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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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海を漂う悲劇

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仙台市、4月14日朝8時30分、仙台市北東の利府町・多賀城市・塩釜市方面から仙台市中心部に向かって車の大渋滞が発生していました。
仙台市から宮城県の北東方面、仙台 ~ 多賀城 ~ 塩釜 ~ 松島 ~ 石巻を結んでいたJR仙石線が3月11日の大震災で沿岸部を中心に壊滅し、全線不通となりました。その後一度、仙台 ~ 松島あたりまで復旧したものの、4月7日夜中の大地震でふたたび全線不通となり、現在に至っています。

 今回の震災では[海]について、考えさせられることが多いスウェーデン1974年発行[西海岸]

今回の震災では[海]について、考えさせられることが多いスウェーデン1974年発行[西海岸]

JR仙石線は仙台圏の重要な通勤線だったため、不通の現在、この大渋滞を引き起こす主な原因になっているものと思われます。
渋滞の中、むやみにクラクションを鳴らしたりしている車もいます。思わぬ大渋滞にいら立っているのでしょうが、その先延々と車がつながっている以上、意味があるとは思えません。震災から一ヶ月有余、大地震直後には渋滞があってもクラクションを鳴らす車は少なかったのに、今はこの変わりようです。
同じ日、信じられない現象を伝えるニュースが流れていました。
日本ではほとんど報道されて無いようですが、ちょっと長めですが、以下引用してみます。

『3月11日の東日本大震災で津波に流された遺体の一部や家屋、車などが太平洋を渡り、1-3年後には米西海岸に達するという見通しが発表された。
津波で流された被災地・東北地方の家屋を含むがれきは現在、太平洋海流 に乗り、米国方面へ流されている。米ABC放送は8日、「米海軍第7艦隊が、津波で流された車や家屋などからなる巨大な「がれきの島(garbage island)」が太平洋を渡り、米西海岸に移動しているのを発見した」と報じた。津波によりできたがれきの島には、今回の大震災で流された犠牲者の遺体をはじめ、家屋20万棟・トラクター・トレーラー・船舶が含まれているという。
 米国の海洋学者カーティス・エッベスマイヤー博士は「今回の津波で流された遺体のほとんどは海に消えてしまうだろうが、運動靴のように硬いものに包まれた足など遺体の一部は水に浮かび、米西海岸の方へと移動し続ける可能性もある」と語った。
 複数の科学者は、こうした「がれきの島」について、1日に約16キロずつ移動し、早ければ1年、遅くても3年以内に、海流に乗りカリフォルニア・オレゴン・ワシントン州など米西海岸に漂着するものと予測している。船・車・家屋のがれき・プラスチック製の人形など浮力を受けやすい物体が先に漂着し、その後にプラスチックのいすや漁の網なども米海岸で発見されるとみられている。また、一部のがれきはその後も海流に乗り、ハワイ・東南アジア方面へも流れていくと予想される。』

 このがれきの島、長さが111km、面積はアメリカのテキサス州3個分と言いますから、気の遠くなるような大きさです。かつて仙台市の震災ごみ置き場について書いた時、『悲劇が積み上げられている...』旨の事を書きました(http://kobajun.biz/?p=234)が、がれきの島には多数の遺体が含まれている可能性があるところから、悲劇の大きさは計り知れないものがあります。
日本には『船幽霊』という言い伝えがあります。科学的考察も一部では行われ、自然現象の偶然が生む産物と言う解説もなされています(詳しくはWikipedia『船幽霊』の項をご参照ください)。
しかしこの大震災を経た今、船幽霊とは1,000年前に起きた貞観大地震・大津波が生んだ『がれきの島』を見た当時の人が考えだしたのでないか、と考え込んでしまいました。津波の犠牲者の多数の遺体を含んだ長さ100km超える大量の漂流物の集まりが、行くあても無く太平洋上をさまよっている様は、悲劇、といってもあまりに大きすぎて言葉を失ってしまいます。
今度の大震災では、想像を絶する悲劇が数限りなく生まれてしまいました。
それに比べれば、渋滞の中、車を進ませようとする人々には行くあてと進む目的があるはず。ある意味すでに立ち直っている人々である、という事もできるでしょう。
いら立ってむやみにクラクションを鳴らしたりせず、空いている方の手を、未だに立ち上がれずにいる人々に差し伸べられないか、お考えいただくわけにはいかないでしょうか?

