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実録『トモダチ』作戦・第1部 [第2回]アメリカ側の緊急対応の提案を、ことごとく潰した日本の官僚たち

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アメリカ軍の観測記録が暴く、福島第一原発・汚染の真相
817,000ベクレルに汚染されてしまったヘリコプター

ロジャー・ウィザースプーン / ハフィントン・ポスト 2013年1月31日

HUF08
「私たちは結局80日間その場所に居ました。近い時は日本の海岸線から3キロ沖合にまで接近し、また離脱することを繰り返していました。
風向きや風の強さを見ながらそれを判断していましたが、まるで猫とネズミの追いかけっこのようなものでした。
私たちは日本の人々が助けを必要とする都度沿岸に接近し、その場に留まりつづけました。
しかしそのことで我々は別の危険にさらされる事になったのです。
東京電力が汚染の恐れはないと伝えてきた場所で放射性物質を確認した私たちは、直ちに避難に移り、常にガスマスクを持ち歩くようにしました。」

放射線に関する正確な情報を、適切なタイミングで受け取ることが出来なかった点において、陸上に居たアメリカ人も海上と変わりませんでした。

アメリカ原子力規制委員会のグレゴリー・ヤッコ委員長は、すべてのアメリカ人を福島第一原発の周囲80キロ圏外に避難させる対策を実行するよう迫りました。

そして福島第一原発の南約300キロの地点にある横須賀にある米海軍基地では、環境中の放射線量が上昇し続けるのを見て、国防総省が女性と子供たちを横須賀から避難させました。

正確な情報を手に入れることは困難を極め、その事態は危機の発生に対応できない日本の官僚機構により、悪化する一方でした。
アメリカの憂慮する科学者連盟の原子力発電の2人の専門家、原子力規制委員会と産業界のコンサルタントを務めるデヴィッド・ロックバウムと核物理学者のエド・ライマン博士は、状況が混乱を極めていた間、膨大な数の政府機関の電子メールと交信記録をチェックし、一時間ごとにデータベースを更新して行きましたが、それでも決定的な情報を手にすることはできませんでした。

4号機キャップ
「爆発の後、原子炉4号機では使用済み核燃料プールの中に、充分な量の水を確保できなくなっていました。」
ロックバウムがこう語りました。
「そこでアメリカ軍は、オーストラリアに置いてあったコンクリート製の揚水機構を備えたトラックを、東北地方にある米空軍基地まで空輸してきたのです。ところが日本政府は、そのような特殊車両が日本の公道を走ることに許可は出せないと言い出したのです。結局この車両は基地の中に放置されることになりました。」
「何が最優先事項なのか、もはや正しい判断を下せなくなっていたようです。」

「日本の文化は交響曲の演奏により近いのではないでしょうか。誰もが指揮棒の下で統一された行動をとることを求められるようです。これに対してアメリカ社会は、ジャズのアンサンブルに近いでしょう。全員が一緒に演奏していますが、即応性を重要視していますから。」

日本政府からも、東京電力からも、正確で統合性のある情報を得られないことは、アメリカが行おうとする救援活動の大きな妨げとなりました。

マイケル・セバーン整備主任

マイケル・セバーン整備主任


福島第一原発から約100キロ南にある厚木米空軍基地で、ヘリコプター部隊の上級主任整備士を務めるマイケル・セバーンが当時を振り返り、こう語りました。
「地震と津波が襲った後、私たちは仙台と福島への救援活動の拠点となる青森県の三沢基地に、部隊ごと一日で移動するよう命令を受けました。そして私たち以外の部隊すべてはグアムまで避難して行きました。その段階では厚木の米軍基地は閉鎖の上、二度と使用できなくなる可能性が高かったのです。私たちは自分の車のダッシュボードの上に、氏名と携帯電話番号を記したメモを置いていくよう命じられました。二度と自分の車を取りに戻ることが出来なくなる可能性があったからです。」

「私たちは三沢に3週間半滞在し、一日も休むことなく働き続けました。出動に次ぐ出動、その繰り返しの中で、私たちの部隊は被災者の救出・救援、フェリーを使っての援助物資の供給などの任務をこなしていきました。
2、3名の技師が帰還した兵士ひとりひとりの、被ばく線量を検査していました。
着用していた戦闘服を切り取って、捨てなければならないケースが続出していました。」

セバーン自身は3日間グアムに派遣されて特別訓練を受け、即席の放射線量の測定技師になりましたが、その任務も簡単なものではありませんでした。

HUF05
「まったく経験したことが無い、前代未聞の出来事でした。」
「放射線に対処する任務など、初めての事でした。見るもの聴くものすべてがはじめての経験であり、誰も何もわかりませんでした。私たちはかつて化学兵器、生物兵器に対処するための訓練を受けた経験はありました。しかし放射線に対処するための訓練は受けたことがありません。核兵器に関しては別に専門部隊が居ますが、私はその部隊経験もありません。空軍関係者で放射線に対処する経験を持った者などいないのです。放射能で汚染された航空機を取り扱った経験など、誰も持っていません。まさに暗闇に向かって飛び立つ思いでした。」

セバーンが属する整備士のグループには規則が設けられました。帰還したヘリコプターはすべて放射線量についてスキャニングを行い、汚染された部品は取り外した上、駐機場の外れに隔離して設置されている、水を満たした専用のコンテナに収納すること。

折から三沢では雪が降り始めたため、部隊は距離的にも福島に近い厚木基地に戻ることになりました。
この間、セバーンは各種の電子測定器を使って各種の放射線量を図り、一分ごとの訂正済み測定値として記録する作業を続けていました。

「通常、外部の放射線量は5~10cpmです。この放射線は主に太陽からのものです。」
彼がこう語りました。

米軍 9
「厚木の大気中の放射線量は200~300cpmありました。あらゆる場所が、でした。水からも放射線が検出され、地面からも放射線が検出され、地面からも放射線が検出されました。」
「規則では500cpmを超える放射線量が計測された物を取り扱う場合は、専用の手袋を装着しなければなりません。1,000cpmを超えた場合は放射線防護服を着用しなければなりません。そしてもし5,000cpmを超えたら、その時は防護服、専用のマスク、ゴーグルを装着し、手袋を二重にはめる必要があります。
「汚染されたラジエターを、再びヘリコプターに装着することは許されません。交換しなければなりません。私はあの時、60,000cpm(81万7千ベクレル)に汚染されたラジエターを取り外したことを憶えています。」

そしてとうとう、放射線から身を守る装備が不足する事態に陥ってしまったのです。
〈 第1部・第3回へ続く 〉

A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Part 1 Radioactive Contamination of American Sailors
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この記事を読んで思い出したのは、かつて翻訳したニューヨークタイムズの記事の中の一節です。
「日本の官僚は、強大な原子力ロビーの反発を恐れ、国民を守る事より、自分を守ることが先になっている」( http://kobajun.biz/?p=2035 )

この記事の中でも、アメリカ軍が救援活動の『実を上げるため』申し出を行ったにも関わらず、日本側が自分たちの体面・立場を守るため、その申し出をはねつけた事実が語られています。

そしてそのために、懸命の救援活動を行ったアメリカ軍将兵の安全もまた、軽視されてしまったことが解ります。
日本の官僚たちはその点だけは徹底している、痛感させられました。

実録『トモダチ』作戦・第1部 – [第1回]汚染されてしまった将兵・東京電力を告発

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アメリカ軍の観測記録が暴く、福島第一原発・汚染の真相
なぜ150名のアメリカ軍将兵は、東京電力を告訴したのか?!

ロジャー・ウィザースプーン / ハフィントン・ポスト 2013年1月31日

HUF12
国防総省は、日本国内に展開する70,000人近いアメリカ軍人、政府職員、家族、そしてその他の関係者が福島第一原発が放出する放射性物質によって、どのような影響を受けることになるか、前代未聞のその判断を先送りすることにしました。

この時点で彼らの登録データを更新しないという事は、日本の63か所の基地や軍事施設に配属されている海兵隊、陸軍、空軍、工兵隊、海軍将兵、そして一緒に日本で暮らす家族たちに将来何らかの健康上の問題を発生した時、福島第一原発の事故との関連を証明する記録が失われる可能性がある、という事を意味します。

と同時に第7艦隊所属の空母ロナルド・レーガンに乗組む数千人の水兵と海兵隊員に、将来放射線被ばくによる健康障害が発生した時、福島第一原発の事故との関連を証明する公的記録が作られないという事を意味します。

第7艦隊所属のこの艦隊は南太平洋での任務を切り上げ、日本の福島沖で展開される『トモダチ』作戦のため、太平洋を北上してきました。
この作戦は巨大地震と巨大津波が東北太平洋岸に壊滅的被害を与え、20,000人近い死亡者を出したのを受け、80日間に渡り、人道的見地から救援活動を展開するものでした。

救援活動は日本政府によって要請され、米国国務省、国防総省、原子力規制委員会、そしてエネルギー省による調整を経て、実施に移されました。

HUF01
この機動部隊には5,500名の乗組む空母USSロナルド・レーガン、4隻の駆逐艦、その他の艦船によって構成されていました。
駆逐艦プレブル、マッキャンベル、カーティス・ウィルバー、マケイン、巡洋艦 USS チャンセラーズビル、そして数隻の工作艦です。

これらすべてが『トモダチ』作戦に参加しました。
地上に展開したトラック部隊の運転手たちも、ヘリコプターの乗組員も。
そして機動部隊が被ばくするのを避けるため、空母艦載機と地上の基地から飛び立つ航空機が、大気中にある放射性物質の流れについて繰り返し捜索を行っていました。
しかしそれは結局、複数の理由によって無駄な努力に終わりました、少なくとも国防総省の関係者の証言と記録によれば。
汚染されてしまった海域を航行すれば被ばくや汚染は避けられず、福島近辺でヘリコプターを飛ばすことは、まさに放射能物質の雲の中に送り出すことに他ならなかったからです。

