星の金貨 new

星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

ホーム » エッセイ » 

福島第一原発 現場の作業員を『人柱』にするな

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 4分

広告
広告

我が家では震災後3日程で電気が回復し、テレビが見れるようになり、さらに数日後インターネットを通してアメリカABC・NBCの報道番組を見れるようになりました。そして福島第一原発の事故の詳細が解るようになったのです。
それ以来ずっと、心に引っかかっていた事があります。

第二次世界大戦で廃墟になったフランスの都市/ダンケルク/ルーアン/カーン/サンマロ フランスの寄付金付き切手 1945年発行

フランスの寄付金付き切手 1945年発行

それはABC、NBCを始め英国BBCなども、福島第一原発の事故現場で、実際に懸命に働く作業員の方達の事を「勇気ある人々」、場合によっては『Sacrifice Operators』(犠牲的献身をする作業員)と表現し、その勇気と献身を讃えていたにもかかわらず、日本の報道にはいっこうにその気配がなかった事です。
その後、欧米のメディアの論調に引きずられるようにして、日本のテレビ局も作業員の方々の過酷な労働について少しは伝えるようになりました。
劣悪な環境の下、大量被爆の恐怖と闘いながらの毎日、心が痛みます。
それでも、こうした現場で作業をしている方々のうち、福島県に住んでおられる方などは周辺住民からの『刺すような視線』を感じる事があるそうで、そんな理不尽な目に遭われている事に同情を禁じ得ません。
そもそも今回のこの
天災×人災=福島第一原発事故
は、1000年前の貞観大地震の研究者が今回の規模程度の津波が福島第一原発を襲う可能性について、2009年に東京電力に対して指摘していたにもかかわらず、当時の東電の(担当者なのか経営層なのか部外者には解りませんが)回答が「参考にはさせていただくが、すぐに具体的な対応はとる必要は認めない」ということで、例によって日本的『責任棚上げ』企業の不誠実さが招いた事態です。
したがって現場で生命・健康を危険に晒し、床にごろ寝しながら働いている作業員の方には何の責任も無いはずです。
本当に責任のある人間については東電は明らかにしていませんし、毎日布団にくるまって寝ている事でしょう、昼間は『想定外、想定外!』と言い騒ぎながら......
欧米のメディアの一部は現場の作業員に対しては賛辞を惜しみませんでしたが、東京電力に対しては
あの隠蔽体質のウソつき東電
と表現していました。
大熊・楢葉・双葉・富岡町などの避難を余儀なくされてしまった住民の方も被害者なら、現場の作業員の方々も被害者なのです。
私たちが厳しい視線を注がなければならない相手は他にいます。私など気が鬱してくると、本当に責任をとるべき人間に対し「ゴム手袋とバケツを持って現場の手伝いに行け!」と言ってやりたい衝動に駆られます。
しかし、今必要な事は国内、いや世界の英知を集めてこのトラブルを終息させる事です。
4月21日付の新聞にこんな記事が掲載されていました。
『福島第1原発の復旧作業を担う作業員の被ばく線量を定めた特例措置があいまいに運用され、作業員の放射線管理手帳に記載されていないケースがあることが明らかになった。(途中省略)
元原発作業員が東電に損害賠償を求めた訴訟で原告代理人を務めた鈴木篤弁護士の話 原告は4年3カ月の累積70ミリシーベルトで多発性骨髄腫を発症したとして労災を認められた。250ミリシーベルトの上限自体が高すぎる。』
現場の作業をしておられる方々を、絶対に『人柱』にしてはいけません。

