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「報道終了後」にあえて、巨大地震と津波、福島第一原発の惨禍を記録した写真展を開催した目的とは
被災地のがれきの中から回収された写真の傷みの激しさは、被写体となった人々の運命そのものなのか…
ヴッキー・ゴールドバーグ / ニューヨークタイムズ 6月19日
巨大な自然災害が発生した後に、それらについて『芸術』写真を想像する行為には、どのような価値があるのでしょうか?
報道写真は災害の恐怖を生々しく伝えました。
それは『芸術』写真といえど、同じことでしょうか?
『岩手にて : 3.11東日本大震災への反応』( http://www.mfa.org/exhibitions/in-the-wake )
ボストン美術館で開催中の17人の日本の写真芸術家による作品展は、もはや一連の報道が終わってしまった後、あえて開催されたものです。
2011年3月11日に発生した巨大地震、残酷この上ないものとなった巨大津波の襲来、そしてそれを上回る惨禍をもたらした福島第一原発の事故発生と放射性物質の拡散について記録した彼らの作品は、こうした疑問について改めて考えさせると同時に、『報道終了後』というタイミングにあえて挑戦したものです。
ここに集まったカメラマンの中にはすでに有名な人もいますが、他はこれから、あるいは今まさに注目を集め始めた人々です。
19世紀に写真というものが誕生して以来、人々は天災と人災、その両方の大災害に関する記録を残し続けて来ました。
近いところでは9.11同時多発テロ、ハリケーン・カトリーナの被害を題材とした大規模な写真展がボストン博物館で開催されました。
しかし見えない恐怖 - 放射線の恐怖 - シュール、シンボリズム、比喩的表現を中心に据えた写真展はボストン博物館としても初めての試みになります。
表向きこの写真展のテーマは2011年3月11日です。
しかし、もっと深い場所に秘められた主題は恐怖、そして不安です。
壁に掲げられた紹介文にはこう記されています。
ここに展示されている100点近い作品は「3.11の記憶を永遠のものとするためのものである」
なぜ今回展示された作品が『3.11の記憶』にとって重要な意義を持つのでしょうか?
そのこんせぷとについて問題提起をしているのが、この展示会を企画したボストン美術館の写真部門の責任者であるアン・E・ハビンガ、そして日本の芸術作品部門の責任者を務めるアン・ニシムラ・モースです。
7月12日まで開催されるこの展示会は多くの問題をはらんでいます。
見た目にも美しい作品も数多くありますが、美学はこの際第一に考えるべきテーマではありません。
展示場に入り最初に目に入るのは、記憶と記録を保管するという写真の役割の再確認とも言うべきものです。
展示されているのは3.11の発生以前に撮影された、アマチュアたちが撮影した家族の写真です。
展示場をさらに入ると、3.11当日、日本のテレビ局が撮影したビデオを見ることが出来ます。
そこに映し出される津波は村や町を丸ごとのみ込み、恐ろしい音を立てながら一瞬のうちにがれきと残骸に変えてしまいます。
この展示会の災害のの写真が、専門家による演出とすばらしい現像技術に頼る芸術作品というだけなら、そこに見えるのは不条理な出来ごとを芸術的に表現した『混沌の世界』ということになるでしょう。
説得力のある芸術作品というまとまった感想を持つことも出来るかもしれません。
三好耕三氏の完全に破壊された村を撮影した白黒写真は意識的に客観的表現を指向し、あたかも人間の感情など入り込む余地のない程巨大なできごとが、避けることの出来ない形で襲ってくるかのようです。
しかしそれほどの出来ごとであれば、人間の心は当然強く揺さぶられます。
津波に襲われる前、畠山直哉氏は公開するつもりなどまったくないまま母が暮らしていた村の写真を撮影しました。
東日本大震災によって母の命は奪われ、村は破壊されてしまいました。
母が住んでいた家の上に虹がかかっている写真を始めとするこれらの写真は、今は別の意義を担って展示されています。
〈 後篇に続く 〉
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未だ【星の金貨】を始めていない頃、様々な英文を読んでいた中でクラシック音楽の輸入CDの解説文が一番難しいと思っていました。
ここにご紹介する記事も、翻訳するのに相当時間がかかりました。
それでも誤訳、迷訳があるかもしれません。
ご容赦ください。
この文章は後編の最後までお読みいただくと、普段読んでいる報道記事とは異なる感動がわき上がってきます。
そこのところまでお伝えできれば良いのですが…