ホーム » エッセイ » 【 原子力発電と戦い続ける一匹狼、日本の元首相 】《後篇》
原子力発電については民進党も自民党と同じ推進の立場、選挙で国民が敢えて投票するはずがない
政治的立場が保守であっても、原子力発電には反対するという立場をとることは出来る
モトコ・リッチ / ニューヨークタイムズ 2016年12月31日
政治的問題で国民の抵抗がこれほど長く続くことは日本では珍しいと言わなければなりません。
一部のアナリストは、それこそは原子力発電への反対機運が衰える気配がないという事を意味しているのだと見ています。
「人々は自分たちの生活は自分たちの力で守らなければならないと考えたのです。だからこそ人々はあれだけの直接行動を実現させたのです。」
上智大学の政治学者である中野孝一教授がこう語りました。
外見上は原子力発電への反対運動は休止状態に見えるかもしれません。
「しかしそれは現在、マグマのように内に秘められているだけかもしれません。」
中野教授がこう続けました。
「再び人々が直接行動に打って出る可能性もあります。政治的変革を求める別の大規模抗議行動が実現されるかもしれません。」
最近では原子力発電に反対する機運が地方に広がりつつある兆候も見られるようになりました。
2016年10月、世界最大の原子力発電所が立地する新潟県で行われた知事選挙では、この発電所を経営する東京電力に対し、同社が引き起こした福島第一原発の事故に関する検証作業が完了しない限り、再稼働を認めないと公約した米山隆一氏が当選しました。
米山氏の場合も小泉氏同様、所属する政治勢力の方針より反原発の気運を優先した実例のひとつになりました。
新潟県知事選に立候補する以前、米山氏は自由党民主党の国会議員候補として立候補した経験を持っています。
自民党党首で保守派のリーダーであった小泉氏が原子力発電に反対する立場を明確に打ち出したことが、こうした行き方を切り開いたと言えるかもしれません。
「原子力発電への反対運動が始まった当初、原子力発電は保守派とリベラル派の争点の中でも代表的なもののひとつでした。」
弁護士であり反核活動家として活躍する海渡雄一氏がこう語りました。
「小泉氏が公の場ではっきりと原子力発電への反対を表明したことにより、政治的には保守であっても原子力発電には反対するという立場をとることが出来るという事を保守派の人々が理解することになったのです。」
『トモダチ作戦』に従事した後様々な疾病を発症した米国海軍の将兵をサンディエゴに見舞った後、小泉氏は現在の野党である民進党の党首として首相経験を持つかつてのライバル、そして現在は無所属の細川護煕氏とともに、100万ドルの医療費の募金を集めるために日本全国を旅しました。
現在カリフォルニア州サンフランシスコの第9米国控訴裁判所で行われている空母ロナルド・レーガンの乗組員による訴訟そのものには、小泉氏は関与していません。
この訴訟について東京電力はその扱いを日本国内に移管させるよう取組を行っています。
この裁判の原告団となっている米軍将兵に小泉氏を紹介したのは、日米両国を活動の場としているフリージャーナリストのエイミーL.ツジモト氏と彼女の夫で、現在は京都に住んでいるアメリカ人僧侶のブライアン・ビクトリア氏です。
この稿の冒頭に登場したツェラー軍曹は鎮痛剤を服用し、さらには治療のため鍼灸やリンパ節マッサージ等の治療も行なったことがありますが、そうした彼の実情について真摯に話を聞いてくれたのは小泉氏が初めてだと語りました。
「私のかかりつけの医師や病院のスタッフ、あるいは現在一緒に働いている医療関係者や合衆国政府の担当者にあってきましたが、私の症状について話をして明らかに心を動かしたのは小泉さんが初めてです。」
現在はサンディエゴにある海軍医療センターで働いているツェラー軍曹がこう語りました。
「小泉氏は私が話すひとつひとつの言葉に注意深く耳を傾け、その目には誠意が溢れていました。これまでそんな人には会ったことがありません。小泉氏は私だけでなく他の多くの兵士の話も聞き、みんな健康面においてきわめて厳しい状況に置かれていることを理解してくれました。」
引退して以来、トレードマークであったライオンのような頭髪が今ではすっかり白くなってしまいましたが、小泉氏はサンディエゴで海軍の兵士たちに実際に話を聞いて以来、彼らの健康被害と放射線被曝の間に直接の因果関係があるという事を確信したと語りました。
「彼ら海軍の兵士たちは本来とても健康な人々でした。」
「しかし今や様々な異常に見舞われています。もともと健康だった彼らが、たった4、5年でこれほど深刻な病気に見舞われるなど通常では考えられない事です。」
