今の人には理解できないだろう、なぜビートルズがそんなにすごかったか?!
先日、『何でも鑑定団』を見ていて、ビートルズ日本公演のチケットの鑑定をしたジョン・レノンそっくりづくりのおじさんが、「ビートルズは私の命そのものですから...」と言っているのを見て、ああ、ここにもいるんだなぁ、とつくづく思いました。
何でもそろってて、街中がシャレたデザインのものに埋め尽くされ、世界中の音楽を何でもリアルタイムに楽しめる今を当たり前と感じる人には、能力の有る無しとかではなく、あの衝撃は感覚的に理解できないと思います。
その衝撃を疑似体験する方法があります。
まず、次のニッポンの童謡を3曲続けて聴くか、歌うかしてみてください。
◇ 七つの子
「かぁらぁすぅー、なぜなくのぉー、カラスはやーまーにー...」
◇ 青い目のお人形
「あぁおい目をしたおにんぎょはー、アメリカ生まれのセルロイド...」
◇ 雨降り
「あーめーがぁふーりまぁす、あーめーがふぅるー、あーそびにゆぅきたし、かさぁはーなーしー....」
(わたしたち、小学校ではほとんどこんな歌ばかり歌わされて、うなだれてばかりいたのです)。
そしてこの後、ビートルズの「抱きしめたい」か「シー・ラヴズ・ユー」か「キャント・バイ・ミー・ラヴ」を聴きます。
ね、すごいでしょ?!
我々1950年~60年代生まれの人間は、こういうのを「ゴキゲン」と言います。
(1950年代の生まれでも、自分たちのことをオヤジとかオッサンなんて、言いませんよ。
言われていい気持ちの人もいるのかもしれませんが、私はそうではありませんので...)
青年だったビートルズと少年だった自分。
それをわざわざ加齢臭で汚してしまうことは無いでしょう ?
生まれてはじめて、この絵を画集で見た時 - 中学生か高校生の時だったと思いますが、
「なーんだ、見た通り描いてるだけじゃないか...」
と思って、マネについては自分にとって『つまらない画家』の分類に放り込んだままでした。
大学生になって、新宿の伊勢丹百貨店本店で大規模な印象派絵画展が開催され、この『フォリー・ベルジェール劇場のバー』の実物がやってきました。展示の目玉の一つだったと思います。
私はこの絵の実物の前に立った時、その美しさと迫力に圧倒されたまま数十秒間動けなくなってしまったのです。
絵の中央に立つ女性の物憂い表情が、まさにすぐそばで息づいているような生命力がありました。
実はこの絵をはじめて見た画集というのは、美術の教師だった母が買い求めた当時世界最大の大きさと高度な印刷技術を誇る画集で、現在ではここまでの大きさのものは市販されていません。
にもかかわらず、実物と画集の間には、計り知れない程の違いがあることを思い知らされました。
以来、絵だけは本物を見ない限り解らない、と思うようになったのです。
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私は良く、『マスナス思考』だと指摘され、「何とかなるものなら、なんとかしなさい !」と叱られます。叱るのはもちろん、我が家の奥さん。
今度の震災で断水が一週間ほど続き、トイレの水には特に苦労したおかげで、風呂の残り湯をそのまま捨てることができなくなりました。
我が家の風呂は、夜間電力を使用して電気温水器で暖めたお湯を供給する方式のため、一回限りで全部捨てなければなりません。
夜間電力が格安である一方、昼間の電気料金が一般料金より割高になっているのです。「洗濯機で使えば ?」と言われそうですが、風呂は一階、洗濯物を二階バルコニーに干す都合から洗濯機は二階にあるのです。
仕方が無いので、暇な時間を見つけては洗車に使ったり、黄砂で汚れたバルコニーを洗ったり、狭い庭の水やりに使ったりと、風呂の水を汲んだ重いバケツを手に、家の内外を右往左往しています。
仙台市の下水処理施設が地震で損害を受け、処理能力が大幅に低下している折、できるだけ汚水が下水に流れ込まないよう、工夫もしているつもりなのですが......
