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北朝鮮の新型ミサイル発射実験とトランプ・安倍会談

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トランプ「アメリカを直接脅かすことさえなければ意に介しない」
北朝鮮国内では1,010万人もの人々が食料不足に苦しんでいる

              

              

アルジャジーラ 2019年5月7日

ドナルド・トランプ大統領は、北朝鮮が新しい兵器の実験を行い朝鮮半島の非核化に関する協議の先行きが怪しくなったことを受け、安倍首相と北朝鮮情勢と貿易問題について電話会談を行ったことを5月6日に明らかにしました。

                

ツイッターの投稿でトランプは同盟国首相である安倍氏との会談について「とても良い話し合い」と表現しましたが、詳細については明らかにしませんでした。
一方の安倍首相は、月曜日のトランプとの電話会談について、記者団に対し日米両国がそれぞれに「完全な」形で協力することにより、朝鮮半島の完全な非核化を目指すと述べました。

               

共同通信によれば、安倍首相は記者団に次のように語りました。
「トランプ大統領と私は北朝鮮とどのように対処すべきか、あらゆる側面について完全に合意した。」

                 

トランプ自身もその政権も北朝鮮の兵器実験については見くびってきましたが、4日に行われた実験に対しても同様の態度を取っています。
軍事アナリストによれば今回の実験の中には、短距離地対地弾道ミサイルが含まれている可能性があります。

             

発射されたのが弾道ミサイルであった場合、米国・韓国と北朝鮮の直接対談のきっかけを作った2017年の核開発・弾道ミサイル開発の凍結以降、初めてのことになります。

           

アナリストは今回の実験について、トランプと北朝鮮のキム・ジョンウン総書記との間で2月に行われた首脳会談が失敗に終わったことを受け、米朝間の非核化交渉でアメリカ側に譲歩を迫るため今回の発射が行われたものと解釈しています。

                 

それでもトランプは5月4日ツイッターで、キム・ジョンウン総書記と合意形成できることを確信しているとのメッセージを流しました。
マイク・ポンペオ米国務長官は5日日曜日に米国政府は北朝鮮とのすべての交渉において「前向きな意図」を失っていないと語りました。
そしてトランプとポンペオは北朝鮮が行った土曜日の打ち上げについて話し合い、「適切な対応について協議した」ことを明らかにしました。

               

「しかし、私たちは利用可能なすべての外交チャンネルを使うことにより目的を達成するつもりである。」
ポンペオ米国務長官はこう語り、次のように続けました。
「金総書記が外交以外の手段に訴えることなく、朝鮮半島の非核化を実現できる方法はまだあると私たちは信じている。」
その上でポンペオ国務長官は、打ち上げられたのは「短距離」ミサイルであり、米国政府は「中距離ミサイル、または米国を脅かす大陸間弾道ミサイルは含まれてていない」と確信していると語りました。

                

これらのミサイルが国境を越えて着弾したことは確認されておらず、韓国や日本に対する脅威も発生しなかったと付け加えました。

                  

                 

北朝鮮の国営通信は、今回の発射について「大口径の長距離多目的ロケット発射装置および戦術的誘導兵器」を試験するため、金総書記の直接監督の下に実施された「攻撃訓練」だと解説しました。

                

▽ 北朝鮮国内の人権

             

これとは別にアメリカ国務省は北朝鮮が「実にひどい人権と基本的自由の侵害を行っている」との懸念を表明し、アメリカ政府は北朝鮮の国民への虐待について「深刻な懸念と深い憂慮」が依然去らないと表明しました。

               

「およそ10万の人々が政治犯として刑務所や収容所で苦しみ、その家族や子供たちまで一緒に収監されてひどい目にあわされている例も少なくありません。さらに抑圧的な環境から逃亡しようとして捕まった場合は、その多くが拷問されたり殺害されたりしています。」

            

             

先週国連は、北朝鮮国内では1,010万人が深刻な食料不足に苦しんでいると公表しました。

                

世界食糧計画のスポークスマンは、「飢饉」という表現は現段階では当てはまらないと語る一方、数ヶ月または数年後には飢饉と言うべき危機的状況に陥る可能性があると語りました。

https://www.aljazeera.com/news/2019/05/trump-japan-abe-discuss-north-korea-tests-190506172919131.html

 

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安倍首相が金総書記と直接対談すると語っていることについて、拉致問題の解決に向け本当に取り組む気持ちがあるのかどうか、これまでのアベ政治を見れば大いに疑いたくなるところです。
同じ思いを抱いていらっしゃる方も多いと思います。

急に『直接会談』を言い出した背景にあるのはもちろん、夏の参議院議員選挙を睨んでのことでしょうが、この記事にあるように、北朝鮮国内の危機的な食料事情を交渉の好機と捉えたことも加わっているのかもしれません。
しかしこの記事が掲載された数週間前に金総書記はロシアを訪問しています。
1,010万人という膨大な数の人間の飢餓を解決するには、中国、ロシアのように陸続き、あるいは港同士が近接している地区の方が食料輸送の融通も利きます。
北朝鮮国内の食料危機を取引材料にできるほど、日本に食料供給能力はあるのでしょうか?

