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『令和』祝賀ムードをさんざん煽った日本のメディア、煽られた日本人

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日本のテレビ各局が競うようにして新元号に関わる『報道』を、見ていてうんざりするほど繰り返し取り上げていた理由
『新しい時代を切り拓く』、現在の日本においてその環境は整っているのか

           

           

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2019年4月3日

           

日本の新しい元号の『令和』は漢字2文字で形成され、読み書きが容易であるという点ですでに確立されている元号命名規則に準拠しています。
しかし今回の命名は数世紀に及ぶ伝統手法を採らずに、中国の古典的文学ではなく日本の古典作品に出典を求めた初めての例になりました。
この文字は8世紀以降に編集された、現存する日本最古の文学作品である万葉集に登場する梅の花をうたった詩の一節から採られたものです。
文脈の中でこの二つの漢字には「幸運」または「縁起の良い」、そして「平和」あるいは「調和」の解釈が充てられます。

         

しかしソーシャルメディアには、『令』の文字が「命令」や「指令」などの熟語の中で使われる場合が多く、政令や法令などにも使用され権威主義的な意味合いがあることに特徴があると指摘する投稿が相次ぎました。
さらに『和』は「大和」に使われ、過去軍国主義に支配されていた時代の日本で多用されていました。

            

日本は世界で唯一元号を使う国ですが、グレゴリオ暦(西暦)も一般的に使用されています。
元号はもともと中国に起源があります。

            

元号制は7世紀に始まって以来、すでに約250の元号が制定された歴史を持っていますが、近代以前は大きな自然災害が発生したり国家的危難に見舞われたりすると時代の気分を変えるために改元されることもありました。
しかし近代になると『一世一元』制が採られ、一代の天皇の間使われる元号は統一されるようになりました。
例えば第二次世界大戦中の日本の天皇には、現在日本国内で裕仁天皇ではなく、昭和天皇という表現が用いられています。

           

この1世紀の間で3度目となる今回の改元で採用された新元号は重要な意味を担わされます。
天皇の生前の譲位は5月1日に行われる予定ですが、日本の近代史の前例同様、改元は新しい時代の気分をもたらすことになるでしょう。
安倍首相は新しい元号は未来への希望とともに、日本の歴史と伝統への誇りをしっかり抱くべきだと語りました。

             

今回の命名では予想外の恩恵を被った例もありました。
西オーストラリア不動産協会(REIWA)は、そのウェブサイトへのアクセスが急増していますが、そのほとんどが日本からです。
つい最近日本のメディアの取材を受けた協会の理事長は、ツイッターに同じ名前の新時代が始まることを歓迎するというコメントを投稿し、フォロワーに対しこれはエイプリル・フールの冗談ではないと念を押しました。

            

これまでの元号と同様、『令和』も時間の経過とともに重要な国内および国内の重要な出来事と密接に関連するようになります。

            

1868年から1912年までの明治は西洋風の近代化の時代として記憶されています。
1926年に始まった昭和は日本の急速な経済成長を象徴する時代ですが、同時に軍国主義の台頭と第二次世界大戦の記憶と切り離して考えることはできません。

            

30年間の平成も昭和同様、相反する二つの感情が付きまといます。平成という時代はバブル経済の崩壊と中国との関係悪化に象徴されるでしょう。
そして東京の地下鉄への1995年のテロ攻撃、阪神淡路大震災、巨大地震、巨大津波が引き金となり福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンした2011年3月の東日本大震災は平成の名とともに永遠に記憶されることになるでしょう。

            

共同通信の調査によると、回答者の39.8%が元号と西暦年カレンダーの両方を日常生活で使い、24.3%が新元号を、34.6%が西暦を好むと答えています。

           

しかしすべての人が月曜日に発表された新しい時代の名前を諸手を挙げて歓迎したわけではありませんでした。
『令和』という文字が第二次世界大戦以前の天皇の存在を絶対とする大日本帝国への回帰を連想させるというのがその理由です。

           

「日本の社会システムはもはや天皇制によって統制されてはいません。」
中国文学専攻の京都大学の興膳宏名誉教授が共同通信にこう語りました。
「年号制はその時代その時代の人々の欲求を反映するべきものであり、なぜその年号が必要なのかということについての議論から始めるべきなのです。」

               

https://www.theguardian.com/world/2019/apr/01/reiwa-how-japans-new-era-name-is-breaking-tradition
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新元号が発表され安倍内閣の支持率が10パーセント近く上がった旨、3日付の新聞が伝えていました。
これほど日本人の政治センスを象徴する出来事はないでしょう。
テレビ局各局が競うようにして新元号に関わる『報道』をこれでもかこれでもかと、見ていてうんざりするほど繰り返し取り上げていた理由がわかったような気がします。

              

政治とは本来、力のあるものはその実力をより公正に発揮できるよう、弱者が様々な狭間に落ち込んで苦しんだり犯罪に走ったりしないよう、地味で誠実な取り組みを続けるべきものだというのが私の考えです。
この地味で苦労ばかりが多い仕事を支えるべきものは自分たちの社会をより良いものにしていきたいという真っ直ぐな情熱のはずですが、現在の日本の政治に見て取れるのは利益誘導、利害優先の在り方です。
それが人間の本然だといえばそれまでですが、歴史上こうした政治を続けた国家が衰退に向かった例が数限りなくあることもまた事実です。

             

しかし多くの日本人は、政治は派手で盛り上がりがあればそれで良いと考えているのかもしれません。
その考えにおいては経済は景気であり、構造的要因を解析して必要などはなく、誰かが派手に金をばら撒いて『景気が良く』なってくれればそれで良い。
福島第一原発事故の被災者の窮状を精査し救済方法を考えるという面倒で気分が暗くなるようなことをするより、オリンピックや万博の類をパアーッと派手にやってみんなで盛り上がった方が気分が良い。

               

神輿を派手に元気にかついで回ればそれが善政だと、考えてはいなくとも感覚的にはそう捉えている人々が多数いるのが日本人のような気もします。
そこにある日本人の『政治センス』は、祭り囃子に置いてけぼりにされることを何より恐れ、肝心の足元で何が起き何が進行しているのかを見ようとしない態度に表れています。

           

70年以上前、日本はこれ以上愚劣な体制はないと表現して良い程の軍国主義国家を作り上げ、近隣諸国の人々に加え自分たちの足元を見ようとしなかった当の日本人自身も塗炭の苦しみを味わいました。
日本人はその歴史をつぶさに検証して今日の教訓とすべきでしたが、今やその検証作業すら妨害しようという勢力が政治の中枢に居座っています。

                 

私たちの周囲に新しい時代を切り拓く環境はあるのでしょうか?

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