ホーム » エッセイ » 【 地震の恐怖と暮らす一人の英国人・イン・東京 】〈前篇〉
デイヴィド・マクニールは、覚悟も準備もできているつもりでした。
しかし自らが著したこの本を読み返してみて、実際に起きたことは、彼の想像をはるかに超えるものであったことに改めて気がついたのです。
デイヴィド・マクニール / ザ・インデペンダント(英国)11月23日
東京の住人なら誰でも、もしこの場所で巨大地震が起きたらどうするか、ということを考えます。
学生の時初めて東京を訪れた私は、東京のビジネス街の地下に網の目のように広がる、混雑している天井の低いショッピングセンターを歩いていた時、ふと黙示録について考えている自分に気がつきました。
黙示録の内容と東京は決して無関係ではありません。
東京の歴史は、一面では聖書に記されている破壊の歴史であるともいえます。
1923年、マグニチュード7.9の地震、そして津波が東京と横浜を壊滅に近い状態に追い込み、100,000人もの人々が焼死、溺死、圧死しました。
さらには約100km弱ほど離れた場所にある、日本の象徴である富士山ですら、世界最大の都市である東京に何百万トンという火山灰を振らせる危険性を持っているのです。
答えの一つ、それは日本人は恐怖を封じ込めてはいない、という事です。
地震、津波、そして火山の爆発を心から恐れる気持ちは、ほとんどの日本人が持っています。
2011年3月11日以降、地震が始まった瞬間に、家や会社から飛び出し、海岸近くの場所から高台などに避難し、本能の命ずるままの脱出をしたおかげで、命が助かった人々の話を繰り返し聞かされました。
しかし一方で、古代から続く自然災害の際には、どう行動したらよいのかという教訓を無視した人々もいました。
その結果、東北3県で合わせて19,000人が死亡、あるいは行方不明となりました。
そして福島県の広大な田園地帯には、福島第一原発が引き起こした3基の原子炉のメルトダウンにより、深刻な汚染が広がってしまいました。
ひとつの言い伝えが何世紀もの時を超えて、繰り返されてきました。
「しかし私たちはそれを忘れて、海の近くに町を作ってしまったのです。」
小向さんがこう語りました。
「その挙句、津波が襲ってきて何もかも押し流してしまいます。そうなって改めて思い知るのです。言い伝えがあった、ということを。」
都会人は別に根拠も無く、自分たちが天災からからは守られていると考える傾向があります。
しかしそれは過去と比べれは、というだけの話です。
都会で暮らす人々も、巨大地震による破壊が原始時代も今もそれほど変わるものでは無く、洗練された都市で暮らしてはいても、人間の命というものが相変わらずはかないものなのだという事を、折に触れ思い知らさせれることになります。
1995年に起きた阪神大震災では6,400人が犠牲となり、400,000人が重軽傷を負い、日本のGDPの2.5%を奪い去ったあげく、多数の子供たちが親を失ってしまいました。
2011年3月11日、日本最大の交通の要衝のひとつである東京の品川駅のホームに、私は妻のなか子と並んで立っていました。
春の訪れが近く、東京は一年で最も喜びにあふれた季節の中にあり、実際太陽の光にあふれた気持ちの良い午後でした。
そして私たちをさらに幸せにする理由が、もうひとつありました。
もうすぐ私たちの息子、ルカが生まれることになっていたのです。
その時地震が始まりました。
普通の地震と違い、最初に訪れたのは振動ではなく、強い衝撃でした。
続いて振動が徐々に徐々に強くなっていき、辺り一帯の構造物が激しく揺れ始め、駅舎の屋根が凶暴な音を立てながらガタつき、プラットフォームにガラスが落下し、散乱しました。
女性の叫び声がどこからか聞こえました。
別の女性は夫にしがみつき、たくさんの人が妻や子供たちを抱え込んでいました。
一人の男性が出口に向って駆け出し、自動改札機に躓きました。
東京でこうしたパニックを目にすることはまず無いことであり、私の恐怖はいやがうえにも高まりました。
私たちは凍りついたようになってその場に立ちつくし、激しく波打つ心臓の音を意識しながら、上を見上げました。
耳をつんざくような音を立てながら揺れ続ける屋根が自分たちの上に落ちてこないよう、それだけを無言で祈り続けていたのです。
揺れは永遠に続くかと思われるほど長く続きました。
阪神大震災では、揺れは20秒間続きました。
これは後から聞いた話ですが、東北太平洋沖地震の揺れは約6分近くも続いたという事です。
科学者はその際の威力について、TNT火薬に換算し、100万キロトン以上と推定しました。1945年広島に投下された原子爆弾の威力は、後に15キロトンと発表されています。
翌朝私は、インディペンデントに掲載する記事の取材のため、2人の同僚と壊滅してしまった東北太平洋岸に向け出発しました。
高速道路は緊急車両と自衛隊車両のみ通行を許され、一般車両は通行することが出来なかったため、私たちは一般道を北上しました。
その時、後に誰にとっても最大の問題となることになる、6基の原子炉がある福島第一原発で火災が発生しているというニュース速報をラジオで聴きました。
http://www.independent.co.uk/news/world/asia/a-tokyo-resident-on-facing-his-fear-and-living-with-earthquakes-8347583.html?origin=internalSearch
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昨日掲載したユーロニュースの【東京電力・柏崎刈羽原子力発電所、2013年4月に再稼働を予定】という記事について、世界の代表紙を片っ端から探し、この記事の裏付けをとろうと思いましたが、今日探した中では見つかりませんでした。
掲載元のサイトにある動画の内容を見ても、いい加減な報道とは思えませんが、せめてもう一本探し出したいと思っているのですが。
しかし映し出された工事の規模を見ても、かなりの経費をつぎ込んでの工事のようです。
成るか成らぬか解らない再稼働のために、財政が窮迫している東京電力がこれだけの工事に踏み切るか、という疑問もあります。
だとすれば、誰かが再稼働を認可する『内諾』を与えたのではないか?という疑念もわき上がります。
吉井英勝氏の著書【原発抜き・地域再生の温暖化対策】(新日本出版社)には、「柏崎刈羽原子力発電所は世界一危険な原発」という記述があります。その理由は複数の活断層の存在ですが、いずれにしても大きな懸念が急浮上してきた思いです。
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【 ホワイトハウスのクリスマス・デコレーション2012 】
招待されたのは出役軍人の留守家族
アメリカNBCニュース 11月29日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
出役中の軍人の留守家族のこどもたちがホワイトハウスに招かれ、今年初めて公開されたクリスマス・デコレーションを楽しみました。
重さ130キロもある、ジンジャーブレッドで作られたホワイトハウス
子どもたちとクリスマスの飾りつけに興じる、ミッシェル・オバマ大統領夫人。