起こるべきことが起きました。
『トモダチ』作戦に参加した将兵のうち、150人の男女が数多くの健康上の問題を抱え込むことになってしまいました。
この作戦に従事し、放射線被ばくをして以来、腫瘍、手足などの震え、内出血、髪の毛が抜けるなどの症状を訴えるようになったのです。
彼らは自分たちが陥ってしまった状況について、海軍に責任を求めようとはしませんでした。
代わりに福島第一原発から放出されていた放射性物質の拡散状況について、アメリカ側に虚偽の報告を行ったとして、東京電力に対し訴訟を起こしたのです。
と同時に放射線被ばくに関する公的記録を抹消した国防総省も告発しました。

航海士モーリス・エニス

航海士モーリス・エニス


空母ロナルド・レーガンの航海士であり、操舵担当のモーリス・エニスとジェイミー・プリムの説明によれば、海上での任務は明確に区分されています。
当時空母の甲板上で測定されていた放射性核種の量が、危険な値に達していたことを知る者はほんの一握りにすぎず、海流がどれ程の量の放射性物質を運んでいるかを知る者は皆無でした。
警報が鳴りだして初めて、自分たちが容易ならぬ場所に入り込んでしまったことを知ったのです。

「艦上で使う水は、艦に搭載されている脱塩装置を使って作ります。」
フロリダ州セント・オーガスティンからやって来た28歳のプリムが説明してくれました。
「水は海からくみ上げるのですが、ご存知のように海は汚染されている場合もあります。そこで私たちは組み上げた水からまず汚染物質を取り除き、安全が確認されるまで何度でも汚染を取り除く作業をするのです。」
「原子力空母は原子炉を搭載しており、水を使って冷却しています。空母の原子炉を福島第一原発の放射性物質で汚染させるわけにはいかないのです。」
航海士であるシェイミー・プリムの担当は、空母ロナルド・レーガンの航路の決定です。

航海士ジェイミー・プリム

航海士ジェイミー・プリム


海中にある放射性物質をかわしながら進むことは容易なことではありませんでした。
いったん汚染されている海流から出て汚染の心配の無い場所まで退避し、そこで配管類その他についた放射性物質を洗い流し、その上で再び汚染の少ない海域を選んで日本の沿岸に近づくしかありませんでした。
「我々は電子式の航海用の海図を見て、実際に汚染されている海域を確認することが出来ました。しかしその場所を避けながら航海するためには、神経をすり減らす思いをしなければなりませんでした。」

もう一人の航海士、エニスがこう語りました。
「しかし民間の船舶の乗組員たちはそうはいきませんでした。どこが危険でどこは安全か、彼らは口伝えに情報を集めるか、噂に頼るほかありませんでした。」

「それに比べればましでしたが、私たちも完全無欠の情報を持っていた訳ではありませんでした。なぜなら我々はその段階では、福島第一原発からどれ程の放射性物質が放出されたのかについて、東京電力から提供されるデータしかなかったからです。本当の脅威など知りようがありませんでした。」
〈 第1部・第2回へ続く 〉

A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Part 1 Radioactive Contamination of American Sailors
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今日から3回に分け、実録『トモダチ』作戦・第1部を掲載します。
この記事を読むと、アメリカの将兵が如何に任務とはいえ、命がけで3.11の被災地の救援活動に当たっていたことが解ります。
しかもその場所は、放射性物質だらけでした。

私たち宮城、そしてもちろん福島県の住民は、政府と東京電力が正しい情報提供を行わなかったため、「不必要な被ばく」をさせられてしまいました。
私が住む宮城県では、スーパーには食料品を求めて大行列が出来、そして給水所にも信じられないほど長い列ができていました。
みんな戸外にいて、知らないうちに福島第一原発が放出した放射性物質に被ばくさせられてしまいました。
この怒りは一生忘れないでしょう。

『トモダチ』作戦に参加したアメリカ軍の兵士たちも、同じように「不必要な被ばく」をさせられていたことがこの記事を読んで解りました。
しかし多少ともましだったのはアメリカの場合、全軍を挙げて放射能の測定を行い、対処法を規定していたことでしょう。

一方、給水所で長い列を作っていた宮城の被災者の周囲では、放射能の測定など全く行われていませんでした。

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【 墓標 】

アメリカNBCニュース 3月14日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

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国立アーリントン墓地、第60墓域にあるイラク、アフガニスタンで犠牲になった兵士たちの墓標。
心の隙間を埋めようとするがごとく、生前を偲ぶ数々のノベルティが置かれている。

末息子、テキサス州エルパソ出身で、アフガニスタンで犠牲になったジョシュア・ミルズの墓の前に座る母親のセレステ・ミルズ。
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【『フクシマ』から2年、東京都内で大規模抗議デモ 】&【 巨大な規模の汚染除去作業 】

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所要時間 約 10分

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一生故郷に戻れなくなった人々の思いを、受け止めるつもりが無い日本政府

斎藤まり、ソフィー・ナイト(編集 : アーロン・シェルドリック)/ アメリカNBCニュース 3月10日

NBC01
3月11日に襲った巨大地震と巨大津波がきっかけとなり、福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンを引き起こし、この25年間で最悪の原発事故を起こしてからちょうど2年目を迎える前日の3月10日日曜日、数万人規模の抗議者たちが日本政府に対し原子力発電所の廃止を求め、東京都内をデモ行進しました。

日本は2年前に東北地方太平洋側沿岸地区を徹底的に破壊した被害から立ち直るため、様々な取り組みを行っている真最中であり、数千人に上る人々が未だに行方不明のままです。
地震と津波による直接の死者は15,000人を上回りました。

「抗議の声を挙げることが、ますます重要になってきました。私は子供たちのため、そして未来の子供たちのため、講義の声を挙げています。原子力発電が生み出す数多くの負の遺産を、子供たちに押し付けることは許されません。」
2人の子供の母親である32歳の女性は、経済産業省の前をデモ行進しながら、
「原子力発電をやめよ!子供たちを守ろう!」
と声を挙げていました。

「日本の国民と報道機関は、フクシマ、そしてそこで起きた様々な出来事をもう忘れ始めています。」
この女性がこう語りました。

放射線測定
事故を起こした東京電力の福島第一原発は、160,000もの人々に避難を強い、この中にはおそらくは一生故郷に戻れなくなった人々もいます。
そして福島第一原発の事故は日本において、原子力発電に対する前例のない抗議運動を生むことになりました。

東京電力は1986年に発生した最悪の原子力発電所事故、チェルノブイリに次ぐ大規模な原子力発電所の廃炉作業、そして放射能汚染の除去に取り組まなければなくなりました。
この作業の完了には数十年の月日を要するものと見られています。
日本国内に50基ある原子炉は福島第一原発の事故の後段階的に停止して行き、現在は2基を除いてすべて停止しています。

しかし昨年12月の選挙において圧倒的な勝利を手にした安倍晋三首相、そして彼の所属政党である自由民主党(LDP)の存在は、原子力発電に反対する人々にとっての懸念材料です。
自由民主党こそはこれまで長い間、原子力発電政策を推進し、政治家、官僚、そして電力会社3者の結びつきを強めてきたのです

最近の世論調査では、日本人のおよそ70パーセントが最終的に原子力発電を廃止したいと考えています。
しかし新たな安全基準を満たした原子力発電所は随時再稼働させる考えの、安倍首相の支持率もまた70%近くあります。

現在は引退生活を送っている67歳の亀山のぶ子さんは、駅の近くで反原子力発電のパンフレットを手渡しながら、こう語りました。
「日本の人々は、民主党政権の下で進展があった原子力発電廃止のための道筋が、民主党が政権を失うとともに失われてしまったことよりも、停滞する経済の方により多くの関心があるのです。」

「自民党が政権の座に再び座ったことにより、私たちの取り組みも振り出しに戻ってしまいました。それに嫌気がさした人もいて、抗議活動もかつてほどの盛り上がりが無くなっているのが気がかりです。」

http://www.nbcnews.com/id/51122257/ns/world_news-asia_pacific/t/thousands-japan-anti-nuclear-protest-two-years-after-fukushima/#.UUEVCTf0cnU
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今週から休刊日を月曜日から土曜日に変更させていただいておりますので、3月11日の週の掲載は今日で終わります。
来週から福島第一原発による汚染を、アメリカが文字通り国を挙げて検証した結果を伝える記事を掲載します。

3月18日・月曜日からの掲載において、私たち日本人が知らなかった、福島第一原発による「真実の汚染状況」に迫る記事をご紹介します。
2011年、3.11発生直後からアメリカ軍によって展開された『トモダチ』作戦、作戦を展開している間、アメリカ軍は各地で詳細な放射線量の測定を行っていました。
その現場にいた将兵たちの証言と、測定を基にアメリカ国防総省が公開した、日本各地における累計被ばく線量の資料。
これらを取材・精査して作られた記事、「実録『トモダチ』作戦 - アメリカ軍の観測記録が暴く、福島第一原発の汚染の真相」の第一部を3回に分け、ご紹介して行きます。
第3回では、アメリカ国防総省が公開している資料を使って、関東・東北地区を中心とした、外部被ばく、甲状腺線被ばく線量を計算する方法もご紹介します。

尚、この実録『トモダチ』作戦 は2013年1月に第1部、2月に第2部、3月に第3部が掲載され、この後第4部が公開される予定です。
いずれも非常に長い、その分綿密な記事ですが、すべて翻訳の上、ご紹介するつもりでいます。
ご期待ください。

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【 巨大な規模の汚染除去作業 】
30~40年、この期間内に本当に廃炉は完了するのか?