           

拉致問題の解決について繰り返し特使を派遣するなどの不断の交渉を続けてきたわけでもなし、地道で誠実な取り組みとは無縁のアベ政治が拉致被害者を救うことはできるでしょうか?

エコノミスト流解説【 天皇の交代が意味するもの 】

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平和を守り、国民に寄りそうことを大切にする明仁天皇から徳仁天皇への譲位・忍び寄る黒い影
皇居に籠って神に祈るより、国民に、弱者に寄り添うという選択を続けた明仁天皇と美智子皇后

               

                  

エコノミスト 2019年4月29日

                 

4月30日、30年間の在位を経て明仁天皇が退位しました。
85歳になる明仁天皇が1817年以来となる存命中の退位を発表すると、日本国内には衝撃が走りました。
明仁天皇の長男である徳仁皇太子(写真左)が正式には世界最古の君主国の126番目の天皇となりますが、日本の皇室起源は神話伝説によれば女性の太陽神である天照大神にまで遡ります。

              

では今回の天皇の交代は日本にとってどんな意味を持つのでしょうか?

               

戦後憲法は天皇の役割について、宣戦布告の権限を含む絶大的な政治的権力を持った現人神から、国家の象徴に変更しました。
1989年に天皇の地位についた明仁天皇は、彼の父親とは異なる役割を果たしてきました。
明仁天皇は皇居に籠って神に祈り続けるよりも、国民に寄り添うという選択を続けたのです。

              

2680年と言われる天皇家史上初めて一般市民の女性と結婚し、ハンセン病患者が収容されている療養所を慰問し、パラリンピックを擁護しました。

            

             

2011年東北地方の太平洋岸を壊滅させた東日本大震災が発生すると、明仁天皇と妻の美智子皇后は被災地に出向いて生存者に話しかけ、床にひざまずいて両手で被災者たちの手を握りました。
そして明仁天皇は第二次世界大戦(太平洋戦争)における日本の史実に正面から向き合い、贖罪を行うことに熱心に取り組みました。

            

太平洋戦争の戦場となったサイパンやパラオなどの戦場を訪問し、そこで命を落とした人々に弔意を表し追悼を行いました。
また明仁天皇は太平洋戦争のA級戦犯14人の霊が祀られていることをめぐって未だに国内で議論が分かれる靖国神社を訪れることを控え続けてきました。

            

徳仁天皇の皇位継承により日本で目に見える形で変化するのは、『令和』という新しい時代が始まることです。
令和という2文字は「美しいハーモニー」を意味します。

                       

徳仁天皇はこの2文字が象徴する意味について、これから独自の考えを展開していくことになります。

               

『玉砕』を強いられたおびただしい数の日本兵の死体 : ペリリュー島

明仁天皇・美智子皇后は日本国内の社会的弱者の支援に心血を注いできましたが、皇太子時代にオックスフォードで教育を受けた徳仁天皇とハーバード大学卒業生であり、皇室に嫁する以前は数カ国後に堪能な外交官であった皇后のカップルは、国際舞台での活動の方が多くなるかもしれません。
だからと言って徳仁天皇が明仁天皇が30年間歩み続けてきた方向から大きくそれるということは起こりそうにありません。

                  

日本国民の間での明仁天皇の人気は極めて高く、常時80パーセント台を維持してきました。
徳仁天皇も明仁天皇同様、被災地を慰問し、障害のある人々を擁護し、日本の太平洋戦争当時の事歴を正面から見つめ、靖国神社に足を運ぶことはしないでしょう。

                 

明仁天皇の天皇家と一般市民の間のギャップを埋めようとする努力は、彼の家族の人気をいやが上にも高めました。
しかしいかに人気が高い天皇であっても、回避することが不可能な危機が迫っています。

            

日本の皇室典範は皇族の家長は女性であってはならないと規定しています。
このため徳仁天皇の第一の後継者は弟の秋篠宮、次がその12歳の長男です。
さらに皇室典範では女性皇族が一般人男性と結婚した場合は皇族から削られることになっており、現在18人いる皇族は将来一層減少することになります。

