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【 『3.11』は日本をどう変えたのか?】
『3.11』という三重災害、様々な問題の「口実」として利用され、日本の有るべき未来がねじ曲げられている
国内の反対勢力に対する強権、中韓両国への強硬姿勢、それとは対照的な既得権勢力への弱腰、それが安倍政権の姿
エコノミスト 2014年1月18日
2011年3月に日本を襲った3重災害 –地震と津波、そして福島第一原子力発電所の事故 – は、他に類例を求めることが出来ない、恐怖に満ちた災害でした。
警察庁の発表によれば15,856が死亡、2,643人が行方不明のままになっています。
そして何百万という人々が、生きていく上での確信のようなものをぐらつかせることになりました。
津波の目に見える恐怖、そして大量の放射線の漏出と原子力発電所で発生した複数回の爆発によって引き起こされた不安は、世界中の人々に質問を投げかけることになりました。
この恐ろしい出来事は、日本に何をもたらしたのでしょうか?
徐々に現れてきた答えは、それぞれ別の方向を指し示していました。
日本の一般人に見られた禁欲的態度と地域社会の中での団結から、新たな連帯感が芽生えてきました。
鉄道、空港や工場などの生産設備の再整備と復旧は、しばしば何か月も予定を上回るスピードで実現され、日本経済に新たな力が生まれてきたことを感じさせました。
しかし一方で政治の舞台では例によって議論が四分五裂する状況がたちまちのうちに復活、そして福島第一原発の実態をつかみ損ね、事故収束にはるかに及ばないという状況は数か月という単位が、いつの間にか数年という程長いものになってしまいました。
こうした状況は日本の将来、能力、そして相矛盾する利害に対する大いなる疑問を引き起こすことになったのです。
災害発生からほぼ3年が過ぎた今、津波で被害を受けた場所からはがれきや残骸がきれいに取り除かれ、今や整然とした姿に変わりました。
しかし驚くべきは、そうした場所にはほとんど建物等は再建されていないという事実です。
これまで様々な再建計画、そして地域の復興計画が数多く提示されましたが、そのほとんどが実現される事無く現在に至っています。
デイビッド・ピリングは、ファイナンシャル・タイムズのアジア地区の編集責任者です。 2002年から2008年まで、彼はファイナンシャル・タイムズ社の東京支局長を務めていました。
その間、ピリングは日本語をほとんど自在に操れるようになり、その異質でいながら魅力的な風土の虜となりました。
そのため彼は2011年、日本を未曽有の災害が襲うと、何が起きたのかをその目で確かめ、この後日本がどうなるのか、その答えを求め直ちに日本に向かったのです。
その結果は[Bending Adversity - 逆境に順応する]という優れた著作に結実しました。
日本国内では『3.11』として知られる三重災害が、様々な問題の「口実」として利用されている、ということが主題になっています。
ピリング氏の命題はまさにその点にありました。
2011年3月11に起きた悲惨な3重災害は、日本にとって画期的な転換点の到来でもなかったし、まして作り話などではないのです。
日本人のこの災害への対応は、この国民が長くそうしてきた、伝統的ともいえるものでした。
彼らは何とかやりくりをし、変化に順応しようとします。
これまで通りとはいきませんが、身についた習慣すら見直し、何とか大勢に順応しようと務めるのです。
どうせこの国で起きる変化は最小限に留まり、決して過激な変化とはならないはずなのですから。
この本の題名が示す通り、日本人はどのような逆境にあっても、そしてそれぞれの本心はどうあっても、身をかがめ事態をやり過ごそうとするでしょう、あるいは逆境が日本人の姿勢を変えようとするかもしれませんが、急激に日本社会が変わるとは思えません。
このような事実は、3.11が日本の近代史上、その体制を大きく改善・前進させるきっかけとなるだろうと期待した人々にを大いに失望させることでしょう。
日本の近代史における2つの大きな改革は、1860年代の封建社会から開国によって帝国主義国家へと変貌した事、そして1945年以降の経済と『民主主義の奇跡的な発展』でした。
さすがにこの時は日本といえど旧体制は完全に崩壊し、新たな体制の下での再出発を余儀なくされました。
しかし今日の状況はピリング氏が正鵠を射た答えを出したように、全く異なるのです。
日本の文化は、進化を求めますが、革命は求めません。
目標に向かって大きく一歩を踏み出す事はせず、無数の小さな前進を積み重ねていく事を求めるのです。
謙遜こそ美徳であり、慎重である事が評価される国なのです。
そうした土壌があっても尚、2011年3月以降の事態の進展度合いは、多くの日本人をいらだたせるものでした。
ピリング氏は日本で過ごした10年近い日々、そして3.11以降の日本をその目で見て得た結論、それは日本の二極化でした。
富裕層と貧困層、老人と若者、北と南、都市部と農村部、リベラルと右翼、大企業と一般市民、そして成熟とは別の経済的に豊かな民主主義、これらの状況が生み出すものは、ものごとを決定する事が難しい社会でした。
昨年は、まさにその事実を証明することになったのではなかったでしょうか?
地滑り的勝利により再び首相の座に返り咲いた安倍晋三氏は、『思い切った』経済政策、アベノミクスの推進により、日本経済を立ち直らせるのだと公約したその時から、その事は明らかになりました。
アベノミクスは日本銀行によるかつてない程大規模な金融緩和という手法を用い、多額の公共投資をばらまき、そして自由化という経済改革を推し進め、日本で15年間続いてきたデフレーションを終了させ、再び日本を経済成長の軌道に乗せようというものでした。
たとえば東シナ海で存在感を強め、尖閣諸島問題などによって日本に対する圧力を増してきた中国に対しては、軍事力の強化によってこれに対抗しようとする国家主義者である安倍首相のような人物にとって、この戦略の成功は不可欠のものでした。
しかしながら一年を過ぎた今、本当の意味で改革が行われたのは通貨政策だけでした。
日本銀行が新任の黒田総裁の下で徹底的な方針転換をおこなったのに対し、安倍首相が率いる政権は経済政策の徹底した転換を行うことはしませんでした。
これまでも日本経済の自由化を阻んできた既得権団体などの発言力は、相変わらず強いままです。
国内の反対勢力をねじ伏せようとする強権政治、中国に対し一歩も引こうとしない強硬姿勢、それと比べれば従来の既得権勢力に対する態度はおよそ強さからは程遠いものであり、むしろ弱腰といってもいいかもしれません。
本当の意味での改革を行う代わりに安倍首相が考え出したのは、戦争すら辞さないと息巻く国家主義者の聖地である靖国神社を訪問し、改めてタカ派的な姿勢を強調して見せることでした。
逆境であろうがなかろうが、日本における方針転換はいつの間にか進行するものなのです。
http://www.economist.com/news/books-and-arts/21594236-how-catastrophes-2011-changed-japan-sitting-tight?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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私はエコノミストの記事を訳していて本当に感心することが度々あります。
決して翻訳が簡単な文章ではないのですが、訳し終えて「なるほど」と思う事度々です。
私はエコノミスト・デジタル版の有料読者で購読料もそれなりですが、この内容なら納得かもしれません。
国内に限って言えば、安倍政権というのは『弱い者には強く、強い者には弱く』という、「人間としてどうなの?」という性格の『持ち主』だという事がよーくわかりました。