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最早消費者の財布のひもを緩める効果を失ってしまったクリスマス・ムード
クリスマス商戦とモノのプレゼントから離れていく先進社会の消費者
エコノミスト 2016年12月25日
グラフ左側 : クリスマス商戦の小売市場への波及効果 2000年 – 2015年
グラフ右側 : 先進各国の季節ごとの消費支出 2010年 – 2016年 左上から下に向かってイタリア、英国、日本。右上から下に向かってフランス、米国、ドイツ。
アメリカの歌手のアンディ・ウイリアムズの1960年代のヒット曲の中にIt’s the most wonderful time of the year(一年でもっとも素晴らしい季節)というクリスマス・ソングがありました。
1960年代こそそうだったのかもしれませんが、現代の先進各国の小売業者の賛同を得るのは難しそうです。
2016年、先進各国のクリスマス休暇中の小売業者は、季節調整を加えた月間売上平均よりも売り上げを15-35%程度増やしました。
アメリカだけを見てみても、消費者の支出金額の出費増加分の合計金額は750億ドル(約8兆5,000億円)以上になります。
しかし最近の傾向を見てみると、クリスマス・シーズンの買い物客はもはや楽しい気分に浮かれてばかりいる訳ではないのかもしれない、そんな傾向を示唆しています。
2000年に時点でアメリカ人は、クリスマス休暇の季節変動の影響を考慮しない測定方法を用いた場合、12月になると29%消費支出金額が増えていました。
しかし2015年には、その金額は21%にまで減少しました。
ドイツ、日本、フランスを含む他の豊かな先進諸国も、クリスマス・シーズンの消費行動の類似した低下傾向が確認されています。
ヨーロッパ諸国の中でも目立ってお祭り好きのイタリアでさえ、12月に突出していた消費金額は2000年の50%から2015年には33%にまで低下したことが明らかになりました。
最近の消費者がクリスマスにあまり心を動かさなくなったことに関しては、3つの理由が考えられます。
まず最初に電子商取引市場の成長により、消費者は一年中季節アイテムを買うことが簡単にできるようになりました。
第2の理由として、プレゼントとしてギフトカードが選ばれることが多くなったことが挙げられます。
プレゼントとしてカードを受け取った人がそれを実際に使って商品やサービスと交換するまで、ギフトカードに支払われた対価は売上として認識されません。
今やや多くの人が1月になってから、あるいはそれ以降にならないとギフトカードを使う事が無くなりました。
調査の結果、最後に若い買い物客程、伝統的なクリスマス商戦の場、実店舗の店先に姿を現したがらない傾向が、明らかにしました。
そして西暦2000年以降に生まれた世代は明らかに旅行とエンターテイメントのようなイベントやソフトウェアなどのプレゼントを喜び、『モノ』にはあまり興味を示さなくなっていることも明らかにしました。
http://www.economist.com/blogs/graphicdetail/2016/12/daily-chart-4?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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下の稿を訳し終え、自分が尊敬する歴史上の人物がマハトマ・ガンジーとキング牧師であることに改めて気がつきました。
2人とも人間としての当然の権利が弱者にも平等に与えられるべきであると、凶弾に倒される瞬間まで訴え続けていました。
そして2人とも徹底して非暴力主義を貫きました。
世界の右傾化が極端になり、排外主義、排他主義という暴力的発想が横行する今、私たちはガンジーとキング牧師が始めたと言って良いこうした運動に対する知識と理解を深める必要があると思いました。
私事で恐縮ですが、自分が愛する歴史上の人物はベートーヴェンとジョン・レノンです。
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【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《7》
アメリカNBCニュース 2017年1月16日
バプティスト派キリスト教の牧師であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、人種的な正義の実現を飽くまで平和的手段にのみ訴え続け、市民権(公民権)運動を前進させました。
しかし彼は1968年、暗殺という最悪の暴力によって生涯を終えることになってしまいました。
1967年3月25日、シカゴ市内でベトナム反戦デモ行進の先頭を歩く小児科医であり子供の行動科学分野の草分けであったベンジャミン・スポック博士とキング牧師。
スポック博士はこの時全米健全核(原子力)政策委員会の共同議長を務めていました。(写真上)
1967年3月24日シカゴ市内で市民権運動のデモを前に記者会見場で話すキング牧師。彼はこの時、次のように語りました。
「昨年の夏よりはるかに大きな規模に膨れ上がるでしょう。」(写真下・以下同じ)
1968年4月3日のテネシー州メンフィス市のローレイン・モーテルの前でキング牧師とその支持者に、法廷の許可なく予定されていなかったデモ行進を臨時に率いることを禁止する命令書を手渡すメンフィス市警察署長。
この命令は、都市清掃局員を支持して4月8日に予定されていた市の清掃局員によるデモ行進がそれ以上支持が拡大しないようにすることが目的でした。
これに対しキング牧師らは次のように答えました。
「催涙ガスも禁止命令も、私たちのデモ行進を阻むことはできません。」
1968年4月3日テネシー州メンフィス市のローレイン・モーテルのバルコニーに立つキング牧師。
この時キング牧師は、清掃局員によるデモ行進に関する戦略を協議するためにこのモーテルに集まりました。
翌日、キング牧師はこのバルコニーで射殺されることになります。
1968年4月9日アトランタ市内で催された市民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士の葬儀。葬列の先頭を歩くのは彼の家族、左から長女ヨランダ12歳、弟A.D. キング、次女バーニス5歳、夫人のコレッタ・スコット・キング、盟友のラルフ・アバーナシー牧師、次男のデクスター7歳、長男マーティン・ルーサー・キングIII世10歳。
1968年4月9日アトランタ市内のキング牧師の葬儀会場、妻のコレッタ・スコット・キングと次女バーニス。
http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546