山本あらた / アメリカNBCニュース 3月8日

NBC01
2011年3月11日マグニチュード9.0の巨大地震と巨大津波により事故を起こし、徹底的に破壊されてしまった福島第一原発内部が報道関係者に公開されました。

報道人による視察は19,000人の犠牲者を生み、未だに160,000人に避難生活を強いている災害が発生した日、3月11日に先駆けて行われ、巨大な規模で行われている福島第一原発の廃炉作業の一端を明らかにしました。
福島第一原発の廃炉作業は、完了まで40年を要するとされています。

施設内には原子炉を冷却するために使用された汚染水を収容する巨大なタンクが、列をなして並んでいます。
各原子炉を摂氏59度から95度の間の安定した温度に保つためには、冷却水を絶えず注ぎ込む必要があるのです。

福島第一原発の東京電力職員によれば、タンク1個は1,100トンの容量を持っていますが、これがわずか2日半でいっぱいになります。
施設内には930個のタンクが設置されていますが、すでに75%は汚染水でいっぱいの状態です。
東京電力は新たに771,600トン分のタンクを建設する計画ですが、それ以上は敷地面積が限界を迎え、不可能です。

原子炉を再び暴走させないために1日440トンの水が使われていますが、この作業を続ける限り、使い終えて汚染された水をどう処理するかという問題が発生し続けます。
東京電力側は、この汚染水から放射性物質を取り除くために建設した装置の1日も早い稼働を願っています。

東京電力はこの処理さえ行えば、汚染レベルは直接海に配水できるほどまで下がるものと見ていますが、この措置に対して周辺住民を始めとする一般からの理解を得られるかどうかは不明のままです。
地元の漁業協同組合などは、この計画に強硬に反対しています。
2月には福島第一原発近くの海で獲れた魚から、政府が定めた安全基準の5,100倍の放射性物質が検出されました。

しかし一連の作業の中で最も重要なのは、今年の11月から開始されることになっている原子炉4号機の燃料棒の取り出し作業です。
現在、4号機建屋に隣接し、破壊された原子炉建屋を覆う設備の建設が進んでいます。

しかし、メルトダウンしてしまった1~3号機の核燃料の取り出しについては、まだどのようなプランもありません。

政府の狙いは、この廃炉作業を30~40年の間に終わらせることですが、そのためには新たな技術開発も実現される必要があります。
誰にとっても気が重い福島第一原発の事故、それを何とか収束させ、この大規模な廃炉への取り組みを順調に進めるためには、必要とされる技術開発が実現されなければならないのです。

[山本あらた記者による2013年3月8日付のリポート]

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[リチャード・エンゲル記者による、避難区域内についての2012年3月のリポート]

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http://worldnews.nbcnews.com/_news/2013/03/08/17234000-rare-tour-of-fukushima-reveals-colossal-decontamination-efforts?lite

【 終わっていない悲劇、終わらない苦しみ 】文字通りの艱難辛苦の中で

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津波で壊滅した小さな教会の再建[いわきジャーナル]

田淵弘子 / ニューヨークタイムズ 2013年3月10日

いわき01
すさまじい破壊音とともに何もかも壊滅させた津波が引いた後、小さな教会のメンバーたちは、破壊された福島第一原発が作り出した衝撃の波紋の広がりに伴い、いくつもの新たな問題が始まってしまったことを思い知らされることになりました。

地震が原因の津波が福島第一原発の巨大事故を引き起こして以来この2年間というもの、小さな教会の150人の教区民たちは一息つく暇すらありませんでした。

まずは福島第一原発が放出する放射性線の被害から、逃げなければなりません。
そして元住んでいた場所に戻れる見通しが立たなくなった以上、ふたたび皆が参集できる場所、できれば未来永劫よりどころにできる教会を再建しなければならなくなったのです。

混乱が続く数多くの日本国内の市町村は、とにもかくにも復興に取り組んできました。
津波が根こそぎ何もかも奪っていったため、あらゆる手段と資源を動員し、復興のための推進力としてきました。
小さな勝利の積み重ねが希望を育て、ともすればくじけそうになる心を奮い立たせることにより、生活の再建を軌道に乗せていく日々が続いています。

日曜日福島第一原発の南方約50キロにあり、原発が噴き上げた放射線に吹き払われるようにして多くの人が去って行ってしまったいわき市で、福島第一バプティスト教会が、まさにそうした努力の積み重ねと市内の信者からの寄付により再建した教会で、初めてとなる礼拝を開催しました。
しかし年配の信者の中には参加できなかった人々もいました。
そしてかつての教区民たちの多くが、日本全国に散らばったままになっています。
ある人は子供が被ばくしてしまうことを恐れ、ある人は戻っても仕事が無たいため、そして未だに県外の親類縁者の支援が無ければ暮らしてはいけない人もいるためです。

いわき05
「私たちは大切にしていたものをすべて失ってしまった、そう思ったことが何度もありました。その時、いつもこの言葉が口をついて出ました、『神よ、なにゆえに…』」
約50人の信者が集まって祈りのために頭を垂れたこの日、初級牧師の佐藤まさし氏がこう語りました。

東北沿岸が徹底的な破壊を受けてから2年、福島県沿岸の市町村は次々と持ち上がる問題と向かい合い、答えを出すことを迫られています。
懐かしい故郷の家で暮らすことは、もはや永遠に許されない事なのかもしれません。
ならば別の場所で生活を再建しなければならないのです。

福島県全体で考えれば、多くの地区でその生活は正常に戻りつつあります。
しかし福島第一原発周辺の汚染のひどい地区に住民が帰還できるようになるまでは、数十年の歳月を必要とする可能性があります。
このことについては日本政府も認識していますが、福島第一原発の廃炉作業の進行状況も住民の帰還時期に大きく影響することになるでしょう。

いったんは全面的な避難を指示され、空っぽになった市町村の中には、避難命令が解除された地区もありますが、住民の帰還については先行き不透明です。
市町村、そして家族の中でさえ、帰還するかどうかについて意見が分かれています。
福島県ではこの2年間に渡って人口の流出が続き、その数は6万人に上りましたが、現在はそのペースは緩慢になりつつあります。

もともと福島県内にあった大熊町のバプティスト教会もまた、その教区民の多くを失ったまままです。
しかし今月やっと流転に終止符を打ち、少なくとも再開にまでこぎつけることが出来ました。
2年間場所を転々としたことについては、信者自身が信仰の深さを試される試練であったと語っています。

いわき03
第二次世界大戦終了直後、アメリカのミネソタ州らやって来た宣教師団によってたてられた教会は、福島第一原発が海沿いにひろがる不毛の地にあり、貧しい寒村でしかなかった大熊町を、このあたりで最も富裕な町へと変えて行く一部始終を見てきました。

教会の発展は早いものだったと、教区民が語りました。
そして東京電力が福島第一原発の建設を始め、年の若い労働者が付近一帯に住みつくようになってからは、その成長は一層早まりました。
教区民150名という数は、仏教あるいは神道が普及しきっているこの国にあっては、少ない数字ではありませんでした。
日本にあってはキリスト教徒の存在は小さく、国勢調査によれば1億2,700万人の人口のうち、300万弱、割合で言えば2.3%を占めているに過ぎません。
人口が減り続けている日本にあっては、教会が生き残るために強いられる苦労は並大抵のものではありません。

現在60歳になった中田啓二(英文翻訳のため、表記は正しくない場合があります)さんは、東京電力が福島第一原発を建設する際の募集に応じる形で、栃木県から移住してきました。
彼は20歳で入信し、結婚式もこの教会で行い、大熊町に腰を落ち着けました。
彼とその妻は4人の子供に恵まれ、啓二さんは日曜学校の活動にも積極的に参加してきました。
中田さんは数年前に妻を亡くしました。
そして彼が東京電力を退職して一年も経たないうちに、マグニチュード9.0の地震が彼の家を激しく揺さぶったのです。

「言葉になりませんでした。建設に参加した福島第一原発はあんなことになり、心のよりどころだった教会と、そして我が家を失ってしまったのですから。」

いわき06
同じ日の朝、92歳の佐々木とも子さんは大熊町で寒さに震えながら、6時間の間自衛隊の到着を待っていました。
バスに乗って、近くの公民館に避難するためです。
彼女は一晩中教会に避難していました。
それからの混乱を極めた3週間、佐々木さんは前述の中田さんを含めた60人の教区民の人々と一緒に避難所を転々としたあげく、彼らを収容するために用意された東京西郊の避難所に落ち着きました。

佐々木さんは今東京の高齢者のための養護施設に居ますが、あの時一人だったら、今頃はもう生きてはいなかっただろうと語りました。

彼女の入信は65年前です。福島県民としては初めてのバプティスト派キリスト教信者になった彼女は、周囲から奇異の目で見られました。
わずか2、3年前には現人神としての天皇に終生の忠誠を捧げていた、佐々木さんはそう話してくれました。
「その当時のクリスチャンの数はきわめてわずかでした。でもそのせいで信者同士、互いの結びつきが強かったという事も言えると思います。」
電話での取材に、彼女がこう答えました。

しかしともすれば士気が上がりませんでした。
2011年5月、その当時海岸線に沿って絡み合うように積み重なっていた瓦礫の間から、一人の教区民の遺体が発見されました。
そしてもっと高齢の2人の信者が病院で死亡しました。
今は東京の西郊に避難している60人の信者たちは、2週間の間に3度の葬儀を行わなければなりませんでした。

