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アメリカという国全体が、起きてしまった悲劇の大きさをどう理解してよいのか、苦悩し続けた4日間
あの日から、世界の民主主義が歪み始めた…
アメリカCBSニュース 11月22日
1963年11月22日午後1時48分、CBSニュースのウォルター・クロンカイトが『CBSニュース速報』の文字と黒い背景だけが映し出された画面を背景に、ケネディ大統領暗殺の第一報を伝えました。
「テキサス州ダラスでケネディ大統領の自動車パレードの車列に3発の銃弾が撃ち込まれました。
一分も経たないうち、クロンカイトは誰もが恐れていた続報を伝えました。
「ケネディ大統領の受けた傷は致命的なもののようです。」
それが4日間に渡る歴史的報道が開始された瞬間でした。
クロンカイトが眼鏡を外し、無念極まりないといった表情を見せた場面。
ジョンソン大統領が、国家の危機に国民が団結するよう呼びかける場面。
銃撃により致命的な傷を負ったL・オズワルドが、救急車に運び込まれる場面。
そして最後は、星条旗に包まれた大統領の棺が、馬が引く弾薬車に乗せられ、アーリントン国立墓地に向かう場面でした。
「大統領が銃弾に倒れた瞬間、今日までの驚愕と悲しみの4日間が始まりました。アメリカという国全体が、起きてしまった悲劇の大きさをどう理解してよいのか、苦悩し続けた4日間でした。」
CBSニュースのチャールズ・コリングウッドが、4日間続いた特別報道の最後にこう語りました。
「報道の最後はアメリカに新大統領が誕生した事をお伝えする事でした。
世界各国の指導者、そしてこの国を訪れた特使たちが新大統領の誕生を受け入れてくれました。
この国が生き残るためには、それは必要な手続きなのです。」
「偉大な大統領は逝ってしまうかもしれません。しかしアメリカ大統領職が絶えてしまう事は許されないのです。」
CBSニュースの第一報は午後の連続ホームドラマが突然中断され、ケネディ大統領が重傷を負ったという報告が伝えられました。
ジャクリーン・ケネディは彼女の夫を両腕で支え、こう叫びました。
「オー・ノー!」
その直後、車列は急に速度を早めたと、クロンカイトが伝えました。
大統領はパークランド・メモリアル病院に運び込まれましたが、銃撃の30分後には死亡した事を、クロンカイトが国民に伝えました。
「テキサス州ダラスから、、ケネディ大統領は約38分前、中部標準時午後1時、東部標準時間午後2時、死亡した事が正式に確認されました。」
このニュースを伝えたクロンカイトの口調はうわずり、努めて冷静になろうと苦慮している様子が話題になりました。
シカゴ中心部では、CBSニュースのラス・ベンズリーがケネディ大統領の暗殺について人々の感想を聞いて回りました。
ある者はせっかくのクリスマスの飾り付けが運んできたものは、喜びでもなんでもなかったと語りました。
街の中心部に買い物にやって来たはずの人々は、その場に立ち尽くして呆然としていました。
暗殺の4時間半後に、エアフォース・ワンが大統領の棺、未亡人になったばかりのジャクリーン・ケネディ、36代アメリカ大統領に就任したリンドン・ジョンソンを乗せてワシントンD.C.に戻りました。
ジョンソンは離陸前、すでに大統領としての宣誓を済ませていました。
「私は最善を尽くします。それが私が出来る事のすべてです。」
ジョンソンは短いスピーチの中でこう述べました。
「そして私は神と、国民の皆さんの助力を必要としています。」
CBSニュースのダン・ラザーは後にアマチュアのホームムービー愛好家が撮影した、486コマのカラー映像を公開しました。
ラザーは最初の銃弾がケネディ大統領に命中し、次にコナリー・テキサス州知事が撃たれた様子を詳述しました。
「最初の弾丸が命中したとき、大統領はシートにもたれかかり、コナリー知事がたじろいでいる様子が映っています。上体を起こしていた大統領の頭を狙って飛来した2発目が、命中してしまったのです。」
この一連のフィルムが『ライフ』誌に掲載された際、大統領の頭部に弾丸が命中し血を噴き出している写真だけは、ケネディ家の遺族に対する配慮から掲載されませんでした。
CBSニュースのチャールズ・フォン・フレムはマサチューセッツ州選出の上院議員だったケネディが、たとえ狂人であっても、現在のシークレット・サービスの警備体制では大統領の暗殺を防ぐ事は出来ないと語っていた事を憶えています。
実際、ダラスで
シークレット・サービスが果たした役割は、大統領の車列に付き添い、大統領への一般大衆の視線をさえぎる事だけだったのです。
【 ケネディ大統領テキサス州ダラスへの運命の旅 】
[アメリカNBCニュース]2013年11月22日
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【 50年を経ても尚色あせないケネディ大統領の演説 】
[アメリカNBCニュース]2013年11月22日
ボストン交響楽団の演奏会のため、ステージに上ったエーリッヒ・ラインスドルフ(指揮者)が聴衆にこう語りかけました。
「たった今、耳を疑う報道がありました。合衆国大統領が暗殺による犠牲者となってしまいました。急遽演目を変更し、ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』から、第2楽章の葬送行進曲を演奏します。」
50年前の恐ろしい出来ごと、携帯電話、インターネット、その他のポータブル機器など存在しない時代、ケネディ大統領暗殺の恐ろしいニュースは瞬く間に国中を駆け巡ったのです。
(ケネディ大統領の就任演説の全文は http://www.jfklibrary.org/JFK/Historic-Speeches/Multilingual-Inaugural-Address/Multilingual-Inaugural-Address-in-Japanese.aspx などをご参照ください。)
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【 数限りない人々のケネディ大統領への哀惜 】
[アメリカNBCニュース]2013年11月22日
2013年11月22日のダラスは冷たい風が吹き付ける凍えるような日になりました。
50年前、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された日、ダラスは明るい日光に満ちあふれていました。
ケネディ大統領が暗殺されてからちょうど50年、この国はあの日の出来ごとを振り返るため、今立ち止まっています。
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JFK50年[アメリカABCニュース]2013年11月22日
ケネディは『市民の権利』について、初めて正面から取り上げた大統領だった[アメリカCBSニュース]2013年11月22日