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今日は長くは書きません。

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所要時間 約 3分

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まず次の3つの言葉を理解してください。

【1】科学
科学的な方法の古典的な基本は、17世紀にデカルトが『方法序説』で示した以下の原則である。
 • 明瞭判明の規則:明らかに真理と認められたものだけを判断の基準とする。
 • 要素分解:解決可能な要素に分解して考察する。
 • 具体から抽象へ:単純なものから複雑なものへと順番に認識をすすめる。
 • 総合:見落としがないことを十分に確かめて、完全な列挙と再構成により全体を再構成する。

【2】デマゴーグ

 ルネ・デカルト【方法序説】300年 フランス1937年発行

ルネ・デカルト【方法序説】300年 フランス1937年発行

デマゴーグ(demagogue)とは古代ギリシアの煽動的民衆指導者。本来の意味は民衆指導者であるが、アテナイではペリクレスの死後クレオンを始めとする煽動的指導者が続き、衆愚政治へと堕落した。 このことから「デマゴーグ」は煽動政治家のような悪い意味で使われるようになった。また彼らの民衆煽動はデマゴギーと呼ばれ、煽動的な嘘や噂を意味する「デマ」の語源となった。

【3】衆愚政治
有権者の大半が知的訓練を仮に受けていても適切なリーダーシップが欠けていたり、判断力が乏しい人間に参政権が与えられている状況。その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな政策が実行される状況をさす。また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。
エゴイズムは自己の積極的利益の追及とは限らず、恐怖からの逃避、困難や不快さの回避や意図的な無視、他人まかせの機会主義、課題の先延ばしなどを含む。

次に『福島県』という言葉からあなたが連想するものを思い浮かべ、もう一度【1】【2】【3】を読み返してみてください。
あなたは非科学的でもないし、エゴイズムとも関係ありませんよね...?

【1】【2】【3】ともにWikipediaより引用。一部割愛。

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古代ローマ初代皇帝・アウグストゥスから震災後の日本への手紙

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所要時間 約 6分

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私の名はGaius Julius Caesar Octavianus Augustus(ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス)、紀元前63年9月23日に生まれ、 紀元14年8月19日に冥界に入りました。76年生きたことになります。
暗殺されてしまった大叔父カエサル(シーザー)の後をついで、我が愛するローマに史上もっとも平和な - Pax Romana - パクス・ロマーナ時代をもたらした、と後世の歴史家の皆さんに評価していただきました。
私はこの度の東日本大震災という未曾有の災害に遭われた皆さんにぜひ一言、お話をさせていただきたくてペンをとりました。

私が生きた紀元前後のローマ帝国は史上空前のインフラ社会でした。ローマ帝国の威令が届く地中海世界は、まっすぐで舗装された街道が整備され、さらには水道網も張り巡らされていました。その他の制度・システムも整備されており、この部分では21世紀の皆さんの暮らしとさほど違ってはいませんでした。
当時の世界水準から見れば驚異的高水準にあった、と言えるでしょう。皆さんの国日本では、また歴史が記録されていなかったころの話です。
一部には奴隷制の社会ではなかったのか ? というご指摘があるかもしれません。
しかし歴史を正しくご検証いただければわかることですが、ローマ社会の奴隷の職業は家庭教師や料理人といったところが一般的で、蓄財によって一般市民になることも可能だったのです。鞭で打たれながら過酷な肉体労働を強いられる奴隷の姿は、昔のハリウッド映画が作り出した架空のものです。
なぜ、私がこのような話をするのか?
それはローマ帝国の「属州統治」が決して力ずく・権柄ずくのものではなく、地域・民族の慣習や生活スタイルを最大限尊重したものだったことをご理解いただきたかったからです。実質的に当時のローマは広大な地中海社会の首都でしたが、スペイン、フランス(ガリア)、パレスチナ(小アジア)、北アフリカの人々にローマ式の生活や社会を強制したことはありません。
私たちは地元の人々の意向を無視した統治を行うことによって、その地の民族の活力をそぎ、反抗を誘発し、その地が不安定になる。
結果として地中海社会の平和や安定、すなわち今日 Pax Romana と言われている状態が不安定化することこそ、第一に避けたいことだったのです。

