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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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この国の政治家

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所要時間 約 3分

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日曜日など、「政治討論」番組が目白押し。
最近気がついたことですが、政治家、あるいは政治評論家のみなさんがテレビの政治討論番組などで主張している通りの政治が行われていれば、この国はずいぶんと『いい方』に向かうはずなのではないでしょうか。
ところが、現実は皆さんが見ての通り。
アメリカでつい最近、二大政党の民主党と共和党の国会議員が、国会で互い違いに並んで腰掛け、「ささいな利害は捨てて、力を合わせて国難に立ち向かおう」というパフォーマンスを行ったその日に、もっと深刻な『国難』に見舞われていたはずの日本の国会中継では、ただひたすらに足を引っ張り合う国会議員の姿がありました。そして今、まさに未曾有の『国難』が日本を襲っています。

最近「若手」国会議員なんて人たちがテレビに良く出てきます。はっきり言って私は政治にかけるビジョンなんか無いくせに、やたら声の甲高い人が虫酸が走るほど嫌いです。中身も無ければ品性も無し、人々のため、名も無い市民のために「このような政治を実際のものにしたい」なんて理念も無く、ただただ人の悪口。でもこういう人をやたらとテレビに登場させるのも日本のテレビ局なら、それを当たり前のことと受け取り、あげく本人をどこかで見かければキャアきゃあ言いながら、ケータイのカメラで撮りまくるのも日本人。言われた本人はますますその気になって、国会で表現だけがセンセーショナルだけど無内容なことを激烈にしゃべりまくる。するとまた、テレビ局が引っ張り出す......
でも忘れないでくださいね、世界はこういう人を国会議員に選んでいるのはあなたや私、つまりはそれが日本人なのだ、と見ているのです。
テレビの前だけで何だかちょっと正論めいたことを言っていながら、国会へ行けばひたすら足の引っ張り合い。
そこには陸前高田市のことを、南相馬市のことを、今度の震災で数多く生まれてしまった震災孤児のことを、鋭い痛みとともに考えているとはとても思えません。
でも、「知り合いに頼まれたから」「地元だから」「何かあったら、個人的な頼み事をきいてくれるかもしれない」なんて理由で、そういう人を選んでいるのがニッポン国民。
そしてニッポン国民とは、つまりはワタシと......

ポンピドゥ

ポンピドゥ

『本物の』政治家ポンピドゥー、第2次世界大戦当時はフランス・レジスタンスの闘士。
戦後、教師を経て政治家に、連続する危機を見事な舵取りで乗り切った。
1975年没後一年になるのを追悼し、発行された切手。
いかにフランス国民から愛されていたかがわかる。

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後悔のゴルフ(1)

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所要時間 約 4分

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ゴルフをしている人は、「自分はひとかどのゴルフ・スウィングをしている」と思っている人がほとんど、とプロゴルファーの芹沢信雄氏。
確かに私自身もそう自惚れていた一人でした。
しかし、今度の大震災に見舞われ、それまで月に3回以上はラウンドしていたのに、ここのところ予定を立てることもままなりません。というのも、ホームコースは「地震でコース、クラブハウスともに大きな損害を受け、現在復旧の見通しが立たない」ためです。加えてここよりひどい被災地の人々の姿が、ゴルフフバッグを車に放り込んで、いざ....という気持ちにはさせてくれません。そこで、この機会に自分のスウィングの欠点を徹底修正することにしました。
ゴルフに興味の無い方に念のためご説明しますと、ゴルフは
1. 止まっているボールを打つ
2. ボールが小さくて硬い
3. 距離に応じて14本のゴルフクラブを使い分ける
ところから、常に合理的なフォームでゴルフクラブをスウィングすることを求められます。
私はゴルフの習いはじめからレッスン・プロにつくことができたので、人には「ゴルフスウィングがきれい」と言われることがあります。ところが今回、改めて自分でチェックしてみて、まったくそんなことはないことが解りました。
きれいなスウィングとは、プレッシャーの無い場面でそこそこのスウィングができることなのでしょうか ?
ゴルフコースはテレビなどで見ているとほとんど平らに見えますが、実は微妙に凹む・出っ張る・傾くなどしており、これにボールが小さいことが加わり、ゴルファーにとっては大きなプレッシャーとなります。
結果、このような場面に遭遇した私たち素人のフォームは、「穴掘り」「どじようすくい」状態に陥り、格好も結果も実にみっともないものになってしまうのです。
一方、プロはこんなとき、どんな状況にあるかきちんと確かめ、きれいなスウィングのままでボールを打てる体勢を作ります。そして、スウィング。ボールは思い通りの軌跡を描きながら飛んで行きます。
要は型を覚えた上で、それを実戦で使えるかどうか、ということなのだと思います。
なんでだかは解りませんが、日常生活の中でもうろたえることの多い私は、ゴルフコースのあちこちでうろたえてミスショットを量産、今日も後悔のゴルフをして不得要領のまま家路につくのでアリマス。
あーあ、つらいなァー...