                

                

この問題に対処するためには女性天皇の誕生を認めるなど皇室典範の改正が必要です。
しかしこうした考え方に激しく反対しているのが安倍晋三首相の支持基盤でもある日本の守旧派です。

                 

神道色の強い天皇家の儀式も論争の的になっています。
公的資金を神道の儀式に使うことは宗教と国家の分離という憲法の原則に違反するというのが、批判的な立場をとる人々の主張です。

                

しかし今のところ日本国民の多くは、新天皇の即位を新しい時代の到来と受け止められているようです。
停滞する経済と相次いだ大きな自然災害が特徴的だった平成の時代に変わり、日本の人々は新しい時代を迎え入れようとしています。

              

https://www.economist.com/the-economist-explains/2019/04/29/what-the-change-of-emperor-means-for-japan
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最後の1フレーズ、「 country is ready to embrace a new age. 」をどう翻訳するか、大分悩みましたが、結果はご覧の通りです。

            

明仁天皇ご夫妻は誠実無比な、仁愛に満ちた公平で賢良な方々でした。
その進み方は異なるものであっても、徳仁天皇にも同じ見識を期待するばかりです。

             

その天皇家と対照的なのが言わずと知れたアベ政治。
そういえば110年〜75年前、天皇家を自分たちに利用して私曲の限りを尽くし、挙句数百万人の国民を死に追いやり、核兵器攻撃まで招きよせ、結局は日本を滅亡の淵まで追い込んだのも桂太郎から東条英機に至る長州閥でした。

                

大正天皇も昭和天皇も、結局はその私曲の波に飲み込まれてしまいましたが、明仁天皇はぶれることなく生涯を通じて平和主義をつらぬかれました。
政治的発言や活動について極端なまでの制約を課されながら、政治家以上に賢明な政治眼を持たれていた方だと思います。

しかし自分たちの政治目的を達成するために天皇家を『利用』しようとする勢力は虎視眈々とその機会を探り続けています。
こうした人間たちに天皇家を利用させない!
それもまた私たち国民の責務の一つかもしれません。

津波によって平らにされてしまった町、大胆な都市計画と新ビジョンで活気を取り戻せ!

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ただでさえ人口減少にあえいでいた町に、津波は尚一層の困難をもたらした

広島・長崎への原爆投下以降、日本史上最悪の被害をもたらした東日本大震災・福島第一原発事故

親しい人間との死別、財産の喪失、避難生活に打ちのめされてしまっていた町民、それでも彼らは立ち上がった

             

2011年3月に東北地方太平洋沿岸を襲った津波により壊滅的被害を受けた際、女川町の衰退はすでに始まっていました。
女川町は町の再建、そして活性化という2つの課題をクリアすることは可能でしょうか。

             

リチャード・バイズ / ガーディアン 2019年4月17日

             

2011年に東日本の太平洋岸を壊滅させた津波が襲った際、女川町には地面から引き剥がされた交番が横倒しになっていました。
女川町の復興推進部門副部長の田浦義則氏は、次のように語りました。
「私たちは次の世代に教訓を確実に引き継ぐために、この建物を震災遺構として永久保存するつもりです。

                

それは感傷だけに基づくものではありません。
女川の街並みは津波によってほとんど平らにされてしまいました。
未来に向け再建が進められる中、破壊された交番の無残な姿は、津波警報のサイレンが鳴ったら何をおいてもは高台に向かって走らなければならないということを毎日思い出させることになるでしょう。

                 

             

しかし女川の再建は自然災害から町を守るだけでは達成できません。
この町は域内の人口が急激に減り続ける中で、活気あふれる繁栄をどうやって作り上げていけば良いのか、その方法を探さなければなりません。
津波は全国の自治体の中で最も深刻なペースで進む女川の人口減少に拍車をかけてしまいました。
1965年から2011年の間に人口は1万人に半減し、現在ではさらに約6,500人にまで減少しています。

                 

               

原爆投下以降最悪の災害の後、いったいどうすればただ単に物理的に再建されるだけでなく、女川は活気あふれる賑やかな町のままでいられるのでしょうか。

                

問題解決のため女川が打ち出した解決策は大胆なものでした。
すべての住宅地で非居住施設をほぼ全面禁止しました。
これにより女川町の住民は何をするにも - 働くのも、買い物をするのも、学校に行くのも、公共サービスを利用するのも、すべて町の中心部に出てこなければならなくなりました。
女川はスプロール現象(町の中心から郊外へ無秩序、無計画に開発が拡散していく現象)を違法としたのです。

                    

                   