twitter

蒲生(がもう)の松林

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 4分

広告
広告

今、4月18日現在、仙台市宮城野区の東部有料道路の上から海の方を見ると、松が密生した松林があったはずの方向に数本の松が透けて見えます。
ここはかつて仙台藩が開削した貞山運河が南北にまっすぐ伸び、その両岸には広大な松林があって、仙台市民の憩いの場となっていました。ホオジロ、シジュウカラ、アカゲラ、コゲラ、カワセミなど数えきれない程たくさんの種類の野鳥がいて、季節ごとに美しい鳴き声を聞かせていました。時にはヨシキリのようなにぎやかな野鳥も集い、静かな松林と好対照をなしていました。大量に落ちている枯れた松葉は、その上を歩くとクッションのようにふわふわで、歩いていると木々の間に何か野鳥の気配がしました。
そして3月11日の午後。
津波によって松林からたくさんの松の木が失われ、現在の惨状となっているようです。近くに行って見てみたいのですが、一ヶ月以上たった今も警察・自衛隊などによる捜索・復旧活動が続いており、個人的興味でそこに立ち入る事など許されていいはずがありません。
地震当日の証言の中で、押し寄せる津波の先頭を「家や立ち木がそのままの姿で、どどど...っと、迫って来た。みんな、必死で逃げた...」という直接津波の被害に遭われた方のお話には、本当に驚きました。
松林があった辺りのずっと手前には泥に埋もれたかつての田んぼが広り、数えきれない数の車が横転、反転するなどして散らばっています。
この辺りは、5月が過ぎると水が張られた緑の田んぼの中に真っ白なコサギ、チュウサギがじっと立って、えさ取りをしていたものです。
田んぼと道路には2メートル程の段差があるため、田んぼの縁にあたる部分に多数の乗用車が打ちつけられ、折り重なっています。その破損具合はひどく、押し寄せた津波の破壊力がいかにすごかったかを伝えています。
そんな中、点在する農家の中には片付けをしているお宅がありました。でも無人のまま、廃墟のようになっているお宅もあります。
私は原爆投下直後の広島市を撮影した記録写真を思い出しました。
一面に広がる生命なき世界。
でも、ここの人々はこれからも生き続けなければなりません。
そう、生きるという事は、自分の周囲に生命(いのち)の火をともして行くことなんですね...
庭木に野鳥がやって来る。
庭で花を育てる。
まっすぐ天に向かって立ち、夏に人々に木陰で憩わせてくれるのも樹木という生命。
掃除のゆきとどいた茶の間に射しそめる陽の光の中で猫が昼寝する。
そして、子供たち。
子供たちこそが、復興して行く社会の生命の火です。
復興に向かう今だからこそ、
社会がもっともっと子供たちを大切に守り育てて行かなければならないのではないでしょうか?
復興には10年、20年という歳月を費やす事でしょう。
その頃には、今の子供たちが社会の担い手となっていきます。
大人になった彼らがさらにたくさんの生命の火を灯し、
豊かな社会を築く事ができるよう、
大切に守っていきましょう。

ニュージーランド 1975年発行

ニュージーランド 1975年発行


twitter

ベンジャミン・ディズレーリ(1804~81)からの手紙

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 5分

広告
広告

私は19世紀、世界に冠たる大英帝国が存在したその時代において、英国保守党の政治家として生きた者です。
大震災以降混乱する日本の皆さん、あなた方の『政治』について、一言申し上げたくてペンをとりました。
私は生涯において2度、英国の首相を務めました。
後世の方々が私の『功績』としているのは
1. スエズ運河の国有化 これは議会に承認を得ること無く、独断でロスチャイルドから借金し、売りに出ていたスエズ運河の株式を購入。英国~地中海~紅海~インド洋の航路の安全性を確保し、大英帝国の植民地経営・政策に大きな貢献をしたこと。
(日露戦争の際、日本は英国と日英同盟を結んでいたため英国はバルチック艦隊の航行を様々な形で妨害した。このため日本海に向かうバルチック艦隊はスエズ運河を通行できず、アフリカ大陸の南端・喜望峰周りの航路を航行するしか無かった。)
2. ロシア・トルコ戦争の際、ベルリン会議でプロシアのビスマルクの協力を得て、ロシアの南下政策を阻止したこと。
などです。
典型的な『帝国主義者』と言われることもありますが、世界の趨勢が帝国主義であった時代に、英国の政治家として自国の弱体化に向けて舵を切るわけにはいかなかったこと、ご理解いただけると思います。
私は大英帝国の繁栄と女王陛下の栄光のため、ただひたすらその目的のための政治を行いました。

