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記憶から消されていく原発難民、立ち上がった映画製作者たち
早々と『フクシマを捨ててしまった』日本の大手メディアに代わり、彼らは立ち上がった
ワシントンポスト 2月28日
指定避難区域内のかつては自分の持ち物だった、何もかも朽ち果ててしまった農場、そして中が空っぽになってしまった店舗を、白い防護服を着て訪れた人々にとって、線量計が絶えず立てるカチカチいう音は、その不安な気分を煽ります。
そして体育館の床に毛布にくるまってうずくまる人々は、補償、そしてもっとましな場所への移動の声がかかることを、ひたすら待ちわびています。
2011年3月に発生した大災害を見て、勃然と映画製作に立ち上がった独立系の映画会社の作品には、犠牲者になった人々の行く末いつまでになるかわからない悲劇を語る、このような場面が次々と現れます。
しかし制作者たちが感じた思いは、日本の大手メディアには完全に無視され、行政当局はしばしば沈黙をもって応えます。
地震と津波が引き起こした大災害から2年、日本の映画界の創造的精神から生み出された数々の映画は、チェルノブイリ以来最悪の原子力発電所事故の恐ろしさを伝えるだけではなく、被災者となった人々の窮状を世界中の観衆に伝えることにより、被災者の思いを受け止め、そして勇気づけたいという動機にも満ちています。
映画の製作者たちは、これらの映画が世界中、そして日本の観衆に与える影響は、日本を変えていく力にもなり得る、そう語っています。
これらの作品を見てまず感じることは、人間ならそうあるべきだというメッセージを伝えているという事です。
政治家も、科学者も、そして原子力発電の規制当局も、福島第一原発の事故について真実を語りません。
そして日本の国民の多くが、福島についてはもはや終わった事として片づけ、その視界から追いやろうとしています。
だからこそ映画を作る必要があった、制作に関わった人々が口を揃えました。
「日本の反応はあいまいな態度に終始し、そして無責任です。時間ばかりが無駄に過ぎていくのです。」
『Nuclear Nation(邦題 : フタバから遠く離れて)』を制作した舩橋淳(あつし)監督が語りました。
故郷から遠く離れた場所で、現在も避難生活を送っている福島第一原発が立地する福島県双葉町民の日常を描いています。
双葉町は全町が立入禁止になりました。
津波が福島第一原発の冷却システムを稼働不能に陥らせ、3基の原子炉がメルトダウンした結果、双葉町は大気も、水も、そして土地も大量の放射性物質で汚染されてしまったのです。
福島第一原発の原子炉の廃炉、汚染除去作業の完了までは、何十年もの月日がかかります。
避難を余儀なくされた福島県の全市町村の中で、双葉町が選んだ避難場所は福島第一原発から最も遠い地点になりました。
東京近郊、埼玉県内の廃校になった高校の校舎です。
その選択は放射性物質の危険性に対する鋭敏な感覚と、双葉町の人々に原子力発電所は安全である、事故など起こさないと繰り返し言ってきた、東京電力や政府機関に対する根深い不信の念を際立たせることになりました。
レヴィもノーランドも、被災地でボランティア活動を行いました。
アッシュが制作したドキュメンタリーは、福島第一原発近くで暮らさざるを得ない子供たちの窮状と、国や県の医療関係機関が放射線の危険性についてウソを言っているのではないかという疑いを持つ、母親たちの怯えに焦点を当てた作品になっています。
「私は日本は今、新しい政権の下で単なる復興だけではなく、国そのものを改革すべき時に来ていると考えています。」
ノーランドがこう語りました。
彼もまた、他の人々と同じように、福島の子供たちについて大きな懸念を抱いています。
「日本の人々とともにそれを成し遂げたい、その思いで映画を製作した事を日本の人々に理解して欲しいと考えています。」
舩橋監督の『Nuclear Nation(邦題 : フタバから遠く離れて)』は、ベルリン、ソウル、スコットランドのエディンバラを含む国際映画祭で上映され、原発難民として故郷を去らなければならなくなった人々の絶望の思いを、リアルタイムに徹底的に描き切っています。
カメラは毎日配られる、箱に入った冷え切った食事をクローズアップします。