しかし、新たなメンバーも増えました。
教区民の人々と一緒に避難してきた中から、ひと月の間に7家族から入信の申し出がありました。

いわき04
そして一年後の2012年6月、中田さんが再婚しました。
相手は溝口けい子さん、51歳です。彼女の夫もまた、3.11の一か月後に亡くなりました。
今中田さんと溝口さんのカップルは福島県内で暮らし、毎月車を運転して東京の西郊にある臨時の教会に通っています。

「日本で自分を見失うことは良くある事です。」
佐藤牧師がこう語りました。
「でも今回の大災害によって、私たち信者はあらゆる意味で強くなったのです。」

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【 新法王誕生、その瞬間 】
アメリカNBCニュース 3月13日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

システィナ礼拝堂の煙突から白い煙が上がった瞬間、新法王の誕生を知り、喜ぶ修道女。(写真下・以下同じ)
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アルゼンチンのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が新法王フランチェスコ1世の地位に就きます。
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【 教皇選出のためのコンクラーベと枢機卿たち 】
アメリカNBCニュース 3月12日

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ベネディクト16世の後継者となる法王選出のコンクラーベを行うため、システィナ礼拝堂に入る枢機卿たち。
外の世界との接触を断ち、115人の枢機卿たちは見上げるように大きなミケランジェロの手になる『最後の審判』の絵が掲げられた壁の前で、彼らは投票を行うことになります。

システィナ礼拝堂に向かって祈る修道女
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新法王が決まったかどうか、外の世界に知らせるのろしを上げるシスティナ礼拝堂のストーブ。
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3月12日に、聖ピエトロ広場にあるシスティナ礼拝堂の煙突から黒煙が上がった。
黒煙は新任の法王が決まらなかったことを伝える合図。
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システィナ礼拝堂の煙突から上がった黒煙を見つめる修道女たち。
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【 刻一刻、地獄と化すフクシマ第一…そう、そこに、私もいました… 】《後篇》

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東日本全域を地獄と化させないため、踏みとどまった男たち

デイヴィッド・マクニール / インデペンダント(英国) 3月2日

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約250km南の東京では、日本政府が悪夢のシナリオの展開を恐れていました。
世界で最も人口密度の高い巨大都市に、放射能の死の灰が降り注ぐ事態です。

不穏なうわさが広がっていました。
東京電力が福島第一原発の職員全員を撤退させる準備をしており、そうなれば福島第一原発の事故は破滅に向けひた走ることになる、と。

吉澤氏は言下にこれを否定しました。
「私たちは現場の放棄など、考えていませんでした。」
「その時点で撤退の噂は広がるばかりだったので、私は現場に戻ることを志願しました。」
こう語った時、吉澤氏の目は涙をいっぱい湛えていました。

この時、海外のメディアの間に『フクシマ・フィフティ – 福島の50人』の呼び名が生まれました。
吉澤氏によればこの時の実際の人数は70名ほどで、ほとんどが中年以降の社員たちでした。
「全員が最後まで残って闘いつづけることを決心していました。」

続く数週間、嬉々の前線に立つ彼らは、言葉では表現できないような過酷な環境を耐えなければなりませんでした。
配達・配給は常に遅れ、食べ物は常に底を突き、口にできる水は2日間で500mlのペットボトル1本だけでした。
24時間交代制で働き、ビスケットで命をつなぎ、夜は放射線防護施設の中で睡眠をとる生活、吉澤さんの体重は急激に減少し、ひげは伸び放題でした。

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選ばれた消防隊員たちが、過熱している原子炉内の注水に成功しました。
その瞬間、真っ暗な放射線防護室の中の空気が明るいものに一変しました。
「もう、おしまいだ…」
そして絶望の思いとともに作業員たちが口にしていたこの言葉が、いつしか聞かれなくなっていました。

消耗しきって、そしてくたくたの状態で、事故発生から一か月後、吉澤氏はいったん帰宅するため、東京駅に降り立ちました。
その日は晴れていましたが、東京は何事も無かったかのように機能していることに、吉澤氏は驚くとともに衝撃を受けました。

福島第一原発の過酷な現場で苦しい戦いを続けている吉澤氏とその同僚に対する認識は無く、ましてや感謝などはほとんど見出すことはできませんでした。
3月11日以前、数々の警告があったにもかかわらず、それを繰り返し無視し、今回の大事故を招いたとして批判を浴びた東京電力の職員達も、職場に留まったままでした。

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昨年東京電力が国有化されたことにより、今後は一般国民が事故収束のための費用を負担しなければなりません。

たった一人の管理職社員も、福島で起きた事故の責任を取らされることはありませんでした。
国会事故調査委員会が現地調査を行なおうとした際、東京電力が『現場は暗すぎて、現地調査は不可能である』とうそを言っていたことが新たに明るみに出たことにより、会社の再建は中断されたままになっています。

この問題については、津波が到達する以前、原子炉が地震によって既に大きな損傷を受けていたことを隠ぺいするため、東京電力が証拠をつかまれないよう工作したのだという批判が巻き起こりました。
もしそのことが証明されれば、現在そのほとんどが停止している日本国内の50基の商業用原子炉の再稼働が、一層難しいものになってしまうのです。

昨年10月、当時の野田首相が福島第一原発を訪問して公式にねぎらいの言葉をかけることにより、吉澤氏たちの存在が一般に知られるまで18ヶ月という時間がかかりました。
しかしほとんどの作業員は名乗ることもせず、名を知られることも避けようとしました。
ひとつは福島の事故が日本全体に与えた影響の大きさから、もう一つは事故による影響に苦しむ人々が多数いる中、自分たちばかりが陽の当たる場所に出ることをためらう日本の伝統的な感覚がそれをさせませんでした。
中には事故への報復の意味で、自分の子供がいじめに遭う事を恐れている職員もいました。
東京にある東京電力の本社前には、常に警察車両が居て警戒を続けています。
現場にいた職員の口から予期しないことが公になることを恐れ、東京電力は『フクシマ・フィフティ – 福島の50人』をメディアの前に出すことを嫌っています。
吉澤氏へのインタビューの実現は、きわめて稀なことだと言わなければなりません。

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しかし批判が東京電力に向かうような事実は、吉澤氏は決して明らかにしようとはしませんでした。
彼は、現場で働いた作業員たちが、カウンセリングと定期健康診断を受けられるように配慮した東京電力の対応を評価しました。
一定量以上の放射線被ばくをした作業員についてはリストが作成され、彼らは無期限でアフターケアを受ける権利を与えられました。
吉澤氏自身の内部被ばく線量は50ミリシーベルトで、アメリカの原子力発電所の労働者の一年間の限度量でした。

現在東京の本社で、廃棄物、核燃料、そして後方支援を担当している吉澤氏は、福島第一原発で行われている作業はまだまだ先が見えない状態だと語りました。
「あれ程の事故があった後で、核燃料を安全に取り出す作業に取り組んだ経験をした人など存在しません。」
何年かかるかわからない収束作業に、英国と米国の技術者が協力しています。
彼は福島に戻り、危機当時のことを思い出すと、居ても立っても居られない様な気持ちになります。
彼の家族は事故当時のことについて、決して触れようとはしません。

「妻も娘たちも府に関する報道は、テレビその他でいやというほど見せられました。もう見たくも聞きたくもないというのが本音かもしれません。
時々家族が私に『大丈夫?』と聞きたそうにすることがあります。私は本当のことを言うだけです、もう大丈夫、問題は無いよ、とね。」

▽ 先の見えない生活: 不当な境遇への怒り

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福島第一原発の事故は発生から2年が過ぎた今なお、10万を超える人々を先の見えない、不安定な生活に追いやったままにしています。
補償金を受け取ったところで、放射能に汚染されてしまった故郷に戻れない苦しみが軽減されるわけではありません。

2011年3月11日、巨大地震と津波が福島第一原子力発電所の機能を奪ったため、16万を超える人々が住んでいた場所から強制的に避難をさせられました。
そして、数万の人々が自発的に去っていきました。
東京電力はこれら『原発避難民』の人々の生活費については補償を行っていますが、実質的に無価値になってしまった資産についての補償は行っていません。

グリーンピースによって最近まとめられた報告書は、補償を求めるため東京電力に提出しなければならない書類の書式が未だに複雑で分かりにくいこと、そして生活費の補償も不十分であり、資産の査定額も低すぎることを指摘しています。

昨年7月、東京電力が実施に移したこの補償のための仕組みは、日本政府が策定した『複雑で批判の多い』システムに準拠したものだと、その報告書には書かれています。
〈 完 〉

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/i-am-one-of-the-fukushima-fifty-one-of-the-men-who-risked-their-lives-to-prevent-a-catastrophe-shares-his-story-8517394.html?origin=internalSearch
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下の写真集は東日本大震災発生2周年に合わせ、アメリカNBCニュースが2013年3月11日に再編集の上アップしたものです。
冒頭の写真、このような悲しい写真があるなどということは、今の今まで知りませんでした。
言葉もありません…

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[お詫びとお願い]
3月11日月曜日より【世界の原発世論2012・第2巻】の販売を行う予定でしたが、決済用の口座の確認作業の遅れにより、現在決済ができなくなっており、販売を延期せざるを得なくなりました。
ご購入をご検討いただいていた皆様には大変ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。
講座更新手続きの完了まで、今しばらくお待ちくださいますよう、お願い申し上げます。

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【 悲しみと絶望の日々 】

アメリカNBCニュース 2011年3月
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

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4歳になった紺まなみさんが、習い覚えたばかりのひらがなで綴った手紙には、こう書かれています。

