はファイヤーボンズの選手として1年目を迎えました。
彼の母親は当初、福島に住むことを心配していましたが、彼自身は選手生活をエンジョイしており、二本松市出身の選手たちから環境中の放射線量や気をつけなければならない点に関する具体的情報を得ています。
選手たちは週に数回、地元の学校で子供たちの指導も行っています。
チームのスポークスマンは、ホームゲームではファイアー・ボンズのファン、約2,000人が試合観戦にやって来ると語りました。
「少しだけど、バスケットボール以上のことが出来ていると思います。」
ジョーンズ氏がこう語りました。
「みんな福島のひとりひとりのためにプレーしています。」
さらに日本人の国民的娯楽とも言うべき野球があります。
2020年のオリンピックの開催地が東京に決定した後、日本は国内で長い歴史を持ち青少年の競技人口が多い野球を、公式競技として再びオリンピック種目に加えるよう強力に運動しました。
2011年の東日本大震災・福島第一原発事故以降、福島県の野球人口は落ち込んでしまいました。
福島高校野球連盟の小針淳監督は、過去6年間の高校生の野球人口の動向の調査を続けてきました。
「これは間違いなく福島第一原子力発電所の事故の影響によるものです。」
小針氏がこう語りました。
栗山美和子さんの息子の良太君は福島県内の商業高校の野球部に所属していましたが、津波の被害に遭い避難しました。
良太君の通っていた小学校は完全に廃校になりました。
当時栗山さんは良太君が野球の練習をするために、片道90分をかけて送り迎えをしていました。
最近の日曜日の午前中、栗山さんは福島市の信夫が丘球場で高校のチームメイトと一緒に良太君も加わった練習試合を観戦していしまた。
彼女はネット裏で観戦していた他の6人の母親に加り、軽食を分けあいながらスコアを黒板書き記し、ヒットを打ったり走塁する度、声を合わせて応援したり笑ったりしていました。
栗山さんは息子の学校が閉鎖される以前、一緒にプレーしているチームメイトの事を1年生の時から見知っていました。
その記憶と目の前の子どもたちの様子が重なり合い、栗山さんは大家族の中で時を過ごしている時のように、気持ちが解放されるのを感じていました。
近くにある吾妻野球場では、2年半後にオリンピックが開催される同じ球場で福島市からやってきたリトルリーガーが試合をしていました。
松川運動公園の野球場では子供たちの試合が行われていましたが、日本のプロのゲームでよく使われるプラスチックのメガホンを使った音響効果で会場が盛り上がっていました。
こうした雰囲気を楽しむ住民たちの日常的な様子が見られる同じ場所に、2011年の災害の傷あとは残っていました。
フェンスで区切られた吾妻公園の一角には、福島県内の除染作業によって排出された低レベル放射性廃棄物が詰められた数百個の巨大な黒いごみ袋が保管されていました。
目の上の高さにまで積み重ねられ、処分場への移送などまだ適切な処置は行われないままになっています。
市は日本の環境省と協力してオリンピック前にはすべて処分できるよう取り組みを行っていますが、現在は処分場ではなく野球場まるまる一個分のグラウンドに仮置きされたままになっています。
福島市内各所の野球場では、子供たちが一塁めがけて走ったり右翼席めがけて高く上がったフライを追いかけて走るその先に、その日の放射線量を表示するサインボードが見る人を脅かすように経っています。
野球をしている子供たちの生活はスコアボードに掲示された点数以上に、ここに表示された放射線量に深刻な影響を受けてきました。
福島ではスポーツが人びとの心を癒すことに役立っていますが、将来に対するすべての疑念が払拭されたわけではありません。
「日本政府は科学的な証拠を揃えた上で、事実を積み上げた正確な情報を私たちに知らせる必要があります。」
11歳になる息子の圭吾君も参加している試合を観戦していた角館道明氏がこう語りました。
「日本政府はもう問題は無いと語っていますが、誰も納得はしていません。」
〈 完 〉
https://www.nytimes.com/2017/12/29/sports/fukushima-nuclear-disaster-tokyo-olympics
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