アウグストゥス

アウグストゥス

さて、今度はあなた方の問題、東日本大震災のことを考えましよう。
私はいち早く、今度の大震災から復興のために立ち上がることを選択され、その為の努力を続けられている東北地方日本の皆さんに心から敬意を評します。
ただ、これから復興の道筋をたてていくにあたり、私が懸念している事があります。
それはあなた方日本人の、過度なほどの首都崇拝とも言うべき傾向についてです。
思い出していただきたい、今回の大震災において世界の人々が心を打たれたのは、想像を絶する災害の被害者でありながら、なお周囲の人々に対する思いやり・配慮を失わず、秩序を守って静かに耐えていたあなた方の姿です。
そのような人々であるあなた方が次に住む社会、すなわち『復興』によって築き上げていく社会は、世界が認めたあなた方のそうした『心映え』を映し出したものであるべきだと考えます。
あなた方がこれから築きたい社会は、壊れてしまった過去の再現ではなく、周囲の人々に対する思いやり・配慮を失わず、秩序を守って静かに生きていける街であると思います。

東京辺りにいる○○評論家とか、○○先生などと称する人々が地元の心を無視して作り上げた構想、あるいは既にどこかにあるような街並や施設を東京以西の業者が商業ベースで提示するプラン、そんなものを実現させてしまっては、本当にあなた方が幸せに暮らせる社会ができない可能性が高いのではないでしょうか。
今後の東北地方の復興の中心には、その地に暮らしてきた人々が担い手となるべきです。
人間は責任感と自負心を持ったときにもっとも良く働く、ということを思い出していただきたいのです。
惨禍に見舞われ、今すぐに責任感や自負心を持て、というのは不可能のようにも思えます。
しかし震災の翌日から、満身創痍の身に責任感、自負心をあふれさせた東北の人々が、復興に立ち上がっていく姿が海外も含めたたくさんのメディアによって紹介されました。
東北地方日本人の皆さん、責任感と自負心を併せ持ったあなた方が、常に復興の中心にいるようにしてください。
そして誰の為でもない、あなた方の為のコミュニティーを自信を持って築き上げていってください。

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英国・空の戦い

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所要時間 約 4分

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東日本大震災の「被災者」である私たちには、むしろこれから数多くの試練が待っています。被害の内容が明らかになるにつれ、立ち行かなくなる会社が出てきています。すでに従業員の解雇に踏み切らざるを得なくなった企業が2、3にはとどまらなくなっています。
しかも4月7日の夜中、2度目の大地震が宮城県を襲い、復興に向けて動き出していたライフラインを再びずたずたにしてしまいました。
しかし、大震災で亡くなられた30,000人近い方々のことを考えれば、何度地震が襲って来ても私たちは立ち上がらなければなりません。
ちょうど70年前、英国で同じようなことがありました。
1940年、西ヨーロッパに侵攻したドイツ軍はたちまちのうちにオランダ、ベルギー、フランスを席巻、イギリス軍・フランス軍を主体とする連合軍を海に追い落とします。ヒトラーは英国にも降伏を迫りますが、英国は拒否。ヒトラーは英国上陸作戦を標榜、同年7月の英国船団、飛行場への航空機攻撃により、英国・空の戦いが開始されました。
当初ドイツ軍は英国の戦闘能力を奪って降伏を迫るため、軍事施設に的を絞って攻撃しました。しかし、英国のベルリン報復爆撃に激怒したヒトラーの命令により、8月末になってロンドン市街の無差別爆撃に切り替えます。
この日からロンドン市民の長い苦しみが始まりました。
ドイツ軍は爆撃機・戦闘機あわせて1,700機で来襲するなど,毎晩のようにやってくる爆撃機の編隊は、ロンドン市街のありとあらゆる場所に爆弾の雨を降らせ、犠牲者がうなぎ上りに増え続けます。人々は地下鉄の駅構内や地下壕に退避、イギリス空軍が迎撃に向かいますが、敵味方ともに損害が激しく、まさに予断を許しません。

