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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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1898年~現在、世界最悪の地震発生区域、それはどこだ?

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【 新たに制作された地図が明らかにした、1898年~現在、世界最悪の地震集中地帯とは?】

私たちの素晴らしい地球 6月28日

掲載されている写真は、クリックすれば、拡大画像を見ることができます。

あなたは「地震が一番起きやすい場所はどこか?」そして「なぜ、そうなるのか?」という疑問を抱いたことはありませんか?
一世紀以上にわたり、少なくとも本棚がガタガタいうくらい強い地震が起きた場所を、世界地図の上に一つずつ記していき、これ以上詳しいものはこの世に存在しないだろう、という地震発生記録地図が完成しました。

この地図は1898年以降、マグニチュード4.0以上の地震発生個所を蛍光色でマークし、地震の強さが増す程明るい色で表現されています。
一見するとこの地図は美しく、印象的です。
輝くばかりの光が、地球全体の地殻構造 – 陸と海の境界線をくっきりと描き出しています。
この地図を作製した、各種のデータを視覚化する業務を行う企業『IDVソリューションズ』の地図製作部門責任者のジョン・ネルソン氏は、地図を作製してみて、改めて驚くことがたくさんあった、と、[私たちの素晴らしい地球]の取材に答えました。
「まず驚いたのは、あまりにも多くの地震がこれまで記録されている、ということです。」
「太平洋をぐるりと取り囲むように、アメリカ西部のシアトルから日本を通って、ニューシーランドのウェリントンまで巨大地震発生発生の跡をたどっていくと、発生地点がほぼ切れ目なく続いています。この点が海に浮かんでいれば、ずっと歩いて行くことが可能なんです。こんなことは予想もしていませんでした。」
全部で203,186回のマグニチュード4.0以上の地震が記録されています。
そしてそれは地殻プレートの変動運動そのものを、明らかにしているのです。

▽ 地震を生み出すもの

世界中の海を横切り、曲がりくねった長い長い海底火山の列が、この地球に地殻が誕生した際の境界線を縁どっているのが解りますが、これらは一般に『スプレッディング・センター』と呼ばれています。
これら大陸と大陸の中間にある『スプレッディング・センター』が生み出す地震は、それほど強くならない傾向があります。
確認されている『スプレッディング・センター』で最も有名なのは、この地図の右端の方に見える『大西洋中央海嶺』で、大西洋の真ん中を南北に走っています。

ここから派生した『スプレッディング・センター』が太平洋に向かって、東に延びています。南アフリカ沖合の海域を切るように東進しています。そしてもう一本の『スプレッディング・センター』がインド洋から、アラビア半島西側の紅海に向かって進んでいきます。

しかし地図を一目見れば、地震が頻繁に発生する場所は他にあることが解ります。

プレートの沈み込みが発生する場所、一方のプレートが他のプレートの下に急激にもぐりこむ、あるいは沈み込む地点に、この地球で最も巨大な地震を発生させる場所が存在します。
その場所はまるでラスベガスの夜景のように、煌(きら)めいて見えます。


[3.11東日本大震災のマグニチュード9.0、それがどれほど巨大なものだったか?!]

太平洋の北部から西部に存在する地殻プレートの沈み込み地点であり、広大な巨大地震発生地帯である『リング・オブ・ファイア』、その存在こそが田とは比較にならない脅威だ、とネルソン氏が語りました。
「私は『リング・オブ・ファイア』の存在に関する、一般的な概念は持っていたつもりでした。しかしそのデータを抽出し、ひとつひとつ地図の上に落とし込む作業を続けるうち、それが他とは著しく異なっていることに気づかされたのです。」
「私は『リング・オブ・ファイア』が、どれ程強力な地震発生地帯であるかを目の当たりにし、言葉にはできない衝撃に全身が震える思いでした。」

受けた衝撃の大きさが、地図の製作にあたり、ネルソン氏に一大決心をさせました。
アメリカで一般的に作られる地図は、真ん中に大西洋があります。しかしネルソン氏は、今回の地図に限り、太平洋を真ん中に据えることにしたのです。
これより、アメリカのカリフォルニアで度々発生する地震の原因が、『リング・オブ・ファイア』に連なるものであることが、明るく輝く無数の点によって明らかにされたのでした。

2004年、スリランカ南西部の海岸を津波が襲う瞬間。衛星写真。

▽理解を助ける方法

1898年以降、何らかの理由により、記録が失われた地震が多数あることに、疑いの余地はありません。
そして1898年から今日至る過程で、地震学が取り扱う範囲と計測手段には劇的な変化がありました。
ネルソン氏は、1960年代に入ると、地震データが急に充実してくると語ります。
仮に記録に残されなかった地震の記録があったとしても、今回の地図製作により、どの場所にどれほどの地震が集中しているのか、判断は可能になったはずです。

