ホーム » エッセイ » 2050年、世界人口の3分の2は都会暮らし
現在世界の人口の約55%が都市部に居住、その割合は2050年には68%にまで増加
2028年インドのデリーが東京を抜いて世界最大の都市に
ロイター/ ガーディアン 2018年5月17日
国連が5月17日に発表した人口動態予測は、世界の人口の3分の2が2050年までに都市部に集中し、その傾向は特にインド、中国、ナイジェリアで顕著なものになるだろうとしています。
国連人口部の報告は世界の農村人口はこの数年でピークに達し、2050年までには減少局面に入ると予想しています。
世界最大の都市は現在人口3,700万人の東京ですが、続いてインドのデリーが2,900万人、上海が2,600万人、メキシコシティとサンパウロが約2,200万人と続きます。
エジプトのカイロ、インドのムンバイ、北京、そしてダッカには2,000万人近い住民がいます。
しかし今回公表された予測ではデリーの人口は2028年頃に東京を追い越すものと見られています。
ほぼ同じタイミングでインドは世界最大の人口を持つ国として中国を追い越すと予想されています。
現在世界の人口の約55%が都市部に居住していますが、その割合は2050年には68%にまで増加する見通しです。
インド、中国、ナイジェリアの3カ国でそうした増加の3分の1以上を占めることになります。
そしてメガシティの数も増加します。
1990年の段階では1000万人以上の人口を持つのは10都市でした。
それが現在ではメガシティの数は33にまで増え、さらに2030年までには主に途上国での増加によりメガシティは43都市にまで増えるものと見られます。
しかし同じ都市部であっても、例えば長崎や釜山といった日本と韓国のいくつかの都市では、2000年以降人口が減少しています。
ポーランド、ルーマニア、ロシア、ウクライナなど東ヨーロッパのいくつかの都市でも、21世紀に入ってから人口は減少を続けています。
しかし都市部への人口の集中には良い面もあると、国連人口部門の責任者であるジョン・ウィルモス氏が語りました。
「都市における人口の増加は、市民が経済的恩恵を受ける機会が増加するというプラスの面を生むことになります。」
ウィルモス氏はこう語り、次のように続けました。
「都市部の住民の方が充実した医療と教育にアクセスしやすくなります。」
人口が集中することで行政などは政策の立案や実行がしやすくなり、人類の数の増加が地球環境に与える影響も最小限に抑えられることになる、ウィルモス氏がこう語りました。
https://www.theguardian.com/world/2018/may/17/two-thirds-of-world-population-will-live-in-cities-by-2050-says-un
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個人的なお話をさせていただければ、私が住んでいる仙台は半都会。
ある人に聞いた話では、全国の転勤族に最も人気が高いのが札幌と仙台だそうです。
その大きな要因の一つには物価の安さ、ということがあるようです
私がもし転勤族なら、雪が少ないという理由で仙台の方が良いと思うかもしれません。
仙台市内は冬場でも3日続けて市街地に雪が残るということはまず無いからです。
大学時代は東京でしたが、夜都内を一人で歩いていた時、「ここは金が無いと地獄だ。」と思いました。
何をするにもものを言うのは金、当然ながらその思考も金に支配される部分が大きくならざるを得ません。
仙台に帰ってきた当初は文化的(?)刺激の少なさに本当に困りました。
好きなクラシック音楽を例にとっても、ベルリン・フィルはチケット代が高くて無理でしたが、東京には代わりにすぐシュターツカペレ・ドレスデン(国立歌劇場管弦楽団)が来日し、クオリティの高い演奏を堪能することができました。
ジャズやロックも、毎月「行きたい!」と思うコンサートが都内各所に目白押しでした。
金さえあれば毎日面白おかしく暮らせるに違いない、東京はそう思わせるコンテンツ満載の場所に思えました。
今はその考えはありません。
車で30分も走ればそこはもう田園地帯、春ともなればあちこちに山菜採りに来たと思しき車が止まっていますが、山菜採りには入山料も駐車料金も不要だし採った山菜はグラムいくらの料金を払う必要はありません。
車の維持費や燃料代、高速代といった条件はありますが、早起きを厭わなければ年中行きたいところに行って、人混みに揉まれること無くしたいことをして帰ってくることができます。
どちらが人間的な暮らしということはないと思いますが、老後になって都会で経済的に困窮してしまう方が多いのには心が痛みます。
60代のうちに様々な面で優遇措置を採ってくれる自治体のある地方に移り住み、そこで生涯取り組むことができる何事かを探せば良いのに、と思います。
都会で成すこと無く困窮していた人が、地方で地場産業の重要な担い手になることだって有り得るはずです。
政治もそうした情報を積極的に流通させ、国内の人の流動性が高まるよう取り組めば良いのに、と思います。
人間は一人一人が違って当たり前。
当然さまざまな考え方の人間がいて当たり前、でもそんな人同士も少しずつ相手を思いやって互いに気持ちよく暮らそう、それが私が1960年代以降体験してきた「戦後日本」の暮らしであり、国家の政治もその辺りは当然のこととしてきたはずです。
ところが今日の政治ときたら、自分と取り巻きの権益ばかりに目がいって、できるだけ多くの人が幸福を感じることができる社会にしようという善意などまるで感じらず、自分たちと違う考え方を持つ人々に対してはその人格すら否定し排撃しようとするアベアソウ不毛時代。
そんな人間たちから「もっと日本を美しくするから、政治だけで無く憲法も俺たちの自由にさせろ!」と言われて「はい、わかりました。」と言えるはずがありません。