1875年、私はスエズ運河を英国のものにする際、ユダヤ人のロスチャイルド家から議会の承認を経ずに買収資金を借り入れました。
この行為がイギリスの憲法制度に反すると自由党のウィリアム・グラッドストン氏に告訴されました。
我が生涯のライバルであったグラッドストン氏は、その持ち前の雄弁によって徹底的に私を追いつめました。
グラッドストン氏の追求は辛辣を極め、議会において進退に窮したことは1度や2度ではありません。
しかし、その事によってうろたえたり、あわてて政策変更をしたり、ということはしていません。

英国の国会議事堂

英国の国会議事堂

幸いなことに英国国民は無断で借金したことと、スエズ運河を手に入れたこととの『事の軽重』を冷静に計る事ができる国民であったため、無惨な失脚などはせずにすみました。
これがあなた方、日本の議会においてであったら、どうだったでしょうか?

さて、大震災、津波、そして原子力発電所の事故という未曾有の国難にある中での、あなた方の国の政治についてです。
結論から申し上げれば、政治とは言っていいのかどうか......
政治家という職業は、実現したい政治理念があってなるべきものだと思っています。
しかし日本では政府も野党も、つまり日本の政治家諸氏がいったい誰のために政治をしているのか、誠に理解に苦しみます。
もし右足をくじいたら、人はまずその治療に専念しながら、両手と左足で補いながら暮らす事を考えるはずです。
しかるにあなた方の政治は、ひとつの体の中で主導権を右手がとるのか、左手がとるのかで争っておられる。
右手と左手がケンカしていたのでは頭が何を考えても、実現できるものなど何も無いのではありませんか?
いま政権に必要なのは復興を可能にする現実的な政策であり、野党に必要なのは対抗する具体的なプランです。
これら異なる政策を議会において比較・検証し、国民を最も幸福にできる方法を導きだすのが『政治』であると、私は考えます。
唖然としたのは、政権与党内ですら - 今はひたすら被災者を迅速に救済する事を第一に考えなければならない人たち - が、まるで『遺恨試合』のような泥沼の争いを始めようとしていることです。

被災地・被災県の日本のみなさん、あなた方の困難は天災によってのみ、もたらされているのではないようです。
でもあなた方も、訴え続ける必要があります。
むしろこれからがたいへんなのだと。
小さな子供、育ち盛りの子供を抱えていながら、職を失ってしまっている人々が大勢いる、彼らには仕事が必要です。
被災地で育つ子供たちや青年には、健全な地域以上に環境に対する配慮が必要です。
なのに大学、高校をはじめとする教育機関などでは重要な機材が破壊され、失われてしまいました。
次代をになう子供たちには、できる限り最大のことをしなければなりません。
あなた方の「政治家」はこのために今、懸命に働いていますか?
そうでないなら、あなた方は声をあげなければなりません。
ほんとうの政治をしてくれ、と。
国民のための。

twitter

30ワットの明るさ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 3分

広告
広告

あの震災からひと月程して、25歳になる娘が女房殿に言ったのは
「食べ物が無くなって、本当に怖かった。」
という感想だったそうです。
考えれば、昭和60年に生まれた娘が何か「売っていないから、手に入らない。」という経験などはしたことが無いかもしれません。

コペンハーゲン(デンマーク 1976年発行)

コペンハーゲン(デンマーク 1976年発行)

そのためか、近年はモノを売り出す際にことさら品薄感をあおるため
「初回生産限定」「限定生産・製造番号付き」
などのテレンテクダが多用されるケースも。
それが震災後のこの地、仙台では様相が一変してしまいました。
言われてみれば、スーパーなどに行ってカップ麺の棚がカラッぽで何も無かったりすると、ちょっとコワいな、って思います。
でも私たち親の世代は小さい頃は日本の高度成長が始まったばかりの頃で、言ってみれば無いのが当たり前の時代。それが小学校あたりから年を追うごとに暮らしが良くなっていき、「努力すれば報われる♪」「末は博士か♬大臣か♪」なんて言葉が、暮らしの常識として通用していた時代でした。
モノは足りないけど、時代の明るさは100ワットを超えていたかもしれません。
それからたった一世代後の現代。
日本国民の少子高齢化が進み、国の財政は破綻寸前。社会的には『格差』が広がり、学校を卒業しても働き口の無い若者が急増。働き口を持っている未婚男性・女性の中にも結婚生活を実現させられるだけの収入が無く、結婚できないまま30代、40代を迎える男女が急増...