『この苦しみを東北の人たちだけに背負わせてはならない。』3月18日付の神戸新聞からの一節です。

『この苦しみを東北の人たちだけに背負わせてはならない。』3月18日付の神戸新聞からの一節です。

結局、粘り強い英国の祖国防衛の戦いの前に膨大な数の損害を出したドイツは9月19日、ヒトラーは作戦中止を指示、以後ドイツ爆撃機がロンドン上空に現れることは無くなりました。
この間57日間、4万人の市民が死亡し、都市の半分が壊滅。歴史あるロンドンの都は一望ガレキの山と化してしまいました。この後、ロンドンの人々は復興に全力を注ぎましたが、航空機の来襲は無かったものの、今度はドイツは大陸間弾道弾V1、V2ロケットをロンドンめがけ打ち込んできました。
結局、1944年になって連合軍がヨーロッパ本土に上陸し、その発射基地を抑えるまでロンドン市民は多大な恐怖にさらされました。
1940年から5年間の長きにわたり、ドイツの空爆・ミサイル攻撃に苦しんだロンドン市民、しかし『降伏』を言い出す人はいませんでした。
ウィンストン・チャーチルという指導者に恵まれたこともあったでしょうが、1940年8月からアメリカが参戦する1941年12月までの1年間以上、イギリスは孤立無援の中、耐え抜いたのです。
これに比べると、私たちには日本中はおろか、世界中から支援の手が差し伸べられています。
中にはタイのスラム街からの支援や、奈良の東大寺のように借金してまで支援しようという動きまであるのです。
そして日本の報道以上に諸外国の報道が、互いを思いやりながら復興に向かう東北の人々の姿を「尊敬すべきである」と伝えました。
私たちは必ず復活を果たすことでしょう。
日本中の人々もそれを望んでいます。

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2度目の大地震 – あらためて…

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所要時間 約 3分

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昨晩 - 4月7日夜も11時30分過ぎに大きな地震がありました。直後に近所にお住まいの知り合いの方の安否の確認に行きましたが、夜中とは思えない程車と人が行き交い、異様な雰囲気でした。2度目の大地震で不安も頂点に達し、とりあえず避難所に向かわれた方も多かったと思います。

何軒かのお宅ではガスその他の警報機が鳴り放しになり、あちこちでブロック塀が倒壊していました。『半壊』にとどまっていたお宅が『全壊』してしまい、住むところを完全に失ってしまった方もいらっしゃいます。

復旧に向かっていた各ライフラインが再び寸断され、復興への動きがたとえ一時的とはいえ中断させられるのも痛手です。
でも、最も大きいのは人々が心に負わされた傷です。お子さんをお持ちの方はとりわけご心配だと思います。

飼っていたワンちゃんの看病をしていたのに、再び襲った地震のため容態が絶望的となり、もうどうしたらいいの、という方からお電話をいただきました。

なんでここばっかりこんな目に遭わされるんだろう?! と苛立つ気持ちも大きくなっています。
私の人生にとって、この時間・この体験はいったいどんな意味を持っているのだろう、いや、意味なんてあるのだろうか?!

でも、当たり前のことですが周囲はみな同じ被災者。あらためて、みんなが辛い思いをしているのだ、と思うと、なおさらやりきれない思いが募ります。
でもこのサイトの一番最初に自分が揚げた原稿に、自分はこう書いていたはず - 支えることで支えられた、と。

折しも、震災当初一週間程我が家に避難し、その後中国に一時帰国していた友人夫婦のうち、旦那さんの方が今日、仙台に戻ってきます。彼も奥さん、子供さんを中国に残したままであり、しかも個人的にも問題を抱えています。

