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『核廃絶』そして『反原発』、それがローマ法王フランシスコ1世教皇庁の正式見解

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所要時間 約 9分

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カトリック教会の公式見解として核兵器を否定する教皇フランシスコ1世の決意
『核兵器保有は非道徳的』教皇庁、カトリック教義の変更を検討

                

写真 : 2019年11月26日月曜日、タイと日本への訪問旅行からの帰還フライト中、専用機の中で記者会見を行う教皇フランシスコ1世。

              

ニコル・ウィンフィールド / AP通信  2019年11月27日

                   

教皇フランシスコ1世は、カトリック教会の公式の教義を変更し、核兵器の使用と所持を「非道徳的」と宣言することを計画しています。
これにより核兵器を抑止力と主張する冷戦後の体制を否定し、カトリック教会の公式見解として核兵器を否定したいと考えるフランシスコ1世の立場が明らかになりました。

                  

11月24日教皇フランシスコ1世は広島で米国が投下した原爆の生存者、被爆者との感動的な面会を行った際、核兵器の所有は非道徳的だと宣言していました。

                   

11月27日火曜日、日本から帰国する専用機の機内で行った記者会見で教皇フランシスコ1世は、彼が広島で行った演説を教導権(カトリック教会や神学校で教義を教えることができる権利で、教皇を中心とする司教組織に与えられているとするもの - 英辞郎 on the WEB - https://eow.alc.co.jp/search?q=magisterium)、または公式の教会教育の一部とみなすべきだと述べました。

                  

「これはカトリック教会の公教要理に含まれていなければなりません」とフランシスコ1世は教会教育の公式な概要を念頭に置きながらこう語りました。
「核兵器使用だけではなく、保有についても非道徳的であるとするべきです。」
「保管中の事故発生の可能性、あるいは政府首脳や管理責任者の精神異常が人類を破滅させる可能性があるためです。」

                 

教皇フランシスコ1世は2017年、バチカンの教皇庁の会議で核兵器保有は「非難されるべき」ものであると発言し、核抑止力を正当化する考え方に対し反対の立場を明確にしました。

                 

バチカンが核兵器の存在を暗黙のうちに受け入れてから30年後、フランシスコ1世の発言により教皇庁の見解が変わることになりました。
1982年、当時の教皇ヨハネパウロ2世は、核抑止力が相互に検証可能な軍縮への第一歩である限り、暫定的にではあるが道徳的に受け入れ可能だとの考えを示していました。

                   

                

しかしその後教皇庁が見てきたものは核兵器を削減するための条約が崩壊し、新しい核保有国が出現し、互いの国を破滅させるために核兵器の備蓄・保有を続ける政策が恒久的になってしまった世界でした。

                

教皇フランシスコ1世は28日さらに原子力発電に関する踏み込んだ発言を行いました。
教皇は事故、自然災害、あるいは個人的な「狂気」による原発事故によって人類と地球環境を破壊しないことを保証する「完全な安全」を科学者が提供できるようになるまで、原子力発電を行うのは『論外』だと語りました。

                   

フランシスコ1世は2011年に発生した福島第一原子力発電所事故の被災者と面会しましたが、1日前に公に表明した「懸念」を超えた「個人的意見」を開示しました。

                 

日本政府(安倍政権)は、2011年に発生した「過酷三重災害」にもかかわらず、原子力発電を強力に支援しています。
巨大地震が引き起こした巨大津波に襲われた福島第一原子力発電所では、3基の原子炉がメルトダウンしました。
この事故により地域全体に放射性物質が拡散され、一時は16万人の人々が自宅を捨てるなどする避難を余儀なくされました。

                   

「私は個人的な意見を持っています。」
教皇フランシスコ1世はこう語りました。
「完璧な安全が保障されない限り、私が原子力発電を選択することはありえません。」

                   

https://apnews.com/0ebd69b024f445acb867ff06e090bcde
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『核兵器廃絶』が世界のカトリックの公式の教会教育の一部となる、なんと素晴らしいことだろうと思います。
このことと対照的なシーンを嫌でも思い出します。
何年何月だったかもう覚えていませんが、NHKのニュース番組でキャスターが『アメリカの核の傘の下で安全が保障されている日本としては…』という解説をしたことです。
「いつ、誰がそんな定義をした?!」
と思わずつぶやきました。

                   

そこで改めて日米安全保障条約の中身を確認しました。

                   

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
( WIKIPEDIAより引用 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%AE%E7%9B%B8%E4%BA%92%E5%8D%94%E5%8A%9B%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E6%9D%A1%E7%B4%84)

第1条
国際連合憲章の武力不行使の原則を確認し、この条約が純粋に防衛的性格のものであることを宣明する。
第3条
日米双方が、憲法の定めに従い、各自の防衛能力を維持発展させることを規定する。
第4条
(イ)日米安保条約の実施に関して必要ある場合及び(ロ)我が国の安全又は極東の平和及び安全に対する脅威が生じた場合には、日米双方が随時協議する旨を定める。この協議の場として設定される安全保障協議委員会の他、通常の外交ルートも用いて、随時協議される。
第5条
両国の日本における、(日米)いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。

                  

核兵器に関してはどんな規定もありませんでしした。
ただし、第1条にある「純粋に防衛的性格のものである」という文言から、私たち日本人は核兵器というものが果たして『純粋に防衛的性格のものである」かどうかという議論をしっかりしなければならないと感じました。

             

                   

さらに今回、教皇フランシスコ1世は原子力発電についても、踏み込んだ発言をしてくれました。

「完璧な安全が保障された」原子力発電所など存在しない以上、『No Nukes !』の立場を明確にされました。

今や、『No Nukes !』の立場の人々はローマ法王フランシスコ1世とつながっているのです。

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