訪れた人、暮らしたことがある人が必ず「素晴らしい街だった」と語るコペンハーゲン(デンマーク 1976年発行)

訪れた人、暮らしたことがある人が必ず「素晴らしい街だった」と語るコペンハーゲン(デンマーク 1976年発行)

日本の社会は閉塞感に打ちひしがれていながら、なぜかモノだけはあふれかえっていて、各家庭には要らないものがいっぱい。
モノはあふれているが、時代の明るさはせいぜい30ワットと言ったところでしょうか。
そこを襲った今回の大震災。
ここ仙台のある宮城を挟み、岩手 ~ 福島は一時、文字通り真っ暗闇に陥りました。
そして復興へと向かう段階に入った今。
30ワットの社会に戻すのか?
50ワット、80ワット、100ワットの選択肢もあるはず。
被災地の真ん中に暮らす者として、誤った選択はしたくないものです。 

twitter

海を漂う悲劇

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 5分

広告
広告

仙台市、4月14日朝8時30分、仙台市北東の利府町・多賀城市・塩釜市方面から仙台市中心部に向かって車の大渋滞が発生していました。
仙台市から宮城県の北東方面、仙台 ~ 多賀城 ~ 塩釜 ~ 松島 ~ 石巻を結んでいたJR仙石線が3月11日の大震災で沿岸部を中心に壊滅し、全線不通となりました。その後一度、仙台 ~ 松島あたりまで復旧したものの、4月7日夜中の大地震でふたたび全線不通となり、現在に至っています。

 今回の震災では[海]について、考えさせられることが多いスウェーデン1974年発行[西海岸]

今回の震災では[海]について、考えさせられることが多いスウェーデン1974年発行[西海岸]

JR仙石線は仙台圏の重要な通勤線だったため、不通の現在、この大渋滞を引き起こす主な原因になっているものと思われます。
渋滞の中、むやみにクラクションを鳴らしたりしている車もいます。思わぬ大渋滞にいら立っているのでしょうが、その先延々と車がつながっている以上、意味があるとは思えません。震災から一ヶ月有余、大地震直後には渋滞があってもクラクションを鳴らす車は少なかったのに、今はこの変わりようです。
同じ日、信じられない現象を伝えるニュースが流れていました。
日本ではほとんど報道されて無いようですが、ちょっと長めですが、以下引用してみます。

『3月11日の東日本大震災で津波に流された遺体の一部や家屋、車などが太平洋を渡り、1-3年後には米西海岸に達するという見通しが発表された。
津波で流された被災地・東北地方の家屋を含むがれきは現在、太平洋海流 に乗り、米国方面へ流されている。米ABC放送は8日、「米海軍第7艦隊が、津波で流された車や家屋などからなる巨大な「がれきの島(garbage island)」が太平洋を渡り、米西海岸に移動しているのを発見した」と報じた。津波によりできたがれきの島には、今回の大震災で流された犠牲者の遺体をはじめ、家屋20万棟・トラクター・トレーラー・船舶が含まれているという。
 米国の海洋学者カーティス・エッベスマイヤー博士は「今回の津波で流された遺体のほとんどは海に消えてしまうだろうが、運動靴のように硬いものに包まれた足など遺体の一部は水に浮かび、米西海岸の方へと移動し続ける可能性もある」と語った。
 複数の科学者は、こうした「がれきの島」について、1日に約16キロずつ移動し、早ければ1年、遅くても3年以内に、海流に乗りカリフォルニア・オレゴン・ワシントン州など米西海岸に漂着するものと予測している。船・車・家屋のがれき・プラスチック製の人形など浮力を受けやすい物体が先に漂着し、その後にプラスチックのいすや漁の網なども米海岸で発見されるとみられている。また、一部のがれきはその後も海流に乗り、ハワイ・東南アジア方面へも流れていくと予想される。』

