ホーム » エッセイ » 【 大物政治家のメディア支配を終わらせよ!素手で立ち上がった男 】〈前篇〉
インターネットを通し、『直接民主主義』の実現をめざす
WEBを通してつながり続ける一般市民は、もはや物言わぬ羊の群れでは無い
ジョン・フーパー(ミラノ)ザ・ガーディアン 1月3日
ロベルト・カサレッジョがコメディアンのファンクラブを、イタリア第2の規模を持つ政治勢力に変貌させました。
「まるでイエス・キリストと12人の使徒のようだね。」
ロベルト・カサレッジョがこう語りました。
「キリストのメッセージもやっぱり、ウィルスのように広がっていったんだよ。」
白髪交じりのぼさぼさの黒い髪を肩まで伸ばし、ロベルト・カサレッジョは救世主を気取って見せました。
しかしその通りかもしれません、ロベルト・カサレッジョはイタリアの政界において、その正体が最も解りにくい人間です。
ウェブ界のカリスマであり、コメディアンのファンクラブをイタリアの政界第2の勢力に変貌させてしまいました。
これまで新聞による取材を一切許さない一方、不思議な力を持った影の人物として存在してきました。
しかし『五つ星運動』が正式に国政選挙に新規参加を果たすためには、何十万と言う正式な署名が必要になります。
先月ミラノのファッショナブルな地域にあるカサレッジョのコンサルタント会社では、従業員たちが必要な署名を集めるために全国的な活動を開始していました。
ペッペ・グリヨが好んで取り上げ、気のきいた風刺とあてこすりを浴びせているユーロ危機、そしてマリオ・モンティ首相が率いる政府が行っている緊縮財政に対するイタリア人の怒りをてこに、『五つ星運動』について書かれたほとんどのものが、人々の喝さいを浴びることになりました。
こうした計算された抗議運動の成功は、これまで何十年と続き、当たり前と思われてきた対立軸がその担い手とともに、いずれ消えゆく運命にある事を暗示しています。
カサレッジョの存在が無ければ、『五つ星運動』はこれからも続く社会現象の一つに過ぎません。
その社会現象とは、インターネットがあらゆるメディアの存在に取って代わろうとする傾向の事です。
カサレッジョはこう主張します。
新聞はいずれ絶滅せざるを得ない。
なぜならジャーナリストと読者を媒介しているに過ぎないからだ。
政党はいずれ絶滅する運命にある。
なぜなら、政策当局と有権者を媒介するにすぎないからだ。
『五つ星運動』は国の政策当局と国民の間のあらゆる障壁を取り除く、新たな形の直接民主主義を切り開いていく運動です。
彼はウィキリークスを作ったジュリアン・アサンジ同様、インターネットが持つ強力な影響力を少年のように素直さで信じる一方、自分の能力を最大限に生かす道具にしています。
彼が微笑むと2本の前歯の間の隙間が見え、少年のような思い込みを一層印象づけました。
コメディアンのグリヨに出会った時のことについて、彼は自分の著書の一節を声を出して読んで見せました。
「およそ10年前の事でした。」
その時すでに情報産業界においてカサレッジョは成功を手にしており、イギリスの企業ロジカのイタリア法人の責任者を務めていました。
そして2004年、自らの会社カサレッジョ・アソシアアティを立ち上げたのです。
「インターネットが無ければ、ベッペも私も、何も成し遂げることはできなかったでしょう。」
「インターネットが、バランスシートの中身をすっかり変えてしまったのです。」
第一歩はグリのブログから始まりました。
このブログはイタリア語のみで書かれており、アメリカの5分の1の人口しかなく、コンピュータがある世帯は全体の40%しかないイタリアでしか見られなかったにもかかわらず、2007年、世界で7番目にアクセス数の多いブログになったのです。
これ程成功した理由について、カサレッジョはイタリアのある特殊な事情のせいだと語りました。
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/03/italy-five-star-movement-internet
〈続く〉
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今年1月初旬、買い物客でにぎわう仙台市の中心街で、実際に見た光景についてお話します。
仙台の代表的な買い物街、一番町3丁目と4丁目の交差点で、数人の社民党のメンバーが宣伝カーを駐めて街頭演説をしていました。
そこに大型の真っ黒の右翼の街宣車が乗り付け、外部に取り付けたスピーカーのボリュームを最大にして
「反日の社民党は出ていけー!」
といった類いのスローガンを大声で怒鳴り、演説の妨害を始めました。
時間にして5分も続かなかったと思いますが、ものすごい音量のため、その威嚇行為があたりを圧伏してしまった観がありました。
その大型車が去ると、今度は反対車線に別の街宣車が現れ、フルボリュームでさらに露骨な威嚇を始めたのです。
結局その街宣車が去った後、社民党の演説は不得要領のまま切り上げられてしまいました。
私はものすごく不愉快になり、このような民主主義への完全な破壊行為をどうしたらこの日本からなくすことが出来るか、その後数日間深刻に考え込まざるを得ませんでした。
その資金源を断つことが最良の方法ですが、その件に関しては別の機会にお話します。
私は、社民党のその時代錯誤な姿勢に対しても腹が立ちました。
個人が、何よりも共感を求める時代になった、現代社会については、そう指摘されることが多くなりました。
にもかかわらず、不特定多数に対し、果たして聞いている人が関心を持つかどうかわからないテーマについて、話しているのが社民党の誰なのかもわからない街頭演説をして、挙句それを右翼の街宣車に妨害されて、そそくさとその場を去っていく。
その姿にいったい誰が共感するでしょうか。
社民党の前身である社会党は一時、衆議院内で100以上の議席を有していました。
それが昨年の衆院選ではとうとう一議席にまで減ってしまいました。
日本のリベラリズムの一翼を担うためには、もっと戦術・戦略について真剣に悩み抜き、答えを出す必要があります。
あなた方はその存在を快く思わない相手の戦術・戦略により、そこまで追い込まれてしまったのですから。
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【 戦場となった町を生き抜いた子供たち 】
アメリカNBCニュース 1月29日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)
1月14日、この地を襲ったイスラム武装勢力は町の唯一の宗教施設であるキリスト教の教会を破壊し、商店の略奪を行い、マリ共和国の国旗を引きずりおろしました。
その日から8日間、この地の子供たちは恐怖の中で暮らすことになったのです。
数日後の真夜中、フランス空軍のジェット戦闘機が、子供たちの目と鼻の先で武装勢力の車両を破壊しました。
車両には弾薬が積んであったために大爆発が起き、大小の破片が辺り一帯にあったものをなぎ倒しました。
飛び散った多数の破片は泥で作られた家々にも突き刺さりましたが、奇跡的にこの町の人々に犠牲者は出ませんでした。
しかし数人の子供たちがけがをし、町の人たちは精神的に大きなダメージを受けました。
その4日後、フランス軍とマリ政府軍がこの町にやってきて、町の人々を解放したのです。