『ままへ。
いきてるといいね。
だいじょうぶですか。』

行方不明の母親あてにこの手紙を書くのに、まなみさんは一時間ほどかかりました。
まなみさんの父親も、妹も、行方不明のままです。
2011年3月22日、岩手県宮古市。

2011年3月29日、宮城県気仙沼市(写真下・以下同)。
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2011年3月22日、岩手県釜石市。
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2011年3月16日、宮城県南三陸町。
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2011年3月11日、東京都新宿区新宿中央公園。
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2011年3月11日、東京都内のホテル。
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【 刻一刻、地獄と化すフクシマ第一…そう、そこに、私もいました… 】《前編》

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東日本全域を地獄と化させないため、踏みとどまった男たち
住民の側には自殺する人も現れ、強度のストレス、離婚、そして不自由な生活が原因の各種障害も増加

デイヴィッド・マクニール / ザ・インデペンダント(英国) 3月2日

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彼らは類いまれな勇敢さを示したというべきですが、そのことを理解している人はきわめて少なく、そしてどれほどの危機の中に踏みとどまっていたのかを知る人もまた、ほとんどいません。
デイヴィッド・マクニールは、3月11日のその瞬間に福島第一原発に居た、吉澤厚文(よしざわあつふみ)氏に直接話を聴くことができました。

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どのような制御も効かなくなる状況の中で、危険な放射能にまみれた原子力発電所内に、志願して戻っていくことについて、それはまさにそれは命がけの戦いだった…吉澤氏は今さらのように思い出しました。
彼が現場を去るために同僚たちに挨拶をした時、彼らは軍隊式の敬礼をもって応えました。
まさに戦争の中の状況に例えられることを避けることはできませんでした – 世界中のメディアが彼らの事をカミカゼ、サムライあるいはそのまま福島の50人の英雄と呼びました。

しかしこうした表現は、未だに吉澤氏をとまどわせています。
「私は、英雄などではありません。」
「自分の仕事をしようとしていたにすぎません。」

青い東京電力の作業服に身を包み、抑えた調子で、穏やかに話しをする吉澤氏ですが、福島第一原発で、事故が大災害に発展するのを食い止めるために戦った当時の事を、整理して話すのはまだ難しい様子でした。
チェルノブイリ以来、この地球上で最悪の原子力発電所事故が発生してからもう2年が経ちますが、その責任の所在についての議論は収まりそうにありません。
日本の国営放送のNHKによれば、今月、福島第一原発付近の海で獲れた魚からは、安全基準の5,000倍を超える放射性物質が検出されました。

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2月末に世界保健機関(WHO)が行った報告では、最悪の放射線被ばくをしてしまった女子乳幼児の場合、生涯の内に甲状腺がんを発症する危険性が70%上昇するとの警告が行われましたが、ほとんどの一般住民については、ガン発症の危険性は『低い』と結論しました。
福島第一原発の周辺で暮らしていた160,000人を超える住民が避難を余儀なくされ、その中には一生帰れない人も出てくるものと考えられていますが、現在充分な補償を求めて戦っています。
避難民の中には自殺する人も現れ、強度のストレス、離婚、そして不自由な生活が原因となっての各種の障害も増えています。

吉澤氏は自らが勤める会社が、今回のような危機を引き起こした事に「大きな責任」を感じていると語りました。

2011年3月11日、福島第一原発から160キロ離れた海底で発生したマグニチュード9.0の巨大地震によって引き起こされた一連の出来事について話していた時、吉澤さんの目が涙でいっぱいになるときがありました。

「思わず両手で膝を抱え込んだほど、その衝撃は大きなものでした。」
54歳になる技術者がこう語りました。
「隠れる場所もありませんでした。」

激しい揺れは壁から配管類をもぎ取り、駐車中の車を跳ね上げ、350ヘクタールある発電所の敷地内のいたるところで道路が崩れてしまいました。」
最初のうち、吉澤氏は発電所の緊急装置が稼働しているものと信じていました。
地震が発生した瞬間に、自動的に制御棒が稼働中の原子炉の炉心に挿入され、そこで起きている核分裂を抑え、『スクラム』と呼ばれる緊急停止状態が実現するはずだったのです。

しかし強烈な揺れは発電所内の主電源系統を壊滅させてしまい、そしておそらくはこの時点で1号機の冷却装置も機能しなくなり、そして49分後には想定していた高さの2倍の津波がこの発電所を襲うことになったのです。

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吉澤氏の担当は原子炉5号機と6号機で、地震が発生した瞬間には定期点検のため稼働を停止していました。
吉澤氏は発電所内の免震司令棟内に駆け込み、そこにいた吉田所長の傍らに待機しました。
その時吉田所長は、発電所が受けた損害の確認に忙殺されていました。
窓のまったくない隔離された部屋からは、津波が到達したときの様子を確認することはできませんでした。
13メートルから15メートルの高さにまでなった津波が、5.7メートルの防潮堤を乗り越えて福島第一原発施設内に殺到し、タービン建屋の基礎部分が水没しました。
原子炉建屋の海側には電気系統のスイッチ類があり、この水没により12ないし13基の緊急発電用装置と非常用バッテリーが使用できなくなってしまいました。
この装置こそが最後の砦だったのです。
原子炉の炉心に冷却水を送り込むことができなくなり、放射線量の測定も出来なくなりました。

ここにおいて、福島第一原発の技術者たちは、施設内の制御がまったく出来なくなりました。
そしてメルトダウンが始まったのです。

吉澤氏は、貯蔵庫の中の燃料タンクと車両が水の上を漂っているという報告を、初めて聞いた瞬間のことを思い出しました。
「そんな大きな津波が来るなどという事は、考えてもみませんでした。」
吉澤氏が語りました。
危機は急速に拡大しました。
全電源喪失からちょうど15時間後、原子炉1号機で溶けだしたウラン燃料が圧力容器の底を突き破りました。
2号機も3号機もいずれそうなるのは、時間の問題でした。

ここにおいて、付近の市町村から何万という人々の避難が始まりました。

しかし東京電力は全電源喪失などという事態の発生は予測しておらず、打つ手が全くなくなってしまったのです。

110622
発電所の従業員のほとんどが、家族の安否を確認するために帰宅しました。
吉澤氏の中で二つの選択肢が揺れ動きました。
「従業員たちの安全を優先すべきか、原子炉の完全な停止に取り組むべきか…」

吉澤氏自身の妻と2人の娘は、数百キロ南の横浜市に居ました。
彼は迷いませんでした、そして家族のもとに帰ろうとは考えもしなかったのです。
「他の人々にとっては違和感があるかもしれませんが、私たちは仕事を続けることを選んだのです。東京電力の職員たちは、あたりまえのことのように危機に対処することを選択しました。」

吉澤さんは事故直後、2、3日の間発電所を出て、5キロ離れた大熊町の対外対策ビルディングに拠点を置いていました。
しかし3月15日から16日にかけ、福島第一原発の事態は最も重大な危機を迎えることになりました。

続けざまに発生した水素爆発により、ほとんどの場所に鋼鉄の部品とコンクリートの残骸が飛び散り、発電所内はどうしようもない混乱に陥りました。
3基の原子炉がメルトダウンを起こし、4棟の原子炉建屋では本当なら5メートルのプール深く沈んでいなければならない1,000本を超える核燃料棒が、プールの水が沸騰して蒸発してしまったため直接空気に触れてしまい、むき出しの状態で核分裂反応が発生する恐れが出てきたのです。
最悪の瞬間が続く中、吉澤氏は他の技術者とともに、破滅の到来の予感に身を震わせました。
この状況により、今度は福島第二原発10㎞圏内の人々の避難が開始されたのです。
〈つづく〉

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/i-am-one-of-the-fukushima-fifty-one-of-the-men-who-risked-their-lives-to-prevent-a-catastrophe-shares-his-story-8517394.html?origin=internalSearch

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「この記事、どこかで読んだような…?」
そうお感じになった方もいらっしゃると思います。
実は同じ題材を扱った記事、しかもインデペンダントと同じ英国メディアの記事を、【星の金貨】ではすでに2回掲載しています。

エコノミスト 2012年10月27日付( http://kobajun.biz/?p=6298 )
ガーディアン 2013年1月11日付( http://kobajun.biz/?p=8583 )

それでも掲載したのは、これまでも福島第一原発の問題について、私たち日本人が知らない情報を数多く提供してくれたデイヴィッド・マクニール氏の手による記事であるからです。
読んでみると、やはり充実した内容になっています。
長いため、2回に分けてご紹介することにしました。

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[お詫びとお願い]
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【 津波襲来から2年、今なお続く遺体の捜索 】

アメリカNBCニュース 3月11日
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宮城県石巻市、大勢の子供たちが犠牲になった大川小学校付近、2013年3月11日。

宮城県石巻市、大勢の子供たちが犠牲になった大川小学校付近、2013年3月11日。


福島県浪江町、2013年3月11日。

福島県浪江町、2013年3月11日。


宮城県気仙沼市、2013年3月11日。

宮城県気仙沼市、2013年3月11日。


宮城県南三陸町、、2013年3月11日。

宮城県南三陸町、、2013年3月11日。


宮城県南三陸町、2013年3月11日。

宮城県南三陸町、2013年3月11日。


岩手県陸前高田市、左が、2011年3月17日、右が2013年3月11日。

岩手県陸前高田市、左が、2011年3月17日、右が2013年3月11日。

終わっていない悲劇、終わらない苦しみ【 『作られた』数値? : モニタリングポストの放射線量 】現在の除染作業に疑問!