 このがれきの島、長さが111km、面積はアメリカのテキサス州3個分と言いますから、気の遠くなるような大きさです。かつて仙台市の震災ごみ置き場について書いた時、『悲劇が積み上げられている...』旨の事を書きました(http://kobajun.biz/?p=234)が、がれきの島には多数の遺体が含まれている可能性があるところから、悲劇の大きさは計り知れないものがあります。
日本には『船幽霊』という言い伝えがあります。科学的考察も一部では行われ、自然現象の偶然が生む産物と言う解説もなされています(詳しくはWikipedia『船幽霊』の項をご参照ください)。
しかしこの大震災を経た今、船幽霊とは1,000年前に起きた貞観大地震・大津波が生んだ『がれきの島』を見た当時の人が考えだしたのでないか、と考え込んでしまいました。津波の犠牲者の多数の遺体を含んだ長さ100km超える大量の漂流物の集まりが、行くあても無く太平洋上をさまよっている様は、悲劇、といってもあまりに大きすぎて言葉を失ってしまいます。
今度の大震災では、想像を絶する悲劇が数限りなく生まれてしまいました。
それに比べれば、渋滞の中、車を進ませようとする人々には行くあてと進む目的があるはず。ある意味すでに立ち直っている人々である、という事もできるでしょう。
いら立ってむやみにクラクションを鳴らしたりせず、空いている方の手を、未だに立ち上がれずにいる人々に差し伸べられないか、お考えいただくわけにはいかないでしょうか?

twitter

今日は長くは書きません。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 3分

広告
広告

まず次の3つの言葉を理解してください。

【1】科学
科学的な方法の古典的な基本は、17世紀にデカルトが『方法序説』で示した以下の原則である。
 • 明瞭判明の規則:明らかに真理と認められたものだけを判断の基準とする。
 • 要素分解:解決可能な要素に分解して考察する。
 • 具体から抽象へ:単純なものから複雑なものへと順番に認識をすすめる。
 • 総合:見落としがないことを十分に確かめて、完全な列挙と再構成により全体を再構成する。

【2】デマゴーグ

 ルネ・デカルト【方法序説】300年 フランス1937年発行

ルネ・デカルト【方法序説】300年 フランス1937年発行

デマゴーグ(demagogue)とは古代ギリシアの煽動的民衆指導者。本来の意味は民衆指導者であるが、アテナイではペリクレスの死後クレオンを始めとする煽動的指導者が続き、衆愚政治へと堕落した。 このことから「デマゴーグ」は煽動政治家のような悪い意味で使われるようになった。また彼らの民衆煽動はデマゴギーと呼ばれ、煽動的な嘘や噂を意味する「デマ」の語源となった。

【3】衆愚政治
有権者の大半が知的訓練を仮に受けていても適切なリーダーシップが欠けていたり、判断力が乏しい人間に参政権が与えられている状況。その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな政策が実行される状況をさす。また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。
エゴイズムは自己の積極的利益の追及とは限らず、恐怖からの逃避、困難や不快さの回避や意図的な無視、他人まかせの機会主義、課題の先延ばしなどを含む。

次に『福島県』という言葉からあなたが連想するものを思い浮かべ、もう一度【1】【2】【3】を読み返してみてください。
あなたは非科学的でもないし、エゴイズムとも関係ありませんよね...?

【1】【2】【3】ともにWikipediaより引用。一部割愛。

twitter

古代ローマ初代皇帝・アウグストゥスから震災後の日本への手紙

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 6分

広告
広告

私の名はGaius Julius Caesar Octavianus Augustus(ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス)、紀元前63年9月23日に生まれ、 紀元14年8月19日に冥界に入りました。76年生きたことになります。
暗殺されてしまった大叔父カエサル(シーザー)の後をついで、我が愛するローマに史上もっとも平和な - Pax Romana - パクス・ロマーナ時代をもたらした、と後世の歴史家の皆さんに評価していただきました。
私はこの度の東日本大震災という未曾有の災害に遭われた皆さんにぜひ一言、お話をさせていただきたくてペンをとりました。

