ホーム » エッセイ » 【 自らを致命的危機に陥れる、人類最悪の選択 】《5》
東日本大震災発生当時、冷却水が供給されなくなっていた原子炉の数は14基にのぼっていた
風向きという『めぐりあわせ』によって、日本列島の中央部一帯に人が住めなくなるという極限の汚染を免れた
もし東日本大震災が夜中に発生していたら、福島第一原発の事故は何倍もの規模に膨れ上がっていたはず
フェアウィンズ・エネルギー・エデュケイション 7月29日
福島第一原発の原子炉建屋とタービン建屋の写真ですが、がれきや残骸が散乱しています。
そしてそれぞれの原子炉の100万馬力の原子炉から4分の1の熱を取り去るように設計された冷却ポンプがこれですが、津波がこのポンプを破壊してしまったため、原子炉の冷却が全くできなくなってしまいました。
これを究極的ヒートシンクの損失という状態が発生しました– LOUHSです。
しかしディアブロ・キャニオン原発ではこんなことは起きない、原子炉は海抜約25メートルの場所にあるから大丈夫だと言われています。
しかし冷却ポンプは海に面しています。
もし津波が襲うようなことがあれば、原子炉は無事で済むかもしれませんが、冷却ポンプは破壊されてしまうかもしれません。
アメリカの原子力産業界は我々はディアブロ・キャニオン原発を崖の上に築いた、だから安全だと繰り返しています。
しかし冷却ポンプは崖の上に建造するわけにはいきませんね、そんなことをすれば海から水を汲み上げることが出来ないからです。
冷却ポンプは海から水を汲み上げている、実はこの点にこれまで言及されることが無かった重大な問題があるのです。
この点、福島第一原子力発電所においては一層深刻でした。
津波が襲った段階で、ほとんどのポンプが動作不能に陥りました。
福島第一原発で破壊されなかったポンプは一基だけ、少し離れた場所にある福島第二原発の場合は1セットでした。
この結果、14基の原子炉に冷却水が供給されなくなるという事態が発生したのです。
14基の原子炉に冷却水を送り込むために37台のディーゼル発電機がありましたが、24台が動作不能に陥っていました。
結局14基の原子炉に対し、使えるディーゼル発電機はわずか12台(原文のまま)という状況だったのです。
14基の原子炉がメルトダウンを起こすという事態は間一髪のところで回避された、それが事実なのです。
実際にメルトダウンしたのは福島第一原発の3基の原子炉でした。
しかしあの時、14基の原子炉が一斉にメルトダウンする可能性は充分にあったのです。
こうした危険は日本だけの問題ではありません。
地球の北半球全体にとっての問題です。
こうした問題においては巡り合わせという事が重要な要素になることが往々にしてあります。
その点、福島第一原子力発電所の場合は最悪と言って良い状況でした。
あの事故は技術面における完全な失敗でした。
本来それぞれが目的に応じて機能すべきであったシステムが、どれもまともに機能しなかったのです。
そして最終的に北半球で暮らす人々の命と生活を守ったのは、福島第一原発施設内に留まって事故処理を続けた約200人の職員たちの勇気でした。
彼らの勇気こそが事故のあれ以上の拡大を防いだ重要要因になりました。
福島第一原発の所長はみんなから大きな信頼を寄せられており、彼が留まると決心すると皆も一緒に留まる事を決意したのです。
ですから私は、フクシマに関する講演等を行う際には、必ず彼らに敬意を表することにしています。
後に『フクシマ・フィフティ』と呼ばれるようになった人々です。
実際に事故現場に留まったのは50人以上200人未満という人数でしたが、結果として白血病を発症することになった人々がいました。
福島第一原発事故の行方を左右した最大のものは『フクシマ・フィフティ』の勇気だったのです。
そして次にめぐりあわせでした。
福島第一原発の事故 - 人災が引き起こされた当時、全体の80パーセントの時間、風は太平洋に向かって吹いていました。
これは季節が逆になると風向きも逆になります。
3月は日本の四季の中で西高東低の気圧配置になる時期であり、このためメルトダウンした3基の原子炉が吹き上げた放射性物質の半分以上が海上に運ばれて行きました。
