ホーム » エッセイ » イメージを変える!プレイボール in 福島《前篇》
被災した市町村や地域は破壊されたまま、説明責任は果たされず、放射線による環境汚染は今後数十年間という単位で続く
第一原発周辺の自宅への帰還を決定した人々も、実際にはどこかに魔物が潜んでいる家に住み暮らしているかのような不安と疑問を抱えながら生活している
セス・バークマン/ ニューヨークタイムズ 2017年12月29日
11月初め明るい色彩の数々のバナーと広告に埋め尽くされたJR福島駅で、地元サッカークラブの福島ユナイテッドの誕生とリーグ戦の地元開催を祝う式典が開催されました。
そしてこの地域にはすでに新しいプロ野球チームやバスケットボール・チームの根拠地も設置されています。
それぞれのチームには『ホープス(希望)』や『ファイヤーボンズ(燃える絆)』のような心を奮い立たせるような名前が付けられていますが、特に後者についてはチームの地元への思いを表現しているとバスケット・チームのポイント・ガード・ポジションの21歳の猪狩渉氏が語りました。
福島はもともとスポーツへの関心が高い地域ですが、2017年3月に国際オリンピック委員会(IOC)が2020年東京オリンピック大会で福島での野球とソフトボールの開催を承認したことで最大のブームがやってきました。
しかし福島という言葉が悲劇を定義するものであるという現実は残り続けています。
2011年に発生した東日本大震災で発生した巨大地震と津波は、東北太平洋岸を中心に約16,000人の犠牲者を作りだし、福島第一原子力発電所では原子炉のメルトダウンや放射能の漏出が発生しました。
福島第一原発事故が作り出した荒廃は、コネチカット州の規模に近い福島県のあらゆる場所に広がりました。
約2百万人の福島県民のうち、発電所周辺で暮らしていた16万人以上が避難を余儀なくされ、難民化してしまいました。
福島第一原発の事故はまた、福島の名前を深刻に傷つけました。
福島県内観光の客足は途絶えました。
日本の残りの都道府県は福島県産の農産物やその他の生産物を避けるようになりました。
事故から約7年後、福島県と同じ福島の文字を冠する県庁所在地を中心に、スポーツを通してその認識を変えようとする取り組みが始まっています。
「私地たちが暮らす場所はまるでチェルノブイリのように見られています。」
スポーツショップ「スポーツランド」を運営している福島県生まれの斎藤信幸氏がこう語りました。
「それを変えさせるのは大変なことです。」
福島氏の名前を復活させたいと考えているのは、岩村明憲氏です。
岩村氏は2008年ワールド・シリーズのタンパベイ・レイズの第2塁手としてスタートしました。
岩村氏はまた日本プロ野球リーグでは13年間プレーし、日本とのワールド・ベースボール・クラシック選手権はで2度の優勝経験を持っています。
現在38歳の岩村氏は、プロ野球リーグ下位のベースボール・チャレンジ・リーグで苦戦しています。
アメリカで最高レベルの野球を経験してきた岩村氏は現在、時々しか試合の無いセミプロチームの福島ホーブスの監督に就任しています。
「私は自分自身を宣教師と呼んでいます。」
岩村氏がこう語りました。
「今は多くの人々が否定的な意味で福島という名前を受けていますが、それを肯定的な意味に変えなければなりません。」
東日本大震災の地震と津波が襲ったとき、岩村氏は楽天ゴールデンイーグルスに選手として加入する準備をしていました。
岩村氏は南日本の愛媛県出身ですが、選手を引退した後福島の再建を支援する「運命」を担うことになったのだと感じたと語りました。
岩村氏のこうした決心を励ました人の中に、レイズ時代に岩村氏のコーチを務めたことがあるシカゴ・カブス・マネージャーのジョー・マドン(Joe Maddon)氏がいました。
2020年に地元球団福島ホープスの根拠地である福島吾妻球場でオリンピックの試合が開催されれば、地域のイメージを良いものに転換する舞台に岩村氏が立つ機会を手にするかもしれません。
そして福島が第一原子力発電所の事故を乗り越えたことを世界に向けアピールする絶好の機会だととらえています。
「来日した世界の観客がそれぞれ帰国すれば、実際に目にした印象をそれぞれの国の地元の人々に伝えることができます。そうなればさらに多くの人々が福島にも観光に訪れるようになるでしょう。」
岩村氏がこう語りました。
福島吾妻球場は首都圏と言っても良い場所にあり、新幹線で東京から約90分の場所にあります。
福島第一原発からは西方約90キロの位置です。
福島市は福島第一原発の隣接及び沿岸部の市町村ほどは深刻な事故の影響を受けていません。
これらの市町村の汚染状況は深刻であり、その事実がオリンピック開催のために無視される可能性があることを批判する意見もあります。
2017年3月東京オリンピックの野球試合が福島市で開催されることが発表されると、原子力発電に反対する運動している人びとがこうした動きを非難しました。
こうした人々はいまだに避難生活を強いられている120,000にも上る原発事故の被災者、原発難民とも呼ばれる人々が今だに、そして場合によっては永遠に故郷に戻れない状況に追い込まれているにも関わらず、数々の難問を残したまま福島があたかも以前と変わらない正常な状態に戻ったと上辺だけを取り繕うものだと批判を強めています。
「日本政府は、福島の偽りの側面を表に出すことを望んでいるのです。」
東京の市民原子力情報センター事務局長の松久保肇氏がこう語りました。
東京にある市民原子力情報センターの事務所で、松久保氏はスポーツ新聞のボックススコアのように、福島県内の各市町村の放射線量を毎日伝えている福島民報の紙面を広げて見せました。
一般の市民が放射線量を含めた環境データを、行政などとは別に独立して測定するのを支援する組織であるセイフキャストで活動しているアズビー・ブラウン氏は、オリンピック期間中に福島市内のスタジアム近くに1週間程度滞在する観光客などは、おそらく日常的に存在する程度より高い放射線にさらされることはないだろうと語りました。
しかし福島県全体の状況に関する政府の見解については同意しませんでした。
ブラウン氏は電子メールで次のように述べています。
「福島第一原発の事故によって被災した市町村や地域は破壊されたままです。
説明責任は現実には果たされず、放射線による環境汚染は今後数十年間という単位で続くことになるでしょう。
細心の警戒と徹底的な監視の継続が今後も必要になるはずです。」
「放射線測定結果を受け入れ、それに基づいて被災地にある自宅への帰還を決定した人々も、実際にはどこかに魔物が潜んでいる家に住み暮らしているかのような不安と疑問を抱えながら生活しているのです。」
〈 後篇に続く 〉
https://www.nytimes.com/2017/12/29/sports/fukushima-nuclear-disaster-tokyo-olympics
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ニューヨークタイムズの記事を水曜、金曜の2回に分け掲載いたします。
ガーディアンの『危機の時代のジャーナリズム』間の続きは次週掲載いたします。
実は福島第一原発の事故に関する最近の記事を翻訳していると、故郷を一日も早く再建したいという被災地の方々の思いと、未だに危険が残る場所に人々が戻ることの将来の危険、核廃棄物処理の問題などが交錯し、複雑な思いに駆られることが多くなりました。
しかしやはり、すべての真実を明らかにした上で、問題の本質的な解決に取り組むしかない、それが正しい結論だと思います。
祭りばやしをにぎやかに演出して、深刻な問題の存在を曖昧にすること、それを『解決』とは言いません。