ホーム » エッセイ » 【 東日本大震災からの復興は、明らかにうまくいっていない 】《後篇》
被災地で何が優先して再建されるか、実質的に決めているのは建設会社のボスたち
住宅建設が遅々として進まなくとも、日本政府が主導する防波堤建設が進んでいる以上、復興は前進している?
エコノミスト 2015年2月7日
多くの市町村では、津波で全半壊した家屋に代わって安全な場所に新たに住宅を建設するについては、結局は金が問題になるという現実を前に、当初誰もが口にしていた『絆』という意識が色あせてしまったことを感じ始めています。
世代間の意見の相違もずっと続いています。
年配の人々は生活を支えてきたカキの養殖と漁業を続けることが不便になるという事を主な理由に、そして先祖代々の墓が遠くなることから、沿岸部から離れて暮らすことを望みません。
これとは対照的に若い世代はインフラが整備され、生活関連施設の整った新しいコミュニティでの暮らしを望んでいます。
しかしそうしたコミュニティ建設が実現可能なのかという疑いは、地域の人口減少に拍車をかけることになりました。
その傾向は東日本大震災の前にすでに現れていました。
被災県としてもっとも北にある岩手県の人口は46,000人、率にして約3%減少しました。
災害発生後、日本政府は5年間に渡り25兆円を復興費用に充てることを表明しました。
しかしながら、そのうちの多額の資金が直接被災者の手には渡らない仕組みになっています。
被災した家屋の多くが無保険の状態でしたが、家を失った人々には最大300万円の補助金を交付されます。
しかし被災者の多くが金銭的には苦境に立たされており、中には津波に流されてしまった家屋のローンを未だに支払いつづけなければならない人もいれば、新たに建設されるニュータウンに移るための資金などどこを叩いても出てこないような人も少なくないのです。
そしてどの場所の再建が実現するのかそれを実質的に決めるのは、中央政府の官僚でもなく、自治体の職員でもなく、しばしば建設会社のボスたちである場合があります。
そして彼らは何を建設するか、自分たちの利益を基準に取捨選択をしています。
最近陸前高田市役所が新しい中学校建設に関する入札を行なおうとしましたが、基準価格が建設会社は3割がた低すぎると不満を露わにし、結局入札は成立しませんでした。
こうした事態が相次いだ結果、地方の銀行が使われないままの多額の政府資金であふれかえることになりました。
1,360人以上が犠牲になった漁業の町気仙沼市では、被災者のための災害公営住宅がどうにかこうにか出来上がりました。
菅原市長は通常建設会社は、こうした住宅建設の受注に応じようとはいないのだとこぼしました。
日本政府の復興庁は、プロジェクト予算は合理的なものであると主張しています。
しかし建設資材と人件費が高騰を続け、しかも多額の予算を投じた公共工事が全国いたるところで始まっている今、建設会社はどの物件を手がけるべきか入念に品定めを行うようになっているのです。
例えば人口67,000の気仙沼では70カ所以上の防波堤が建設される予定ですが、建設会社は我先にコンクリートを流し込もうとする程この手の工事は喜んで受注します。
これらは最大の高さが15メートル、最大幅は90メートルのコンクリートの壁で、2011年に日本政府が東北太平洋岸地区を守るために必要だと判断し、建設が決定しました。
この工事には最大で1兆円が使われることになっています。
しかしこうした堤防の類は、他にもっと有効な使い道があるはずの復興予算を使い果たす役割を果たしています。
海岸沿いに現れた化け物のような巨大構築物は景観を台無しにするだけでなく、果たして本当に役にたつかどうかも解りません。
国土交通省ですら、これらの防波堤が4年前の3.11規模の津波が襲った場合には、役に立たないと認めているのです。
地元市町村の首長や有力議員たちは、日本政府が防波堤の建設を主導し、その建設が進んでいる以上、復興は前進しているのだと主張しています。
被災者が最終的に住む場所を手に入れることができるのは2020年になるだろうと語るのは、津波で母親と自宅を失ってしまった後、陸前高田でNPOを立ち上げた伊藤悟さんです。
オリンピックが開催されていているその時に、被災者たちがまだ仮設住宅住まいを強いられている現実を目の当たりにしたら、
「海外の人々はいったいどう考えるでしょうか?」
伊藤さんがこう尋ねました。
〈 完 〉