舩橋監督は福島第一原発の周辺で暮らしていた160,000を超える人々が住みなれた家を捨てなければならなくなったのに、事故後何か月たっても日本政府が補償を行おうとしていないことに憤慨しています。
政府がやったことは、狭苦しい仮設住宅の中に人々を押し込め、最低賃金を基礎に積算した補償金の支給だけでした。
『Nuclear Nation(邦題 : フタバから遠く離れて)』の感動的なシーンでは、原発難民となった渡辺正芳さんが車の座席に座り、タバコに火をつけカメラに向かって直接語りかけます。
不思議なことに、どんなハリウッド・スターにも負けない程の『名演技』を見ているような錯覚に襲われます。
「私たちの町は消えてしまいました。単なる場所になってしまったのです。」
彼は考え込むようにしてこう語りました。
この映画は埼玉県内の校舎に、1,400人が収容されたシーンから始まります。
やがて少しずつ人々が去っていき、現在は100名程に減りました。
から始めました、しかし、それはおよそ100まで最近減少しました。
舩橋監督は最後の1人が去っていくまで、カメラを回し続ける覚悟です。
「避難民の人々のことは、日々忘れられて行っています。」
舩橋監督がこう語りました。
「そして刑事責任についても、忘れられたままになっています。」
人気監督の園子温(そのしおん)氏の『希望の国』は監督自身が脚本も手がけました。
普段の冷酷な暴力をアバンギャルドに描く手法から離れ、未来に起きる架空の原子力災害がきっかけで自殺する高齢の夫婦の姿を、連続ドラマ風に描いています。
同じく園監督の『Himizu(ヒミズ)』は成人指定の映画で、架空の世界、津波によるがれきに覆われた希望を失った日本を舞台にしており、より園監督らしい暗い作品となっています。
この作品は、将来この国の放射能汚染と向かい合いながら暮らさなければならなくなる若い世代に対し、今の大人たちが無責任、残酷、そして虐待も同様の行為を行っていると批判しています。
松林陽樹監督はその作品『相馬看花 奪われた土地の記憶』で故郷を追われた南相馬の住民にインタビューを繰り返す、よりドキュメンタリーらしいオーソドックスな手法を用いています。
松林監督は、体育館を間仕切りして作られた一時避難所の中に入っていく避難民の姿、あるいは捨ててきた自宅に一時帰宅する姿を、ビデオ・ジャーナリストとして忍耐強く追い続けます。
日本の大手メディアは避難区域の中のことなど、とっくの昔に捨ててしまいました。
それを目の当たりにした松林監督は、フリーランス特派員同様、世の中に真実を、特にすべての望みを絶たれてしまった高齢の避難民のために、立ち上がりました。
「これまでも私は何度かドキュメンタリーを手掛けた経験があります。しかし福島第一原発の事故が発生した時、これだけは別だ、何としても現場に行かなければならないと思ったのです。」
松林監督がこう語りました。
「いったん現場に行ってしまえば、長い間そこに留まることになることは始めからわかっていました。その場所にじっとして、発信を続けなければならなくなると。」
▽ 大切なメッセージ
「この大災害、未曽有の危機を生んだものは人間の傲慢さにほかなりません。」
松林監督の言葉です。
「私たちは自然ですらコントロールできると考えていました。その考えがこの事態を生みました。私たちの生活は福島県で作られる電気に頼っていました。知らなかった、気にしていなかった、などという言い訳は通りません。それが私がこの映画を製作した動機だと思っています。」
そこで起きていることがもっと単純だったら、おそらく映画を製作することは無かっただろうと、松林監督が静かに語りました。
他の人々は、福島にもっと目を向けてもらうために映画を製作したと語っています。
ドキュメンタリー映画監督の鎌仲ひとみさんは、核=原子力の問題にずっと取り組んできました。
これまで誰も光を当ててこなかった日本の核再処理施設、そして米軍が使用した劣化ウラン弾が原因と思われる問題に取り組んできました。
彼女の映画、『内部被ばくを生き抜く』は、チェルノブイリ、広島、イラク、そして福島について研究し、放射線が引き起こす健康障害について警告を行う4人の医療専門家の見解をまとめたものです。