精一杯支えよう、親切にしよう、それは彼に対してだけでなく。
寛容になろう、落ち着こう。
支え合うための、自分への戒めです。

Living Together

オーストラリア発行 Living Together

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この国の政治家

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所要時間 約 3分

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日曜日など、「政治討論」番組が目白押し。
最近気がついたことですが、政治家、あるいは政治評論家のみなさんがテレビの政治討論番組などで主張している通りの政治が行われていれば、この国はずいぶんと『いい方』に向かうはずなのではないでしょうか。
ところが、現実は皆さんが見ての通り。
アメリカでつい最近、二大政党の民主党と共和党の国会議員が、国会で互い違いに並んで腰掛け、「ささいな利害は捨てて、力を合わせて国難に立ち向かおう」というパフォーマンスを行ったその日に、もっと深刻な『国難』に見舞われていたはずの日本の国会中継では、ただひたすらに足を引っ張り合う国会議員の姿がありました。そして今、まさに未曾有の『国難』が日本を襲っています。

最近「若手」国会議員なんて人たちがテレビに良く出てきます。はっきり言って私は政治にかけるビジョンなんか無いくせに、やたら声の甲高い人が虫酸が走るほど嫌いです。中身も無ければ品性も無し、人々のため、名も無い市民のために「このような政治を実際のものにしたい」なんて理念も無く、ただただ人の悪口。でもこういう人をやたらとテレビに登場させるのも日本のテレビ局なら、それを当たり前のことと受け取り、あげく本人をどこかで見かければキャアきゃあ言いながら、ケータイのカメラで撮りまくるのも日本人。言われた本人はますますその気になって、国会で表現だけがセンセーショナルだけど無内容なことを激烈にしゃべりまくる。するとまた、テレビ局が引っ張り出す......
でも忘れないでくださいね、世界はこういう人を国会議員に選んでいるのはあなたや私、つまりはそれが日本人なのだ、と見ているのです。
テレビの前だけで何だかちょっと正論めいたことを言っていながら、国会へ行けばひたすら足の引っ張り合い。
そこには陸前高田市のことを、南相馬市のことを、今度の震災で数多く生まれてしまった震災孤児のことを、鋭い痛みとともに考えているとはとても思えません。
でも、「知り合いに頼まれたから」「地元だから」「何かあったら、個人的な頼み事をきいてくれるかもしれない」なんて理由で、そういう人を選んでいるのがニッポン国民。
そしてニッポン国民とは、つまりはワタシと......

ポンピドゥ

ポンピドゥ

『本物の』政治家ポンピドゥー、第2次世界大戦当時はフランス・レジスタンスの闘士。
戦後、教師を経て政治家に、連続する危機を見事な舵取りで乗り切った。
1975年没後一年になるのを追悼し、発行された切手。
いかにフランス国民から愛されていたかがわかる。

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それでも花粉症はやってくる

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所要時間 約 3分

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こんな時ぐらい、やってこなくともよさそうなものなのに...
そう、花粉症です。
私は花粉症の季節には小青竜湯(しょうせいりゅうとう)という漢方薬を服用し、不快な症状を抑えていました。
※ 小青竜湯は鼻水、くしゃみ、目のかゆみ、湿った感じの咳に効果がある
ところが、震災の影響で物流がストップ、いつものんでいる顆粒の小青竜湯が手に入らなくなりました。
「困った...」
と私が言うと、女房殿が応えました。
「煎じ薬の小青竜湯をのめばいいじゃない。」
そうか、その方がもっと効くかもしれない。
幸いタキザワ漢方廠の小青竜湯のティーバッグがありましたので、耐熱容器を使って電子レンジで15分程煮だし、保温ボトルに入れて、暖かいまま一日数回に分けて服用するようにしました。
す・る・と
鼻水も、目のかゆみもピタッと治まりました。
漢方の液剤は新薬の静脈注射と同じぐらい、すぐに良く効く、と以前聞いた事がありましたが、まさにその通り。
私たちがふだん馴染んでいる漢方薬は顆粒、もしくは錠剤ですが、もともとは『草根木皮』といって、薬効成分のある植物のさまざまな部分を乾燥させ、砕いて、それを長い時間かけて煮だした汁を飲んでいたのですから、もともと煎じ薬の方が効果があるのは当たり前のことでした。
実は市販されている顆粒の漢方薬の中にも、「お湯に溶かして服用する」ものもあるのです。
小青竜湯の煎じ薬は漢方の中でも「マズい」方だと言われますが、暖かいとさほど飲みにくくもありません。
この春は、小青竜湯入りの保温ボトルがあれば乗り切れそうです。
それにしても漢方薬の煎じ薬、こんなに効くとはちょっと驚きでした。