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世界中のたくさんの人々が心を痛める、避難民の窮状

ドイチェ・べレ(ドイツ国際放送) 2月28日

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チェルノブイリに次ぐ大惨事となった福島第一原発の事故が発生してから間もなく2年になる今、複数の市民グループが日本政府が発表している福島第一原発周辺地区の汚染を表す数値の正当性に疑いを持っています。

3月11日に襲った巨大地震の後、福島第一原発にある原子炉が最初の爆発を起したその一部始終を見ていて、広野ゆう子さんはまるで映画を見ているようだったと、当時を振り返りました。
「あまりに非現実的で、とても信じられませんでした。しかしされが現実であることを受け入れ、何が起きているかを確かめ、自分と家族を守るために行動を起こさなければなりませんでした。」
彼女はドイチェ・べレの取材にこう答えました。
「事態について楽観的に考えるなら、対応は簡単でした。しかし私は現実を冷静に受け入れる様、努力しました。」

▽ 容易ならざる事態

結局彼女は事態が容易ならざるものと判断し、スコットランド人の夫、そして娘とともにイギリスのグラスゴーに引っ越しました。
そして彼女は日本政府や福島県などが公表している汚染状況に関する数値について、ほとんど信用していません。

今日の日本にあっては、福島第一原発の事故による放射性物質の直接の被害を受けた東北地方以外では、まるで福島第一原発の事故が収束したかのように、人々は普段と変わらない生活を送っています。
しかしいくつかのボランティア・グループが独自に各地の放射線量の測定を行い、情報を共有できるようその数値をウェブサイト上で公開しています。

「いまだに汚染濃度の高い地区で暮らしている人々にとって、危険な状態が続いているものと思われます。」
東京に拠点を置いて活動する市民グループの原子力情報センター(CNIC)の広報を担当する松久保肇氏がこう語りました。
松久保氏は、政府が設定した除外地域に含まれない福島市、そして郡山市の住民が未だに危険な線量の放射線を浴びて暮らしているとする、民間の調査結果が存在することを指摘しました。

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「多くの研究結果によって得られた経験から、国際放射線防護委員会が設定した被ばく線量の限界は、1年につき1ミリシーベルト未満です。」
松久保氏が語りました。
「それほど危険性は高くないと考える人がいたとしても、福島県の人々がそのような見解を受け入れるべき理由はありません。」

一部の科学者や医師、そして政府がその場所で暮らしても安全だとの見解を示していますが、住民の多くが被ばくについて懸念を持っています。

日本政府は除外地域の内外に設置した放射線モニタリングポストから、遠隔操作により得られた測定値を公開していますが、原子力情報センターはそのデータの信ぴょう性に疑いを持っています。

▽ 作られた公式線量

「モニタリングポストが設置された場所の周囲、そこがまず除染の対象となった可能性があるのです。」
松久保氏がこう語りました。
「そうして作られた数値が政府の公式な放射線量として公表され、それによって人々の被ばく線量が計算されていることについて、私たちは重大な懸念を持っています。」

原子力情報センターは当局に対し、各地の農産物の放射線量の推定判断材料にするため、あらゆる場所の空間放射線量を測定し、それを見やすい形で一般公開するよう当局に対し要請を行っています。

しかし専門家は、5年経たなければ放射線による農作物への影響を、正しく判断することは難しいと警告しています。放射性物質が地中のどのあたりまで浸透するかにより、ジャガイモやその他の根菜類に与える影響を正確には判断できないからです。

 ホウレンソウの収穫をする農婦。数多くの研究機関や調査機関が、農地の汚染状況に関するデータの公開を求めています。


ホウレンソウの収穫をする農婦。数多くの研究機関や調査機関が、農地の汚染状況に関するデータの公開を求めています。


「最初1年間に繰り返されたいくつもの大きな失敗の後、食物監視プログラムは現在、法定限度以上に汚染された食品がスーパーマーケットの売り場に並ばないよう、効果を発揮しているようです。そのため特に注意を払わなくとも、人々は不必要な内部被ばくをせずに済んでいると考えられます。」
フェイスブックを通して毎日の放射線量データを一般公開している市民グループ、Tokyo Radiation Levels(トウキョウ・レディエイション・レベルズ - 東京放射線量)のアントニオ・ポーテラ氏がこう述べました。

しかしきのことベリー類、かんきつ類の果物、狩猟によって得た野生動物の肉、そして淡水魚と東北沿岸の海底に生息する魚類については、他と比較して強い懸念があります。

「公開されている公式な測定値だけを使っても、放射能汚染の広がりついて、それを理論的に解明していくことは可能だと思います。食物連鎖への影響についても、同様に解明できると思います。」
ポーテラ氏がこう語りました。
「しかし現在、情報を入手するための方法が非常に煩雑で、こうした作業に時間がかかり過ぎる原因になっています。」

そして彼は以下のような指摘を行いました。
「今必要なことは、関東地方と東北地方で生産される食品の中で、いくつか高い放射線量を示している品目があると、明確に警告を行う事です。」
「こうした状況は今後数年間、否、数十年の間、改善される見込みはありません。」

日本の各政府機関、そして地方自治体がインターネットなどで公開している放射線の測定値は、主に原子力規制委員会、文部科学省、東京都健康安全センター、放射線医学総合研究所が測定したものです。

▽ 何より人々の健康を優先すべき

原子力規制委員会の政策評価・広聴広報課の青山副課長は、公開している情報が正しい理解のために役立っていると信じると語りました。

そして原子力規制委員会の田中委員長が昨年12月、福島県議会で行った演説を引用しました。
演説の中で田中委員長は、
「何よりも人々の健康を最優先にし」
「政治的見地、経済的見地では無く、純粋に科学的な見地から、客観的で厳格な監視システム」を確立するとのべています。

しかしそのためには膨大な量の業務手つかずのまま残されており、果たして期限内に責任を全うできるか、市民グループの中には疑問視する声があります。

「この2年間、住民の姿が着えてしまった町で、濡れた雑巾で窓を拭き、ホースで車道に積もったチリを洗い流す作業している人々を何人も見てきました。」
こう語るのはエンジニアで、セイフキャスト・ジャパンでボランティアを行っているジョー・モロス氏です。

「そんなやり方でも、多少はましになるかもしれません。しかし環境中に放出されてしまったセシウムを取り除く方法としては、その効果はきわめてわずかでしかありません。」

▽ 恐怖の果てにあるもの

未だに日本政府は、公開している放射線量の数値に対し、多くの国民の信任を得ていません。

未だに日本政府は、公開している放射線量の数値に対し、多くの国民の信任を得ていません。


セシウムを除去するためには、いくつかの大きな通りで実施されたように、影響を受けた表面部分をすべて削り取る必要があるとモロス氏が指摘しました。

避難区域だった場所に人々が戻るためには、住民が目に見えず音もせず、そしてにおいも無い恐怖を克服した上でなければ不可能であることを、専門家も認めています。
「一般の人々に、その場所が安全かどうかなどの判断はできません。もし不安を感じれば、戻ってくることは無いでしょう。」
モロス氏がこう語りました。

「そして世界中の、たくさんの人々が心を痛めています。現在の政府が、被災者となった人々、そして国民の健康より、経済やビジネスの事ばかり気にかけていることを。」

http://www.dw.de/rising-doubts-about-japans-official-radiation-figures/a-16631709
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【 雪の日のニューヨークは 】

アメリカNBCニュース 3月9日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

どんな味がする?

どんな味がする?


3月8日夜遅く、シカゴに大雪をもたらした前線がニューヨークにも到達、一帯に大雪を降らせました。
セントラルパークでは10センチ、ブロンクスでは18センチの積雪を記録しました。
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終わっていない悲劇、終わらない苦しみ【 事故から2年、ついに始まった史上最大の廃炉作業 】

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作業は4号機から / 1~3号機の廃炉の着手は2021年 / 「全世界に向け」謝罪する東京電力

ジャスティン・マッカリー / ザ・ガーディアン(英国) 3月6日

GRD01
発電所内に立ち入ることの危険性についてはまだ未解明ですが、10兆円の経費、最低でも40年の月日を要する福島第一原発の廃炉作業がついに開始されました。

昨年一年間で、福島第一原子力発電所周辺の放棄された市町村の放射線量は、40%に減少しました。
現在発電所内では、原子炉を冷却するために用いられた汚染水から、危険な汚染物質を取り除くための最新の装置を稼働させるべく、全力を挙げています。
そしてもうすぐ、これ以上汚染水が太平洋に流れ込まないようにするための銅製の防護壁が、海中に建設されることになっています。

巨大な津波が福島第一原発を襲い、すべての電源が失われこの四半世紀で最悪の原子力発電所事故が発生してからもうすぐ2年になろうとしています。
福島第一原子力発電所が引き起こした巨大事故、その最も危険な時期は過ぎました。

ちょうど1年前、ザ・ガーディアンの取材スタッフが福島第一原発を訪れて以来、様々な部分で事態は進展しましたが、最も大がかりな、そして最も困難な本格的な廃炉作業にはなかなか踏み込めない状況が続いていました。
それが今、やっと開始されたのです。

かつて床に散乱していたパイプ類、ケーブル類、そして各種工具類などは、現在は発電所内で機能する一連の複雑な仕組みのそれぞれの部分として機能しています。
しかし一方では各原子炉から溶け出し、基礎部分深くまでもぐりこんでしまっている核燃料をどうすれば取り出すことが出来るのか、専門家が検討を重ねていますが、その方法を見つけ出せずにいます。

