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【 日本vs.韓国vs.中国vs.台湾、紛争の火種を育てる教科書戦争・第10章 】〈 前篇 〉

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所要時間 約 12分

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教育の場への政治介入を繰り返し、近隣諸国との関係、そして国際的な評価を悪化させていく日本
安倍首相こそは、歴史教科書の記述を書き換えさせるべく長い間圧力をかけ続けてきた人物のひとり
正しい歴史認識を明らかにする、真の民主主義国家はどこにあるのか?

エコノミスト 7月5日

教科書戦争
東アジア地区においては、歴史の教科書は、各国の国家主義のバロメーターになっています。
そして互いに教科書の中身を批判し合っている現状は、国家間の代理戦争のひとつでもあります。

今、東シナ海と南シナ海において領土紛争が激化しつつある状況は長期化する様相を呈していますが、彼らがかつてどのような教育を受けてきたかを考えれば、別に驚くべき事ではありません。

今度の争いはいつものお決まりの組み合わせ、日本と中国だけにとどまらず、さらなる広がりを見せようとしています。
そしてこの国家間の争いに、今また強力な個性を持つ国家主義者が加わろうとしています。

新たな戦いのきっかけを提供したのは日本です。
その侵略政策があまりに露骨であったため、日本は1945年必然的に敗戦国となりました。
その敗戦こそが今、新たなる教科書戦争の火ダネとなっています。

2012年末に行われた総選挙で、自民党は学校教育の場で『愛国教育』の実施をマニフェストの中でうたい、現在の教科書について『自虐的史観に基づくイデオロギー的に偏向した表現が用いられている』と攻撃し、多くの現場の教師や学術関係者が著しい困惑を覚えることになりました。

安倍靖国
選挙で地滑り的勝利を手にした自民党は、安倍首相の下、未だにその解釈について一致した見解が得られない部分について、教科書を書き直すための委員会を早速立ち上げました。
これについてスタンフォード大学でアジアの教科書戦争を研究するダニエル・スナイダー教授は、次のように表現しました。
『日本の侵略行為に言及することを妨げるため、裏から手をまわすやり方』

安倍首相が選定した委員会も、歴史の教科書から『近隣諸国の対日感情』に関する記述を削除したいと表明しています。
歴史家が近隣諸国国民の – それはとりもなおさず中国と韓国ということになりますが – 感情に配慮し、日本の行為についての否定的な記述をどうにかしたいと考えているのです。
学区の最終責任者を市町村長とし、教育の場に政治の目を光らせようとしています。
実際、沖縄地方では学区が独自に選定した教科書を、政府が好ましいと考える教科書に変更するよう命令しました。( http://kobajun.biz/?p=16270 )

そうした動きは、戦後長くくすぶり続けてきた野心が表に出てきたことを表すものです。
安倍首相こそは、日本が戦時中に行った数々の残虐行為に関する歴史教科書の記述を、書き換えさせるべく長い間圧力をかけ続けてきた議会内グループを代表する人物のひとりなのです。

反安倍 2
近隣諸国からは予想通りの反応が返ってきました。

中国との間で領有権争いが起きている尖閣列島(中国名ダイユー諸島)について、日本がその領土であることを教科書に記載することにした際、中国側は『史実を尊重するよう』(その場合、結果はかえって中国に不利になる可能性があります)に要求しました。
同じく韓国が独島と呼び実質支配している竹島について、日本の領土であると教科書に明記することを決定した際、韓国はそれを『誤った歴史を教えることにより、不要な敵意を煽り、紛争の火種を作りだす』行為だと非難しました。
中国と韓国は、日本が隣国に対する配慮を捨て去ったことについて激怒しています。

日本国内で荒れ狂っている歴史教科書への政治勢力の介入は、韓国、そして台湾にも波及しました。

昨年、韓国の歴史教科書を監修する韓国歴史国立研究所は、『新右翼』勢力に属する歴史家の著述による高校の歴史教科書の採用を承認しました。
この立場の人々は、韓国のかつての軍事独裁政権の功績を容認する立場をとっています。

さらに韓国の与党は、民間の出版社が発行している教科書を学校ごとに選んでいる現在のやり方を、国内のすべての学校がNIKHが選んだ教科書1冊のみを採用する体制に変更すべきだと主張し始めました。
日本同様、韓国でも教科書選定の場に政治が介入する動きが明らかになってきました。

student taiwan
台湾の教育省も、今年、高校の教科書のための新しいガイドラインを発表しました。
このガイドラインは2015年8月に実施に移される見込みですが、台湾も韓国同様、教科書採用はガイドラインに従わなければなりません。

台湾は1945年まで日本の植民地でしたが、今回のガイドラインの変更について台湾政府は、50年間の日本の統治時代を評価するノスタルジックで不正確な表現を改め、世界基準にあった表現に変更するだけだと語っています。
具体的には『日本の統治』を『日本による植民地支配』という表現に置き換えます。