クリケット

こちらは同じ英国生まれの玉ころがし、州対抗クリケット100年

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“安楽拓也の飛ばしのチェック項目” -あなたのドライバーはなぜ飛ばないのか?- 【DR0007】

それでも花粉症はやってくる

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所要時間 約 3分

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こんな時ぐらい、やってこなくともよさそうなものなのに...
そう、花粉症です。
私は花粉症の季節には小青竜湯(しょうせいりゅうとう)という漢方薬を服用し、不快な症状を抑えていました。
※ 小青竜湯は鼻水、くしゃみ、目のかゆみ、湿った感じの咳に効果がある
ところが、震災の影響で物流がストップ、いつものんでいる顆粒の小青竜湯が手に入らなくなりました。
「困った...」
と私が言うと、女房殿が応えました。
「煎じ薬の小青竜湯をのめばいいじゃない。」
そうか、その方がもっと効くかもしれない。
幸いタキザワ漢方廠の小青竜湯のティーバッグがありましたので、耐熱容器を使って電子レンジで15分程煮だし、保温ボトルに入れて、暖かいまま一日数回に分けて服用するようにしました。
す・る・と
鼻水も、目のかゆみもピタッと治まりました。
漢方の液剤は新薬の静脈注射と同じぐらい、すぐに良く効く、と以前聞いた事がありましたが、まさにその通り。
私たちがふだん馴染んでいる漢方薬は顆粒、もしくは錠剤ですが、もともとは『草根木皮』といって、薬効成分のある植物のさまざまな部分を乾燥させ、砕いて、それを長い時間かけて煮だした汁を飲んでいたのですから、もともと煎じ薬の方が効果があるのは当たり前のことでした。
実は市販されている顆粒の漢方薬の中にも、「お湯に溶かして服用する」ものもあるのです。
小青竜湯の煎じ薬は漢方の中でも「マズい」方だと言われますが、暖かいとさほど飲みにくくもありません。
この春は、小青竜湯入りの保温ボトルがあれば乗り切れそうです。
それにしても漢方薬の煎じ薬、こんなに効くとはちょっと驚きでした。