その目的は、新しい駅前の商業地区に自治体が「賑やかな中心街」と名付けた場所を造り上げることです。
このアイディアの基本にあるのは、多頭人口減少が進んでも町の中心部が活気を失うことはない、というものです。
「女川の町の計画には、人口減少を前提条件として取り入れる必要があります。」
田浦氏がこう語りました。
「町の中心部に施設を集中させることによって私たちは女川に新しいエネルギーと新しい雰囲気を生み出したいと考えています。」

             

史上最大規模の津波と地震をもたらしたのは2011年3月11日に発生した東日本大震災でした。
津波の被害を受けた面積は560平方キロメートルを超え、22,000人が死亡、数十万人が避難を余儀なくされました。

                 

宮城県の女川町は自治体としてどこよりもひどい被害を被りました。
周囲の湾に沿う形で陸に向かって押し寄せた津波の高さは14メートルに達し、市街地を包囲するようにして水没させ、827人の命を奪い、全建造物の3分の2が破壊されました。

                     

             

日本は増税によって資金を確保し、地震と津波に加え、福島第一原発の事故を加えた三重災害・東日本大震災の被災地に巨額の復興援助を行いました。
女川は10年間で243億円の国家支援を受けることになっています。

             

             

津波の被害により、人々は親しい人間との死別、財産の喪失、避難生活に打ちのめされてしまっていた町民は、どうやって再建を実現させるかという決定を役人任せにすることを許されてもよかったのかもしれません。
しかし彼らはまるで逆でした。
数百人の市民たちが公開の会議に出席し、激論を戦わせることもしばしばありました。

                   

町長の須田善明氏は、次のように述べています。
「地域社会を丸ごと、あるいは家族を失ってしまったにもかかわらず、一人一人は自分たちの現実に向き合わなければなりません。町の再建方法に多くの町民があれほど大きな関心を寄せた理由はその辺にあるかもしれません。 」

             

最も議論が紛糾したのは町を取り囲むように存在していた14の集落を再建するか、あるいは町の中心部に集団移転させるどうかという問題でした。
当時の安住宣孝町長は集団移転を支持していましたが、年配の住民に反対され、まもなく須田氏と交代することになりました。
各集落は再建されることになる一方、公共サービスは一箇所に集中され、利用するためには誰であってもそこまで来なければなりません。

                

目指すべきゴールは他にもあります。
町の存続は若い世代を引きつけ、そして定住させられるかどうかにかかっています。
地元企業の間では旧世代のビジネスリーダーが復興を指揮していることが問題視されていました。
「実業界の指導者はすべからく60代以上だと言われています。だからあまり口をださないようにして欲しいのです。」
女川町の官民パートナーシップを率いる土井秀樹氏がこう語りました。

             

女川の津波後の掃除トップ:2011年3月16日、中:2011年6月3日(中)、2011年9月1日写真:共同通信/ロイター通信

                    

女川が要塞のようにはならないように、将来再び襲うかもしれない津波の危険に対応するため復興計画には都市計画が含まれています。
海岸線に近い一帯は公園に限定され - 倒壊した交番は震災碑の中心となる予定です。水産業に欠かせない建築物に隣接する事になります。
そしてその背後には、比較的低い「レベル1」の津波(女川の場合は高さ約4メートル)に対し障壁として機能するのに十分な高さを持つ新たに建設された道路で保護された商業地区中心の街並みが広がります。

            

女川町の新しい住宅地は高さ約17メートル・レベル2の津波が襲来しても安全な十分な高さがある山腹を削り取って建設が進んでいます。

           

「私たちの町は海、山、そして森に囲まれており、平坦な土地がほとんどありません。だから山を切り開いて宅地を造成しているのです。」
と田浦氏がこう語りました。。
「住宅地は大きな津波が襲ってきても安全を確保するのに十分な高さになるでしょう。低い地域は商業用地と駅だけになります。私たちは一般住宅をこの地域に建てられないようにしました。」

             

湾内ではあちこちで大規模な建設作業が進んでいます。コンクリートの補強材で丘ののり面を補強し、土地を削って平らにして造られた新しいコミュニティと町の中心部を繋ぐ道路をの建設が進んでいます。
ほとんどの被災者は新たな住宅に入居しましたが、約40世帯がまだ借り上げを含む仮設住宅で暮らしています。

新しい女川港と高台に建設された住宅

            

町が無秩序に広がらないようにする取り組みが成功するか否かは、人口が縮小しつつある中、どうやって活力を生み出せるかという点にかかっています。
英国同様、日本も商店や会社の廃業により目ぬき通りがシャッター街と化す現象に苦しんでいます。
東日本大震災以前、女川町の中心部のほとんどは個人所有であり、自治体がこの問題に対処する能力には限界がありました。

