シューベルト交響曲第9番【ザ・グレート】。
作曲家のシューマンが「天国的に長大」と表現した、天国にいるような幸せな気持ちに浸っていられるこの曲を聴いている長い時間は、クラシック音楽ファンにとってはまさに至福の時です。次から次へと繰り出される魅力的なメロディの数々、どれをとってもすぐに口ずさめる程で、それが奔流のように流れ出すこの曲は音楽ファンのみならず、指揮者にも愛されています。フルトヴェングラー、B.ワルターを始め、夭折したケルテスやシノーポリまで、たくさんの「名演」が残されています。ただし、オーケストラ、特に弦楽パートにとっては「重労働」を強いられる曲のようで、楽団員には敬遠されがちだということを聞いた事があります。
シューベルトはベートーヴェンが元気で活躍している頃、「すねて」いた、と言われています。
曰く「ベートーヴェンのあとで、何が出来るだろう」「あらゆる分野で、ベートーヴェンは他の追随を許さない傑作を作り続けている。これでは自分が活躍する場が無いではないか?!」と。
ベートーヴェンばかりが脚光を浴びていることに反発しつつも、ベートーヴェンが不世出の作曲家であることを誰よりも理解していたことが解るエピソードです。
実際、交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲、ピアノソナタなどにおいてベートーヴェンの作品の独創性と完成度の高さは群を抜いていました。後世の私たちが見れば、音楽はベートーヴェン「以前」と「以後」でまったく異ってしまっていることが解ります。ベートーヴェンの天才性は他の追随を許さないものでした。シューベルト自身(自分でそう思っていたかどうかはさておき)天才であったために、この辺のところはよく理解できたのだと思います。
このためにシューベルトとしては、ベートーヴェンがあまり作品を残さなかった声楽の分野に没頭したと言われています。よく知られる「野ばら」「菩提樹」を始め、声楽についてはシューベルトを外しては音楽史が成り立たない程、数多くの優れた作品を残したのです。
しかし、ベートーヴェンは死ぬ間際、人に頼んでシューベルトをわざわざ呼んでもらい「後のことを託せるのは、君以外にはいない。」と「遺言」します。
このことに感激したシューベルトは一念発起、交響曲【ザ・グレート】を一気呵成に仕上げた、と言われています。しかし、シューベルトは結局、ベートーヴェンの死の翌年にたった31歳で亡くなってしまいました。死因は腸チフス。
普段から売春宿に通いつめ、梅毒を患ったりしていたシューベルトの私生活は荒んでおり、その死とともにたくさんの作品が散逸してしまいました。その中にこの交響曲第9番【ザ・グレート】も含まれていました。
4月11日月曜日。
『あの日、あの時』は3月11日午後2時46分18秒。
ちょうどあの忌まわしい東北太平洋沖地震から、まる1ヶ月が経過したことになります。
そしてこの日の朝、世界中のゴルフファンが注目するマスターズが決着しました。
優勝したのは南アフリカのカール・シュワーツェル(英語読み・たぶんオランダ系南アフリカ人なので本来ならカルル・シュワルツェル)という26歳の若手。
日本人にはちょっと馴染みの無い選手ですが、話題のタイガー・ウッズは4位タイ、石川遼君は20位タイという成績でした。
今回決勝に進出したのは49人、しかも世界より選りの49人中20位ですから、20位タイの成績は立派です。
ただ、欲を言えばもう一打少なければ15位タイになり、来年のマスターズ出場も決まっていました。でも遼君のことですから、今年の日本ツアーで来年のマスターズ出場に充分な成績を残してくれるとは思いますが...