私が生きた紀元前後のローマ帝国は史上空前のインフラ社会でした。ローマ帝国の威令が届く地中海世界は、まっすぐで舗装された街道が整備され、さらには水道網も張り巡らされていました。その他の制度・システムも整備されており、この部分では21世紀の皆さんの暮らしとさほど違ってはいませんでした。
当時の世界水準から見れば驚異的高水準にあった、と言えるでしょう。皆さんの国日本では、また歴史が記録されていなかったころの話です。
一部には奴隷制の社会ではなかったのか ? というご指摘があるかもしれません。
しかし歴史を正しくご検証いただければわかることですが、ローマ社会の奴隷の職業は家庭教師や料理人といったところが一般的で、蓄財によって一般市民になることも可能だったのです。鞭で打たれながら過酷な肉体労働を強いられる奴隷の姿は、昔のハリウッド映画が作り出した架空のものです。
なぜ、私がこのような話をするのか?
それはローマ帝国の「属州統治」が決して力ずく・権柄ずくのものではなく、地域・民族の慣習や生活スタイルを最大限尊重したものだったことをご理解いただきたかったからです。実質的に当時のローマは広大な地中海社会の首都でしたが、スペイン、フランス(ガリア)、パレスチナ(小アジア)、北アフリカの人々にローマ式の生活や社会を強制したことはありません。
私たちは地元の人々の意向を無視した統治を行うことによって、その地の民族の活力をそぎ、反抗を誘発し、その地が不安定になる。
結果として地中海社会の平和や安定、すなわち今日 Pax Romana と言われている状態が不安定化することこそ、第一に避けたいことだったのです。

アウグストゥス

アウグストゥス

さて、今度はあなた方の問題、東日本大震災のことを考えましよう。
私はいち早く、今度の大震災から復興のために立ち上がることを選択され、その為の努力を続けられている東北地方日本の皆さんに心から敬意を評します。
ただ、これから復興の道筋をたてていくにあたり、私が懸念している事があります。
それはあなた方日本人の、過度なほどの首都崇拝とも言うべき傾向についてです。
思い出していただきたい、今回の大震災において世界の人々が心を打たれたのは、想像を絶する災害の被害者でありながら、なお周囲の人々に対する思いやり・配慮を失わず、秩序を守って静かに耐えていたあなた方の姿です。
そのような人々であるあなた方が次に住む社会、すなわち『復興』によって築き上げていく社会は、世界が認めたあなた方のそうした『心映え』を映し出したものであるべきだと考えます。
あなた方がこれから築きたい社会は、壊れてしまった過去の再現ではなく、周囲の人々に対する思いやり・配慮を失わず、秩序を守って静かに生きていける街であると思います。

東京辺りにいる○○評論家とか、○○先生などと称する人々が地元の心を無視して作り上げた構想、あるいは既にどこかにあるような街並や施設を東京以西の業者が商業ベースで提示するプラン、そんなものを実現させてしまっては、本当にあなた方が幸せに暮らせる社会ができない可能性が高いのではないでしょうか。
今後の東北地方の復興の中心には、その地に暮らしてきた人々が担い手となるべきです。
人間は責任感と自負心を持ったときにもっとも良く働く、ということを思い出していただきたいのです。
惨禍に見舞われ、今すぐに責任感や自負心を持て、というのは不可能のようにも思えます。
しかし震災の翌日から、満身創痍の身に責任感、自負心をあふれさせた東北の人々が、復興に立ち上がっていく姿が海外も含めたたくさんのメディアによって紹介されました。
東北地方日本人の皆さん、責任感と自負心を併せ持ったあなた方が、常に復興の中心にいるようにしてください。
そして誰の為でもない、あなた方の為のコミュニティーを自信を持って築き上げていってください。

