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戦争の惨禍が決して繰り返されてはならないということを、改めて世界に向け決意表明したい
ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 12月5日
安倍晋三氏は、今月後半、日本の首相として初めて真珠湾を公式訪問することになりました。
真珠湾は75年前、日本が航空機を使った奇襲を行い、施設に大損害を与えた上、2,400人以上の米国軍人と一般人を殺害し、アメリカが第二次世界大戦に参戦する直接のきっかけを作りました。
バラク・オバマ氏が現職の米国大統領として初めて広島を訪問した7か月後、安倍首相は1年以上前から検討されていた真珠湾訪問が実現することになりました。
オバマ大統領の出身地であるハワイで両首脳は12月26、27の2日間会談を行う予定です。
12月5日月曜日安倍首相は、彼とオバマが「犠牲者の霊を慰める」ために一緒に真珠湾を訪問すると発表しました。
「戦争の惨禍が決して繰り返されてはならないということを、改めて世界に向け決意表明したいと考えています。」
安部首相はこのように付け加えました。
ホワイトハウスはこの会談の予定を確認し、大統領・首相の会談と日米関係が
「かつての敵対関係を、利害関係と価値観を共有する世界で最も緊密な同盟関係のひとつに変えた典型的な和解の事例。」
を証明することになるだろうとコメントしました。
安部首相は今年5月下旬に広島を訪問し、1945年8月6日アメリカが行なった原爆攻撃により犠牲になった140,000人の慰霊碑の前で行った演説を称賛しました。
オバマ大統領は原爆が投下された時の生存者と面会し、広島市の平和記念館を訪問しましたが、70年前の広島への原爆投下とその3日後に行った長崎への原爆投下に関しては謝罪や言及を行いませんでした。
しかし安倍首相はオバマ大統領の演説が
「日本人の心に染み入る内容のものだった。」
と称賛し、今度の会談について
「全世界に対し、日米の同盟関係が将来に向け維持強化されるというメッセージを送る」
ための機会として利用したいと付け加えました。
そして
「同時に私はこの訪問を、日本とアメリカの完全な和解の成立を象徴するものとしたいと考えています。」
昭江夫人が今年8月に真珠湾の戦艦アリゾナの記念施設を訪問して献花したことをフェイスブックに投稿した後、安部首相自身の訪問の可能性が一気に高まりました。
安部首相は11月にペルーのリマで開催されたAPECのサミットにオブザーバーとして参加したオバマ首相と会談した際、ともに真珠湾の記念施設を訪問することについての合意が成立したと語りました。
1941年12月7日早朝、真珠湾に碇を降ろしていた米国太平洋艦隊に対する日本の不意撃ちの攻撃は、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、そして太平洋戦線へのアメリカの本格的な参戦を決定づけました。
2時間続いた空爆の結果、日本の雷撃機、爆撃機と戦闘機は、20隻の海軍艦船を撃沈し、164機の航空機を破壊しました。
安部首相の真珠湾訪問はきわめて象徴的な出来事になりそうです。
第二次世界大戦(太平洋戦争)当時の大統領フランクリンDルーズベルトは、真珠湾を攻撃されたことについて
「汚辱にまみれた日」
と表現し、多くのアメリカ人にとって真珠湾攻撃は戦争末期の沖縄戦や硫黄島の戦い以上に強く感情を刺激するものとなりました。
安部首相による真珠湾訪問は、一方では日本がこれ以上第二次世界大戦(太平洋戦争)に関する謝罪をするべきではないと考える国内の保守層、これまでの盟友を怒らせることになるかもしれません。
安部首相はこれまで広く国家主義者と考えられてきましたが、より柔軟なアプローチを採用しました。
一方では昨年の太平洋戦争の敗戦記念日、「最も心からの後悔」と「心からの哀悼」を国の戦時犠牲者に捧げましたものの、新たに謝罪に関するコメントは行いませんでした。
一部の日本のソーシャルメディア・ユーザーは、5日に明らかにされた安倍首相の真珠湾訪問の発表に対し概ね好意的に反応しました。
「私は、それが良いことだと思います。」
こうツイートした人がいました
「オバマ大統領が広島を訪問したその答礼として、私は日本の首相に真珠湾を訪問して欲しいと強く感じました。」
別のツイッター・ユーザーはこう書きました。
「オバマ大統領が広島に訪問したことを受け、安倍首相は真珠湾に行くべきであり、今回安倍首相は本当に良い決断をしたと思います。」
アメリカは12月7日午前7時55分、日本の航空機が最初の攻撃を開始した時間に合わせて黙とうを行い、真珠湾攻撃の日の式典を行います。
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【 75年目の「リメンバー・パールハーバー!」 】《1》
アメリカNBCニュース 12月6日
不意打ちの奇襲によって2,300人のアメリカ軍人を殺害、第二次世界大戦への米国参戦を決定づけた真珠湾攻撃を写真で振り返ります。
1941年12月7日の真珠湾の一番最初の爆撃の瞬間をとらえたとされている写真。
この写真は戦後横須賀にあるアメリカ海軍基地でバラバラに破れている状態で発見されました。
日本の航空機1機が爆撃の水柱が上がる右上空に、さらにもう1機が右上に小さく写っています。(写真上)
攻撃を受け爆発するアメリカ太平洋艦隊所属の駆逐艦USSショー。(写真下・以下同じ)
ヒッカム飛行場で炎上する航空機の消火活動を行っている脇を駆け抜ける水兵。
猛煙を上げて炎上、沈没する戦艦USSウエスト・バージニアとUSSテネシー。
http://www.nbcnews.com/slideshow/remembering-pearl-harbor-75-years-later-n692191