ホーム » エッセイ » 【 時を超え、場所を変え、作られ続ける原子力クライシス 】〈2〉
私たちの知らない場所で被爆し、発病し、そして命を落としてしまった人々
世界中で繰り返し否定され続ける、放射線被ばくと健康被害の関係
奇形のヘチマ、巨大化するインゲン豆、そして恐ろしい姿をしたカエル
金子 千穂 / フェアウィンズ 4月10日
1955年に、アメリカ側の提案を受けるため日本で原子力基本法が成立しました。
そして1960年代半ばには日本で最初の商業用原子炉が完成したのです。
これは原子力発電がどのようにして日本の人々、そして世界中の人々に押しつけられていったのか、その実例の一端を示す一つの出来事でしかありません。
この稿の〈1〉で、第五福竜丸の乗組員であった大石又七さんについて言及しました。
しかしアメリカがビキニ環礁で行った水爆実験により放射能に被爆しながら、その名前も実態も解らずにいる多くの人々がいるはずです。
彼らは私たちの知らない場所で被爆し、発病し、そして命を落としてしまったものと思われます。
マーシャル諸島の住民たちは、アメリカ軍の水爆実験による避難を強制されました。
そのわずか2年後には汚染されてしまっている故郷への帰還を許されましたが、待っていたのは汚染された土地で収穫された食料、そして飲料水によるさらなる放射性物質による被ばくでした。
第五福竜丸の乗組員であった大石さんは、アメリカ政府から補償金として当時のお金で200万円を受け取りました。
※1955年の大卒男子の初任給は12,907円。( www.777money.com/torivia/daisotu_syoninkyu.htm )訳者注。
しかしこの補償金を受け取ったことで、大石さんは一部の人びとからあらゆる種類の厳しい批判を浴びせられることになりました。
そして『被ばく者』となった大石さんは、差別を経験させられることになりました。
かつて広島や長崎の被爆者がつらい目に遭わされ、今また福島の一部の人々が経験させられていることを…
結局大石さんは移住を余儀なくされ、何年もの間本当はどういう人間であるかを隠し続ける生活を強いられることになりました。
そして彼のこどもが死産であった時も、彼自身が肝臓がんを発症した時も、アメリカ政府からの補償金を受け取ってしまった大石さんは、いかなる疑問を持つことも、不平不満を口にすることも、永遠にその権利を剥奪されてしまったのです。
これまでの数十年間、私たち人間は環境中に放射性物質が放出される事態を受け入れることを、途切れることなく強いられ続けてきました。
スリーマイル島とチェルノブイリを含む原子力発電所の事故、あらゆる種類の核兵器実験、そしてイラクやその他の場所では実際に劣化ウラン弾が使われました。
さらにはアメリカ大陸の中西部、ロッキー山脈の東側とプレーリーの間を南北に広がる台地状の大平原であるグレートプレーンズでは、資源の枯渇したウラン採掘鉱山跡が付近の河川や土地を汚染し続けています。
ここから漏れ出した放射性物質は付近で収穫される農作物などを汚染し、それを口にするすべての人々の健康の脅威となっています。
そしてここで採掘された石炭にはもとからウラニウムが混じっており、それを燃やせば煙と一緒に放射性物質が大気中に向け拡散されることになります。
放射線被ばくは、定量化することが困難です。
放射線の人体に対する影響についてのデータは第2次大戦以来収集が続けられてきましたが、核兵器開発と原子力発電を続けようとする各国政府と原子力産業界によりすべて隠ぺいされてしまいました。
核=原子力に関わる事故や災害のデータは、事業の推進に障害となるものとそうでないものに分類され、場合によっては各国の政府によって改ざんされてしまった疑いがあります。
第五福竜丸の乗組員であった大石さんの1954年の体験は、核=原子力の恐ろしさを示す最もはっきりした例でした。
しかし大石さんですら、後に発症した様々な問題と放射線被ばくの関係は否定され続けたのです。
同じような理不尽な出来事は世界中で起きています。
2014年4月末は、スリーマイル島事故が発生してから35周年に当たります。
この事故の発生以来、地元では数々の疾病、そして障害を負って生まれてくる子供たちの報告が相次いでいます。
ノースカロライナ大学のスティーヴ・ウィング博士の疫学研究は、こうした障害の発生と放射線との因果関係を立証しています。
にもかかわらずアメリカ政府は、事故による影響を受けた居住者と疾病や障害との直接の因果関係を公式に認めることを拒否したのです。
そして今、私は日本で現実に起きていることに思いをはせています。
何か重大なことが起きつつある、それが私の正直な感想です。
私は福島に住んでいる人々の、個人としての多数の実例を耳にしました。
それは家族や友人の突然死が数多く発生しているというものでした。
中には赤ちゃんが突然死したケースもありました。
こうした事実が確認されているのは、福島県内だけではありません。
東京では人口に占める疾病率が上昇しているはずです。
体調を崩しているのは、もともと病弱であった人ばかりではありません。
私は福島第一原発から50キロほど離れた場所で暮らしている、花木の栽培と管理を職業にしている女性に会いました。
彼女は浴用スポンジにするためヘチマを栽培していますが、昨年、その前年に採取した種から育てたヘチマを見て戦慄を覚えました。
そのヘチマは実に直接花芽がついていました。
そして、彼女が育てたインゲンマメのいくつかは、異常に巨大になってしまいました。
福島市の近くでもう一人の別の人は、始めそれがカエルであるという事が解らない程、変わった形をした生き物を見つけました。
それはひどく奇形したカエルであり、この生き物の特徴である跳躍などとてもできない形をしていました。
これらは私が直接面接をした人々の口から直接聴いた、現実の出来事です。
かれらはこの自然の生態系の中には存在しない出来事について、記録し、写真を撮影していました。
そして私自身も説明不能の体験を強いられることになったのです。
私が日本に滞在していたのは12月から1月にかけて、約一カ月ほどでしたが、皮膚に湿疹ができた後、それが治らなくなってしまいました。
さらに福島に滞在していた時は、咽喉と目にひっかくような痛みを覚えました。
何かが起きています…
しかし私たちは今、それが何であるかを証明する手立てがないのです。
〈 第3回につづく 〉
http://fairewinds.org/bringing-focus-back-life/