                 

しかし現在、自治体が土地の所有権を取得し、コミュニティ開発会社が店舗を所有しテナントの管理を任されています。
助成金によるサポートもあり、テナントはすでに約40店が入居しました。
これらのテナントは女川の町にボヘミアン調の空気を送り込んでいます:ギターメーカー、石鹸会社、タイル工場、コーヒーショップ、職人が作るテイクアウトのファストフード店、さらにはさまざまな催し物が開催されます。

                

しかしながら目指すべき目標は明快さとは程遠いものです。
東日本大震災以前女川に存在していた企業の3分の1は生き残ることができませんでした。
投資、決意、楽観主義、創造力をかき集めても尚、それでも人口減少が創造を超える強力な障害であることが証明されてしまう結果に終わるのではないかという恐れが依然として残っています。

                  

「どうすれば将来に向けこの町を成功に導くことができるかというのは、私たちが未だに絶えず答えを出せずにいる問題なのです。」
「私たちはこれからの町の再建手法が、コミュニティに人々を呼び込み、定住させるためのモデルとして役に立つことを願っています。
もちろんインフラストラクチャを整備することも重要ですが、最も重要なのは町の人々が再建のために力を合わせ、活力と熱意を持って取り組むことなのです。」

https://www.theguardian.com/cities/2019/apr/17/the-town-that-outlawed-sprawl-onagawa-tsunami-rebuild

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3.11からちょうど1週間後、私たち夫婦は女川にいる友人宅に見舞いに行きましたが、仙台、石巻、女川と車を運転していった途中に見た光景は、忘れようと思っても忘れられるものではありません。

石巻市内の学校の校庭はあらゆる種類の緊急車両で埋め尽くされ、幹線道路の両脇には津波で流されたがれきがあたかも堤防のようにうず高く積まれていました。

さらに進むと、住宅の外壁を突き破って乗用車が突き刺さり、天地が逆になった小さな建造物が目に入り、当時はまだ生活道路の確保のための懸命の作業が続けられていました。

仙台市内の丘の上の岩盤に建つ我が家は当時築5年ということもあり、多数の物が倒れた以外は、よく見ると壁の隅の壁紙に亀裂が入っている程度の被害で済みました。

                

しかしそれも今考えれば、東北電力女川原発が東京電力福島第一原発と同じ事故を起こさなかったからだと思い当たりました。

もし福島第一原発と女川原発が2つとも事故を起こしていたら、原発難民は数十万人ではなく数百万人の規模に膨れ上がっていたはずです。

そして私の人生も、家族も含め今周囲にいる人々の人生も、容赦なくその時点で断ち切られていたに違いありません。

広島平和記念資料館・本館リニューアルオープン

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核兵器攻撃というものが、どれほどの規模の人的被害を強いるものであるか…

憎むべきものは戦争そのもの

国家という大義の名は暴力を正当化し、自分たちと異なる人々を弾圧し、人間性を奪うために何度も使われてきた


                  

フランチェスカ・ストリート / 米国NBCニュース 2019年4月25日

             

広島平和記念資料館( http://hpmmuseum.jp/ )が2年間にわたる大規模な改装を経て、2019年4月25日に再公開されました。

                  

日本で最も訪れる人の多い人気のある博物館の1つである広島平和記念資料館は、1945年アメリカが行った広島への原爆攻撃の記録を集めた心揺さぶられる記念施設ですが、2年という時間て大々的に改装され、このほどリニューアル・オープンしました。

              

               

改装されたスペースには犠牲者の衣服のような個人的な関連遺品が展示され、歴史上初めて使われ史上最大の破壊力を持った核兵器というものが、人間に対してどれほどの犠牲を強いるものであったかを強く印象付けます。

               

そして現在も生存者がいる原爆の被害者 - 被爆者の証言も展示設備の中で語られ、原爆攻撃によって殺害された推定140,000人の人々への追悼を形作っています。

                

現在展示されている遺品や資料の多くは、生存者や遺族から寄贈を受けたものです。
広島平和記念資料館はもともと1955年にオープンし、2017年には約170万人の人々が訪れました。

                 

               

▽ 心揺さぶられる体験

               

原爆が投下された日である8月6日に毎年開催される平和記念式典の会場となる広島平和記念公園がある場所は、かつては市中心部の繁華な商業地域でしたが、原爆の投下によって真っ平らにされた後に公園として整備されたものです。
ここも多くの人々が訪れます。
そのすぐ近くに立つ原爆ドームは広島の産業振興会館でしたが、現在ではその爆発の凄まじさを象徴する原爆遺構として世界的に有名になりました。