これまで捨てるだけだった風呂の残り湯を、可能な限り活用しようとしているのです。
つまりこれまで価値ゼロだったものに、プラスの価値が生まれる訳です。
「一種のプラス思考でしょ。」
と言ったら、奥さんがあっさり、
「ただの貧乏性じゃないの?! 」
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经常有人对我说 「如果想让事情变好得话,那就要好好做。」。并说我是消极思维。
说这话的人当然是我的妻子。
这次由于地震,我家的停水生活一直持续了一个星期。由于洗手间用水量大,所以浴池中的洗澡后用剩的水就显得非常珍贵。
我家的浴池采用的是通过夜间电力加热电温水器方式来供应热水,因此每次使用完后必须全部放掉。
虽然夜间电费价格非常便宜,但是白天的电费要比普通的贵好多。也许有人会说那就用它来洗衣服吧。可是浴池在一楼,而
由于洗好的衣服要在二楼的阳台晾晒,洗衣机也放在二楼。如果用它来洗衣服的话,非常不方便。
没有办法,只好用在闲暇的时候的洗车,清洗被黄沙弄脏的阳台,或用在狭窄的院子里浇水等处。而每次都要提着盛满洗澡水的沉重的水桶在屋里屋外忙来忙去。
这次的地震使仙台市的下水处理设施受到损伤,处理能力大幅度下降。这时候就需要我们想办法,尽可能减少污水排放。有效地利用平时洗完后就放掉的洗澡水,也是一种好的措施。
也就是说,通过努力,把本来是没有价值的东西,使它变得有了价值。
「这是一种积极思维吧」
当我对妻子这样说时
她马上回答我说
「这不就是单纯的节省吗」
電気が回復したその日から、私は世界がの大震災をどのように報道しているのか気になり、アメリカABC、同NBC、同CNNの毎日のニュースをチェックしていました(Podcast -ABC、NBCともにその日の報道番組をフルバージョンで毎日更新し、放送後すぐに無料配信しています)。
このたびの大震災をABCは〈Pacific Disaster〉、NBCが〈Disaster in Japan〉と表現しています。
Disasterという単語は「天災、惨事」などの意味を表しますが、ニュアンスとして「思いがけない不幸」という意味を持っています。
今回の災害では、特に沿岸部の人々はこれ以上失うものが無いほど、すべてを失ってしまいました。
しかし、震災後すぐに日本に飛んできたABCの看板キャスター、ダイアン・ソイヤーさんは宮城県の災害地に足を踏み入れ、思いがけない体験をします。
無惨な廃墟の中をリポートしながら進むうち、被災し野外でたき火をしながら暖をとっていた3人ほどの家族に声をかけられます。
「腹、減ってないかい? ほら、これ食べな。」
と言って、大きなせんべいか何かを差し出されます。
ダイアンさんは
「いや、これはあなた方にとって貴重な食料だから、あなた方が食べてください。」
といって遠慮するのですが、被災者家族は
「いいがら、いいがら...」
と言ってダイアンさんに持たせます。
ダイアンさんは
「自分たちが被災者なのに、通りがかりの他人にすら、乏しい食料を分け与えようとする日本人の思いやりの深さ」
について、驚きを持って語っていました。
また、NBCの看板キャスター、ブライアン・ウィリアムズ氏は番組で三陸沿岸部の高齢者の被災者が
「次にくる世代の若者、子供たちのために、高齢者と言えども何としても立ち上がらなければならない。」
と語っていることを紹介し、自分たちの不幸を嘆きながらも、まわりのことを思いやる姿を感動的に伝えています。
ブライアン氏は「我々のもっとも近しい同盟者・日本」という表現の中に、日本人に対する「誇り」について、万感を込め、
「1日も早く、立ち直ることを願う」この他、英国やフランスの報道も決して略奪などに走らず、スーパーなどの前に整然と並び、自分の順番が来るのをじっと待つ姿を賞賛とともに伝えていました。
また世界中のメディアが今も福島第一原発の「内部で働く人々」の、「犠牲的精神」について報道しています。
しかし、沿岸部にすむ知人は、津波の後、車が突っ込んで外のガラスが割れてしまったコンビニに入り込み、商品を不法に持ち出した近所の人が「今行けば穫り放題だぞ」と触れ回っていたのを目撃しています。
別の知人は地震の翌日、仙台市内の中心部で「おにぎり2個800円」で売っていた人間を目撃しています。
震災後、様々な場所で様々なドラマが繰り広げられたことでしょう。
ちょっと話が逸れます。
日本では行われませんが、欧米、特にアメリカでは「大人になる」ということは〈Identify〉が終了すること、とされています。
つまり、「自分はこういう人間である。」という自己規定が、様々な面で完成することだと考えられています。
オレも酒が飲めるようになった、煙草が吸えるようになった、などという気楽なことではないのです。
図らずも、この大震災の後、アメリカABCやNBCが「どんなときでも、人を思いやることを忘れない東北日本人」の姿に、光をあててくれました。
こうした姿に対する人間としての誇り。
これこそを、わたしたち東北人の〈Identify〉にしたい、と思うのです。
実は阪神大震災のとき、被害に会った関西の人からメールをもらいました。
「このたびの震災に立ち向かわれている東北の方々の姿を、心から尊敬しています。」
これこそが、未来永劫私たちが決して失ってはならないもの、なのではないでしょうか ?