もしこの季節でなければ、日本列島は人が暮らす北半分と南半分の中間に、人間が住むことのできないベルト地帯が出来ていたかもしれません。
重要なめぐりあわせ、それは西風が吹いていたという事でした。
もうひとつは東日本大震災が日中に発生したという事です。
金曜日の日中であったため、重要な部門のほぼすべての責任者を含む1,000人が福島第一原発の施設内で執務中でした。
もし12時間後に巨大地震が発生したのであれば執務しているのは100人前後、ほとんどの責任者が不在という状況であったはずです。
そしてその間に、彼らが仕事に就くべき環境はその大半が破壊されてしまっていたはずでした。
車に飛び乗って現場に駆けつけ、発生している問題を解決できるような状況ではとてもありませんでした。
地震と津波によってすべてのインフラが破壊され、必要な人間が必要な場所にたどり着けない状況でした。
もしこの時200人から300人の福島第一原子力発電所のスタッフが尚事故現場に踏みとどまっていなければ、あるいは東日本大震災が12時間ずれて夜中に発生していたら、福島第一原発の事故は何倍もの規模に膨れ上がり、日本の全国土はもちろん、地球の北半球が放射能汚染によってどうにもならない状況に陥ってしまっていた可能性があったのです。
《6》に続く
http://www.fairewinds.org/nuclear-energy-education//world-in-danger
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – +
【 歴代アメリカ大統領IQ(知能指数)順位 】《2》
インサイド・ガヴァメント 2015年8月11日
2016年大統領選に向け初めて開催された共和党の大統領指名獲得争いの議場で、医学博士で政治家でもあるベン・カーソンは優れた大統領の条件として『優れた頭脳を有しているかどうか』が最も重要な条件であろうと語りました。
今回ランキングに使われた大統領のIQは2006年にカリフォルニア大学のディーン・シモントン教授が発表したデータに基づくものです。彼は著作や事歴を分析してIQを測定する『ヒストリオメトリック』と呼ばれる手法により、各大統領の知能指数を計算しました。
20位初代大統領ジョージ・ワシントン(大統領執務1789 - 1797年・写真上・以下同じ)
IQ: 132.5
1732年2月22日生まれ ヴァージニア州出身
大学:進学せず
ワシントンは大学での教育を受けることなく、初代の米国大統領になることができました。
ワシントンは学歴の代わりに鋭い政治的洞察力を持っていたことに加え、熟練した軍指揮官でもありました。
19位 第8代大統領マーチン・ヴァン・ビューレン(大統領執務1837 - 1841年)
IQ: 133.4
1782年12月5日生まれ ニューヨーク出身
大学:進学せず
ヴァン・ビューレンは14歳で法律の独学を始め、わずか7年後には弁護士の資格を手に入れました。
そして彼はアンドリュー・ジャクソン同様、初期の民主党における最も有名な建築家の1人でもありました。
18位 第19代大統領ラザフォードB.ヘイズ(大統領執務1877 - 1881年)
IQ: 133.9
生年月日1822年10月4日生まれ オハイオ州出身
大学: ケニヨン・カレッジ
前任者であるユリシーズS.グラント同様、ヘイズは南北戦争後、国内を安定させることに苦労しました。
17位 第9代大統領ウィリアム・ヘンリー・ハリソン(大統領執務1841 - 1841年)
IQ: 133.9
1773年2月9日生まれ オハイオ州出身
大学: ハンプデン-シドニー・カレッジ(中退)
大統領就任以前、軍人として名声を得ていましたが、就任後わずか32日で肺炎で死亡してしまいました。
16位 第14代大統領F・ピアース(大統領執務1853 - 1857年)
IQ: 134.8
1804年11月23日生まれ ニューハンプシャー州出身
大学: ボードン・カレッジ
素晴らしいアイディアの持ち主という評判を得てはいましたが、大統領としての実績は惨憺たるものでした。奴隷制度の問題の取り扱いに失敗した彼は、南北戦争が始まる直接的原因を作ったと言われています。