地震に関するあらゆる情報が、インターネット上で無料で手に入ります。
アメリカ地質学研究所、カリフォルニアの大学と州当局による共同研究機関、そしてNASA。
「入手可能な記録に基づき、すべての地震がこの地図上に表現されています。そのことが、この地図のさらなる用途を教えてくれています。」

ネルソン氏自身はデザイナーとしての自らの手腕については、控えめな態度を取っています。
しかし、データを視覚化することの意義については、強調することを忘れませんでした。
今後彼の部門は、この50年の間にアメリカを襲った、竜巻の地図を製作することになっています。
地震と竜巻の地図の両方を比較検討することで、これまで知られていなかった地球のメカニズムの解明につながるかもしれません。
「その地図が完成すれば、解明すべき何かが見えてくるかもしれません。」

要は簡単なことです。
同じデータを表現している資料で、エクセルで作られた表と、色を使って塗り分けられた地図と、どちらが解りやすいか?
「見た目だけの問題のようにも思えますが、それが事実なのです。」
「そして表現方法を工夫すれば、理解はさらに容易になります。」

アメリカ海洋大気局が作成した、3.11の津波の波及の様子のコンピュータ・モデル。最大の高さの津波は仙台市を襲ったとみられる。

www.ouramazingplanet.com/3114-world-earthquakes-map.html

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【桜島噴火の瞬間の映像】
アメリカCNNニュース 7月26日

7月24日午後7時過ぎ、鹿児島県桜島の活火山噴火の瞬間。

ひとり一人の日本人の声を、今、世界のメディアが伝えている!

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金曜夜の抗議行動を、極端に制約しようとする日本の警察
【 拡大一途の、日本の脱原発!抗議行動 】

ミュア・ディッキー / ワシントンポスト 7月17日


その連鎖反応は、ゆっくりと進行してきました。
しかしこの四半世紀で最悪の原発事故が発生してから一年あまり、今や日本の脱原発への市民運動は大きなうねりとなり始めています。

この数十年間の、数万人、数十万人の市民の抵抗運動の歴史の中、2011年3月11日に襲った福島第一原発の事故をきっかけに始まった、脱原発を求めてあがり始めた人々の声は、この数週間でその歴史に刻み込まれるべき大きなうねりに発展しました。

日本政府の日本の原子力産業を再び軌道に乗せようという企て、世界で3番目の経済規模を不釣り合いなエネルギー政策、そして福島第一原発の事故があったにもかかわらず原発輸出を促進しようとする日本の原子力政策に対し、人々は抗議の声を上げ続けています。

7月16日月曜日には、警察側の発表で75,000人が参加して首都東京の代々木公園で開催された、これまでで最大規模の脱原発集会が、日本の国営放送NHKによって報道されました。

集会の主催者、参加者は、1960年代の街頭行動以降、ほとんどの国民が政治に関心を示さなかったこの国にあって、ここの所の市民運動の盛り上がりは、この国の根本的な部分が変わろうとしている兆しのように見える、と語りました。
抗議行動そのものは東京では別に珍しいものではありませんが、これまでは特定の政治問題、労働問題などにしか関わりが無く、参加者も2、3千人を超えることはめったにありませんでした。


今回の脱原発運動に参加している人々の数はまだ、1960年代の安保闘争に参加した人々の規模には届きません。
月曜日の集会の企画者の一人で、ジャーナリストの鎌田慧さんは、1960年当時と比較し、今回の脱原発行動には個人としての積極的な参加が目立つ、と語ります。
「行動を起こすのが遅すぎたかもしれませんが、やっと、ついに始まったのです。」
「日本人は歴史的に見て、自ら立ち上がる、という事はあまりありませんでした。これまで私たち日本人は、何か理不尽なことがあってもしぶしぶながらもそれを受け入れ、何とか我慢して暮らしていく、という国民でした。今、そのことが根本的に変わりつつあります。」

そして集会の組織者は、遅ればせながらも原子力発電反対運動を行ってきた様々な組織が、連携を深めるようになってきた、と語ります。

毎週金曜日に首相官邸前で開催される抗議集会には、左翼系の労働団体である全労連に加え、ソーシャルメディアによる呼びかけによって組織化された新しい活動グループが多数参加しています。
こうした連携は、この国における市民グループによる抗議活動をより組織的なものにし、さらに大きな規模での人々の参加を可能にします。全労連事務局長の小田川義和さんは、最初のうちは各組織間同士の信頼の欠如が目立っていた、と語りました。

しかし短い間でしたが、今年、日本のすべての原子炉が停止した期間が存在したことが、人々の目覚めにつながりました。
「この事実が、一気に各組織を団結させることになりました。」