西ドイツ1971年発行 児童福祉

西ドイツ1971年発行 児童福祉


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マネ、モネ、セザンヌ、ルノアール

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所要時間 約 4分

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今や絵画・西洋画と言えば、やはり最初に思い浮かぶのは『印象派』の絵の数々、この点はどなたも異論は無いと思います。そして印象派と言えば、マネ、モネ、セザンヌ、ルノアール。これ、呪文のようなものです。
実はマネの生まれた1832年からセザンヌが生まれた1839年までの間に、ドガ(1834年生)シスレー(1834年生)などが生まれているのですが、はじめの4人こそ印象派を代表するとする評価は不変です。
もっとも『印象派』という言葉には、彼らが活躍していた当時、あまりいい「印象」はなかったようです。作曲家のドビュッシーがこの当時、パリ音楽院の学生だったのですが、持ち前の輪郭のにじんだような作品を課題として提出した際、校長だったサン・サーンスに呼び出され、
「こんなボヤッとした、あの(ろくでなしの)印象派の連中の絵みたいな曲ばかり作ってると、将来ろくな作曲家にはなれないぞ。」
と注意を受けています。
大作曲家サン・サーンスと言えど、マネ、モネ、セザンヌ、ルノアール、そしてドビュッシーの評価については間違ってしまいました。
けれども絵画に少しばかり興味を持ち始めた10代の頃、まず開かなかったか、開いてもすぐに「バタン」と閉じていたのがこの4人の画集でした。
なんだか当たり前のことを、当たり前に描いているだけのような気がして、100年以上も後の人間が改めて見なければならない価値を感じませんでした。当時はロイ・リキテンシュタインやアンディ・ウォホールと言った人たちの『ポップ・アート』の方がずっと魅力的でした。
中でも気に入らなかったのがルノアールで、まるまるとした輪郭の裸婦・女性の肖像画については、まったく受け入れがたい印象を持っていました。たとえばモディリアーニ(アマデオ、1884 イタリア生まれ - 1920 フランスで没)の人物画が、一目見ればそこにある情感をストレートに伝えているのに対し、脂肪のたるみ(?)までもそのまま描写したような裸婦の絵画は、本格的に絵の勉強をしていた訳ではない10代には理解できませんでした。
そして現在、これまで何回か印象派~後期印象派の実物を見る機会がありましたが、モディリアーニの絵の美しさに対する憧憬は変わらないまま、ルノアールの作品に対しては驚嘆の思いを持つようになりました。
特に代表作の一つ、【ムラン・ド・ラ・ギャレット】という作品には、ただの人の集まりをこれほど美しく情感を込めて描けるものなのか、とあらためて賛嘆の思いを捧げるしかありません。頭上にある(画面の中にはありません)大きな樹の木の葉の間から降り注ぐ太陽の光が、人々の顔や洋服を様々な模様に染め上げ、そこにいる人物の表情と解け合い、まさにルノアールだけの世界を描き出しています。
この作品が個人の所蔵ではなく、パリのオルセー美術館が所蔵しているため、いつでも世界中の人々が鑑賞可能なことを神様に感謝したい気持ちです。かつてルノアールを見ても何も感じなかった人間が、です......
大震災に見舞われ、もうすぐ一ヶ月。でも、様々なアウトドアの楽しみやレジャーが震災前通りとはいかないでしょう。
もしご自宅にしまい込んだまま忘れてしまっているような画集などをお持ちなら、この機会に開いてみませんか ?

ムラン・ド・ラ

ムラン・ド・ラ

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たんぽぽとモンシロチョウと…

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所要時間 約 3分

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先週あたり、アメリカのABCのニュース番組でも「Is This spring ?! - ほんとに春なの?!」と言ってましたが、日本でも特に被災地の寒さが気づかわれていました。
4月5日の今日、やっと仙台の日中の気温も10度を超え、春の到来のようです。
私にとって感覚的に『春』とは、道ばたのあちこちにタンポポが咲き、モンシロチョウがあちこちひらひらと飛び回っている景色です。

私が幼い頃は仙台市内の中心部と言え、幹線道路以外は未舗装の道も多く、春になれば至る所タンポポが咲いていました。別に目的も無く、モンシロチョウが風に流されて飛んで行くのと一緒に何となく広瀬川が流れる方に歩いて行くと、河原近くにはつくしがたくさん生えています。そしてシロツメ草(クローバー)あちこちに群生し、そこにもモンシロチョウが舞っている姿が...
ふんわりと柔らかい草の上に腰をおろし、ぼーっとしながら蝶が舞う姿やタンポポの黄色とクローバーの白い花を眺め、ゆっくりと時間が流れて行くのに身をまかせます。

何をするでも無く、何を考えるでも無く...

そして帰り道、菜の花畑の前を通ると、満開の黄色い花が一面に広がっていました。暮れなずむ夕陽を浴びて、今度の震災では、東北太平洋岸に暮らす人々はそれぞれに心に傷を負いました。
私の家族も例外ではありません。
車なら行くのに10分もかからない仙台市~多賀城・七ヶ浜の東岸には、見る者を戦慄させずにはおかない廃墟が広がっています。
『復興』のためには、この現実をしっかり心にとどめておく必要があるでしょう。
でも、今度の休みには家族を乗せて、たんぽぽとモンシロチョウがいて、そしてできれば桜も咲いている暖かい場所に行き、家族ともども心を休ませたいと思います。

アルゼンチンの春

アルゼンチンの春

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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