ホーム » エッセイ » 【 時の中で凍りついたまま、核廃棄物だらけにされた町 】〈1〉
地震より津波、津波より福島第一原発、住民の人生を最もひどく破壊したもの
破壊のすさまじさは、福島第一原発の周辺市町村の様子を見ればすぐに理解できる
3月11日の出来事は人々の人生に深刻な傷跡を残し、救いようもない程暗いものにした
ボブ・サイモン / アメリカCBSニュース 2014年4月6日
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東日本で破壊をほしいままにしただけに留まりませんでした。
日本人の自国の政府、そして原子力産業に対する信頼も同時に破壊されたのです。
その破壊のすさまじさは、福島第一原発の周辺市町村の様子を見ればすぐに理解できます。
ただし、実際にその場所に足を踏み入れることは不可能です。
巨大地震は破壊をもたらしました。
次に襲った津波は、さらに大規模な破壊を行いました。
しかし今日、周辺市町村に立ち入り禁止の措置が採られ、無人のゴーストタウンと化してしまったのは、福島第一原子力発電所が巨大事故を引き起こしてしまったためです。
今やこれらの市町村には大量の放射性核廃棄物が堆積し、かつての住民たちはいつになったら元通りの故郷を取り戻せるのか見当も付けられずにいます。
そして多くの人々が、自分自身戻りたいと考えているのかどうか、わからなくなっているのです。3月11日の出来事は人々の人生に深刻な傷跡を残し、救いようもない程暗いものにしてしまいました。
人びとはすべてを『3.11』と、きわめて短く表現します。
2011年3月11日、日本に地獄を作りだしたもの、それは記録に残っている中で最も強い地震でした。
その揺れが収まった後、今度ははるか沖合で大自然が作り出す中で最大級の巨大な波が形成され、陸地に向かって一気に疾走しました。
この日東北地方沿岸で亡くなってしまった18,000人のほとんどは、この津波の犠牲者でした。
地震そのものは福島第一原発の施設にそれ程の損害を与えてはいません。
しかし津波は別でした。
緊急時に原子炉を冷却する装置の電源を喪失させ、原子炉内の温度の上昇が続き、メルトダウンが始まったのです。
そして原子炉建屋内に充満した水素ガスが爆発、周囲40キロの市町村に放射性物質を飛散させてしまいました。
事故から3年が過ぎた現在、福島県富岡町では日中に人々が短時間滞在する程度なら安全な程に放射線量が下がったと考えられています。
拡声器が午後3時までに町から出るように警告を発し、私たちはその日最後まで町内に残っていたのが自分たちに他ならないことに気づきました。
福島で発生した三重災害は、あたかも時間を止めてしまったように感じます。
破壊された放置された町に残る時計は地震が発生した時刻、2時46分を指したまま止まり、ほとんど手つかずのままの廃墟は災害が昨日起きたばかりであるかのような錯覚を抱かせます。
新聞販売店に残っていた束になったままの新聞の日付は2011年3月12日、東日本大震災が発生した翌日のものでした。
この朝、政府はこの町、近隣市町村の住民に対し、直ちに避難するように命令を発したのです。
束のまま残された新聞は、人々があわててこの場所を去って行った様子をうかがわせるものでした。
『ようこそ大熊町へ」と書かれた看板を見つけました。
しかし事故から3年以上が過ぎた現在、大熊町の人口はゼロです。
11,000人以上の住民がこの日の朝町を去ったまま、二度と帰ることはありませんでした。
ボブ・サイモン:この場所で暮らすために、もう一度大熊町に帰りたいと思いますか?
木村則雄:ええ、できることなら死ぬ前にもう一度この町で暮らしたいと思っています。
木村さんは、彼の両親の家の隣に自宅を構え、妻と2人の娘と一緒に暮らしていました。
津波は彼から父親、妻、そして下の娘を奪い去りました。
ゆうな、明るく快活な7歳の少女。
ここにあるのは2011年3月11日以前に撮影された木村さんの自宅の写真です。
そしてこれが現在の姿。
家の基礎部分しか残っていません。
そして家の玄関の前には、様々な思い出の詰まった小さな箱があります。
木村 : これは下の娘がその日はいていた靴です。この靴は震災の6ヵ月後に、がれきが積み上がった場所で見つかりました。
この場所は放射線量が高く、木村さんがかつての自宅を訪れることが出来るのは年に10回まで、1回につき5時間以内と決められています。
2月に、木村さんに割り当てられた一時帰宅の日は吹雪の真最中でした。
訪問の度、木村さんは亡くなった家族を祀るために作った祠に花を捧げることを忘れません。
大熊町では3月11日に111人の人が亡くなりましたが、木村さんの家族もその中に含まれています。
犠牲者の遺体は一人を除き、すべて収容されました。
たった一人遺体が見つからない犠牲者、それが木村さんの娘、ゆうなさんです。
1年間に10回、木村さんはゆうなさんを捜すため、かつての自宅に戻ります。
ボブ・サイモン: この間の土曜日もあなたは、大熊町で土を掘り返す作業をしていました。あの日は雪が降り、しかも気温は氷点下まで下がっていたにもかかわらず…なぜですか?
木村: もちろんゆうなを捜し出すためです。
ゆうな自身を見つけ出すか、あるいはその遺品を探すことを止めてしまえば、私とゆうなとの絆が断ち切られてしまうような気がするのです。
実を言えば今私が毎日こうして生きていられるのは、ゆうなや彼女の遺品を探し出すという目的があるからなのです。
気が変にならないようにするためには、この作業を続けるしかありません。
〈 第2回につづく 〉
http://www.cbsnews.com/news/fukushima-japan-disaster-three-years-later-60-minutes/
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この稿の記者、ボブ・サイモン氏が被災地を訪れたのはこれが最初ではありません。
2011年10月に岩手県大槌町を取材した番組がアメリカCBSニュースの同じ『60分』で放映され、【星の金貨】でも翻訳・ご紹介しました( http://kobajun.biz/?p=1217 )。