西ドイツ1971年発行 児童福祉

西ドイツ1971年発行 児童福祉


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マネ、モネ、セザンヌ、ルノアール

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所要時間 約 4分

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今や絵画・西洋画と言えば、やはり最初に思い浮かぶのは『印象派』の絵の数々、この点はどなたも異論は無いと思います。そして印象派と言えば、マネ、モネ、セザンヌ、ルノアール。これ、呪文のようなものです。
実はマネの生まれた1832年からセザンヌが生まれた1839年までの間に、ドガ(1834年生)シスレー(1834年生)などが生まれているのですが、はじめの4人こそ印象派を代表するとする評価は不変です。
もっとも『印象派』という言葉には、彼らが活躍していた当時、あまりいい「印象」はなかったようです。作曲家のドビュッシーがこの当時、パリ音楽院の学生だったのですが、持ち前の輪郭のにじんだような作品を課題として提出した際、校長だったサン・サーンスに呼び出され、
「こんなボヤッとした、あの(ろくでなしの)印象派の連中の絵みたいな曲ばかり作ってると、将来ろくな作曲家にはなれないぞ。」
と注意を受けています。
大作曲家サン・サーンスと言えど、マネ、モネ、セザンヌ、ルノアール、そしてドビュッシーの評価については間違ってしまいました。
けれども絵画に少しばかり興味を持ち始めた10代の頃、まず開かなかったか、開いてもすぐに「バタン」と閉じていたのがこの4人の画集でした。
なんだか当たり前のことを、当たり前に描いているだけのような気がして、100年以上も後の人間が改めて見なければならない価値を感じませんでした。当時はロイ・リキテンシュタインやアンディ・ウォホールと言った人たちの『ポップ・アート』の方がずっと魅力的でした。
中でも気に入らなかったのがルノアールで、まるまるとした輪郭の裸婦・女性の肖像画については、まったく受け入れがたい印象を持っていました。たとえばモディリアーニ(アマデオ、1884 イタリア生まれ - 1920 フランスで没)の人物画が、一目見ればそこにある情感をストレートに伝えているのに対し、脂肪のたるみ(?)までもそのまま描写したような裸婦の絵画は、本格的に絵の勉強をしていた訳ではない10代には理解できませんでした。
そして現在、これまで何回か印象派~後期印象派の実物を見る機会がありましたが、モディリアーニの絵の美しさに対する憧憬は変わらないまま、ルノアールの作品に対しては驚嘆の思いを持つようになりました。
特に代表作の一つ、【ムラン・ド・ラ・ギャレット】という作品には、ただの人の集まりをこれほど美しく情感を込めて描けるものなのか、とあらためて賛嘆の思いを捧げるしかありません。頭上にある(画面の中にはありません)大きな樹の木の葉の間から降り注ぐ太陽の光が、人々の顔や洋服を様々な模様に染め上げ、そこにいる人物の表情と解け合い、まさにルノアールだけの世界を描き出しています。
この作品が個人の所蔵ではなく、パリのオルセー美術館が所蔵しているため、いつでも世界中の人々が鑑賞可能なことを神様に感謝したい気持ちです。かつてルノアールを見ても何も感じなかった人間が、です......
大震災に見舞われ、もうすぐ一ヶ月。でも、様々なアウトドアの楽しみやレジャーが震災前通りとはいかないでしょう。
もしご自宅にしまい込んだまま忘れてしまっているような画集などをお持ちなら、この機会に開いてみませんか ?