               

1945年8月6日にアメリカが投下した原子爆弾は、この原爆ドームの真上で爆発しましたが、ドーム型の建物の骨格がそのまま残りました。
この建物の残骸は1996年にユネスコの世界遺産になりました。
2016年5月、当時のオバマ米大統領は「核兵器のない世界」を呼びかけ、アメリカ歴代大統領として初めて広島の平和記念資料館を訪問しました。

               

https://edition.cnn.com/travel/article/hiroshima-peace-memorial-museum-reopens-japan/index.html

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【 広島平和記念公園におけるバラク・オバマ大統領の演説 】

               

(広島平和記念公園)全文
アメリカ大使館 2016年5月27日

           

71年前の明るく晴れわたった朝、空から死が降ってきて世界は一変しました。閃光(せんこう)と炎の壁によって町が破壊され、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことがはっきりと示されました。私たちはなぜ、ここ広島を訪れるのでしょうか。それほど遠くない過去に解き放たれた、恐ろしい力についてじっくりと考えるためです。10万人を超える日本人の男女そして子どもたち、何千人もの朝鮮半島出身の人々、12人の米国人捕虜など、亡くなった方々を悼むためです。こうした犠牲者の魂は私たちに語りかけます。彼らは私たちに内省を求め、私たちが何者であるか、そして私たちがどのような人間になるかについて考えるよう促します。

                

広島を特別な場所にしているのは、戦争という事実ではありません。古代の遺物を見れば、人類の誕生とともに暴力的な紛争も生まれたことが分かります。人類の初期の祖先たちは、火打ち石から刃物を、木からやりを作ることを覚え、こうした道具を狩猟だけでなく、人間を攻撃するためにも使いました。どの大陸においても、原因が穀物の不足か、金塊を求めてか、強い愛国心か、熱心な信仰心かにかかわらず、文明の歴史は戦争で満たされています。帝国は盛衰し、人々は隷属させられたり解放されたりしました。その節目節目で、罪のない人々が苦しみ、無数の人々が犠牲となりましたが、その名前は時間の経過とともに忘れ去られました。

              

広島、長崎で残酷な終結を迎えたあの世界大戦は、世界で最も豊かで最も力を持つ国同士の戦いでした。これらの国々の文明により、世界は素晴らしい都市と見事な芸術を得ることができました。これらの国々から生まれた思想家たちは、正義と調和と真実の思想を唱道しました。しかし、この戦争を生んだのは、最も素朴な部族の間で紛争の原因となったものと同じ、支配したいという基本的な本能でした。古くから繰り返されてきたことが、新たな制約を受けることなく、新たな能力によって増幅されました。わずか数年の間に、およそ6000万人の人々が亡くなることになりました。子どもを含む、私たちと同じ人々が弾丸を浴び、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢え、ガス室に送られて死んでいったのです。

                

世界には、この悲劇を記録する場所がたくさんあります。勇気と英雄的な行為の物語を伝える記念碑、言葉では言い表せない悪行を思い起こさせる墓地や誰もいない収容所などです。しかし、空に立ち上るキノコ雲の映像の中に、私たちは、人間が抱える根本的な矛盾を非常にはっきりと思い起こすことができます。すなわち、人間の種として特徴付ける、まさにその火花、つまり私たちの思想、想像力、言語、道具を作る能力、人間を自然から引き離し、自分の思いどおりに自然を変える能力が、比類ない破壊をもたらす力を私たちに与えたのです。

                     

物質的進歩や社会的革新によって、この真実が見えなくなることはどれほどあるでしょうか。より大きな大義の名の下に、暴力を正当化する術を身に付けることは非常に容易です。全ての偉大な宗教は、愛と平和と正義に至る道を約束します。しかし、いかなる宗教にも、信仰を殺人の許可と考える信者がいます。国家というものは、自らを犠牲にして協力し、素晴らしい偉業を成し遂げるために人々を団結させる物語を語って生まれます。しかし、その同じ物語が、自分たちと異なる人々を弾圧し、人間性を奪うために何度も使われてきました。
科学によって人間は、海を越えて通信し、雲の上を飛び、病を治し、宇宙を理解することができるようになりました。しかし、こうした同じ発見を、これまで以上に効率的な殺人マシンに転用することもできます。
現代の戦争はこの真実を教えてくれます。広島はこの真実を教えてくれます。人間社会に同等の進歩がないまま技術が進歩すれば、私たちは破滅するでしょう。原子の分裂を可能にした科学の革命には、倫理的な革命も必要なのです。

    

