ホーム » エッセイ » 【 日本の首相、戦争犯罪人に『哀悼の意を捧げる』 】NYT
数々の発言・行動は「安倍首相が軍国主義者の再来であることを、何より証拠立てるもの」
太平洋戦争における日本軍の行動について、一向に反省の念を表明しようとはしない安倍首相
マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 8月27日
日本の歴代首相の中で最も保守的な一人である安倍晋三首相が今年初め、戦争犯罪人として有罪が確定した後処刑され死亡した1,000人以上のA級、BC級戦犯として処刑された旧日本軍人の追悼法要に「自民党総裁」名で追悼文を送っていたことを、8月27日日本政府のスポークスマンが確認しました。
この事実は周辺諸国、とくに第二次世界大戦中、日本軍の戦争犯罪の最大の被害者であった中国との外交関係を一層悪化させる可能性があります。
日本を代表する新聞のひとつである朝日新聞がこの事実を最初に報道しましたが、記事によれば安倍首相は処刑された戦犯を「昭和殉難者」として追悼する式典に、「自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者の御霊(みたま)に謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げる」
との追悼文を寄せました。
菅義偉官房長官はこの報道が事実であることを認めましたが、安倍首相は日本国首相としてではなく一民間人の立場でこの追悼文を寄せたものだと語りました。
しかしこの追悼文に架かれた署名は、日本で政権をとる自由民主党総裁というものでした。
法要は今年4月29日、和歌山県高野町の高野山真言宗「奥の院」で行われ、処刑された戦犯を「昭和殉難者」として追悼し、記事によれば安倍首相の追悼文は参列者の前で読み上げられました。
安倍首相は法要そのものには参加していません。
この法要は毎年開催されていますが、日本国内ではあまり知られていません。
第二次世界大戦終了後、連合軍によって行われた軍事裁判において処刑あるいは獄死した1,180人を追悼するものです。
この軍事裁判所は戦後アジア各地で開設され、日本軍が戦争中に行なった虐殺、強姦、連合軍捕虜の虐待や殺害などの罪を問い、日本軍将兵や軍関係者に有罪判決を下しました。
この法要を共催した旧陸軍関係者や自衛官OBで作る「近畿偕行会」は、日本の右派の多くがそうであるように、連合軍による軍事裁判は勝者の正義以外の何物でもないとし、判決は不当なものであるとの見解を有しています。
法要は処刑された戦犯を「昭和殉難者」としてその名前を刻んだ記念碑の前で開催されました。
昭和は前代の昭和天皇の在位期間を表しています。
24日水曜日、菅官房長官は日本は1952年のサンフランシスコ平和条約の調印の場で裁判を受諾しており、安倍首相の追悼文寄稿は日本政府とは無関係であるとの立場を強調しました。
今回の追悼文の言い回しには慎重な配慮がなされていますが、安倍首相はかつて第二次世界大戦における日本が侵略者であるとする見解に、公然と疑問を呈しました。
昨年開催された議会の予算委員会の席上、安倍首相は太平洋戦争(第二次世界大戦太平洋戦線)においては、勝者となった連合国側の見解が押しつけられたため、日本だけが一方的に戦争犯罪の罪を問われることになったと語りました。
こうした発言は日本の戦時帝国建設の最大の犠牲者となった中国の格好の標的となり、安倍首相が軍国主義者の再来であることを何より証拠立てるものだとの批判を招く結果なりました。
これまで中国は安倍首相が太平洋戦争(第二次世界大戦太平洋戦線)における日本軍の行動について一向に反省の念を表明しようとはしないことにいら立ち、怒りに満ちた反応を繰り返してきました。
2週間前には人道に対する罪で有罪判決を受けた14人の戦時指導者が合祀されている靖国神社に玉串料の名目で現金を寄付し、この時も中国側の批判を招いています。
中国外務省は、戦犯追悼式典に追悼文を贈った安倍首相を批判する公式声明を公表しました。
「我々は日本側に対し、戦時中の侵略行為を反省するという誓約を順守するよう求めます。」
中国外務省の報道官はウェブサイト上でこのように述べています。
中国側を怒らせたことにより、安倍首相が求めている習近平国家主席との首脳会談はまたも実現の機会を奪われることになりました。
今回の出来事は両国関係のさらなる悪化を懸念させることになりました。
日中関係は東シナ海に浮かぶ無人島、尖閣諸島で暗礁に乗り上げたままになっています。
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私個人は太平洋戦争を行っていた日本について、海外での侵略行為もさることながら、国内において長く恐怖政治を行い、国民を苦しめつづけたという点において許せないと考えています。
考えてもみてください、「戦争反対!」と公言しただけで、体制に迎合する連中から『非国民』『売国奴』などと罵られた挙げ句、特高警察という秘密警察に連行され、拷問され、悪くすればそのまま殺される時代を。
一部の人間が企図した『遅れてきた帝国主義=侵略政策』に国民が服従することを強制された時代、それが世界的な『普遍性のある』解釈です。
安倍首相の中では国民を圧殺した罪を問われた者が「昭和殉難者」であるようですが、戦争反対や平和主義を訴えて投獄された人間は何なのでしょう?
太平洋戦争当時、成年男子は『大義なき戦争』に駆り出され、勝利の可能性が消滅した末期には玉砕や特攻などの理不尽な死を強制されました。
残された女性や子どもたちの多くが空襲による焼死、爆死、そして満足に食べるものも無いための餓死に見舞われました。
そんな日本を『取り戻す』事など許したら、私たち国民は再び不幸、理不尽、絶望の縁に追い込まれてしまいます。
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【 大量虐殺に遭遇させられる前のユダヤ人たちの暮らし 】〈1〉
ニューヨーカー 8月27日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
国際写真術センターは米国のホロコースト・メモリアル博物館との共同の事業として、ロマン・ビシュニャックの膨大な記録写真の電子データを公開することになりました。
1897年にロシアで生まれたビシュニャックは、アメリカ国内のユダヤ人団体の依頼により1935~1938年に東ヨーロッパのユダヤ人の生活を写真に記録する作業を行いました。
これまで閲覧が可能だったのはこのうちのわずか350点ほどでしたが、新しいデジタル化された記録写真はこれまで未公開だった約1万点を含んでいます。 それは
「ホロコーストによって大量虐殺されてしまったユダヤ人の、東部ヨーロッパにおける生活を記録した最も広範な記録」なのです。
リトアニア、カルパティア地方の村の長老。写真はいずれも1935~38年に撮影されたもの。(写真上)
本を一緒に読む子供たち。(写真下・以下同じ)
ワルシャワ市内の祖父と孫娘。
1938年10月末、ついにナチス・ドイツによるユダヤ人の強制収容が始まりました。
手始めに彼らはまず、ポーランドのズボンシンにある軍のバラックに強制収容された。
牛とたわむれる若い男性。
行進するナチスドイツの兵士。
http://www.newyorker.com/culture/photo-booth/roman-vishniac-digital-archive