さらにこの夏の電力不足への懸念から、日本の野田首相が一方的に西日本にある大飯原発の再稼働を決めてしまったことへの怒りが、脱原発を願う人々の団結をより一層強固なものにしました。
大飯原発3号機先週すでにフル稼働状態に入り、続いてもう一基、4号機も7月末には稼働を再開する予定です。


16日月曜日の抗議集会では、世論調査でも支持率が下がる一方の野田首相に対し、たくさんの参加者から抗議の声が上がりました。
『野田!国民の怒りを知れ!』、プラカードにはこう書かれていました。
そしてこのシュプレヒコールが、繰り返されるようになりました。
「野田は辞任せよ!」

最近の抗議行動への参加者数は、その数が多いこともあり、正確な数の特定が難しくなっています。
170,000人という主催者側発表数は、各国の報道関係者にとっては、多少誇張されているように感じました。75,000人というNHKが報道した人数の方が、実数に近かったように感じました。

最近の抗議行動は、月曜日の集会がそうであったように、うだるような暑さとの戦い、そして極端に行動を制限しようとする警察側の警備との、せめぎ合いの一面が見えてきました。
首相官邸の周囲では、警察側は交通の円滑な運行を優先すべき、と主張して譲りません。
そして抗議活動を行っている人々に対し、混雑した歩道からはみ出さないよう強く求め、『安全の確保』を理由に、抗議活動に加わろうとする動きを、阻止しようとする姿勢を見せ始めました。

月曜日のデモ行進では、人々は数百人以上固まらないように分断され、混雑する車道の脇を、3列になって進むように求められていました。


しかし、そうした障害にもくじけることなく、組合活動のベテランや平和運動の市民活動家が、国中から集まり続けています。
そしてこの抗議活動に参加しようとする人々は増え続け、若者から高齢者まで、幅広い層の人々が抗議の声を挙げています。

東京のオフィスで働く関口みきさんは、夫と一緒に小さな子供を連れて抗議活動に参加しました。
彼女はこの首相官邸前の抗議活動に参加する以前は、どのような集会にも参加したことは無い、と語りました。
関口さんは「少し変わってる」と言われかねないことを恐れ、集会に参加していることを誰にも話していないことを、正直に打ち明けてくれました。
しかし他の参加者同様、政府に対し、原子炉の再稼働をすぐにやめるように強く求める、彼女の信念には揺るぎないものがあります。

そして政府がその態度を改めない限り、誰も彼女の信念を曲げることはできない、と語りました。

「今こそ私たちは、行動をおこさなければなりません。政府がその態度を改めることは、多分無いと思います。それでも、私たちが今、自分ができることをすることには、大きな意義があると思います。」

http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/japanese-anti-nuclear-demonstrations-grow/2012/07/16/gJQAPXPgoW_story.html
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【 2013年の食品価格は高騰する - アメリカ農務省が警告 】
干ばつ被害、アメリカ国土の約半分で収穫できず

アルジャジーラ 7月26日


アメリカ国土の半分で続いている干ばつの被害により、2013年は食品価格が3%から4%高騰することになるだろう、とアメリカ農務省が発表しました。
「213年には現在アメリカを襲っている干ばつの被害により、日常食品の価格にインフレーションが起きるでしょう。消費者はいやでもそのことを思い知らされることになると思います。」
アメリカ農務省の経済学者であるリチャード・ヴォルプ氏が25日、こう語りました。

ミルク、卵、牛肉、鶏肉、豚肉などの価格が、今回の干ばつの影響を受け、高騰する見込みです。
中でも牛肉の価格高騰が最も顕著になるものと見られ、4~5%の価格上昇となる見込みです。

酪農製品の価格は、3.5~4.5%の上昇が見込まれます。
鶏肉と卵価格は、3~4%の上昇、豚肉は2.5~3.5%、それぞれ2013年に価格が上昇するものとアメリカ農務省は見込んでいます。

これらの数値は農民や農業関係者がこれから価格が上昇するとの警告を行ってきたことに対し、日常食料品に干ばつが与える影響について、アメリカ農務省が第一回目の試算を行ったものです。
今回の干ばつによりアメリカ中部の穀物畑で作物が立ち枯れる被害が続出し、トウモロコシ、大豆などの穀物価格がこの数週間値上がりを続けています。

アメリカ・イリノイ州、干上がった農業用のため池を見つめる農民


アメリカ農務省のヴォルプ氏は、今回の干ばつで野菜と果物の価格には影響は出ないだろう、と語りました。現在のところ、収穫は順調です。
農務省は野菜・果物について、2012年、2013年ともに値上がりは2~3%の範囲にとどまると見ています。

