ホーム » エッセイ » 【 安倍首相、都合の悪い戦時記録を抹殺する取り組み 】《前編》NYT
自身の言葉で『心からの反省』を表明され、日本の戦後史に新たなページを開いた天皇陛下
安倍首相は太平洋戦争の原因について言葉を濁し、日本の戦時犯罪についても曖昧な表現に終始した
戦後日本のアジア地区への経済貢献への評価も、首相たちが繰り返した靖国参拝でその多くが無駄になった
ハワード・フレンチ / ニューヨークタイムズ 8月18日
ここ数ヶ月というもの、東アジア地区では第二次世界対戦の終了、すなわち日本の降伏70周年の記念日に合わせ、日本の安倍首相が公表する談話の内容に関する推測が取り沙汰されてきました。
保守タカ派の安倍首相は日本が世界の紛争地域などで『決定的な』役割を果たすことを望んでいますが、70周年の談話では日本の戦争責任に疑問を呈し、前任の歴代首相とは異なる見解を示しましたが、何かを一新しようと考えているのでしょうか?
14日金曜日、安倍首相は東京で第二次世界大戦終了70回周年の節目を迎えたことに関する声明を発表、人々はその内容に聞き入りました。
しかし結局、安倍首相が公表した談話の中には新しい要素はほとんど見当たりませんでした。
安倍首相は太平洋戦争の原因について言葉を濁しました。
そして日本軍が犯した戦時犯罪についても、曖昧な表現に終始しました。
その中の最悪のものが、隣国である韓国と中国を軍事的に征服するための日本軍兵士たちのために、両国から数万人の若い女性を徴発し、いわゆる従軍慰安婦 - 性的奴隷として使役した問題です。
安倍首相は本人自ら謝罪をする代わり、前任の首相たちが謝罪を行ってきたことに『言及』しただけでした。
そして安倍首相として示した見解は、日本の将来の世代が自分たちとは直接関わりのない太平洋戦争当時の犯罪について、これ以上謝罪を続けるべきではないというものでした。
安倍首相の談話が中国と韓国から直ちに強い抗議を引き出したことは、別に驚くべきことではありません。
注目すべき出来事は別にありました。
日本の社会において、国民が尊崇する階層から安倍首相に対し非難が向けられたことでした。
日本がアジア大陸の侵略を行った第二次世界対戦当時に国家元首であった裕仁天皇の後継者である明仁天皇は、日本が敗北した8月15日に開催され安倍首相も出席していた70回目の戦没者追悼式典で、自身の言葉で『心からの反省』を表明され、日本の戦後史に新たなページを開いたのです。
91歳になった村山富市元首相はもっと直接的に安倍首相の談話を批判しました。
「大変美しい言葉で飾られた文章です。しかしどのような理由があって謝罪をしなければならないのか、そして日本はこれからどうすべきなのかについては、触れられていません。」
1995年、敗戦50年の節目に当時の村山富市首相が公表した談話は
「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」
と述べ、村山首相自身が
「ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」
としています。
いわゆるバブル期の頂点にいた1980年代、日本は世界最大の開発援助の提供国であり、特にアジア地区に補助金と各種借款を集中していました。
とりわけ中国経済の発展に関する日本の貢献には著しいものがありました。
開発を進めるための数十億ドルに上る資金、発展の核となる技術が提供された上、中国共産党政権に対しては政治的な支援すら行われました。
1989年に発生した天安門事件(英語の表現では massacre、すなわち大虐殺)への日本政府の対応などはその典型的なものでした。
しかしこうした関係改善のための取り組みも、結局は曖昧模糊とした表現の上に成立していたため、その時々の首相級の大物政治家たち自身が相手を挑発したことなどにより、繰り返し繰り返し無駄になってきました。
その多くは保守層の有権者の歓心を買うために取られた措置でした。
挑発行為の中で、国際社会において最も評判が悪いものが、首相や閣僚による靖国神社への度重なる参拝です。
靖国神社は日本の浸透に基づく施設ですが、近代以降の戦争犠牲者の霊が祀られ、その中には太平洋戦争敗戦後の裁判によりA級戦犯として死刑された戦争指導者たちが含まれています。
この靖国神社との関わりにおいて安倍首相は、これまでのどの首相とも異なる極めて特異な立場を占めています。
安倍首相は時折愛惜を込めて母方の祖父、岸信介元首相について言及することがありますが、岸氏は日本が中国東北部、満州を支配していた1930年代、その産業開発を監督する立場にありました。
この間、中国を占領していた日本軍は性的奴隷を使役した従軍慰安婦という名の組織的売春を行い、さらには麻薬取引にまで手を染めていました。
全体主義者としての側面を持つ極右政治家として、岸氏は東条英機内閣の軍需担当大臣を務め、戦後は戦争犯罪人としての嫌疑を受けて刑務所に収監されました。
しかし審理を免れ、やがて釈放されると戦後まだ間もない段階で日本国首相という枢要な地位に昇りつめたのです。
安倍首相の前任者で彼のボスでもあった小泉純一郎首相が靖国参拝を繰り返して中国との間の緊張を高めた後、短命に終わった第一次安倍内閣が誕生しました。
この時は安倍首相は、小泉内閣時代に関係が悪化した中国との和解を進める選択を行ったのです。
〈 後篇に続く 〉
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【 戦争と貧困に追われ、何もかも捨ててヨーロッパになだれ込む難民 】《後編》
アメリカNBCニュース 8月27日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
今、大量の難民たちが故国の戦争を逃れ、欧州連合の玄関口であるハンガリーを目指し、昼夜を分かたず必死の逃避行を続けています。
8月26日、セルビアから国境を越えてハンガリー領内に入った後、線路の上を歩いて怪我した仲間を背負って進む男性。(写真上)
ハンガリー政府は大量の難民の流れを食い止めるため、セルビアとの国境沿いに長さ200キロ近い長さのフェンスの設置を始めました。
難民たちは歩いてハンガリーに入った後、欧州連合の各国を目指してさらに移動を続けます。
彼らの多くが目指すのは最も豊かな西欧諸国です。
セルビアとの国境を越え、ハンガリー国内に入ろうとする難民。(写真上と下)
難民センターで受け付けを待つ人垣。
セルビア、ベオグラードの路上で眠りこける難民の男性。
ハンガリー・セルビア国境の線路近くでリンゴを摘み取って食べる難民の男性。
セルビアとの国境を越え、ハンガリー国内に徒歩でやって来たシリア難民。
公共施設のガレージに難民が残していった毛布とテディベア。
http://www.nbcnews.com/storyline/europes-border-crisis/desperate-migrants-fleeing-war-poverty-seek-refuge-europe-n416796