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アメリカの除染の専門家が明らかにする、本当の汚染状況【 人の手によって作られ、人の手により悪化していく福島の危機 】〈第1回〉[フェアウィンズ]

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所要時間 約 9分

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極度の汚染に恐れおののくアメリカの派遣チーム、何も知らず普段通りの生活をしていた日本人

アート・ケラー / フェアウィンズ 6月13日

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2011年3月11日、19,000人以上の日本人が波にのまれて、彼らの遺体が東日本の太平洋岸に散乱しました。
カリフォルニア州アナハイムに本社があり、災害復旧について豊富な経験と技術を持つ会社パワープラス社のケヴィン・ワン氏は、日本に渡りこの惨状から人々を助け出したいと思いました。
ありとあらゆる汚物や危険な物質によって汚染されたしまった環境を、再びよみがえらせるための機器や機械の開発に、ワン氏は何十年もの月日を費やしてきました。
大規模な原油流出、放射能汚染、そして大量の遺体の捜索や収容など…

東日本大震災の発生を見て、ワン氏はロサンジェルスにある日本総領事館を訪れ、地震、津波、そして福島第一原発の事故により深刻な状況に陥ってしまった人々を救出するため、彼の会社の技術を活用するよう働きかけました。
しかし日本の総領事の返事に、ワン氏はわが目と耳を疑いました。
「まったく必要ありません。」
ワン氏による申し入れは日本に対する侮辱と受け取られたに違いない、ワン氏がそう感じる程日本総領事の返答は無愛想で冷たいものでした。

ワン氏がまず体験させられた日本総領事の対応は、国際社会が福島第一原発の事故に関わろうとすることに対し、日本政府が極力それを排除しようとする態度の、その先駆けとなるものだったのです。

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ワン氏のこの最初の体験こそは、原子炉のメルトダウンというものがどれ程広範囲の環境を汚染するものなのか、その対応を誤ったという事実、そして放射性物質の拡散状況に対する不十分な検証、さらには迅速な対応を怠ったために一層状況を困難にしてしまった、日本の度重なる過失を象徴するものでした。

日本の当事者たちは政治的な影響を気にするあまり、技術的能力という要素を軽視し、当時現場で必要不可欠であった事故収束のための技術を移入することを頑なに拒否し続けたことに対し、今だに多くの批判が集中しています。

その時日本では津波により福島第一原発の冷却装置が機能しなくなり、大量の放射性物質が環境中に、そして海洋中に放出されました。
その様子を見たワン氏は日本領事の冷たいあしらいにひるむことなく、直ちに行動を起こしました。

ワン氏は独立して働いていた放射能汚染の除染技術者でチームを編成する一方、放射能汚染の除染のための機器を荷造りし、日本に向け発送しました。
そしてワン氏とそのチームは除染について実地にでもストレーションを行うべく、早くも2011年6月には日本に到着していました。

効果的な除染作業を開始するための取り組みとして、ワン氏とそのチームはその除染能力のデモンストレーションを数多くの見学者の前で実演するため、日本への渡航を繰り返しました。
2011年6月、同10月、2012年2月、そして最後は2013年1月です。

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彼らの実演にはテレビ局の取材陣、県市町村や政府職員、防衛省や環境省の幹部、そして多くの民間企業の関係者などが集まりました。
その中には福島第一原発を運営していた東京電力の幹部社員も含まれていました。

ワン氏とそのチームは福島第一原発の周囲に設けられた立ち入り禁止区域から牽引されてきた自動車の除染を行い、目覚ましい成功をおさめ、その除染能力の高さを証明して見せました。
彼らは放射能汚染の99%を除去してしまったのです。

しかし凹凸の多い材料でできた物質の除染については、必然的にその成功率も低いものとなりました。
また寒冷な条件下、一度ならず除染機器が故障したこともありました。

しかし全体を通して見れば、ワン氏とそのチームは高い除染能力を有していることを明らかにしました。
その能力は、通常除染することは不可能だと思われる動植物を、自生あるいは通常に生活している状態で除染してしまう程高いものだったのです。
その場所にある泥や草、そして水も除染可能であり、生きている桜の木の放射性物質を70%取り除いて見せることにも成功しました。
寒冷な気象条件の下、機材の故障に苦しめられた日々、凍りつく地面から20~40%の放射性物質を取り除くことにも成功しました。

公認放射線防護科学技術者であり、長年除染についての経験を積んできたサム・エンゲルハートは、独立したコンサルタントとして4度とも、ワン氏とそのチームの訪日に同行しました。
もうひとり、ウェイン・ショフィールドは数十年間放射線保健物理学者として放射能除染問題に取り組んできました。
彼はスリーマイル島とチェルノブイリ事故の現場も経験しており、2012年2月のワン氏の訪日に同行しました。

日本に到着してすぐ、彼らは福島第一原発の南西にある福島県白河市に向かいました。
エンゲルハートは荷物の中から放射線の測定機器を取り出し、測定を始めました。
彼の顔が凍りつきました。
この場所は福島第一原発から約80キロ離れているはずであり、原子炉建屋が爆発した当時はその風上にあったはずでした。
しかし線量計は現実にけたたましい警告音を発していました。

「我々が確認した放射線濃度は、通常の1,000倍というものでした。そして、それよりもさらに高い場所すらあったのです。」
エンゲルハートが当時を振り返りました。

放射性物質が降り注ぐ中
「この場所がもしアメリカ国内だったら、私たちはあわてて放射線防護スーツ、手袋そして防護マスクを着用し、完全防備の態勢を取ったでしょう。しかしこの場所と周辺のすべての物がどれ程汚染されてしまっているか、何も知らない日本の人々は普段と変わらない様子でその辺を歩き回り、そして仕事をしていました。」

〈 第2回につづく 〉

http://fairewinds.org/demystifying/cleanup-from-fukushima-daiichi-technological-disaster-or-crisis-in-governance
  + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

今日からフェアウィンズのサイトに掲載されたこの原稿を、4回に分け掲載していく予定です。
原文はA4版に出力して8枚という長いものですが、何とか今週中に掲載を完了させたいと考えています。

しかし、こういう原稿を翻訳していると脱力感に襲われてしまいます。
なぜなら私自身、
「この場所と周辺のすべての物がどれ程汚染されてしまっているか、何も知らなずに普段と変わらない様子でその辺を歩き回り、そして仕事をしていた」日本人の一人だからです。

私が居たのは福島第一原発の北西約90キロの場所で、1号機原子炉建屋の爆発の後、北西の風が南南東の風に変わり、汚染物質が運ばれてきてしまいました。
ガソリンの供給が途絶してしまった仙台市内で、私は自転車で移動をしていました。
家族は食料品などを確保するため、スーパーの前に出来た長い行列に加わり、長時間を屋外で過ごしていました。
私自身はすでに50代の半ばであり、多少あきらめてもいますが、許せないのは自分の子供たちも含め周囲の若年層の人々が、何の情報も与えられずに汚染されてしまったであろうことです。

【星の金貨】のサイトマップを見ると、掲載本数がどうやら800本前後になったようです。
すべて自分が掲載したものですが、その原動力となっているものはそのあまりの理不尽さに対する怒りかもしれません。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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