ホーム » エッセイ » 【 イスラム国はなぜ、残虐な殺人を続けるのか?日本人が敵としているのは、いったい何者なのか? 】《後篇》
その正体は世界中から殺人嗜好者を集め、殺人そのものが目的化してしまった狂信者集団
神の名の下に崇高な使命を遂行すること、すなわち連続殺人を続ける事こそ究極の目標
ジョージ・パッカー / ニューヨーカー 2月3日
イスラム国はなぜめったやたらと、世界中の国々に向け宣戦布告するのか?
こうした疑問が生じることは当然です。
次に彼らがどのような行動に出るのか、そしてどの程度の戦闘能力・統治能力を持っているのかを明らかにしたいと、誰もが考えていることでしょう。
しかしイスラム国は通常の論理プロセスを受け付けず、世界が認識を共有する費用対効果分析に基づいて行動している訳でもありません。
彼らは損失を惜しむことも無く、状況に応じて野心を小さくすることもありません。
驚くべきことにイスラム国は自分たちがカリフ、すなわちムハンマドの代理人であると自ら主張し、他のイスラム教徒に限らず世界に衝撃を与えましたが、妄想というのも愚かしい、馬鹿も休み休み言えというのが大方の反応です。
しかしイスラム国にとってその主張こそは正真正銘の本音であり、世界中から新兵を呼び寄せるための最大のプロパガンダなのです。
彼らは目的達成のため、政治理論や正規軍の力ではなく、黙示録のシーンが思い浮かぶような驚愕と衝撃を多用します。
イラク第2の都市モスルが今年6月イスラム国に占領され、アメリカ政府に衝撃が走りました。
その後しばらく、バグダッドの陥落も視野に入る程の勢いを示していました。
2カ月後、今度はシンジャール山岳地帯で暮らすヤジド派の人びとへの大量虐殺を目的とした攻撃が発生、良心のかけらも感じられないその様子に世界が衝撃を受けました。
そしてこの時、人質の首を切り落とす悪名高い処刑が始まり、西側先進国は再度衝撃を受けることになったのです。
そして2014年1月、後藤健二氏の断頭が、日本に衝撃を与えました。
遅かれ早かれ、誰もがイスラム国の真の姿を目の当たりにすることになっていたのかもしれません。
しかしイスラム国がもし、『有志連合』への参加国数をこれ以上増やさないようにすること、あるいは連合からの脱落を促そうとしていたのであれば、その戦術はこれまでは成功していません。
最終的にイスラム国を他のテロリスト集団と同一視することにこだわり続けることは、あまり懸命な事ではありません。
人質の首を切断し、その様子を動画で公開するやり方はイスラム国の前身である『イラクのアルカイダ』の設立者、アブー・ムスアブ・ザルカーウィーが考案したとされていますが、その残忍さについてアルカイダさえ苦言を呈していたと言われています。
アフガニスタンとパキスタンの国境の山岳地帯に隠れ潜むアイマン・アル・ザワーヒリーは、もはやイスラム国の動向とは無関係なのでしょうか?
少なくともザルカーウィーは自分の役割を熟知していたと考えられます。
そして彼はそれを着実に実行しました。
現在イスラム国の所業が一層残酷なものになっているのは、ザルカーウィーの後継者たちに責任があります。
今回の事件のポイントは、行なわれる暴力に制限をくわえれば、達成されるものにも限界が生じるという事実です。
暴力こそが目的化してしまっているのです。
そしてそれは酷ければひどい程良いのです。
イスラム国は建国運動の仕上げとして、何千人もの人間を殺すわけではないのです。
殺人こそが最終目的なのではないでしょうか?
神の名の下に崇高な連続殺人を行う事こそ、彼らの究極の目標なのではありませんか?
彼らが現実に行っている大量処刑こそは、イスラム国の持っている本当のビジョンに関わる重要な証拠だと言わなければなりません。
『カリフ』の呼びかけに対し、中東・北アフリカはもちろん、ヨーロッパ、アメリカからも安全で快適な生活を捨ててまで、この恐ろしい目的を達成することに若者たちがひきつけられていく現実を無視するわけにはいきません。
これ程残忍な行為が行なわれることに対し、世界各地から新たに集まった若者たちは後悔していないのでしょうか?