twitter

英国・空の戦い

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 4分

広告
広告

東日本大震災の「被災者」である私たちには、むしろこれから数多くの試練が待っています。被害の内容が明らかになるにつれ、立ち行かなくなる会社が出てきています。すでに従業員の解雇に踏み切らざるを得なくなった企業が2、3にはとどまらなくなっています。
しかも4月7日の夜中、2度目の大地震が宮城県を襲い、復興に向けて動き出していたライフラインを再びずたずたにしてしまいました。
しかし、大震災で亡くなられた30,000人近い方々のことを考えれば、何度地震が襲って来ても私たちは立ち上がらなければなりません。
ちょうど70年前、英国で同じようなことがありました。
1940年、西ヨーロッパに侵攻したドイツ軍はたちまちのうちにオランダ、ベルギー、フランスを席巻、イギリス軍・フランス軍を主体とする連合軍を海に追い落とします。ヒトラーは英国にも降伏を迫りますが、英国は拒否。ヒトラーは英国上陸作戦を標榜、同年7月の英国船団、飛行場への航空機攻撃により、英国・空の戦いが開始されました。
当初ドイツ軍は英国の戦闘能力を奪って降伏を迫るため、軍事施設に的を絞って攻撃しました。しかし、英国のベルリン報復爆撃に激怒したヒトラーの命令により、8月末になってロンドン市街の無差別爆撃に切り替えます。
この日からロンドン市民の長い苦しみが始まりました。
ドイツ軍は爆撃機・戦闘機あわせて1,700機で来襲するなど,毎晩のようにやってくる爆撃機の編隊は、ロンドン市街のありとあらゆる場所に爆弾の雨を降らせ、犠牲者がうなぎ上りに増え続けます。人々は地下鉄の駅構内や地下壕に退避、イギリス空軍が迎撃に向かいますが、敵味方ともに損害が激しく、まさに予断を許しません。

『この苦しみを東北の人たちだけに背負わせてはならない。』3月18日付の神戸新聞からの一節です。

『この苦しみを東北の人たちだけに背負わせてはならない。』3月18日付の神戸新聞からの一節です。

結局、粘り強い英国の祖国防衛の戦いの前に膨大な数の損害を出したドイツは9月19日、ヒトラーは作戦中止を指示、以後ドイツ爆撃機がロンドン上空に現れることは無くなりました。
この間57日間、4万人の市民が死亡し、都市の半分が壊滅。歴史あるロンドンの都は一望ガレキの山と化してしまいました。この後、ロンドンの人々は復興に全力を注ぎましたが、航空機の来襲は無かったものの、今度はドイツは大陸間弾道弾V1、V2ロケットをロンドンめがけ打ち込んできました。
結局、1944年になって連合軍がヨーロッパ本土に上陸し、その発射基地を抑えるまでロンドン市民は多大な恐怖にさらされました。
1940年から5年間の長きにわたり、ドイツの空爆・ミサイル攻撃に苦しんだロンドン市民、しかし『降伏』を言い出す人はいませんでした。
ウィンストン・チャーチルという指導者に恵まれたこともあったでしょうが、1940年8月からアメリカが参戦する1941年12月までの1年間以上、イギリスは孤立無援の中、耐え抜いたのです。
これに比べると、私たちには日本中はおろか、世界中から支援の手が差し伸べられています。
中にはタイのスラム街からの支援や、奈良の東大寺のように借金してまで支援しようという動きまであるのです。
そして日本の報道以上に諸外国の報道が、互いを思いやりながら復興に向かう東北の人々の姿を「尊敬すべきである」と伝えました。
私たちは必ず復活を果たすことでしょう。
日本中の人々もそれを望んでいます。

twitter

2度目の大地震 – あらためて…

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 3分

広告
広告

昨晩 - 4月7日夜も11時30分過ぎに大きな地震がありました。直後に近所にお住まいの知り合いの方の安否の確認に行きましたが、夜中とは思えない程車と人が行き交い、異様な雰囲気でした。2度目の大地震で不安も頂点に達し、とりあえず避難所に向かわれた方も多かったと思います。

何軒かのお宅ではガスその他の警報機が鳴り放しになり、あちこちでブロック塀が倒壊していました。『半壊』にとどまっていたお宅が『全壊』してしまい、住むところを完全に失ってしまった方もいらっしゃいます。

復旧に向かっていた各ライフラインが再び寸断され、復興への動きがたとえ一時的とはいえ中断させられるのも痛手です。
でも、最も大きいのは人々が心に負わされた傷です。お子さんをお持ちの方はとりわけご心配だと思います。

飼っていたワンちゃんの看病をしていたのに、再び襲った地震のため容態が絶望的となり、もうどうしたらいいの、という方からお電話をいただきました。

なんでここばっかりこんな目に遭わされるんだろう?! と苛立つ気持ちも大きくなっています。
私の人生にとって、この時間・この体験はいったいどんな意味を持っているのだろう、いや、意味なんてあるのだろうか?!