「私は米国政府も日本政府も、何事かを隠していると考えています。」
小泉氏はこのようにつけ加えました。
日本国内の多くのエンジニアが日本は二酸化炭素の排出量を減らし、火力発電の燃料として輸入しなければならない原油や天然ガスへの依存を減らすためにも国内の原子力発電所を再稼働すべきだと主張していますが、小泉氏の立場については科学的でないと批判しています。
「彼は非常に劇的な人です。」
東京工業大学の先進エネルギー国際研究センター(AESセンター)の柏木孝夫教授がこう語りました。
「しかし彼には抱いてる感情の量と同じだけの原子力にかんする基本的な知識はありません。」
小泉氏が空母ロナルド・レーガンに乗り組んでいた米国海軍の兵士たちについて語るとき、どのような感情を抱いているのかはすぐにわかります。
黒やグレーのスーツ姿ばかりが目立つ日本社会の中で淡青色のギャバジン・ジャケットを着た小泉氏ですが、彼らが『トモダチ作戦』に従事し、その後日本を去ってから健康面できわめて厳しい状況に追い込まれてしまったにもかかわらず、それでも日本という国を愛していると語ったくだりに差し掛かると声を詰まらせました。
「彼らは、日本人を助けるために最大限の努力をしました。」
こう語った小泉氏は目にいっぱいの涙がたまったため、次の言葉を口にする前に一度深呼吸をしました。
「私はもはや日本政府の人間ではありません。しかし何もせずにいることなどできません。」
〈 完 〉
http://www.nytimes.com「A Maverick Former Japanese Prime Minister Goes Antinuclear」
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核廃棄物の問題に手をつけないまま、将来の世代にツケを回すことは許されないことであるはず【 日本の核廃棄物問題 – 埋蔵処分施設の可能性と危険性 】AP( http://kobajun.biz/?p=19159 )
という記事がありました。
再稼働を進めようとしている安倍政権は、70年前のことには異常な程のこだわりを見せますが、70年後の世代が直面させられるはずのゲンパツが出す核のゴミ、核廃棄物問題にはどんなこだわりも持っていないようです。
そして
廃炉、除染、放射性廃棄物を隔離保管する問題に、これ程苦しめられる事になろうとは、誰も考えていなかった【 フクシマのトリプル・メルトダウン後の世界 : 再び事実の歪曲が始まる 】フェアウィンズ( http://kobajun.biz/?p=26077)
という問題の存在も福島第一原発の事故後、ずいぶん早い段階から行なわれてきたはずです。
そのいずれにも革新の持てる答えが得られていないのに、
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【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《2》
アメリカNBCニュース 1月16日
バプティスト派キリスト教の牧師であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、人種的な正義の実現を飽くまで平和的手段にのみ訴え続け、市民権(公民権)運動を前進させました。
しかし彼は1968年、暗殺という最悪の暴力によって生涯を終えることになってしまいました。
1956年5月13日アラバマ州ントゴメリーの教会で説教をするキング牧師。(写真上)
1956年12月21日、キング牧師らが主導したバス・ボイコット運動に対し、最高裁判所が白人と黒人の扱いを平等にするよう命令が実行され、バスに乗るキング牧師と運動に参加した人々。(写真下・以下同じ)
1957年8月13日に、NBCのワシントン支局で報道番組「ミート・ザ・プレス」に出演の際、メーキャップされるキング牧師。
1962年8月31日ジョージア州のオールバニー刑務所から解放され自宅に戻る40人のシカゴ市民の合唱に加るキング牧師。
彼らは差別に抗議してシカゴ市役所の前で徹夜で祈祷の儀式を行ったとして逮捕された75人(大部分は聖職者)の中の人びとです。
1963年3月17日アトランタの自宅のキング牧師と妻のコレッタ・スコット・キング、そして子供たち。
)は彼らのアトランタ家に彼らの4人の子供たちのうちの3人と座ります。
子供たちは左からマーティン・ルーサー・キングIII世5歳、デクスター・スコット2歳、ヨランダ・デニス7歳。
http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546