事実は逆なのです。
極端な暴力行為こそが、若者たちをイスラム国に集める原動力のひとつになってしまっており、その数は増大を続けています。
昨年ヴァイス・ニュースが、シリアの領土内にあるイスラム国の首都ラッカでドキュメンタリー番組を制作しました。
この中で衝撃的だったのは、各国から集まったイスラム国の戦闘員の顔に浮かぶ満足げな幸福感でした。
彼らが犯すリスクはきわめて大きなものですが、代わりに得ているものはありふれた連帯感とそう変わるものではありません。
彼らを人間として極めて危険な存在としているものは、理想主義でしょうか?
こうした意味でイスラム国はこれまで存在した全体主義国家とも国権主義国家とも異なります。
いわば大量虐殺狂信集団とも言うべき存在なのです。
通常こうした狂信主義者は他の人間をひきつけることは無く、その脅威も限られています。
周囲に危険をもたらす前に、自滅の危険をはらんでいます。
しかし絶対の正義を実現するためと称しながら、手段と目的がごちゃまぜになり、気がつけば理想の実現のため大量の死体の山を築いた例は、歴史上すべての社会においてみられる事なのです。
イスラム国は一部地域における氾濫、あるいは世界的規模のテロリスト・ネットワーク、そのいずれでもありません。
しかしその両方の要素を持っています。
建国の理念、そして軍隊、その両方に狂信的殺人願望が脈々と息づいています。
過去にこうした実例が無かった訳ではありません。
犠牲者の数に諸説はありますが、カンボジアで100万人以上を虐殺したとされるクメールルージュも、大衆運動の形をとった前衛的狂信者集団でした。
イスラム国は殺人イデオロギーによって統治される現代社会における特定の体制に似ている一方、これまで見たことも無い何かをはらんでいます。
ユーチューブを使った残忍な公開処刑を行うなどの行為は、彼らに対する分析を困難なものにしています。
しかし今や必要なことは行動の意味を分析したり、次に起きる事件を予測することではありません。
歴史が教えているのは、この集団がなおも成長を続け、長く世にはびこる可能性があるという事です。
そしておそらくは自滅することも無いだろうということ…
誰かに滅ぼされない限り、イスラム国は生き続けることでしょう。
〈 完 〉
http://www.newyorker.com/news/daily-comment/isis-murdered-kenji-goto
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この結論を読んで、《前篇》を再度ご覧いただくと解ることがあります。
それはイスラム国のクルド人の都市コバーニへの攻撃目的です。
ひとつは、世界各国から集まる『志願兵』のイスラム国への入国ルートの確保。
そしてふたつ目が『異端者』クルド人の大量処刑です。
コバーニが陥落しなかったことに、心からほっとする思いです。
しかし一方でこの記事が示唆しているのは、現代社会の何がイスラム国を生むのか?という事です。
固定化し、閉塞した格差社会です。
その理不尽さに対する怒りを表現することが暴力に直結してしまう、イスラム国はそんな人間たちを呼んでいるのではないでしょうか?
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【 イスラム国 - トルコ-シリア国境で高まる緊張 】《再掲載》
アメリカNBCニュース 10月21日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
トルコとの国境沿いにあるシリアのコバーニでは、9月中旬からイスラム国による攻撃が激化する中、クルド人たちが町の防衛に苦しんでいます。
10月21日、イスラム国との戦闘で死亡したクルド人戦闘員3人の葬儀で嘆き悲しむ人々。(写真上)
10月20日、自分たちが住んでいたシリア、コバーニで上がる爆発の噴煙をトルコ南東部のムルシットピナル村から眺めるクルド人避難民。(写真下・以下同じ)
10月20日の戦闘で死亡したクルド人戦闘員の葬儀。
10月20日、郊外のスルクから見たコバーニ市内の爆発。
10月19日、スルクの南東部にある避難民キャンプの中を歩く母子。
10月21日、たき火にあたる避難民キャンプの子供たち。
http://www.nbcnews.com/storyline/isis-terror/tension-mounts-along-turkey-syria-border-n230796