農務省の経済学者たちは、一カ月前に干ばつに対する警戒の必要性を認識していましたが、これほどひどいものになるとは予測していなかったと言います。
「今回の干ばつは誰にとっても予測もつかない物でした。アメリカ農務省は、今回の干ばつが襲う以前、2012年のトウモロコシは過去最高の収穫量になる、と予測していました。今やそれも夢物語です。」

シカゴ商品取引所のトレーダー、スコット・シェラディは今回の干ばつによるトウモロコシの不作は、世界の取引価格に影響を与えずにはおかない、と指摘しました。
「この20年間、アメリカのトウモロコシ輸出量は、劇的に増加し続けていましたから。」
「そこで世界中でトウモロコシの供給を、アメリカに頼っている場所で問題が発生する可能性があります。アメリカは徐々に、しかし確実に輸出を減らさざるを得ないわけですから…」

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http://www.aljazeera.com/news/americas/2012/07/2012725233059262344.html

【 フクシマvs. チェルノブイリ・生き物たちは今、どうなっている? 】

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生きていくのに、ふさわしくない場所はどちらなのか?

レイチェル・ヌーワー / ニューヨークタイムズ 7月12日


小鳥たち、そして蝶やミツバチにとって、命をつないでいくために、よりふさわしくない場所はどちらでしょうか?
フクシマ?それとも、チェルノブイリ?
片方は一年以上前に、放射性物質の放出の危険が続く、日本の被災地・福島。
もう一方は四半世紀前に発生した事故により環境中の汚染物質の蓄積が続き、突然変異の脅威にさらされている、ウクライナ共和国のチェルノブイリ事故の被災地です。

研究者は放射性物質があたり一面を覆い尽くしている、この二つの場所のどちらがそこで暮らす生物にとって危険なのか、あるいは危険性は同程度なのか、調査を行うことにしました。


「環境中に大量の放射性物質をまき散らした、という点において、チェルノブイリと福島第一原発の事故は類似しています。」
コロンビアのサウスカロライナ大学の生物学者、ティモシー・ムーソー教授が語りました。
「違っているのは以下の点です。福島の方は最初の爆発により放出された、半減期の短い放射性物質が現在はまだ環境中に大量に残っています。一方事故発生から26年が経過したチェルノブイリでは、そうした半減期の短い放射性物質はほぼ消失したと見られ、かわりに数世代にまたがる放射線被ばくによる慢性的な影響が見られます。」


これまでの研究は動物たちや植物について、原子力事故による放射線被ばくが引き起こす遺伝子の損傷、あるいは成長過程における影響について検証してきました。
しかし、ある特定の場所にいるひとつの種全体の数がどのように変化するか、という研究は行われてきませんでした。
そこでムーソー教授と彼の研究チームは、鳥類、昆虫、そしてクモの生息数について、事故直後の放射線被ばくと長期にわたる突然変異の繰り返し、そのどちらが種全体の生息数に悪影響を与えるか、調査することを決めたのです。

彼らの研究結果は、刊行された『環境指標』ジャーナルに掲載されていますが、1,198種のクモ、バッタ、トンボ、蝶、蜂、セミ、そして鳥類の生息数の変化について、チェルノブイリと福島の比較を行いました。この過程で彼らはこうした生物の生息数に影響を与える可能性のある、天候、雨量、土壌の質などについて、統計学的な調整も行いました。

調査の結果、福島では放射線量の増加と反比例して、鳥類、蝶、セミの生息数が著しく減少していることが明らかになりました。
蜂、トンボ、バッタの生息数には、放射性物質量の増大による影響は認められませんでした。
一方驚いたことに、クモは多くの種で、放射性物質の拡散とともにその生息数が増加していたのです。


この結果についてはおそらく、放射線量の高い場所ではクモがエサにしている昆虫類が弱ってしまい、捕食されやすくなったせいではないか、と研究者たちは見ています。そしてクモが初期の放射能汚染に対しては、耐性があることもわかりました。
しかし長期的に見れば、クモ、蜂、トンボ、バッタも、その生息数は減少するものと見られています。

チェルノブイリでは、環境中の放射線量の増加により、すべての生物の生息数が減少しました。
ただし、セミはチェルノブイリ付近には生息しておらず、この比較だけは不可能です。
「この結果は、放射線被ばくの直接被害、そして世代交代の際に繰り返された突然変異、その組み合わせによりもたらされたものと考えられます。」
ムーソー博士がこう語りました。