〈 後篇に続く 〉

http://www.economist.com/news/asia/21606332-which-democracies-join-east-asias-history-wars-textbook-cases-chapter-10?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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写真コーナーの連載としては異例の長さになっている下記の【 戦争経験者の記憶 】、アメリカ人の独白は印象的です。

それまで幸せに暮らしていた人間たちが、次々に殺されていきました。
私の周りにいた人々がどんどん殺されていった、戦争の記憶はそれだけです。

国連の平和維持活動に参加した経験を持つ自衛隊幹部が、
「日本の政治家は現場を知らない」
と言ったそうですが、私に言わせれば今の政権も政治家も
「戦争を理解していない」のです。

周囲にいる人々がどんどん殺されていく、そしていつか自分も殺される…
考えてみれば、当たり前の事です。
戦争になった瞬間から『敵』はあなたや私を殺そうと、文字通り殺到してくるのですから。

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【 あのとき、戦場にいた人々の記憶 】〈3〉
幸せに暮らしていた人間たちが、目の前でどんどん殺されていった、それが戦場だった…

ニューヨーカー 6月5日(記事本文は再掲)
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

WW2-5
2010年、初めての個展を開催するためにロシアを訪れていたカメラマンのサーシャ・マスロフは、後に連作となる『戦争経験者』の最初の一枚になる写真を撮影しました。
ソビエト赤軍の航空整備士ピョートル・ドミトリヴィッチ・コシュキンの肖像写真でした。
こうして彼の4年越しの連作がスタートしました。
彼はこの間、写真撮影とインタビューを繰り返しました。
題材になったのは兵士だけではなく、医師、技術者、パルチザン、地下抵抗運動の参加者、そして捕虜。
そしてホロコーストの生存者と一般市民は、戦争のはざまで最も苦しんだ人々でした。

マスロフは私にこう語りました。
「人々はそれぞれの場において、戦争という衝撃的な出来事を、自分自身の膚で感じたのです。」

マスロフはウクライナ出身の30歳のカメラマンで、5年前ニューヨークに移り住みました。
『戦争経験者』という大作に取り組むことになった理由について彼は、生と死のぎりぎりの境を体験した世代の記録をしっかりと残したいという思いがあったと語りました。
そして彼は国籍の違いによって、『戦争』の体験が著しく異なることも記録に留めようとしています。
「この連作の中で、最も興味深かったのは地理的要因による運命の違いでした。」
どの国の出身であるかによって、人々を視覚的にはっきりと分けてしまう事が可能です。
私が撮影したすべての人が第二次世界大戦という、かつてない規模の巨大な事件の当事者でした。宇宙で起きたビッグバンのように、彼らは世界中至る所でこの巨大な事件の渦中に巻き込まれたのです。居間、寝室、そして台所でさえ、戦争と無関係ではありませんでした。

「あなたは、視覚的に人々がどこの出身であるかについて比較することができて、彼らの
マスロフにはここまで18カ国を旅し、写真集を完成・出版する前にさらにインド、オーストラリア、南アフリカ、そしてギリシャを周る予定です。

『戦争経験者』の写真を撮影していて、何が一番印象に残ったかマスロフに質問してみました。
「ある人々は大きな寛容を示しました。そして別の人々の中には尽きることのない憎しみが消えることなく残っています。その対比の極端なことには驚かざるを得ません。」

▽ 菊池白秋(茨城県つくば市)
「昭和天皇の手の中には、すべての国民の生殺与奪の権がありました。私は戦争が終わったと聞いた時には、もう何もかもおしまいだと思いました。次にどうなるかなどという事は、考えることすらできませんでした。
私たちは戦争に勝っているのだと言われ続けていました。最初の内は信じられませんでしたが、天皇陛下が現人神であるという洗脳は徐々に浸透して行きました。
天皇陛下自らご自分は人間なのだと告白された後は、我々はもはや戦う意志を失いました。戦争では本当に多くの人々が死んでいきました。私たちはなぜそれほど多くの人々が犠牲になってしまったのか、割り切れない思いです。」(写真上)

▽ R・オーバートン(テキサス州オースティン、アメリカ)
「私は、戦争になど行きたくありませんでした。
でも陸軍省は私を指名し、私は徴兵に応じる事になりました。
他に選択肢などありませんでした。
向かった戦場は南太平洋、その後硫黄島に上陸しました。
それまで幸せに暮らしていた人間たちが、目の前で殺されていきました。
私の周りにいた人々がどんどん殺されていった、戦争の記憶はそれだけです。
幸いに私は戻って来る事が出来ましたが、多くの人間が二度と戻りませんでした。
本当に多くの友人を亡くしました。
部隊の全員が仲間だったのです。
私は戦争に行った事を本当に後悔しています。
一方で私は多くの事を学ぶ事が出来ました。その事だけは後悔していません。」(写真下)
WW2-6
http://www.newyorker.com/online/blogs/photobooth/2014/06/faces-of-the-second-world-war.html#slide_ss_0=1

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