ホーム » エッセイ » 【 東日本大震災の被災者の窮状を世界は忘れていない – 英国ウィリアム王子被災地を訪問 】
未だ数千人の市民が仮設住宅暮し、日々の食事や衣服についても支援事業に依存せざるを得ない
東京での華やかな歓迎行事より、被災地の実情、被災者の窮状をその目で確かめることを選んだ王子
AP通信 / ワシントンポスト 3月1日
この日、英国のウィリアム王子が日本の東北地方の丘の上に立ちました。
眼下に広がる巨大な破壊の跡、4年前に巨大津波によって見渡す限りのがれきと化し、いまは完全な不毛の地となっている石巻市の沿岸地区に王子の目は釘付けになりました。
4日間の日本訪問の最終日、ウィリアムは津波の犠牲者を追悼するため、石巻湾を一望の下に見下ろす丘の上に設けられた慰霊碑に花束を捧げました。
2011年3月の地震と津波では約19,000人が犠牲になりましたが、そのうちのほぼ3,300人が東北の沿岸都市石巻の住民でした。
石巻では約22,000人が自宅を失いました。
石巻ではその海岸線に沿って悲劇が繰り返し襲いました。
今回の東日本大震災でも多くの命が失われ、人々を嘆き悲しませました。
将来に対する不安を抱えながらも人々は街の再建に取り組んでいますが、一方では若い世代が群れをなすように石巻を去っていきました。
現在もまだ数千人の市民が仮設住宅で暮し、日々の食事や衣服についても支援事業に依存せざるを得ない人々も少なくありません。
ウィリアム王子による初めての日本訪問は、当初は東京のもっと現代的な、あるいはにぎやかな場所が予定されていましたが、王子自身の主張により東日本大震災の津波の被災地が含まれることになったのです。
石巻市民の40代の主婦である関口輝子さんは冷たい雨が降り続く中、1時間以上丘の上で王子の到着を待ちました。
関口さんは、王子が東日本大震災の被災地訪問を何よりも優先してくれたことに感動したと語りました。
「王子はほんとうに素晴らしい方です。王子の心の優しさを感じないわけにはいきません。」
津波が襲った際、関口さんは自宅近くの中学校に避難しましたが、そのまま1週間惨めな思いをしながら救出を待ち続けました。
当時関口さんは学校教師の夫の生死すらわかりませんでした。
やっと夫が現れ再会できた時には、関口さんは大喜びすると同時に大泣きして、夫のいる方に歩いていくことすらできなかったことを覚えています。
丘の上から見下ろす場所はかつては小さな家が所狭しと並んでいましたが、津波で壊滅した後のがれきも今はきれいに撤去され何もありません。
この場所にはもう人間は住まないことになっています。
現在は海浜公園を建設する計画の検証作業が続いています。
「今この場所は、どんな絵でも描けるように真っ白なキャンバスを与えられた、そんな状況です。」
地元で空調設備を取り付ける会社を営む70代の阿部公夫さんがこう語りました。
阿部さんも丘の上で王子の到着を待ち続けていた約80人のうちのひとりでした。
この丘のそばにある阿部さんの自宅は津波で半壊しましたが、修理を施し、居住が可能な一部屋で奥さんと2人で暮らしています。
朝早くウィリアム王子は震災直後、情報を絶やさないようにするため、手書きの新聞を発行し続けた地元の新聞社を訪ねました。
ウィリアム王子は救援活動の様子と同様、震災直後にジャーナリストたちがどのような働きをしたのかを知りたがっていました。
現在は引退した石巻日日新聞社の武内宏之氏が当時のニュース編集室の様子を語りました。
「この業績はあなたの名前とともに、永遠に記憶されるに違いありません。」
ウィリアム王子が武内氏にこう語りました。
「今思い出してもきっと大変だったでしょう。あなたにとっても、みんなにとっても、信じられない程恐ろしい出来事だったに違いありません。」
訪問の後取材に応じた武内氏は、王子が当時の石巻市民の窮状に強い関心を示したことについて、大変感動したと語りました。
「私は幸せです、そして、大変光栄です」
武内氏がこう語りました。
さらにウィリアム王子は遠藤真一さん、良子さん夫妻と会いました。
夫妻は東日本大震災の津波で3人の子供たち、はなさん、加奈さん、そして寛太さんを失いました。
3人ともまだ12歳になっていませんでした。
現在被災地で再建のため大工として働く真一さんは、津波によってがれきとなった木材から作った工芸品を王子に手渡しました。
ウィリアム王子はもう一か所、津波の被災地である女川町にも足を延ばしました。
そこでは住民たちによるお囃子に合わせて踊る獅子舞が王子を出迎えました。
地場産品などを販売する小ぶりな商店街を訪れた王子は、津波を生きのびた『希望の鐘』と名づけられたチャイムを鳴らしました。
「王子の訪問は被災地で復興に取り組んでいる人々を勇気づけただけでなく、東日本大震災の被災者が追いつめられている状況を、世界が決して忘れてはいないというメッセージを力強く伝えるものになりました。」
ロンドンに拠点を置き、津波によって孤児になった子供たちの基金を設立し、救援活動を行っているアケミ・ソロウェイさんがこう語りました。
ウィリアム王子は新幹線で東京に戻り、北京に向け旅立っていきました。
http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/prince-william-gets-close-look-at-tsunami-disaster-in-japan/2015/03/01/efebc880-bfdf-11e4-9dfb-03366e719af8_story.html