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大震災直 後、3日目にやっと電気が通じたときまず飛び込んできたのは、津波の被害を受けた被災地の悲惨な光景を映し出したテレビ映像でした。
恐ろしい数の人々の死 が明らかになっていました。
自分の心を落ち着かせたくて、何か好きな音楽を聴こうと思い、自分が持っているヴィヴァルディからフイル・コリンズのソロ・ア ルバムまで、数百年間の作品をおさめた数千枚のCDを見渡しました。
いったいどんな音楽が今、私たちを慰めてくれるのか、いやしてくれるのかを考えまし た。
真っ先に目がいったのが、フォーレ(フランス 1845-1924)のレクイエム(鎮魂歌)やブラームスのドイツ・レクイエムなどでしたが、聴きながら歌詞を見てみると歌詞が聖書から採られているた め、何となくしっくりきません。
悲愴な曲は悲しみの淵にそのままとどまるような気がして、かといって徒らに明るい曲も受け付けません。
いろいろな曲を改めて聴き直していたとき、普段から好きで目につくたび買い込んでいたアメリカの近代現代の作曲家、リロイ・アンダーソンの作品をおさめた数枚のCDに目がいきました。
リロイ・アンダーソンについては、wikipediaにも詳しい経歴が載っていますが、その作品は「リロイ・アンダーソンの○○○」とは知らなくとも、戦 後生まれの日本人なら、二度や三度は必ず耳にしています。
小学校などの運動会で必ずかかるといっていい『トランペット吹きの休日』をはじめ、ブルー・タン ゴ、タイプライター、シンコペイテッド・クロック、ワルツィング・キャットなどは本当に親しみやすい、聴いていて思わず微笑んでしまうような心の和む作品 です。
私個人は紙ヤスリの絶妙な「演奏」を楽しめる『サンドペーパーバレエ』が大好きです。
これらの作品はアメリカがもっとも幸福だった時代、1945 - 50年代を中心に作曲され、発表されました。第2次世界大戦が終了、アメリカは世界の工場として躍進を続けていました。
ベトナム戦争はまだ始まっていない ために社会が不安・不条理に苛まれてはおらず、人々は何よりも家庭・家族を大切にし、穏やかに豊かに暮らしていました。
その雰囲気がそのまま音楽として結 晶しているのが、リロイ・アンダーソンの作品たちです。
絵画では同じ時代ノーマン・ロックウェル(1894年 - 1978年[http://www.nrm.org/で実際の作品をご覧ください])が活躍していました。
彼の作品もまた、Good Old Days - 古き良き時代 - 特に少年を描いた作品に傑作が多い - を見事に描ききっています。
チャイナ・ドール、ペニーホイッスル・ソングといった曲を聴きました(ペニーホイッスルとは駄菓子屋などで売っているおもちゃの笛。どちらも子供の小遣い で買えるおもちゃのこと)。
リロイ・アンダーソンの曲を聴くと、人はやさしい家族に囲まれた幸せな少年少女時代の記憶をよみがえらせます。温かい家庭、お 茶目な友人たち、活気ある人々にやさしい街......
今度の大震災では沿岸部を中心に、多くの震災孤児が生まれてしまうことが危惧されています。
私たち大人は自分たちの生活の復興と同時に、父親を、母親を、 あるいは両親ともに亡くしてしまった子供たちの将来のことも考えていかなければならないと思います。この子たちが、もうこれ以上の不幸を背負い込まないよ う、社会も、私も全力で応援する必要があります。これから再構築する社会が、失ってしまった社会よりも少しでも良いものであれば、私たち自身も幸せになれ るはずです。
そう思ったとき、はじめて自分の心が平衡を取り戻したような気がしました。今度のような大災害に見舞われたとき、人間は自分だけを癒そうと思っても、癒されることはないのだと思います。
機会があればぜひ、人を自然とやさしい気持ちにさせてくれるリロイ・アンダーソンの音楽を聴いてみてください。
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