メルトダウンと水素爆発によって徹底的に破壊された3基の原子炉が、『冷温停止』の用語で知られる安定状態に達したと宣言されたのは、20,000人近い犠牲者を生んだ津波が東北の太平洋岸を襲ってから、9カ月後の事でした。

福島第一原発の事故のため自宅を捨てることを強いられた避難民の人々に対する巨額の補償、そして除染のための莫大な費用に加え、さらに最低でも10兆円はかかるとされる廃炉作業を、今日本は始めようとしています。

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現在の福島第一原発の所長である高橋毅氏が、廃炉作業について30~40年かかる可能性がある事を認めました。

「たとえまだ難しい局面にあるとしても、私たちは何とかして廃炉作業を前に進めていく覚悟です。」
高橋所長は6日水曜日、現場を訪れた少人数の海外の記者団にこう語りました。
「特にメルトダウンしてしまった3基の原子炉については、廃炉の作業を完了するまでには最長の時間がかかるでしょう。しかし3基の原子炉を安定した状態に保つため、私たちは最善を尽くします。」

廃炉作業は原子炉4号機から開始されます。
4号機は津波が襲った際停止中で、炉心にあった燃料棒は外に取り出され、原子炉建屋内の使用済み核燃料プール内に収容されていたため、水素爆発による原子炉建屋の損傷はひどいものの、津波そのものによる被害は無く、無傷のまま残っていると考えられます。
東京電力は今年度末までには、4号機建屋の使用済み核燃料プールから、燃料棒を12本ずつ詰めた核燃料容器の取り出しを行い、原子炉建屋に隣接して建設する新たな使用済み核燃料プールに移し変える作業を開始するとしています。
しかし取り出した核燃料容器から燃料棒を一本ずつ取り出し、加工の上、より安全な状態であるドライキャスクの形で、高所に設けられる専用の建物に収納を終えるまでには、尚4年以上の歳月を要します。

最終的には新旧併せて約11,000本の核燃料棒を、損傷のひどい7か所の使用済み核燃料プールから取り出す必要があります。
一方、1号機から3号機の、メルトダウンしてしまった核燃料の取り出し・除去作業は2021年まで着手されません。
これらの作業すべてが完了するのは、40年後になるものと見られています。

東京電力と契約して各種作業を担当する企業の管理職クラスの社員たちは、自社の作業員たちが常に放射線障害の危険と隣り合わせに居るにもかかわらず、口をそろえてこう語ります。
建設から40年が過ぎた福島第一原発の廃炉について、工程を予定通りこなすことは可能だと。

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福島第一原発内で最も危険な作業を担当することになると見られているのが、小林広重さんとそのチームです。
株式会社鹿島の社員である小林さんは、原子炉3号機周辺に散乱するがれきや残骸、破片の撤去作業を請け負っています。
この場所は施設内のどの場所よりも、著しく放射線量が高い場所なのです。

最近東京電力が、メルトダウンを起こさなかった原子炉4号機に隣り合う場所、海側の地点の放射線量を計測しましたが、その値は一時間当たり172マイクロシーベルトでした。
しかし3号機の海側の地点の放射線量は1,710マイクロシーベルトでした。
日本原子力研究開発機構のデータを使って比較してみると、一回の胸部レントゲン検査での被ばく線量は50マイクロシーベルト、東京、ニューヨーク間の往復でのフライトでの被ばく線量は200マイクロシーベルトです。

―世界保健機構(WHO)は先週、福島第一原発の放射線量の高い場所で働く危険性について、作業員の3分の1がこれから一生の間に甲状腺ガン、白血病、そしてあらゆる種類のガンを発症する確率が高まる危険に直面していると警告しました。

小林さんはWHOの報告についてコメントするのを控えましたが、労働者が放射線レベルの高い場所で連続して働かなければならないことから、前例のない危険に直面しなければならない事を認めました。
「原子炉3号機の放射線レベルが非常に高いことは事実です。そのため私たちはできるだけ遠隔操作技術を用いて対処するつもりです。そのため、可能な限り原子炉から離れた場所にとどまるようにしています。」

2011年10月、600万ドル(約5億6,000万円)をかけた開発したクインスという名のロボットを事故現場に送り込み、人間が入り込めない高放射線量の現場にいち早く到達することが期待されました。
しかし原子炉のひとつに入っていったロボットとの交信は絶たれてしまい、希望は空しいものとなりました。

「私たちは現在がれき処理などを行う際、GPS機能やレーザー技術など、これまでは無かった技術を使える環境にあります。」
小林さんがこう語りました。

東京電力は何とか遠隔操作カメラを原子炉格納容器の中まで入れることに成功し、圧力容器の外側の様子を確認しましたが、溶け落ちた燃料の状態までは確認することはできませんでした。
しかし除去するためには、事前に確認できなければ手の出しようがありません。

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そして原子炉1~3号機には絶えず注水を行わなければならないため、汚染水が毎日増え続け、東京電力にとって極めて厄介な問題になっています
現在は敷地内に次々巨大なタンクを建設してしのいでいますが、もうすぐその敷地の確保ができなくなるのです。

また2011年3月以来、強い地震が度々この場所を襲っていますが、破壊されてしまった原子炉4号機建屋の強度も懸念されてきました。
この原子炉建屋の最上階にある使用済み核燃料プールには、1,500個以上の核燃料容器が収められているからです。
しかし東京電力の高橋所長は、2年前の巨大地震と同程度の地震が再び襲っても、建屋が倒壊する恐れはないと強調しました。

こうした数々の改善にも関わらず高橋所長は、福島第一原発の現状が、今回の事故によって破壊され失われたすべてのものが、再び元の姿を取り戻すまでにどれほど長い道のりを必要とするか、その事実を象徴するものとなっていることを認めました。
福島第一原発を訪れる人は、20キロの幅の、人が誰もいない、廃墟となって時間が止まったままの避難地域を通って来ることになります。

6台ほどの車が、スーパーマーケットの駐車場に乗り捨てられています。
店や飲食店も無人のまま、荒れ果てた姿をさらしています。
除染のためかつてはコメを育てていた田んぼから取り除かれた、黒い土を詰めた大きなビニールバッグが田畑を覆い尽くすように置かれています。
いつ?どこへ?処分の見通しすら立っていないのが現状です。

目に映る動くものといえば、建設資材や工作機械などを運搬するトラック、そして青色、または白色の防護服を着込んだ作業員を乗せたバスだけです。

この地を追われた数万人の避難民、『原発難民』となった人々がいつこの地に戻れるのか、否、帰還そのものは可能なのかどうか、未だに明らかではありません。

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この2年間、東京電力はずっと同じ呪文を繰り返してきました。
高橋所長も、福島第一原発の事故が引き起こした『許されざる事態』について『世界に向けて』謝罪しました。

彼もまた、他の東京電力関係者同様に廃炉の作業の進行については、楽観的見通しを口にします。
ただし、彼が置かれている立場は、それを現実にすることを求められています。

最後に彼がこう語りました。
「福島第一原発で起きたことが歴史のことコマになるまでには、長い時間がかかるでしょう。」

http://www.guardian.co.uk/environment/2013/mar/06/fukushima-nuclear-decommissioning-plant-safety?INTCMP=SRCH
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本日より世界を代表するメディアが、【3.11】2周年に向け掲載した記事をご紹介していきます。
すでにチェックした記事だけで10本を超えていますが、可能な限りすべて翻訳し、ご紹介するつもりです。
今回は長い記事が多いのがの特徴ですが、よほど長くならない限りはできるだけ1回ごとの読み切りの形で掲載したいと考えています。
また、途中、別の話題の記事を挟むかどうかはまだ決めていません。
よろしくおつきあいください。

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[お詫びとお願い]
3月11日月曜日より【世界の原発世論2012・第2巻】の販売を行う予定でしたが、決済用の口座の確認作業の遅れにより、現在決済ができなくなっており、販売を延期せざるを得なくなりました。
ご購入をご検討いただいていた皆様には大変ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。
口座更新手続きの完了まで、今しばらくお待ちくださいますよう、お願い申し上げます。

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【 300,000の人々が家を失ったまま・福島の事故から2年 】

フランス24 3月7日

3月11日月曜日、日本の東北地方太平洋岸を津波が襲い、16,000の人命を奪い、福島第一原発の事故を引き起こしてから2年目を迎えます。
何万人もの人々が津波で家を破壊され、そして福島第一原発周辺で暮らしていた人々は原発事故により避難を余儀なくされました。
それから2年の歳月が過ぎましたが、300,000もの人々が仮設住宅や避難先で不自由な暮らしを強いられたままになっています。
新たに家を建てる計画も進められていますが、完成するまでにはさらに10年の月日を要することになるでしょう。

※上段のザ・ガーディアンの記事を執筆したジャスティン・マッカリー氏が、下段のフランス24では特派員として動画の中に登場します(4:00~)。

全世界の原発、その廃炉に向けて『立ち上がる第3世界』からのメッセージ「金儲けに興味は無い、平和な暮らしを壊す行為を止めよ!」

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序章【 世界の3.11報道2013 】
なぜチェルノブイリの悲劇を繰り返したのか?! フクシマの現実と第3世界の怒り

[立ち上がる第3世界]2011年4月(No.248)

第三世界01
福島第一原発の悲惨な事故を受け、35か国以上の全国市民組織、国際市民組織、そして個人が、世界に対し原子力発電への依存をやめるよう、共同で以下の呼びかけを行いました。

数万人の人々の命を奪い、極めて広範囲にわたる地域、そして都市を壊滅させたマグニチュード9.0の地震、そして引き続いて発生した津波が引き起こした悲劇についての報道は、世界中に連帯の心をつなぐことになりました。
今回の大災害が引き起こす人道上の危機について、ここに集まった署名活動を行う人々、組織、そして個人は、日本の人々に心からの哀悼の意を表すとともに、悲しみと同情を共有していることを、まず始めに申しあげます。

