ホーム » エッセイ » あと1年で寿命がつきてしまうかもしれない少年 その夢を一緒にかなえた少年たち
日本でも高校生球児たちの甲子園を目指す、暑い夏が始まっています。
この夏のためにたくさんの少年たちが仲間とともに、懸命の練習をこなしてきた事と思います。
そうしてできた絆は、生涯の友情へとつながっていくことでしょう。
アメリカのABCテレビで紹介された少年にとっての野球、それは野球としてはレベルの高いものではありません。
でも、ひとりの難病の少年と、彼を支えた周囲の少年たちの絆もまた、人々に深い感動を与えたようです。
しかし、少年はその絆を暖める間もなく、数年のうちに去って行かなければなりません.
【 難病の少年は野球の夢をあきらめない 】
Rare Disease Doesn't Keep Boy From Baseball Field
ABC NEWS -〈 Person of a Week 〉
By Tom Rinaldi - 7月15日
7歳のジョザイア・ヴィエラの身長は68センチほど、体重は7キロとちょっとですが、その事は彼の大好きなスポーツの障害とはなっていません。
「野球をしているとしあわせなんだ。特にベースをかけ抜けるところが大好きなんだ」
とジョザイアは話します。
ジョザイアは早老症(主に子供たちが罹患する加速度的に老化が進む遺伝性の病)を患っています。
その名称はギリシア語に起源を持ち、「早過ぎる老化」ということを意味します。
ジョザイアの主治医のカリーン・ウォルシュ医師は、彼の肉体的年齢を特定する事は難しい、と話します。
「彼の1年は普通の人の10年にあたります。彼の外見年齢は60歳から70歳です。」
ウォルシュ医師はジョザイアの母に、彼の寿命は7歳から13歳だろう、と話しました。
◆◇『あなたは、子供より長生きすることになります』◆◇
ジョザイアの母、ジェニファーは語ります。
「この気持ちを説明することなんてできません。子供よりも長生きする事を運命づけられている母親、両親であるという事を。」
2010年の春にジョザイアは、野球をすることが彼の夢であると、ペンシルベニアにある彼が住む町、ヒギンズの少年野球チームに話しました。
「彼はやって来て、私をまっすぐに見ました」と、サム・ボードナー(ジョザイアの少年野球ヘッドコーチ)は言いました。
『こんな小さな体しかしていなくて、いったい何を言われるんだろう? 』と問いかけているようでした。そこで、私は彼の目を見て、こう言ったのです。
『僕の目を見て。僕たちみんな、君と一緒に野球をするつもりさ。』」
ジョザイアはその年の5月、野球の試合に出場しました。
試合が終わったとき、ジョザイアは泣きだしました。
「ジョザイアは帽子をつかみ、顔の上に引きずり下ろして顔を隠しました。」と、ボードナーが話してくれました。
「私が見たのは、彼の両ほほを流れ落ちていく2すじの涙でした。
『どうしたっていうんだい?』と、尋ねると『ぼくは、終わりにしたくないよ。』と、泣きながら話したのです。」
ジョザイアがその体でちゃんと最後まで試合をやり通せるどうか、彼の主治医と家族が確信が持てなかったにもかかわらず、ジョザイアは4回試合に出場する事ができました。
その頃までにはジョザイアが試合に出ている事が広く伝わり、シーズン最後の試合には、ほぼ1,000人の観客が集まってきたのです。
彼らは声を合わせてジョザイアの名前を連呼し、声援を送りました。
「ジョザイアはとにかく試合が好きなのです。」と、彼の祖父デイブ・ボーナーは言いました。
「勝っても負けても、とにかく大好きなんです。バットを振ること、ボールを打つこと、ベースに向かって走る事、そのすべてが。」
今シーズン、ヒギンズのリトル・リーグ・フィールドに、ジョザイアが戻ってきました。
「あれ以来、たくさんの人が私のもとを訪れました。大人も、小さな子供たちも、10代の少年や少女たちも、みんな野球やソフトボールをする人たちです。そしてジョザイアはヒーローだと言ってくれたんです。」ジョザイアの母、ジェニファーが語ります。
「なぜならジョザイアは、難病がもたらす様々な困難にくじけないから。ジョザイアは人々の人生に触れ、その事を伝えるため、神様がつかわされた子なんです。」
この話を訳し終えたあと、私は涙を流しているのを家族に見られないようにするため、あわてて他の部屋に行かなければなりませんでした。
私の人生にも、少年は何ごとかを伝えてくれたように思います。
ありがとう、ジョザイア......