http://www.economist.com/news/asia/21642216-rebuilding-north-eastern-region-tohoku-being-bungled-grinding?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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被災者がまず解決してほしいと願い続けている住まいの問題の方はさっぱりなのに、東日本大震災クラスの津波には効果が無いと解っている防波堤を次々と建設している現状を『復興は進んでいる』と表現する日本政府。
こういうめちゃくちゃな論理を許す同じ土壌が、憲法第9条の拡大解釈と言う『空文化』行為を許すのではないでしょうか。
何を考えているかわからない権力者も、それにおもねる官僚たちも、そんな人間たちはいつの時代にもいるのです。
真の民主主義社会とは、それを監視・諌止するシステムが正常に働いている社会の事だと思うのですが。
東日本大震災発生以来、ずっと思い続けてきたことを代弁してくれるような素晴らしい記事が2月21日付の河北新報に掲載されていました。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201502/20150221_73006.html
こちらもぜひお読みいただければ、と思います。
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【 恐怖と栄光 : ロイター写真報道の30年 】《2》
アメリカNBCニュース 2月13日
数々の受賞経験のあるロイター通信のカメラマンたちが、写真提供事業開始30周年を祝い、これまでの業績を振り返りました。
ロイター通信のカメラマンたちは、天災や戦争、そして経済破綻の様子を象徴する出来ごとなど、世界で繰り広げられた人間の悲劇や劇的な出来ごとを撮影し続けました。
彼らはレンズを通して見えたスポーツ、文化、ショービジネスそして世界各国の政治指導者や経済界の大物の姿を世に伝え、その写真はその時々を象徴する画像として人々の記憶に刻まれることになったのです。
2004年3月3日ハイチのプティ・ゴアーブで、追放された大統領ジーン・バートランド・アリスティドのラヴァラス党の命令で複数の暗殺を行った疑いで拘留された男。
男はこの後武装した市民たちに公衆の面前に連れてこられ、石を投げつけられ、生きたまま火をつけられて死亡しました。(写真上)
1990年3月30日、コソボ紛争でマケドニア領内に避難するアルバニアの少数民族の女性。
看護師の女性とその赤ちゃんは2,000人の難民ともに、マケドニア領内の山岳地帯への避難を許可されました。
彼らは夜を徹してコソボ地区南部の山岳地帯を踏破し、マケドニア領内に逃げ込もうとしました。しかし国境でマケドニア軍に押しとどめられ、そのまま国境沿いの森で一夜を明かしました。
事態を把握した国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)がマケドニア政府にかけ合い、避難のための入国が許可されることになりました。(写真下・以下同じ)
2006年5月5日、アフリカ大陸からボロ船をあやつってスペイン領カナリア諸島のフエルテベンチュラ島にたどり着き、這って砂浜を進む自称移民の密入国者。
カメラマン自身の解説: 私はアフリカからの不法移民を乗せたボロ船がカナリア諸島の南側の島に向かって進んでいるという情報を聞きつけ、現場の海岸に駆けつけました。
現場に行ってみると、彼らは見るからにちゃちな作りのボートに乗って、命がけでヨーロッパに渡ろうとしていることがはっきりと見て取れました。
彼らは水と衣服を与えてくれたスペインの赤十字のメンバーによって解放されていましたが、危険な航海で半死半生の状態になっていました。
この写真は世界の分断を象徴するものです。
浜辺でのんびりと日光浴を楽しむ白人女性、命がけの航海の後浜辺を這い進む黒人男性の姿はきわめて対照的です。
2013年3月11日、ヴァージニア州にあるアーリントン国立墓地。
アメリカ陸軍兵士として、イラクとアフガニスタンの両方の戦役に従軍し、アフガンで負傷した際に合併症を引き起こして死亡した兄、ライアン・コイヤーの墓の前に横たわる25歳のレスレイ・コイヤー。
http://www.nbcnews.com/news/world/terror-triumph-30-years-reuters-photography-n305881