だからこそ私たちは、この場所を訪れるのです。この町の中心に立ち、勇気を奮い起こして原爆が投下された瞬間を想像してみるのです。目にしている光景に当惑した子どもたちの恐怖を感じてみるのです。 声なき叫び声に耳を傾けるのです。私たちは、あの恐ろしい戦争、それ以前に起きた戦争、そしてこれから起こるであろう戦争の犠牲になった罪のない人々のことを忘れてはいません。

               

単なる言葉では、このような苦しみを伝えることはできません。しかし私たちは歴史を真っ向から見据え、このような苦しみが二度と起きないようにするために、どのように行動を変えればいいのかを考える責任を共有しています。いつの日か、証人としての被爆者の声を聞くことがかなわなくなる日が来ます。けれども1945年8月6日の朝の記憶が薄れることがあってはなりません。この記憶のおかげで、私たちは現状を変えなければならないという気持ちになり、私たちの倫理的想像力に火がつくのです。そして私たちは変わることができるのです。

               

あの運命の日以降、私たちは希望に向かう選択をしてきました。日米両国は同盟を結んだだけでなく友情も育み、戦争を通じて得るものよりはるかに大きなものを国民のために勝ち取りました。欧州諸国は、戦場の代わりに、通商と民主主義の絆を通した連合を築きました。抑圧された人々や国々は解放を勝ち取りました。国際社会は、戦争の回避や、核兵器の制限、縮小、最終的には廃絶につながる機関や条約をつくりました。

                

しかし、国家間の全ての侵略行為や、今日世界で目の当たりにする全てのテロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、私たちの仕事に終わりがないことを物語っています。人間が悪を行う能力をなくすことはできないかもしれません。ですから私たちがつくり上げる国家や同盟は、自らを防衛する手段を持つ必要があります。しかし私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければなりません。
私が生きている間に、この目標を実現することはできないかもしれません。しかし粘り強い努力によって、大惨事が起きる可能性を低くすることができます。保有する核の根絶につながる道を示すことができます。核の拡散を止め、大きな破壊力を持つ物質が狂信者の手に渡らないようにすることができます。

               

しかし、これだけでは不十分です。なぜなら今日世界を見渡せば、粗雑なライフルやたる爆弾さえも、恐ろしいほど大きな規模での暴力を可能にするからです。戦争自体に対する私たちの考え方も変えるべきです。そして外交を通じて紛争を回避し、始まった紛争を終結させるために努力すべきです。相互依存の高まりを、暴力的な争いではなく平和的な協力を生むものであると理解し、それぞれの国を破壊能力ではなく、構築する能力によって定義すべきです。
とりわけ、私たちは人類の一員としての相互の結び付きについて再考すべきです。これも人類を他の種と区別する要素だからです。私たちは、遺伝子コードによって、過去の過ちを繰り返すよう定められているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選択することができます。子どもたちに異なる物語、つまり共通の人間性を伝える物語であり、戦争の可能性を低下させ、残虐行為を受け入れ難くするような物語を話すことができます。

                 

私たちは、こうした物語を被爆者の方々に見てとることができます。原爆を投下したパイロットを許した女性がいます。本当に憎んでいたのは戦争そのものであることに気づいたからです。この地で命を落とした米国人の遺族を探し出した男性がいます。彼らが失ったものは自分が失ったものと同じだと信じたからです。私の国の物語は簡潔な言葉で始まりました。「万人は平等に創られ、また生命、自由および幸福追求を含む不可譲(ふかじょう)の権利を、創造主から与えられている」というものです。こうした理想を実現することは、国内においても、自国の市民の間でも決して容易ではありません。
しかし、この理想に忠実であろうと取り組む価値はあります。これは実現に向けて努力すべき理想であり、この理想は大陸や大洋を越えます。全ての人が持つ、減じることのできない価値。いかなる命も貴重だという主張。私たちは、人類というひとつの家族の一員であるという基本的で必要な概念。これこそ私たちが皆、語らなければならない物語です。

               

だからこそ、人は広島を訪れるのです。そして大切に思う人々のことを思い浮かべます。朝一番に見せる子どもの笑顔。食卓でそっと触れる伴侶の手の優しさ。ホッとさせてくれる親の抱擁。こうしたことを考えるとき、私たちはこの同じ貴重な瞬間が71年前、ここにもあったことを知ることができます。犠牲となった方々は、私たちと同じです。普通の人々にはこれが分かるでしょう。彼らはこれ以上戦争を望んでいません。科学の感嘆すべき力を、人の命を奪うのではなく、生活を向上させるために使ってほしいと思っています。
国家が選択を行うとき、指導者が行う選択がこの分かりやすい良識を反映するものであるとき、広島の教訓が生かされることになります。