福島では事故以降、多い生物で2~3の世代交代が行われただけです。このため大型の動物では、はっきりした突然変異例はまだ確認されていません。

しかし昆虫のような小さな生き物の中では、すでに突然変異は始まっています。


ムーソー博士たちが先にチェルノブイリで行った調査では、小動物、爬虫類、両生類の生息数が放射能汚染によって受ける影響は、似たような経過をたどることが明らかになっています。
立ち入り禁止(避難指定)地域の中にある比較的汚染が軽度な場所では、これらの生物も生存できるかもしれないものの、高濃度の汚染地域では、これらの姿はほとんど見ることができない、と博士が語りました。
「全体的には、チェルノブイリ付近の立ち入り禁止(避難指定)地域で動物たちの数が増えている、などいう話はたわごとに過ぎません。」
ムーソー博士はチェルノブイリの立ち入り禁止区域が、大きな野生動物保護区の中にある、という事実に言及しながら、こう語りました。
「若干ですが、放射性物質が存在する環境中の中で、突然変異が起きないように、その生物メカニズムを進化させた生物がいる、ということが証明されています。しかし、ほとんどの生物では、そうはいきませんでした。」

チェルノブイリの汚染区域も、福島の汚染区域も、数年間はその地の生物にとって、生存可能な場所にはなりそうにありません。
たとえばチェルノブイリでは、環境中のプルトニウムが崩壊して、アメリシウム-241に変化しています。アメリシウム-241は生物の体内で高い毒性を示しますが、環境中のアメリシウム-241の量は増加を続けているのです。
いったん土壌の中に浸透していったセシウムなどの放射性物質も、植物の成長や受粉などにより、土壌の表面付近を行ったり来たりすることになります。


そしてプルトニウムの半減期は24,000年です。
「こうした放射性物質は、実に長い間、環境中に留まり続けるのです。森や草原が『危険ではない』場所に戻るまでには、数百年、数千年単位の時間がかかるのです。」

ムーソー博士と共同研究者たちは、今後生物の生息数がどのように変化していくか、チェルノブイリと福島の両方で、同時進行で調査を続けていくことにしています。

原子力発電所災害の影響を正しく評価するため、チェルノブイリと福島を対象に、さらに詳細な調査・研究を続けていくことが必要である、とムーソー博士は考えています。
それによって得られた情報があって初めて、政策決定者が原子力発電所の持つ潜在的な危険性について評価することができるからです。
「今、重要なことは、生物の生息数の変化と、放射線被ばくが続くことにより、それぞれの種が長期に渡ってどのように変化していくのか、調査を継続していくことなのです。」

http://green.blogs.nytimes.com/2012/07/12/fukushima-vs-chernobyl-how-have-animals-fared/
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先週20日金曜日夜、NHK仙台が制作した「今、チェルノブイリはどうなっている?!」という番組が放映されました。
やはり低線量の放射線被ばくに関しては、国際的に論争が続いており、『科学的な』結論は出ていない、と伝えていました。
中で印象的だったのが、ウクライナの現地で一生懸命治療に取り組む医師たち、そして対照的にIAEAやWHOなどの『国際機関』の及び腰の態度でした。
結論が出そうにもない今、現場で治療にあたっている医師たちの意見こそ、まずは尊重されるべきではないか、というのが見終わっての感想でした。

番組の中、日本政府の○○委員会の席上、大学の名誉教授である幹部委員が、若い研究者に向かって
「科学的な説明をしろ。」
と言っている場面がありました。
現地で様々な疾病や将来への不安に苛まれる人々へ目を向けることの、どこが『非科学的』なのか、説明させたい衝動に駆られました。
チェルノブイリやフクシマの現場に行って、人々の不安に耳を傾けることも無く、思いをはせることも無く、おのれの地位ばかりが価値があるかのように振る舞う、この手の『有識者』が、この日本にはなんと多いことか!
そしてそんな人間を並べた『委員会』が、この国の行方を決めてしまう、その危うさ。

日本においては、『第三者委員会』も、『外部の有識者』も、『人間として当たり前の良心』を持っているのかどうか、まずは疑ってかからなければならない、それが厳しい現実のようです。

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【シリア政府軍、経済都市アレッポへの空爆を開始】
アメリカNBCニュース 7月24日

24日、シリア政府軍はヘリコプターによる経済的に重要な都市、アレッポへの空爆を開始した。

空爆の知らせに、飛び出していく反政府軍の兵士

「政府軍は鍬を使って、障害者の息子の両足を切り裂いた」 【 シリア・死を生む通り 】&【 ジョンとヨーコの笑顔プロジェクト 】

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「政府軍は鍬を使って、障害者の息子の両足を切り裂いた」
【 シリア・死を生む通り 】

イヴァン・ワトソン、ラジャ・ラズェク、アマール・チェイク・オマール
アメリカCNNニュース 7月24日

シリア・アタレブ
数カ月間にわたる攻防の上、政府軍の死体が戦術上重要な交差点に放棄されました。

アサド大統領率いる政府軍の一隊が、反政府軍の兵士が警戒する中、戦場後遺症に苦しむ住民を残して、戦闘でめちゃくちゃになった街を去っていきました。

反政府勢力の兵士たちは、街の真ん中を突き抜けるバブ・エル・ハワ高速道路の名前を、「死の通り」と呼んでいました。そこに足を踏み入れるものは誰でも、銃撃の的になっていたのです。

