ホーム » エッセイ » 【 日本の脱原発運動をつぶそうとする人間たち 】〈2〉
原爆と原発は全く別のもの、日本人にそう信じこませる必要がある
秘密裏に進められたCIAの原子力発電普及工作、日本における最大の協力者は…
「高速増殖炉は日本にとって夢の技術」、その宣伝に費やされた広告費は2兆7,600億円
ダグラス・バーチ、ジェフリー・スミス、ジェイク・アデルスタイン、センター・フォア・パブリック・インテグリティ(公正中立の社会正義 - http://www.publicintegrity.org/ ) / アメリカNBCニュース 2014年3月11日
▽ 原子力エネルギーと日本
日本の原子力エネルギーへの執着は、一方では原子爆弾の凄惨な記憶とつながり、一見実現性に乏しいようにも見えます。
ウランとプルトニウムから巨大なエネルギーを引き出す化学兵器は、アメリカの科学者たちが開発しました。
しかし日本の指導者たちが広島、長崎の原爆投下から学んだ教訓、それは自分たちも同様の核兵器を作る技術を身に着けなければならないというものだったのです。
「私は高松の海軍基地から、広島の原爆雲を見ました。」
叙伝の中でこう振り返るのは、当時年若い水兵だった中曽根康弘氏です。
科学技術分野の最高位の官僚となり、後に1982~1987年に日本の首相を務めた中曽根氏は、広島に投下された原爆を見て、次のように結論づけたと語りました。
「日本もこの技術を平和目的で活用しない限り、永遠に世界の最貧国であり続けなければならないだろう。」
そうした衝撃と衝動は、アメリカ政府によって慎重に、そして秘密裏に育てられることになりました。
わずか8年前、2006年に機密扱いから外された、1954年の当時のCIA長官あての海外電報によって明らかになった、アメリカの核(原子力)科学者と原子力発電産業の幹部が日本向けに企図した『平和の使者、原子力エネルギー』ミッションにはこうありました。
『経済再建に対する期待感を日本国民に抱かせ、日本国民の間にある反核感情を消失させよ』
原子力発電の「啓蒙宣伝番組」を日本国内で展開するため、CIAは特に、戦前、警視庁の高官を務め、戦後は読売新聞社の経営者となり、さらに日本テレビを設立した正力松太郎の協力を得ることになりました。
正力が経営する読売新聞は日本国内において原子力発電の宣伝普及を熱心に展開、一方正力自身は日本原子力産業協会(一般社団法人)の設立に奔走、これは原子力産業界と電力会社間が密接に連携するための組織でした。
彼は、1969年に亡くなりました。
1966年、日本はだいたい1年につき1基のペースで原子炉の建造を開始しました。
しかし日本は最初、ウランを核燃料とする軽水炉を建造していく計画でした。
これは次世代の技術として増殖炉が注目されるまで、世界の主流を占めていた技術です。
すなわち日本は高速増殖炉、すなわちプルトニウムを燃料として使用し、その核廃棄物として再びプルトニウムを生みだすため、理論上はあたかも永久機関のように稼働できることからこう名付けられた技術に注目するようになったのです。
始めの選択はウラン燃料でしたが、その選択は誤っていたように考えたのです、これは世界と逆の判断でした。
当初、高速増殖炉はウラン型原子炉よりも安価に済むものと考えられていました。
しかし先に原子力発電を行っていたフランス、イギリス、そしてアメリカは、高速増殖炉については建造するために巨額の投資を必要とし、操作が難しく、その上安全を確保し続けることが難しいとの判断をするに至りました。
このため先進3カ国はすでに数十年前、高速増殖炉の廃止、あるいは段階的撤退を決めていたのです。
河野氏はその少年時代、高速増殖炉が化石燃料を使用する事無く、数千年の間発電を続けることが出来るため、日本にとって画期的な技術であると主張する漫画を読んだことがありました。
彼はこの話を、福島第一原発事故に関する著作の中で明らかにしました。
日本の電力会社は揃ってこの主張を支持し、その主張を国民の間に浸透させるため、この40年間で2兆7,600億円もの広告費を支出してきたのです。
この記事を制作するための日本側のパートナーである、朝日新聞社の調査が明らかにした事実です。
当初の計画では六ヶ所村の再処理工場の建設は、1993年に始まり、1997年には完工の予定でした。
しかし技術的な問題が何度も発生し、これに数々のトラブルや建設上の問題も加わり、結局20年以上の遅れが発生しました。
アメリカ、イリノイ州にある高速増殖炉の研究センターであるアルゴンヌ国立研究所の、上級政策顧問であるポール・ディックマン氏は、六ヶ所村再処理工場を
「巨大施設」
と表現する一方、
「達成不能な建設プロジェクト」
でもあると語りました。
その理由についてディックマン氏は、フランスの同様の施設をモデルにしていながら、単にそれをコピーするのではなく、(経験も無いのに)さらなる『改良』を選択してしまったためだと指摘しました。
〈 第3回につづく 〉
http://www.nbcnews.com/storyline/fukushima-anniversary/japans-well-placed-nuclear-power-advocates-swat-away-opponents-n50396
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誰が日本の『原子力ムラ』を作ったのか、それについては一度英国のエコノミストが特集した記事をご紹介しました(【日本のメディア王にして、日本の病根を作った男】http://kobajun.biz/?p=7624 )が、今回も別の角度から同じ問題が取り上げられています。
政治とメディア、この両方を駆使して日本に原発を『根づかせてしまった』手法がよく理解できます。
私は今もって民主党政権の鳩山首相、菅首相がなぜ辞任しなければならなかったのかが解りません。
ただ菅首相の場は、福島第一原発の事故後に「原発廃止」を言いだしたため、メディアをしっかりとその手に握った勢力に追い落とされたのだろうと考えています。
当時のNHKを含めた大手メディアが、菅首相の一挙一投足をいちいち批判的に伝えていたことが思い出されます。
「コイツはまた、こんなことを言いだした…」
現在の安倍首相の行動が同じメディアによって
「こんなにも働いてくれている」
と言わんばかりの報道がされているのと、きわめて対照的と言わなければなりません。
私たちは操られていました。
それ程の勢力と戦わなければならないのに、『求心力に欠ける、日本の脱原発運動』と海外メディアからまで指摘される始末( http://kobajun.biz/?p=16950 )。
厳しすぎる現実です。