ホーム » エッセイ » 【 世界に蔓延する暴力・状況をさらに危険にする過剰反応 】
理不尽な暴力に苦しみ続ける世界にあって、日本は著しく安全
『危険な現実』に対する誤った対応は、弱い立場の人々に無用の不信感と恐怖心を植えつける
エコノミスト 7月30日
理不尽な暴力に苦しみ続ける世界にあって、日本は著しく安全です。
強盗事件は珍しく、殺人事件の発生率も低い状態を保っています。
警察は1億2,600万人の人口を抱える国で発生した、昨年の銃犯罪の被害者は1人であったことを発表しました。
日本で怒りや狂気に支配された人間が選択し得る武器はナイフです。
7月26日一人の若い男が障害者施設に押し入り、この数十年間で最悪の大量殺人事件を引き起こしたとき、その手に握られていたのもやはりナイフでした。
犯人はベッドに横たわる40人の障害者を次々とナイフで刺し、19人を死亡させました。
大部分の犠牲者の致命傷は首に集中していました。
警察は元施設職員だった26歳の植松聖容疑者の単独犯行と見ています。
犯人は自首した後、現在逮捕勾留されています。
植松容疑者は、障害をもった人々を殺すと繰り返し脅迫していました。
今年2月、植松容疑者は他人の介護を受けなければ生きていけない人々はすべて安楽死させるべきだという計画について説明する手紙を書きました。
植松容疑者はこの手紙を自ら参議院議長の自宅のポストに投函しました。
どこの国の人間であれ、大量殺人を犯す人間の病理学的特徴には固有のものがあります。
ほとんどの場合犯人は若い男であり、行動を駆り立てているものは怒りとテストステロンです。
多くの場合、大量殺人という愚劣で許しがたい行動の伏線になっているものは、犯人自身をその日常 –たとえば失業している等 - から解放したいという衝動です。
何本もナイフを入れたバッグで武装した植松容疑者が真夜中車を運転して福祉施設に到着した際、彼は自分の脳裏にあるものを明確に認識していました。
植松容疑者は障害者に接する際の態度を問題とされて解雇されたと伝えられていますが、それ自体は驚くべくことでも何でもありませんが、本人の心の中には障害者に対する悪意が潜んでいた可能性があります。
植松容疑者に対しては今年始め短期間の強制入院の措置が取られましたが、その後は家族の世話に任せられることになりました。
今回の事件により、日本ではバブル崩壊後の世代、日本の停滞が続いている時代に成長した子供たちに対するより多くの詳細な調査を誘発することはほぼ間違いありません。
2008年6月、当時25歳だった加藤容疑者が東京都内の歩行者天国を歩いていた大勢の買い物客の中にトラックで突っ込み、その後トラックから飛び出してナイフで大勢の人にナイフで切りかかり、7人を殺害しました。
加藤容疑者は身分保障が不安定な非正規雇用労働者であり、25歳にしてすでに自分の人生が渦を巻くようにして落ち込んでいく一方であるかのような感覚を持っていました。
彼は犯行後、こう語りました。
「私が犯した犯罪の全責任は、(社会にではなく)自分自身にあります。」
加藤容疑者による大量殺人事件の後、刃渡り6cm以上のナイフを持ち歩くことが禁止されるなど、こうした残虐な事件は厳しい規制が導入されるきっかけとなり、日本も世界の他の場所同様安全ではなくなったという感覚を抱かせるようになったのです。
しかし統計結果は異なる事実を伝えています。
犯罪の発生件数は、昨年、戦後の最低を記録しました。
そして日本は、他のほとんどの先進国の中で、市民が投獄されている割合は最低です。
もっとも危険なのは、過剰反応です。
2001年大阪で学校の元事務員が、包丁でおおさかでを使って8人の小学生を殺害しました。
宅間守の残虐な行為は、今日専門の警備員がいくつかの学校の外で警備の目を光らせる環境を作りだしました。
これは何百万という子どもたちに、今生きている世界は恐ろしい場所なのだという事を印象づける悲しむべき光景です。
事件の後日本最大の発行部数を持つ読売新聞は、知的障害者の施設がこうした先例に倣う可能性があると伝えていました。
確かに障害者の施設は害意のある者の侵入などは想定してはおらず、門もドアも侵入不能と言う訳ではありません。
しかし設備面での警備をいくら強化しても、社会の中での自分の不安定な立場に苛立ち害意を抱いた人間から誰かを守るという事は、きわめて難しい問題です。
http://www.economist.com/news/asia/21702806-massacre-care-home-risks-provoking-overreaction-still-safe
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +
【 放射線が子どもたちを攻撃するメカニズム・第2部 】の連載途中ですが、一回この原稿を間に入れさせていただきます。
【 放射線が子どもたちを攻撃するメカニズム・第2部 】《3》は8月5日に、以降順番に再び連載させていただきます。
日本の社会において外される若者を作ってはならないという主張を、エコノミスト誌は年来繰り返してきました。
疎外されて孤独感を募らせ、やがて自分を受け入れない社会に対し害意を抱くようになる、その連鎖を作ってはならないという事です。
今回の事件は少し性格が異なる可能性がありますが、暴力の問題の根幹であることは納得できます。
これに対し日本のメディアはどうだったでしょうか?
私が最悪だったと思うのは、日本のメディアがこぞって『勝ち組、負け組』という『分類』をしたときでした。
経済的成功を手にしたものだけが『勝ち』という判断、そこには英知も何もあったものではありませんでした。
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +
【 アウシュヴィッツで黙とうを捧げたローマ法王フランシス1世 】
ロイター / アメリカNBCニュース 7月29日
7月29日金曜日、ポーランドのアウシュヴィッツ強制(絶滅)収容所の入り口ゲート近くのベンチで、フランシス法王は背中を丸め、第二次世界大戦中ナチス・ドイツ軍によって毒ガスを使って殺害されたユダヤ人を始めとする150万人の犠牲者に黙とうを捧げました。
世界中のカトリック信者の若者が集う大会のためにポーランドを訪れたフランシス1世は、滞在3日目、101歳の女性を含むアウシュヴィッツの生存者12人と静かに会話を交わし数分間一緒の時間を過ごしました。
生存者の1人の男性が、他の囚人とともに収容所内で撮影された自分の写真を差し出し、法王にサインを頼みました。
心を傷めていた様子のローマ法王は、生存者ひとりひとりにキスしました。
アルゼンチン人の生まれの79歳の法王はアウシュヴィッツ内の単調な通路を通って絶滅収容所内を見て回りましたが、改めて声明などを発表することはしませんでした。
ポーランドを占領していたドイツ軍はポーランド第2の都市クラクフ郊外にアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所を準備しました。
1940~1945年、アウシュヴィッツはバラック、作業所、ガス室と火葬場などから形成される総合施設へと巨大化して行きました。
アウシュヴィッツへの訪問者のためのノートに、フランシス1世はスペイン語で次のように書き込みました。
「主よ、人々に慈悲をお与えください。 主よ、人間をこうした虐待行為から解き放ってください。」
http://www.nbcnews.com/news/world/pope-francis-offers-silent-prayer-auschwitz-n619726