ホーム » エッセイ » 【 原子力の真実:広島、長崎から六ヶ所村再処理施設、安全保障関連法案…つながる一本の線 】《4》
力による平和は、限られた人間たちの既得権と利益を守るための、一方的な手段
「私はこれまでの人生で何度も差別されてきました。理由は単純です、被爆者だからです」
国民を守るために防衛力を強化しなければならないと語気を強める安部政権…しかし「それは嘘」
金子千穂、フェアウィンズ理事会メンバー / フェアウィンズ 10月18日
人間の営みは複雑であり、限られた資源を巡る国家間、民族間の争いは容易には無くならないでしょう。
同郷のかつての歴史学者であり、平和の研究者であった故大矢邦宣氏の言葉を、私は絶えず思い続けています。
「力による平和は、限られた人間たちの既得権と利益を守るための、間に合わせの手段以外の何ものでもない。」
冒頭でご紹介した核拡散防止条約会議を傍聴するため訪れていた77歳の広島の被爆者の女性と個人的に会話する機会がありました。
そこで彼女が明らかにしたいくつかの真実があります。
「現在の日本政府の人間たちは、私たち国民を守るために防衛力を強化しなければならないと語気を強めています。しかしそれは嘘です。武器で一般市民を守ることはできません。その実例を私たちは第二次世界大戦(太平洋戦争)中に散々見てきたはずです。あれだけ大量の武器を揃えても、国民など守られることは無く、無数の人々の命が失われてしまいました。」
そして彼女は次のように続けました。
「私はこれまでの人生で何度も差別されてきました。理由は単純です、被爆者だからです。」
「職を探していた時、私は差別されました。結婚をする時も、差別に遭いました。そして娘がある人との結婚を望んだときも、差別に遭いました。すべては日本政府が広島と長崎の原爆の被害について、正面から向き合い、根本的な解決を図らなかったことが原因です。」
2年前私は広島原爆の被爆者として千葉県の中学校で講演をしたことがありました。
講演を終えた後、中学2年生の女の子が廊下を通って追いかけてきて、私の手を握って感謝の言葉を口にしました。
彼女は福島第一原発事故から避難し、千葉県内の親類の家に身を寄せているのだと語りました。
しばらくたっても彼女は私の手を離さず、私の目を見つめたままでした。
何か言いたいことがあるのだと感じ、私は自分から彼女に問いかけました。
「何か言いたいことがあるの?」
彼女はやっと決心したような様子で、私にこう尋ねました。
「将来、私もちゃんと赤ちゃんを産むことが出来るでしょうか?」
私にとって、最もつらく、悲しい瞬間でした…
私は何とか彼女を励まそうとしました。
しかし彼女は単なる原発難民ではないのです。
福島第一原発が放出した放射性物質を浴びてしまった彼女もまた、被爆者の一人になってしまいました。
それが現実です。
※注
今年始めピュウ・リサーチセンターが行なった調査の結果は次の通りです。
アメリカ人の56%が第2次大戦終了間際に核兵器が使用されたことにについて、正当だと考えています。
34%は正当化されるべきでないと考えています。
日本では正当化されるべきでないと考えている人が79%であるのに対し、14%だけが正当化されると答えています。
数十年前に行われた調査の結果と比較して、原爆の使用が正当化されると答えた割合が減少していることに注目すべきです。
2014年に日本の電力会社9社は、停止中の原子力発電所の維持のために合計115億ドル(約1兆4,000億円)以上を支出しました。
これとは対照的に日本の太陽光発電事業は2015年3月現在2700万KW、5年前の9.5倍にまで拡大しました。
この発電量は、原発20基分以上の発電量に相当します。
http://www.fairewinds.org/nuclear-energy-education//nuclear-is-atomic
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【 数字が明らかにする、ヒロシマ、そしてナガサキの惨劇 】《再掲載》
当時の人口の半分が消滅した都市、ヒロシマ
17人ものノーベル賞科学者が参加して完成した大殺戮
ミシェル・ホール / CNN・ライブラリー 2013年8月6日
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1945年8月、日本に対して原子爆弾を使うというアメリカ合衆国の決定は、第二次世界大戦を終結させることが目的であったと信じられています。
改めて原子爆弾にまつわる数字をここに明らかにします。
▽ 2
第二次世界大戦中、日本に投下された原子爆弾の数です。
▽ 80,000
第二次世界大戦中、史上初めて原子爆弾が戦争で使われた1945年8月6日、日本の広島市で即死した人々の数です。
ウランを主な材料として作られたこの爆弾のコード名は、「リトルボーイ」でした。
▽ 192,020
広島への原爆投下によって死亡した犠牲者の総数です。
即死した人々、放射線による影響、その他の後遺症によって死亡した人、それらすべてを合わせた数です。
1995年、50回目の犠牲者追悼式典の際、公表されました。
▽ 3
広島に原爆が投下されたわずか3日後の1945年8月9日に、コード名「ふとっちょ」と名づけられたプルトニウム爆弾が長崎上空で爆発しました。
広島に投下されたウラン原爆と異なり、プルトニウム原爆はインプロージョン方式で起爆します。
▽ 5
長崎に原爆投下の後、昭和裕仁(ひろひと)天皇がポツダム宣言と無条件降伏を受け入れると発表した、その日までの日数。
▽ 2
二度目の原爆投下目標の候補地、いずれも九州の長崎と小倉。 長崎が選ばれたのは、当日の天候のため。
▽ 20億ドル
アメリカ合衆国が行った原爆研究開発プログラム、「マンハッタン計画」に費やされた費用総額の概算。
▽3
原爆の開発に関わった研究施設の数
オークリッジ国立研究所(テネシー州)、ハンフォード・サイト(ワシントン州)、ロスアラモス国立研究所(ニューメキシコ州)。
▽ 17
マンハッタン計画参加時点ですでにノーベル賞を受賞していた、あるいは後にノーベル賞を受賞した科学者の人数。
▽ 18,000
1945年7月16日にニューメキシコの実験場で爆発した原爆は、TNT火薬18,000トン分の威力を持っていました。
▽1,800フィート以上
広島市上空で、爆撃機B-29「エノラ・ゲイ」が、広島原爆「リトルボーイ」を投下した高度は、地上約1,800フィート(600メートル)でした。
▽ 9,700ポンド(約4.40トン)
広島原爆「リトルボーイ」の重量。
▽60,000フィート(約18,000メートル)
長崎原爆「「ふとっちょ」」が生成したキノコ雲の高さ。
http://edition.cnn.com/2013/08/06/world/asia/btn-atomic-bombs/index.html?hpt=ias_t3