ホーム » エッセイ » 【 市民たちは立ち上がる! : 日本の原子力発電再稼働推進政策の転換を! 】IPS
川内原発でメルトダウンのような事故が発生した場合、数万人に上る周辺住民を安全に避難させるための、適切なプランは無い
火山の爆発や巨大地震などの災害発生時、普段と同じように道路や橋、公共交通機関が機能するはずがない
原子力発電は、地球温暖化問題の解決策にはなりえない
キティ・スタップ(ニューヨーク) / IPSニュース 8月10日
福島第一原発の事故が原発の危険性について警鐘を鳴らした日本で、九州電力・川内原子力発電所が再稼働されることが本決まりとなり、稼働前日には発電所周辺に反対する市民が集まり、抗議の声を挙げました。
九州電力は川内原発1号機は8月11日に再稼働を開始、早ければ8月14日には発電を開始し、9月に入れば通常運転に入り、電力の供給を開始する予定であることを公表し、併せて以下の声明を公表しました。
「引き続き、国の検査に真摯に取り組むとともに、緊張感をもって、安全確保を最優先に(本格的再稼働に向け)今後の工程を慎重に進めてまいります。」
しかし地元で反対運動に取り組んでいる人々は、もし川内原発でも福島第一原発同様の原子炉がメルトダウンするような事故が発生した場合、数万人に上る周辺住民を安全に避難させるための、適切なプランは無いと語っています。
2011年3月、東北地方沿岸にある福島第一原子力発電所を巨大地震と巨大津波が襲い、3基の原子炉がメルトダウンした福島第一原発の事故は、1986年に発生したチェルノブイリ原発事故に次いで国際原子力事象評価尺度(INES)が定めるレベル7の規模として、2例目の事故となりました。
九州電力・川内原発が予定通り再稼働すれば、2013年以来続いてきた日本の全原発停止状態が終わりを迎えることになります。
日本における原子力発電は福島第一原発の事故発生以前、国内の総需要の約30%を賄っていました。
九州電力・川内原発は、福島第一原発の事故をきっかけに全面的に改定された原子力発電所の新たな安全基準に準拠していると原子力規制委員会が認定しました。
しかし再稼働に反対派する人々は、日本は他のどの国よりも大地震が発生する国土を持っていると指摘します。
九州電力・川内原発は北西に位置する活火山からわずか60キロメートルの場所にあります。
「九州電力・川内原発の近くには学校も病院もありますが、万が一事故が発生した場合、子どもたちや高齢者の人びとをどうやって避難させるのか、具体的な計画については誰も私たちには話したことがありません。」
川内原発の再稼働に反対する市民グループの代表を務める向原祥隆氏がガーディアンの取材に対し、こう語りました。
「当然のことですが、破壊された車両や地滑りなどによりあちこちで道路が寸断され、橋も使えないなど、交通網が完全に麻痺してしまう状況が予想されます。」
安倍政権のエネルギー政策は原子力発電に大きく依存するものです。
2030年まで原子力の発電割合を、国内総需要の20パーセントにまで引き上げようとしています。
「我々は安全と判断された原子炉については、再稼動を推進していくことが安倍政権のエネルギー政策にとって重要であると考えています。」
菅義偉官房長官は記者団にこう語りました。
しかし放射線安全科学の専門家であり、グリーンピース・ベルギーで再生可能エネルギーの普及に取り組むジャン・ヴァンデ・プート氏がこう指摘しました。
「日本は1年以上原子力発電所が稼動していませんでしたが、この間電力不足は発生しませんでした。
日本政府は原子力発電に対する姿勢を180度転換し、エネルギー効率の改善と再生可能エネルギーの開発促進に軸足を置いたエネルギー政策に転換すべきです。」
「そうすることで日本は初めて一般市民を福島の再来という悪夢から解放することができ、2020年までに気候変動解決に向けた国際公約の達成が可能になるでしょう。」
http://www.ipsnews.net/2015/08/protests-greet-japans-relaunch-of-nuke-power/
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巨大災害が発生した際、いつも使っている道路をいつもと変わらず使えるはずがありません。
私はそれを3.11の当日の夜、被災地で体験しました。
いずれもほとんど被害のなかった自宅から仙台駅前近くまで、孤立してしまった当時大学生だった息子の友人を助け出すため、自家用車で向かった際はいつもの倍どころでは済まず、4倍近い時間がかかりました。
細い抜け道を通る際は、何かのトラブルで通行不能になっていないか、ビクビクしながら進まなければなりませんでした。
全市停電のため信号機は全てダウンしており、幹線道路の横断や右左折は困難を極めました。
通過した道路は全てほとんど無傷で、放置車両などもありませんでしたが、それでも1キロを進むために大変な思いをしました。
その体験を今思い返すと、火山の噴火と原発事故が重なった現場からの避難など、どうすれば可能になるのか想像することもできません。
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【 戦争と貧困に追われ、何もかも捨ててヨーロッパになだれ込む難民 】《前篇》
アメリカNBCニュース 8月27日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
今、大量の難民たちが故国の戦争を逃れ、欧州連合の玄関口であるハンガリーを目指し、昼夜を分かたず必死の逃避行を続けています。
8月26日、セルビアから国境を越えてハンガリー領内に入った後、線路の上を歩いて怪我した仲間を背負って進む男性。(写真上)
ハンガリー政府は大量の難民の流れを食い止めるため、セルビアとの国境沿いに長さ200キロ近い長さのフェンスの設置を始めました。
難民たちは歩いてハンガリーに入った後、欧州連合の各国を目指してさらに移動を続けます。
彼らの多くが目指すのは最も豊かな西欧諸国です。
子供を抱いて、仲間の難民が国境を越えてくるのを待つ女性。
ここ数日間だけで、子供や女性を含め約10,000人の難民が、セルビアから国境を越えてハンガリー領内に入り込みました。(写真下・以下同じ)
ギリシャ警察の警官たちをやり過ごし、マケドニア領内に入る難民。
マケドニアからセルビアまで歩いた後、プレセボの難民センターにたたどり着いた人形を抱いた女の子。
セルビアとの国境に設置されたフェンスをくぐり抜けて入ってくる難民を見つめるハンガリーの警察官。
セルビア、プレセボの難民センターでヒゲを剃るイラク人の男性とその妻。
http://www.nbcnews.com/storyline/europes-border-crisis/desperate-migrants-fleeing-war-poverty-seek-refuge-europe-n416796