ムラン・ド・ラ

ムラン・ド・ラ

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たんぽぽとモンシロチョウと…

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先週あたり、アメリカのABCのニュース番組でも「Is This spring ?! - ほんとに春なの?!」と言ってましたが、日本でも特に被災地の寒さが気づかわれていました。
4月5日の今日、やっと仙台の日中の気温も10度を超え、春の到来のようです。
私にとって感覚的に『春』とは、道ばたのあちこちにタンポポが咲き、モンシロチョウがあちこちひらひらと飛び回っている景色です。

私が幼い頃は仙台市内の中心部と言え、幹線道路以外は未舗装の道も多く、春になれば至る所タンポポが咲いていました。別に目的も無く、モンシロチョウが風に流されて飛んで行くのと一緒に何となく広瀬川が流れる方に歩いて行くと、河原近くにはつくしがたくさん生えています。そしてシロツメ草(クローバー)あちこちに群生し、そこにもモンシロチョウが舞っている姿が...
ふんわりと柔らかい草の上に腰をおろし、ぼーっとしながら蝶が舞う姿やタンポポの黄色とクローバーの白い花を眺め、ゆっくりと時間が流れて行くのに身をまかせます。

何をするでも無く、何を考えるでも無く...

そして帰り道、菜の花畑の前を通ると、満開の黄色い花が一面に広がっていました。暮れなずむ夕陽を浴びて、今度の震災では、東北太平洋岸に暮らす人々はそれぞれに心に傷を負いました。
私の家族も例外ではありません。
車なら行くのに10分もかからない仙台市~多賀城・七ヶ浜の東岸には、見る者を戦慄させずにはおかない廃墟が広がっています。
『復興』のためには、この現実をしっかり心にとどめておく必要があるでしょう。
でも、今度の休みには家族を乗せて、たんぽぽとモンシロチョウがいて、そしてできれば桜も咲いている暖かい場所に行き、家族ともども心を休ませたいと思います。

アルゼンチンの春

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新聞紙とおがくず

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4月4日朝のニュースを見て、ア然としました。
福島第一原発の事故で計測できないくらい高濃度の汚染水の流出を食い止めるため、東京電力が行った『対策』の一つに、新聞紙とオガ屑(木にカンナをかけたときに出る、非常に薄い削りかす)で穴を塞ぐ試みをした、というものでした。
そして、失敗した、と。
EUの原子力委員会の委員長が、福島第一原発の事故後の日本の対応を『信じられない程場当たり的』と評価したそうですが、これなどその最たるものではないでしょうか。

NHKで一昨年から『坂の上の雲』の放映が始まり、今年の年末にはいよいよ「旅順」「奉天会戦」「日本海海戦」などのクライマックスシーンが目白押しの予定です。
司馬遼太郎さんの原作の中、「旅順」の項にこんなシーンがあります。
ロシアが重火器を大量に配置して築き上げた近代要塞に対し、兵に全身露出の肉弾攻撃を強いて膨大な数の犠牲者を出し続ける、日本軍の旅順攻撃担当司令部。犠牲者の数は北方で野戦をしている日本陸軍本体とは、比較にならないペースで増え続けます。
その作戦参謀長が改めて旅順要塞に対し総攻撃を行うにあたり、何も新たな攻略方法を考えることなく、ただ攻撃の日を「偶数日とする。偶数は2で割ることができる。したがって要塞を割ることができる。」と言い放つシーンが出てきます。
作者は書きます、「この程度の知能が日本の命運をかけた作戦を立案している。(これでは)兵も死ぬであろう...」と。
日本人が旅順攻略で見せた『民族的欠陥』(作者の表現)というものが、100年を経てもなお改善されてはいない、ということが、今度の福島第一原発の事故で証明されないように、ひたすら祈るばかりです。
このたびの事故で、何が根拠で高濃度の放射能汚染水に対して「新聞紙とおがくず」なのかは解りませんが、バケツ一杯の水を処理するのにいったいどれだけの新聞紙が必要か。それが写真や映像で見る限り、一分間に何リットルもの高濃度の汚染水が流れ出ているのです。

【フランス・ランスの潮力発電所完成】1966年発行

【フランス・ランスの潮力発電所完成】1966年発行

バキュームカーで休み無く吸い続けて対応できるレベルだと思うのですが、新聞紙とおがくずを言い出した人に話を聞かなければなりません。
でも、聞いた後にこう言わなければならないのではないでしょうか。
「福島沿岸の市も、町も、滅びるであろう...」と。

このサイトについて
ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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