                 

この地で世界は永遠に変わりました。しかし、今日この町に住む子どもたちは平和な中で一日を過ごします。なんと素晴らしいことでしょう。これは守る価値があることであり、全ての子どもに与える価値があることです。こうした未来を私たちは選ぶことができます。そしてその未来において、広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たち自身が倫理的に目覚めることの始まりとして知られるようになるでしょう。

http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20160527-02.html

トランプの対イラン強硬方針にふりまわされるアジア諸国

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米政府、イランの石油輸入禁止・制裁措置を全面強化、アジア地域経済に悪影響
米国の決定は地域の平和と安定には貢献しない、単にイランの人々の生活に打撃を与えるものでしかない

                  

アルジャジーラ 2019年4月23日

              

アメリカは5月1日以降、イラン産原油を輸入する国々に対する制裁の免除を継続しない方針です。

                  

アメリカがイラン産原油を輸入している国々に対する免除をこれ以上延長しないという米国の決定に対し、経済的に上位にあるアジア地区各国は慎重に成り行きを見守ろうとする国から反発して闘う姿勢を見せる国まで先々な反応を見せています。

              

4月23日月曜日に、米国政府は5カ国 - 日本、韓国、トルコ、中国、インド - に対し、5月2日の制裁免除期限切れ以降もイランから石油を輸入し続ければ、米国の制裁措置の免除が受けられなくなると通告しました。
しかしこれら5カ国はイラン産石油の最大の顧客でもあります。

              

最も慎重な姿勢を見せているのが日本です。
24日火曜日、安倍政権の世耕経済産業大臣は今回のアメリカ政府の決定による影響が最小限の範囲に留まることを期待していると語りました。
「国際石油市場を注視し、原油輸入に携わる日本企業と意見を交換し、必要な措置を講じることを検討することになるだろう。」
また安倍内閣の官房長官は次のように述べました。
「日本へのエネルギー供給が影響を受けないようにするために必要な措置を検討する。」

              

昨年11月、トランプはイランと世界の主要6カ国との間で締結されたイランの核開発を制限する2015年の合意から一方的に離脱すると宣言し、その直後米国はイラン産原油の輸出に対する制裁を再度行う決定を行いました。

              

中国、インド、日本を含む8カ国はこの制裁を6か月間免除されていましたが、数カ国はこの免除が更新されるものと予想していたのです。

             

4月22日月曜日のアメリカ政府の発表を控え、中国政府は近隣諸国と比べ強気の姿勢を崩しませんでした。
中国外務省報道官の耿爽(こうそう)氏は、米国のイランに対する制裁は一方的なものであり、中国政府は一貫して反対していると述べ、中国のイランとの二国間協力は合法なものであると付け加えました。

         

米国エネルギー情報局のデータによると、2017年のイラン産原油および液化天然ガス輸出量の24%を中国が購入、イランの輸出先の中で最大のエネルギー消費国となっています。
日本は5%です。

              

一方、トルコのメブリュト・チャブシオール外相は、「イランの石油輸入に対する制裁措置の免除を打ち切るという米国の決定は、地域の平和と安定に貢献するものではなく、ただ単にイランの人々の生活に打撃を与えるものでしかない。」
と述べ、次のように続けました。
「近隣諸国との外交関係の構築において、トルコ政府は一方的な制裁や強制を拒否する。」

                    

イランのアジアにおける他の主要な原油輸出先はインドであり、イランの原油輸出の18%を占めると伝えられています。
報道によればこうしたアメリカの対応をあらかじめ予測していたインド政府は、すでに他の国からの輸入について検討を進めてきました。

             

しかし韓国政府は、イラン産原油の品質と価格に見合った代替えの輸入先を見つけることは困難であるとの見解を示しているとアルジャジーラのソウル特派員ロブ・マクブライドが伝えました。
「韓国政府は米国との協議を続けているが、韓国の経済界は5月1日以降も制裁免除の延長を求めてロビー活動を行っています。」
マクブライド特派員が語りました。

                    

市場関係者は、石油の輸入に頼っているアジア経済が原油価格上昇の影響を受けることは避けられないと見ています。

             

投資銀行であるINGのアジア部門のエコノミスト、プラカシュ・サクパル氏は次のように述べています。
「影響は他の商品価格および地域経済に対するインフレ圧力を強めることになるでしょう。我々はまずすでにインフレ局面に入っているインド経済の先行きを注視するべきだと思います。」

https://www.aljazeera.com/news/2019/04/asian-countries-assess-impact-sanctions-iran-190423055347056.html

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