市庁舎の脇にうずくまる焼け焦げた装甲車は、政府軍の戦闘を指揮していましたが、今は臨時の墓場になっています。
この町を反政府勢力が支配下に置いてから数週間がたちますが、ビルの壁には政府側の人間が描いた、戦闘継続を訴えるスローガンが残されたままです。
「アサド大統領と我々がこの町を焼き尽くしてやる」
「アサド大統領を選ぶのか、殺されることを選ぶのか!」

「この場所は高級住宅街だったのです。時々、トルコ人が見学にやって来たものです。」
アブドラ・ベヒルと名乗る反政府勢力側の兵士が、こう話してくれました。
彼は今年五月にこの町の戦闘で砲弾の破片で左目を失い、トルコとの国境近くの病院で治療を受けていました。
「それが今や地獄のような有様です。」
彼は散乱するがれきから埃が舞い上がる人気のない通りを指さして、こう語りました。

アタレブ近郊で暮らす人々は、かつては日常の買い物をするためによくこの町にやって来たものだ、と語ります。シリア経済の中心地であるアレッポと、トルコ国境をつなぐバブ・エル・ハワ高速道路の、ちょうど中間地点にこの町はあり、アレッポまでは20マイルの道のりです。

市街地の反体制勢力の支配が確立後も、周辺地区での戦闘は依然続いていました。

20日金曜日には、政府軍が立てこもる警察学校への攻撃に失敗し、反政府軍のアフメド・エル・ファジ司令官を含む11名が死亡しました。
3日が過ぎたこの日も、反政府勢力は司令官の葬儀を行うため、政府側の病院からの死体の引き渡しを待っている、と語っています。
そして反政府勢力の兵士と住民は口をそろえて、未だに毎日、近郊からの砲撃が続いている、と語ります。
「ここから6キロほどの場所に政府軍の拠点があるのです。そこから毎日、ここに向けて砲撃が行われています。」
戦闘によってがれきと化したレストランを経営していた、アブドル・サイードが語りました。
ここ数カ月、アタレブの町には電気も水道も通っていません。

この町の破壊は市庁舎のある町の真ん中に集中しています。
兵士たちは街の行政を司る代わり、辺り一帯を要塞化したのです。
政府軍はあたりの屋根に狙撃兵の拠点をいくつも作り、周辺住民に対し銃弾を浴びせかけました。
そのため、辺り一帯の建物の壁という壁が穴だらけになっています。
そこの壁にも政府軍のスローガンが、誇らしげに描かれていました。
「我々は特別任務を帯びた、選りすぐりの兵士だ」
建物の中の一本の廊下には、レンガを使ってむき出しのグリルが急造され、辺りには肉を焼くための串が散乱していました。

住民たちは政府軍が行った数々の残虐にな行為について、口々に言いつのりました。
ウム・アブドラジムとだけ名乗った初老の女性は、彼女の息子のクサイが電話がかかってきた、というだけの理由で「治安上の理由」から拘束され、拷問を受けた挙句、殺されてしまった様子について語った後、泣き崩れました。
「息子は障害者でした。政府軍兵士は、鋤(すき)を使って息子の両足を切り裂いたのです。奴らは息子を殺した後、通りに投げ捨てました。」
彼女は頭、胸、腕、そして腰を指さし、そのすべてに銃弾を撃ち込まれ、息子は殺されたのだ、と説明しました。
ウム・アブドラジムは、反体制勢力に食べ物と寝る場所を与えた、として、彼女の家族が皆殺しにされた、と語りました。

彼女はアサド大統領について、こう語りました。
「あの男には償いをしてもらう。あの男の母親は、息子を殺されて嘆き悲しむがいい。あの男も、子供たちを殺されて苦しむがいい…」

政府軍が撤退し、市民たちは虚脱感に襲われています。

短い訪問の間、突然銃声が鳴り響いたことがありました。
捕虜になった政府軍兵士が脱走を図ったのです。
「殺さないでくれ、後生だから許してくれ。頼むから殺さないでくれ、お願いだ!」
叫び続ける男を数人の反政府軍の兵士が取り押さえ、トラックの中に手荒に押し込みました。
市民兵の説明によれば、この男は略奪者であり、ちかく反乱軍の制圧地区で治安を担当する地方議会に連行されるところだった、という事でした。

CNNの報道陣は、この男を最終的に見舞った運命までは、確認することができませんでした。

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http://edition.cnn.com/2012/07/23/world/meast/syria-street-of-death/index.html?hpt=hp_c2
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【 ジョンとヨーコの笑顔プロジェクト 】