そして、松山英樹君。
今回のマスターズには世界から6人のアマチュアが出場し、松山君たった一人が決勝ラウンドに出場したことは一昨日の原稿に書きました。
彼の最終成績は27位。本人は「16位以内を目指し、来年もここ - オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ - に来たい。」と言っていましたので、惜しくも届かず、という結果でした。
しかし、初出場のアマチュアでアンダーパーという成績は世界に誇れる内容です。
そして彼は仙台の東北福祉大の現役大学生。
東日本大震災の被災地のど真ん中から参加し、プロでさえスコアを崩してしまうマスターズという大舞台の精神的重圧に耐え続け、期待以上の活躍をしたことは、今回世界中の報道機関が伝えた、廃墟の中で互いを助け合う『尊敬すべき東北日本人』に対する評価をさらに高めてくれました。
そして同じ朝、日本の統一地方選挙の結果が出ました。
結果を見ながら、台湾一の親日派、李登輝元国民党総統の日本を評した
「超A級の国民とC級の政治」
という言葉を思い出していました。
東日本大震災の「被災者」である私たちには、むしろこれから数多くの試練が待っています。被害の内容が明らかになるにつれ、立ち行かなくなる会社が出てきています。すでに従業員の解雇に踏み切らざるを得なくなった企業が2、3にはとどまらなくなっています。
しかも4月7日の夜中、2度目の大地震が宮城県を襲い、復興に向けて動き出していたライフラインを再びずたずたにしてしまいました。
しかし、大震災で亡くなられた30,000人近い方々のことを考えれば、何度地震が襲って来ても私たちは立ち上がらなければなりません。
ちょうど70年前、英国で同じようなことがありました。
1940年、西ヨーロッパに侵攻したドイツ軍はたちまちのうちにオランダ、ベルギー、フランスを席巻、イギリス軍・フランス軍を主体とする連合軍を海に追い落とします。ヒトラーは英国にも降伏を迫りますが、英国は拒否。ヒトラーは英国上陸作戦を標榜、同年7月の英国船団、飛行場への航空機攻撃により、英国・空の戦いが開始されました。
当初ドイツ軍は英国の戦闘能力を奪って降伏を迫るため、軍事施設に的を絞って攻撃しました。しかし、英国のベルリン報復爆撃に激怒したヒトラーの命令により、8月末になってロンドン市街の無差別爆撃に切り替えます。
この日からロンドン市民の長い苦しみが始まりました。
ドイツ軍は爆撃機・戦闘機あわせて1,700機で来襲するなど,毎晩のようにやってくる爆撃機の編隊は、ロンドン市街のありとあらゆる場所に爆弾の雨を降らせ、犠牲者がうなぎ上りに増え続けます。人々は地下鉄の駅構内や地下壕に退避、イギリス空軍が迎撃に向かいますが、敵味方ともに損害が激しく、まさに予断を許しません。
毎日、今度の大震災に関する特別報道番組を見ているうちに、季節はいつ間にか春になっていました。例年ですとゴルフ好きの私は、「いよいよマスターズが始まるぞっ!」と、テレビ中継の録画の準備をしたり、アメリカPGAツアーのホームページでいろいろ確認したりと、いそいそ・ソワソワしていました。
ところが今年はゴルフどころか、ともすれば自分の腕を持ち上げることすら億劫になっている自分に気がつきます。
そんな日を送るうち、友人が「マスターズが始まってるよ...」と声をかけてくれました。
ふと気がつけば、もう二日目が終了していました。
嬉しいことに、賞金全額を今度の震災の為に寄付すると言ってくれた石川遼クンと、「2度目の地震に心が本当に痛んだ」と言って、参加について直前まで迷った仙台の福祉大学2年生のアマチュア松山英樹クンが予選を突破しました。遼クンはP.ミケルソンらと同じ20位タイで、松山クンはE.エルスらと同じギキリギリ43位タイ(7人・予選通過は44位タイまで)で、しかし今回参加した世界のトップアマチュア6人中、たった1人見事予選を通過しました(予選通過時点で170万円以上の賞金獲得が確定しますが、松山クンはアマチュアなので、どんなに上位に入っても賞金は受け取れません)。