今関あきよし監督が2003年に制作した『カリーナの林檎 チェルノブイリの森』は、一人の少女が祖母の林檎園で栽培された放射能に汚染された林檎を食べ、放射線障害を発症してしまう姿を追ったものです。
この映画は監督が信じる所のものを形にしたものでしたが、監督が逮捕・収監される事件が発生し、自身の判断により一般公開はされませんでした。
しかし2010年、今関監督は翌2011年がチェルノブイリの事故発生から25年目にあたることから、再編集の上、公開の準備を始めました。
その時、3.11が発生したのです。
再編集された作品では、福島の自然風景によく似た湖と森に彩られたウクライナの景色が、そしてガンに冒されてしまった子供たちのやつれ果てた表情が、多くの日本人の心を打ちました。
映画は日本の古典作品のように静かに展開して行きますが、出演者は全員ベラルーシ、そしてロシアの人々です。
しかし福島では繰り返し上映され、たくさんの高い評価を得ました。
「観ていた人たちは、みんな泣いていました。」
今関監督がこう語りました。
福島とチェルノブイリの良く似た状況が人々の心を打ったのだ、今関監督はそう確信しています。
そして彼の作品『カリーナの林檎 チェルノブイリの森』は、放射線がもたらす悲劇をドラマ化したものなのだという事を強調しました。
「将来を見通せないという事は、混乱に拍車をかけます。たくさんの家族が、かつての幸せな暮らしに戻れなくなってしまうのです。」
『Nuclear Nation(邦題 : フタバから遠く離れて)』
英語版公式サイト : http://nuclearnation.jp/en/
日本語版公式サイト : http://nuclearnation.jp/jp/
『Surviving Japan(生き抜くための日本の戦い)』
公式サイト : http://survivingjapanmovie.com/
『Pray for Japan(日本への祈り)』
公式サイト : http://prayforjapan-film.org/
『In the Grey Zone(避難準備区域の中で)』
『A2』
イアン・トーマス・アッシュ公式サイト : http://www.documentingian.com/
『津波と桜』
公式サイト : http://thetsunamiandthecherryblossom.com/
『希望の国』
予告編 : http://www.youtube.com/watch?v=XPv3BX39dPk
『Himizu(ヒミズ)』
公式サイト : http://thirdwindowfilms.com/films/himizu
『相馬看花 奪われた土地の記憶』
公式サイト : http://www.somakanka.com/eng.html
予告編 : http://www.youtube.com/watch?v=EMeMk38tyrs
『カリーナの林檎 チェルノブイリの森』
公式サイト : http://kalina-movie.com/
記事の掲載元は下記URLでしたが、現在は記事そのものが削除されています
http://www.washingtonpost.com/entertainment/movies-made-after-japans-tsunami-and-nuclear-disaster-tell-stories-of-its-forgotten-victims/2013/02/27/0556f6a6-8147-11e2-a671-0307392de8de_story.html
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「3.11を題材にこれだけ素晴らしい作品が次々編まれているにも関わらず、日本の大手マスコミは例によってまた無視を決め込んでいる。
何なんだろう、この連中は…。このままでは心ある映画制作者たちが報われない。」
この記事を書いたワシントンポストの記者は、そう思ったかどうか。
残念ながらワシントンポストは掲載記事の削除が早いので、元の記事はもう掲載されていません。
ワシントンポストがここまでまとめて紹介してくれたことに、まずは感謝です。
3月から日曜日を休刊日にさせていただいておりますので、今週最後の記事になります。
次週は月曜日から【実録トモダチ作戦・第2部を3回に分け掲載致します。】