アメリカNBCニュース 7月22日

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(コロラドの銃乱射事件を受け)ここのところ残虐な事件が続いていますが、最後にきっとあなたに笑顔を取り戻させてくれるニュースをお伝えします。
ここロンドンで、笑顔に秘められた力をテーマにしたニューアートの展示会が開催されています。
この展示会はある一人の女性が企画したものですが、彼女はある事件により夫を突然失いました。そこから立ち直るために彼女はどうしたのか、その答えはまさに彼女の表情が物語っています。

レポーター : ここロンドンでオリンピックが開かれる、あるいは雨が上がっていい天気が続いている、でもそれ以外にもここにいるロンドンの人々が、笑顔を見せている理由があるのです。
サーペンタイン・ギャラリーで展示されている、世界中の人々の笑顔によって人々の心を和ませようというこの展示会はオノ・ヨーコさんが考え出したものです。
オノ・ヨーコ「世界が一緒に微笑んでいる姿を、形にしたかったのです。」

リポーター:突然殺人によって夫を奪われ、その後何日も、何か月も打ちひしがれた日々を送っていた時、笑顔が何にも代えがたい癒しの力を持っていることに、オノさんは気がつきました。
オノ・ヨーコ「毎朝、私は鏡の前に立って、笑顔を作ろうとしました。それはとても難しいことでした。何とか笑顔を作れるようになっても、始めのうちは心から微笑んでいるわけでは無かったのです。でもそれからだんだん、笑顔が本物に近づいて行きました。」

レポーター : 彼女は今回の展示会は、世界中から笑顔を誘うためのものだと語ります。
彼女がこの企画を考え出した時点では、インターネットは普及しておらず、ツイッターなどと言うものもありませんでした。後からこうした技術が追い付いてきましたが、彼女は人々に対し、笑顔の写真を撮影するように呼びかけました。
オノ・ヨーコ「もし世界中の人間が笑顔でいることがてきたなら、何かが変わっていくと思います。そのことが世界を良い方向に向かわせる、そう考えています。」

リポーター:今回の展示会で特徴的なのは、ジョン・レノンが徐々に笑顔になっていくスローモーション映像です。
何年もの間、彼女はかつては夫であるジョンと一緒に世界に向け発信を続けたメッセージ、「平和」のために生涯を捧げてきました。
2人は1969年に初めてこのメッセージを世の中に発信し、たちまち世界に広がりました。
2011年にはアイスランドで、[イマジン・ピース・タワー]のイベントを行いました。
彼女はジョンが笑顔を浮かべながら、人々の幸せを願っている様子を想像することが好きだ、と語りました。そう考えることは、難しくはなのだと。
「今もジョンは、私たちに笑顔を向けていると思いますか?」
オノ・ヨーコ「ジョンという人は、笑顔になれるようなことを愛していた人でした。」

レポーター : 「いいですか、撮りますよ?」
オノ・ヨーコ「いいわ、素敵な写真になったわ。」

レポーター : 「間違ってはいないはずです。あなたが世界に笑顔を向ければ、きっと世界も笑顔を返してくれるでしょう。」


オノ・ヨーコ[イマジン・ピース・タワー] 

「国民の声、国民の願いに、まるで向き合おうとしない日本の政治」

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【 高まる一方の反原発への抗議行動 】

ポーラ・ハンコックス / アメリカCNNニュース 7月21日

1960年台は社会革命の時代でした。
学生たち、公民権運動家、そして反戦活動家による抗議行動が世界中を席巻しました。
そしてそれは、日本でも例外ではなかったのです。

1960年には日米安保条約に反対する数十万人の人々が、路上を埋め尽くしました。
時に過激化したその抗議行動も、以来すっかり影を潜め、今日に至っています。

ここのところ日本では、原子力発電に反対する抗議行動が、大きなうねりとなってきました。
かつては日本政府の政策に特に異を唱えることが無かったその国民も、自分たちの指導者に対し、大きな疑問を突きつけるようになりました。

毎週金曜日、数万人の人々が首相官邸前に集まり、たった一つの明快なスローガンを叫んでいます。
「脱原発!」

昨年、巨大津波が引き起こした福島第一原発の事故以来、日本では脱原発の市民運動が成長を続けてきました。

ここに掲載した映像は、福島第一原発の事故の被災者たちが、その生活を建て直すためにどれほどの苦労を強いられているか、それを物語っています。

鎌谷ゆきこさんは福島県双葉町の、福島第一原発の周囲20km圏中に設けられた、立ち入り禁止区域に住んでいました。
彼女は事故の直後の、避難した際のパニックを忘れてはいません。
いったいどこに逃げれば安全なのか、再び故郷に戻れる日が来るのか、何もわからないままに逃げることだけを強いられました。