最終ラウンドに向け、さらなる活躍を祈りましょう。
ところで、マスターズが開催されるのはアメリカ・ジョージア州の[オーガスタ・ナショナル]というゴルフコースですが、マスターズ開催に向け信じられないほど入念に手入れされることで有名です。開催半年前になるとコースは閉鎖されてラウンドできなくなり、ひたすら手入れだけが続けられます。
そして開催。
ところで[オーガスタ・ナショナル]は、他にも世界のどのゴルフ場にも無い特徴を持っています。ゴルフコースは18個の『ホール』があり、普通は何番ホール、という言い方をします。もちろん[オーガスタ・ナショナル]も何番、という言い方はするのですが、他に全ホールに植物の名前がついていて、ホールごとにその植物が見た目に美しいように配置されているのです。
ちょっと並べてみましょう。
1番 キンモクセイ
2番 ハナミズキ(赤)
3番 桃の木
4番 野生のリンゴの木
5番 モクレン
6番 ビャクシン
7番 シロガネヨシ(pampas glass)
8番 イエロージャスミン(カロライナ・ジャスミン)
9番 キャロライナ・チェリー(カロライナ・ローレル・チェリー)
10番 カメリアツバキ
11番 ハナミズキ(白)
12番 ヤマブキ
13番 アザレア
14番 モミの木
15番 サンザシ
16番 ハナズオウ(米国原産;Oklahoma州の州木)
17番 南天
18番 ヒイラギモチの木
どうです?マスターズの開催にあわせ、春に花をつける植物たちが植えられているのです。
マスターズでのラウンドはキンモクセイ・ホールを出だしに、季節の花々を巡りながら展開されることになります。ただ今年はアメリカも厳冬が長く、春の訪れが遅くなっており、開花している花は少ないようです。
遅い春、でもその分たくさんのいいことが[オーガスタ・ナショナル]にも大震災の被災地にも、密度高く訪れてくれることを願いつつ、遼クンと松山クンを応援しましょう。
昨晩 - 4月7日夜も11時30分過ぎに大きな地震がありました。直後に近所にお住まいの知り合いの方の安否の確認に行きましたが、夜中とは思えない程車と人が行き交い、異様な雰囲気でした。2度目の大地震で不安も頂点に達し、とりあえず避難所に向かわれた方も多かったと思います。
何軒かのお宅ではガスその他の警報機が鳴り放しになり、あちこちでブロック塀が倒壊していました。『半壊』にとどまっていたお宅が『全壊』してしまい、住むところを完全に失ってしまった方もいらっしゃいます。
復旧に向かっていた各ライフラインが再び寸断され、復興への動きがたとえ一時的とはいえ中断させられるのも痛手です。
でも、最も大きいのは人々が心に負わされた傷です。お子さんをお持ちの方はとりわけご心配だと思います。
飼っていたワンちゃんの看病をしていたのに、再び襲った地震のため容態が絶望的となり、もうどうしたらいいの、という方からお電話をいただきました。
なんでここばっかりこんな目に遭わされるんだろう?! と苛立つ気持ちも大きくなっています。
私の人生にとって、この時間・この体験はいったいどんな意味を持っているのだろう、いや、意味なんてあるのだろうか?!
でも、当たり前のことですが周囲はみな同じ被災者。あらためて、みんなが辛い思いをしているのだ、と思うと、なおさらやりきれない思いが募ります。
でもこのサイトの一番最初に自分が揚げた原稿に、自分はこう書いていたはず - 支えることで支えられた、と。
折しも、震災当初一週間程我が家に避難し、その後中国に一時帰国していた友人夫婦のうち、旦那さんの方が今日、仙台に戻ってきます。彼も奥さん、子供さんを中国に残したままであり、しかも個人的にも問題を抱えています。
精一杯支えよう、親切にしよう、それは彼に対してだけでなく。
寛容になろう、落ち着こう。
支え合うための、自分への戒めです。