ホーム » エッセイ » 『ハリー・ポッター』、シリーズ最後の作品は世界に魔法をかける アメリカのメディアがこぞって取り上げる、その出来映えの良さ
ハリー・ポッターについては、私なんかよりずっと詳しくご存知の方がたくさんいらっしゃいます。
でも、記事中にもありますが、あの10歳の子供たちも10年経てば20歳の立派な大人になっちゃうんですね、当たり前ですが。
ハリー・ポッターについては、ABCワールドニュースのキャスターのダイアン・ソイヤーさんも「どんなにかわいらしい子供たちでも、いつかは大人になってしまうんですね。」とため息をついていました。
私は渥美清さんが亡くなられて、フーテンの寅さんシリーズが永遠に終わってしまったとき、本当にがっかりしてしまいましたが、同じようなため息が世界中から聞こえてきそうですね。
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『ハリー・ポッター』は、最後にもう一度、映画の世界に魔法をかける
ABC News, Review by SHEILA MARIKAR, July 15, 2011
「ぼくは、死ぬ準備ができている。」
と、「ハリー・ポッターと死の秘宝パート2」の結末に近い部分で、巨大な映画帝国を作り上げた魔法使いの少年は言い放ちます。
この厳しい表現は、最も熱心なファンの心の中にさえ、疑いを抱かせる十分な効果があります。
もちろん、ファンたちは何が実際に起きるか、それについては理解しているのですが。
この言葉は映画史上最大となったシリーズの第8作であり、最終作である作品に関する最もふさわしい表現なのです。
みなさん、ハリー・ポッター・シリーズはおしまいなのです。
作者のJ.K. ローリングが書いた事がすべてなのです。
「ハリー・ポッターには、もう続きはありません。」
しかし、何と言う終わり方でしよう。
「ハリー・ポッターと死の秘宝パート2」は現在上映中ですが、「ハリー・ポッター」を愛する人々が期待していたすべてがそこにあります。 アクションがあり、サスペンスがあります。
ちょっとしたユーモアが、ものごとを明るく浮かび上がらせる場面もあります。
2、3のひそかなロマンスさえも楽しめます。
最初の「ハリー・ポッター」の映画が大ヒットした後、3人の少年と少女は2001年以降、長い道のりを共に歩き続けました。
ハリー、ハーマオイニー、そしてロンとして、彼らは種から植物が生長して行くように、ダニエル・ラドクリフ、エマ・ワトソン、そしてルパート・グリントの3人は、強力な脇役たちにも支えられ、かわいい子供たちから演技力に優れた俳優たちに成長しました。
(たとえば、ホグワーツの代理女性校長マクゴナガル役のマギー・スミスは、この人にはつまらぬ事をして嫌われたくない、と思わせるような母性的な保護者を演じました。また、ラルフ・ファインズが演ずるヴォルダモート卿よりも迫力がある、ぞっとするような皮膚メイクを施された敵役は、これまでいたでしょうか?)
「ハリー・ポッター」の映画によく出てくる、荒涼としたおどろおどろしいシーンが連続する、迫力ある映像は見る者を圧倒します。
迫力があるというのは良い事です。
監督のデイビッド・イェーツは「ハリー・ポッターと死の秘宝パート2」において、次から次へと新しい感覚的な喜びにあなたをひたらせるような、映像世界をつくりました。
それはハーマオイニーが映画の中で、灰色のあの世の夜明けの景色の中でつぶやくように、「美しい」ものです。
一方ではまた、悲しい事もあります。
神聖な魔術と魔法を学ぶためのホグワーツ(ここからすべてが始まりました)は、魔法の杖を使った戦争で、バラバラにされていきます。
この映画は観客に感動を約束します。立ち上がって拍手したくなる瞬間、あるいは涙を流して悲しむ時間、その両方が繰り返されます。
見てがっかりするような事はありません。
ただ、シリーズの中の全てのエピソードに決着がつく訳ではありません。
過去に亡くなった人々が再び現れたりもします。
明らかな事は、この映画は、子供のためのものではない、という事です。
ここで展開されるテーマは、大人が作った大人のためのものです。
そして、燃えさかる炎とほとばしる激流から飛び出してくる迫力ある悪者たちは、たくさんの真夏の悪夢へとあなたを導きます。
荒唐無稽な物語を楽しめない程に年老いてしまっているなら別ですが、映画「ハリー・ポッターと死の秘宝パート2」では予想を超えた出来映えを楽しむ事ができます。
たとえ最終的な対決がどのように決着するかがわかっているとしても、あなたは息を殺して見ることになるでしょう。
2時間という時間は、あっという間に過ぎてしまいます。
誰も、この映画が終わってしまう事を望んではいません。
でも、もうおしまいなのです。
この映画は壮大なスケールのお別れなのです。