「あの場所が私の故郷なのです。」
彼女はCNNの取材にこう答えました。
「どんなことがあっても、故郷に帰りたい。本当は今すぐにでも、自分の家に帰りたいのです、だめだって解ってますけど…でもいつか必ず、この夢がかなうよう願っています。」
鎌谷さんは現在仮設住宅で暮らしていますが、彼女自身が体験し、今も続く悲惨な原発難民を二度と生み出さないように、行動を起こさなければならない、そう感じて反原発抗議行動に加わった、と話しました。

斎藤なぎささんがこの抗議行動に参加するのは七回目ですが、回を重ねるごとに参加者が増え行くように感じています。
「今一番強く感じていることは、ここに来ている人々は決してあきらめないだろう、という事です。そして参加する人々も、増えていく一方です。今日のように雨が降って条件が良くなくても、これだけ多くの人が集まって来るのですから、すごいと思います。」

数十万人の人々が脱原発を訴えていますが、代替の発電手段はどうなるのでしょうか?

尾崎さんとだけ名乗った男性は、こう語りました。
「もし電力が足りない、というのなら、代替手段はいくらでもあるはずです。火力発電所、水力発電所はどうなっているのでしょうか?そして、何もかも電気に頼る生活を、見直すことだってできるはずです。私たちも我慢する必要があります。たとえ停電が起きるにしても、それを乗り切ることはできるはずなのです。原子力発電なしでも、日本社会はやっていけるはずです。」

本来であれば日本政府は、こうした人々の願いに耳を傾けなければならないはずですが、その態度は真摯に向き合おうという姿勢には程遠いものです。
日本の50基の原子炉はすべて、安全確認と定期点検のため停止していましたが、7月には停止していた原子炉の再稼働が実施されました。
日本政府の主張は単純なものです – 日本には電力が必要なのだ。

日本の野田佳彦首相は先月、こう演説しました。
「豊かで快適な暮らしを続けるためには、安価で安定した電力供給が不可欠なのです。もし原子力発電を完全に止める決定を行ってしまったら、日本社会は機能しなくなってしまいます。」

日本経済団体連合会の部長、長谷川まさみ氏は、これから日本が暑い夏を迎えるに当たり、エネルギー危機に陥る可能性がある、という意見に賛同しています。
昨年行われた計画停電は、企業活動に悪影響を与えた、と語ります。
「こうした状況が続けば、会員企業の中にはこれ以上国内での企業活動は続けられない、という意見があります。このままの状態が続けば、電力使用量の大きな企業は、日本での生産が続けられなくなり、海外に移転せざるをなくなるでしょう。その結果、雇用機会が失われることになるでしょう。」

しかし、抗議活動を行っている人々は、何よりも国民の安全を優先しなければならない、と主張しています。
先に公表された国会事故調査委員会の報告書は、原子力発電所を運営する企業、政府の監視機関、そして日本政府、その三者の癒着・共謀こそが事故の根本原因である、と指摘しました。

一体いつになったら故郷に戻ることができるのか、かつて福島第一原発の周辺で暮らしていた数万人に上る人々は、その答えを待ち続けています。
抗議活動を行う人々は、原発の無い日本、それだけが受容れ可能な選択肢だ、と語ります。

http://edition.cnn.com/2012/07/20/world/asia/japan-nuclear-power/index.html?eref=edition

※人名表記に関するお願い
【星の金貨】の記事は、海外の記事の翻訳であるため、人名表記の正確性に問題があります。
記事中に登場された方のお名前の表記に誤りがある可能性がありますが、ご容赦くださいますようお願いいたします。

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原発推進タカ派の人間を、新たな原子力規制員会の委員長に据えようとしたり、原子力基本法を改悪して、核燃料サイクルを継続することで、核兵器製造を可能にするためのプルトニウムを貯めこむことを、日本の国の基本方針にしようとしたり。
なぜこうも国民が望んでいることとは反対の方へ、この国を進めようとするのか。
いまや、原子力発電・既得権者たちのなりふり構わぬ、利権確保が始まったように見受けられます。

情けないのは、その「先兵」を買って出る日本の「二大政党プラスワン」、そして国民の怒りを冷笑しつつ、その先棒を担いでいる「外部有識者」の存在。

天網恢恢疎にして漏らさず

この上は一日にも早い、社会正義の実現を!

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【鳥取砂丘を行く二人のこども】
アメリカNBCニュース 7月22日

【鳥取砂丘を行く二人のこども】
アメリカNBCニュース 7月20日

ポルトガル領アゾレス諸島で開催された世界ダイビング・コンテスト。コロンビアからやって来た女性が高さ30メートルの断崖の上からタイピングする瞬間。
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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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