でも、当たり前のことですが周囲はみな同じ被災者。あらためて、みんなが辛い思いをしているのだ、と思うと、なおさらやりきれない思いが募ります。
でもこのサイトの一番最初に自分が揚げた原稿に、自分はこう書いていたはず - 支えることで支えられた、と。

折しも、震災当初一週間程我が家に避難し、その後中国に一時帰国していた友人夫婦のうち、旦那さんの方が今日、仙台に戻ってきます。彼も奥さん、子供さんを中国に残したままであり、しかも個人的にも問題を抱えています。

精一杯支えよう、親切にしよう、それは彼に対してだけでなく。
寛容になろう、落ち着こう。
支え合うための、自分への戒めです。

Living Together

オーストラリア発行 Living Together

twitter

この国の政治家

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 3分

広告
広告

日曜日など、「政治討論」番組が目白押し。
最近気がついたことですが、政治家、あるいは政治評論家のみなさんがテレビの政治討論番組などで主張している通りの政治が行われていれば、この国はずいぶんと『いい方』に向かうはずなのではないでしょうか。
ところが、現実は皆さんが見ての通り。
アメリカでつい最近、二大政党の民主党と共和党の国会議員が、国会で互い違いに並んで腰掛け、「ささいな利害は捨てて、力を合わせて国難に立ち向かおう」というパフォーマンスを行ったその日に、もっと深刻な『国難』に見舞われていたはずの日本の国会中継では、ただひたすらに足を引っ張り合う国会議員の姿がありました。そして今、まさに未曾有の『国難』が日本を襲っています。

最近「若手」国会議員なんて人たちがテレビに良く出てきます。はっきり言って私は政治にかけるビジョンなんか無いくせに、やたら声の甲高い人が虫酸が走るほど嫌いです。中身も無ければ品性も無し、人々のため、名も無い市民のために「このような政治を実際のものにしたい」なんて理念も無く、ただただ人の悪口。でもこういう人をやたらとテレビに登場させるのも日本のテレビ局なら、それを当たり前のことと受け取り、あげく本人をどこかで見かければキャアきゃあ言いながら、ケータイのカメラで撮りまくるのも日本人。言われた本人はますますその気になって、国会で表現だけがセンセーショナルだけど無内容なことを激烈にしゃべりまくる。するとまた、テレビ局が引っ張り出す......
でも忘れないでくださいね、世界はこういう人を国会議員に選んでいるのはあなたや私、つまりはそれが日本人なのだ、と見ているのです。
テレビの前だけで何だかちょっと正論めいたことを言っていながら、国会へ行けばひたすら足の引っ張り合い。
そこには陸前高田市のことを、南相馬市のことを、今度の震災で数多く生まれてしまった震災孤児のことを、鋭い痛みとともに考えているとはとても思えません。
でも、「知り合いに頼まれたから」「地元だから」「何かあったら、個人的な頼み事をきいてくれるかもしれない」なんて理由で、そういう人を選んでいるのがニッポン国民。
そしてニッポン国民とは、つまりはワタシと......

ポンピドゥ

ポンピドゥ

『本物の』政治家ポンピドゥー、第2次世界大戦当時はフランス・レジスタンスの闘士。
戦後、教師を経て政治家に、連続する危機を見事な舵取りで乗り切った。
1975年没後一年になるのを追悼し、発行された切手。
いかにフランス国民から愛されていたかがわかる。

twitter

このサイトについて
ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
最近の投稿
@idonochawanツィート
アーカイブ
広告
広告
カテゴリー
メタ情報