ホーム » エッセイ » 【 福島県大熊町、そこはゴーストタウンですらない、死そのものが支配する町!】
アメリカNBCニュース 2012年3月7日
ブライアン・ウィリアムズ :
3月11日に襲った巨大地震と巨大津波が福島第一原発の事故を引き起こしてから、もうすぐ一年が過ぎようとしています。
福島第一原発の事故は周辺のあらゆる環境を汚染し、いまやその場所は全くのゴーストタウンとなり果てました。
1年前にあわてて避難させられた人々は、まだ一人も帰宅を許されません。
しかし今回見こそのチーフ海外特派員のリチャード・エンゲルを含む数名の ジャーナリストが取材を許可され、この地域内のあまり見ることのできない映像を記録することができました。
そこは時間が全く凍りついたままの世界でした。
レポーター : 廃墟と化した福島第一原発内の光景です。
このあまり見ることのできない映像は、今回初めて公開されるものです。
ここではいまだに高い値の放射線が検出されます。
一年前、福島第一原発が爆発を起こしたとき、放射性物質の微粒子を含む噴煙を空高く噴出させました。
それらの放射性物質は、今では福島第一原発から20km圏内の地域のあらゆる場所を汚染し、その場所は捨てられ、もはや住むことのできない場所になりました。
そこは『避難区域』『警戒区域』と呼ばれ、原子力発電という科学技術がいったん制御不能に陥れば、どれ程の惨禍をもたらすものか、そのことを私たちに警告しています。
この大熊町は福島第一原発から7キロほどの場所にあります。
かつては10,000人が住んでいたこの町も、今や完全に無住の地と化しています。
避難区域は立ち入り禁止ですが、この岩本さんのようなかつての住民は、貴重品を取り出す際すなどごく短い時間の訪問を許されています。
彼はかつての職場だった電子部品工場を見せてくれました。
岩本さん「ここが私の職場だったところです。」
リチャード「ここが?」
レポーター : 背広とネクタイはいつでも外出できるように、用意してあったのでしょうか?彼の自宅はすぐ近くにあります。冷蔵庫の中には食品が詰まったままです。
リチャード「冷蔵庫の中の食品はまだ食べられますか?」
岩本さん「だめだめ、すべて消費期限は3月11日に切れましたよ。」
この場所は私に子どものときの経験を思い起こさせます。
学校で映画を見せられた後、私たちは核兵器による大量殺戮の後、放射線によって人々が住んでいた町がどうなるかを教えられました。
まさにその光景が今、目の前にあります。
大熊町の人々は急いでこの町から逃げ出しました。
信号機が点滅していますが、車は一台も走っていません。
唯一の生命の証しは囲いの中から逃げ出し、半ば野生化した牛たちです。彼らは今や町の中を自在に走り回っています。
地面には放射性物質がしみ込んでいます。
植物の中にも放射性物質があります。
水の中にも。
林の中にも。
それを動物たちが口にします。
昆虫も、そして鳥たちも。
どうすればそれらを取り除けるというのでしょうか?
かつての住民の多くは、この場所の除染など不可能だと考えています。
大熊のような町をこれ以上作ってはならない、と私の心が叫んでいます。
ここは単なるゴーストタウンなどという生易しいものではありません、死が支配する町です。
レポーター : ブライアン、私はこの場所を訪れて、容易に消すことのできない光景を目の当たりにしました。これほど完璧に地図の上から消えてしまった町など、私は見たことがありません。
自然災害だけ、あるいは戦争による破壊の方がましかもしれません。
お金さえあれば再建は可能だからです。
しかしこの場所では不可能です。
この区域の汚染は今後数十年間も続くでしょう。
そして、放射性物質はあらゆる食物連鎖の中に入り込んでしまっているのです。
ブライアン・ウィリアムズ :
報告をありがとう、リチャード。
ここで、今夜リチャードが今や人が近づくことができないこの放射能汚染地帯の、さらに詳しい、本当に詳細なレポートをお伝えすることになっています。
今夜の番組【ロックセンター】でお伝えする予定です。
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NBC放送がここまで思い切ったレポートをするとは、ちょっと驚きました。
ここに登場する海外特派員のリチャード・エンゲル氏は、先週までシリア情勢報告を行い、その惨禍を訴えてきました。
しかし、事故後1年を過ぎた福島県大熊町の現状に、それに劣らぬ衝撃を受けたようです。
その思いが
「大熊のような町をこれ以上作ってはならない、と私の心が叫んでいます。
ここはゴーストタウンなどという生易しいものではありません、死が支配する町です。」
という言葉の中に集約されているようです。
この記事を見ていて、私も生きている間には福島全県の汚染が無くなる日を見ることはできないのだな、と思った瞬間、絶望、あるいは恐怖の淵のようなものに落ち込んでいくような気分にとらわれました。
そして、改めて怒りが込み上げてきたのです。
「あってよいことか?!」