しかしながら、私たちは福島第一原子力発電所が、自然界において発生した災害により複数回の爆発を起こし、その結果深刻な放射能汚染が広がったことについて、重大な懸念を持っています。
現在続いている危機的状況は、原子炉の温度がさらに上昇するようなことになれば、より一層悲惨な事態に発展する可能性があります。
同じ危険が女川、東海の2か所の原子力発電所にもあります。
日本政府は600万人分の電気が不足することになったとしても、これ以上の原子力災害が発生しないよう、少なくとも11か所の原子力発電所の稼働停止を余儀なくされました。

そして200,000人以上の人々が今回の事故により放出された放射性物質を被ばくすることにより、深刻な健康被害を起こすのを避けるため、避難を行いました。
そして影響を受ける可能性のある人々について、起こる可能性のある健康被害の検証が続けられています。

第三世界06
今回の原子力発電所の事故、事故が生んだ数限りない危険は、原子力発電というシステムがこの世界にとっていかに不当な存在であるか、そのことを証明しました。

福島第一原発は大量の電気を都市部に送り続けて来ましたが、危険を引き受けたのは地元の住民でした。
それなのに原子力発電設備を輸出して利益をあげようとする企業は、原子力発電を『クリーン・エネルギー』などと呼んで憚りません。

今回生み出された悲劇的状況は、今再び、原子力発電が絶えることの無い地球の営み、そしてこの世界に対する重大な脅威であることを思い知らせました。
そして40年前、この地に原子力発電所を建設することに反対するため立ち上がった日本の人々がいたことをも、思い起こさせました。

今日、地球上での暮らしを脅かすものは自然災害だけではなくなりました。
気候変動による異常気象は大規模な洪水や地滑りなどを引き起こし、居住環境を全地球的規模で変えてしまおうとしています。
最近ブラジルのリオデジャネイロの近郊では大規模な泥流が襲い、近くにあった原子力発電所は安全が確認できるまで稼働を停止しました。
このように世界はこれまで以上に、自然が引き起こす災害に対し脆弱な状況に陥っていることを、私たちは顧みる必要があります。
そして何にもまして、いったん福島のような事故が発生してしまったら、誇るべき技術も、蓄えられた富も、地上の生命を守るためにはあまりに非力であることを思うべきです。

第三世界05
気候変動によるさまざまな危機とエネルギー資源に対する切実な需要は、大企業と先進諸国をして、クリーンな持続可能な代替エネルギー源として、原子力発電の利用を検討させることになりました。
世界銀行が独自に策定したエネルギー計画は、大規模なダム建設による水力発電と併せ、原子力発電を将来有望な発電手段と位置づけました。

しかし数多くの検証がなされた結果、このような考えは誤りであり、いずれの手段も環境に対する負荷が大きすぎ、気候変動が続く中、かえって人類の安全を脅かすことになることが明らかにされつつあります。

原子力発電は気候変動交渉の場などでは、『クリーンな』発電手段としての扱いを受けています。
しかし、チェルノブイリ、フクシマと繰り返された悲劇により、いったん事故を起こしてしまえば、技術的にも対処の仕様が無く、人間の力でどうにかなるものでは無いことが明らかになりました。
そして現実に何百万人もの人々が、その影響に苦しんでいます。
さらには次の世代の人々に対しては、常に危険がつきまとう生活を強いることになりました。

そして、地球を汚染する猛毒、核廃棄物の処理にも同じように大きな危険があります。

国連の気候問題の討議の場であるリオ+20のような多国間協議の場では、原子力発電が引き起こす可能性がある様々な弊害について、もっと真剣に検討が行われるべきです。
わたしたちは各国の政府に対し、原子力発電は誤った解決手段であるとの見解を示している自国の国民や世界中の市民団体の声を、もっと真剣に受け止めるよう求めます。
金銭的利益の実現を何より優先し、地球環境の破壊すらためらうことなく行う巨大資本の要求では無く、世界中のすべての人々が安心して生活を送り、健康と権利を守ることに、各国政府は心を傾けよう、私たちは要求します。

私たちは世界中の原子炉の廃炉に向け、取り組みを始めるよう要求します。

フクシマ・デモ
そしてその地の人々にふさわしい、真の解決手段を探し、併せて悔やんでも悔やみきれないような事故が二度と起きないように、正しい予報措置がとられることを求めます。

原子力発電を継続すると主張して譲らない各国政府に対しては、チェルノブイリとフクシマの教訓をもっともっと強く認識させなければなりません。

エネルギー問題を解決するための原子力発電の利用、そしてさらに恐ろしい目的、核兵器開発を目的とした原子力発電はやめさせなければなりません。

私たち第3世界の人間にとって、最優先課題は金儲けではありません。
私たち第3世界の人間にとっての最優先課題は、生きていく上で、暮らしていく上で、余計な危険をこれ以上抱え込まないようにすることなのです。

http://www.twnside.org.sg/title2/resurgence/2011/248/cover08.htm
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3月11日が目前に迫ってきました。
すでに海外のメディアには、福島第一原発関連の記事が多数掲載され始めています。
【星の金貨】では3月11日月曜日から、それら最新の記事を可能な限り数多くご紹介する予定ですが、今日は改めて事故が発生して間もなく、第3世界の人々が世界に向け発信したメッセージをご紹介します。

事故発生から2年、彼らと同じ覚悟がこの日本には欠けたままになっている。
そうした思いが、最近ますます強まってきました。
覚悟を持った国と持たない国、10年後、20年後、そして100年後の姿はどうなっているのでしょうか?
今を生きている私たちに、その責任は無いのでしょうか?

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写真集【 原発難民の帰郷 】
アメリカNBCニュース 3月7日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

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2年前まで、三原雄三さんとその妻ゆう子さんは、福島県浪江町で静かな暮らしの中に居ました。
雄三さんは一軒の店を経営し、ゆう子さんも別に美容院を営んでいました。
しかし、2011年3月11日、巨大地震と巨大津波が近くにある福島第一原発を壊滅させてしまったその瞬間から、静かな暮らしは潰え去りました。
福島第一原発が大量の放射性物質を放出したため、浪江町の住民全員に対し避難勧告が出され、雄三さんとゆう子さんも、家を捨てて逃げるほかありませんでした。
その時から、2人は日本に100,000人以上いるとされる『原発難民』になったのです。

三原さん夫婦は先月、短時間ですが我が家に帰ることになりました。
その際、欧州報道写真エージェンシーのカメラマン、フランク・ロビションが同行を申し出ました。

三原さん夫婦は短い帰宅の間、2、3の持ち物を回収し、家の中の片づけをすることが出来ました。
懐かしい我が家は、ネズミたちが食い荒らすままになっていました。

浪江町請戸地区の現在の姿

浪江町請戸地区の現在の姿


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廃墟と化した自宅周辺。

廃墟と化した自宅周辺。


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【 女性を正当に評価しない国ニッポン – 男女平等の実現性は全世界中100位以下 】

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インタープレス・サービス(IPS) 1月31日

日本の職場は相変わらず男性中心の社会

日本の職場は相変わらず男性中心の社会


差別を禁止する法整備が行われ、女性の社会進出が進んでいるように見える日本ですが、実は日本は男女の平等性の確立においては、これまでずっと世界の中でも後進国に属していました。

日本は世界の中でも最先進国に属しますが、古い慣習にとらわれた国であるという事も、もう一方の現実なのです。
世界第3位の経済規模を誇りながら、男女間の格差が社会の中に根強くはびこってきました。

国連開発計画によれば、日本は世界の経済強国の中、最も男女間格差が著しい国としてランク付けされているのです。

しかもその格差は拡大する傾向にあります。
昨年世界経済フォーラムの年次報告書の男女間の政治的格差、社会的格差の部門で、日本はランキングにおいてタジキスタン(中央アジア)、ガンビア(アフリカ)に抜かれ、99位から101位にまで後退してしまいました。

こうした結果が出たことについて別に驚くべきではないと語るのは、東京にある日本大学で社会学を講義する小笠原ゆう子教授です。
「日本では、家庭と仕事を両立させることは、まだ不可能なのです。」
小笠原教授はIPSの取材にこう答えました。

「男女不平等の背景にある主要な理由が、この問題なのです。男性、女性いずれにあっても、人々は毎日夜の10時まで働くことになっています。家庭生活をきちんと営むつもりなら、これは明らかな障害です。」
15年前、小笠原教授は『オフィス・レディとサラリーマン』を発表しました。
この著作は日本国内の職場では、男性社員が重役目指して出世の階段を昇るべく働く一方で、女性社員はお茶出しと事務的な仕事しかさせられない現状について記述しています。
「そのころとはずいぶん状況が変わりました。」
「確かに女性重役の数も増え、チャンスも与えられるようになりました。しかし問題はまだまだ残っています。初めてのこどもを生んだ後、女性社員の70%が職場を去っているのです。」

「子育てが一段落した後、女性が元の職場に復帰することは、非常に難しいのが現実です。」
日本最大の銀行のひとつに勤務する、マクロ経済学が専門の経済学者であるキャシー・松井さんがこう語りました。彼女は主に1999年以降、日本女性の雇用状況について研究しています。

「問題の多くは、彼女たちが所属する組織、そしてその昇進システムにあります。」
松井さんがIPSの取材にこう答えました。
「ほとんどの人材派遣会社は、専門とする分野に10年以上の空白期間がある女性を拒否します。10年の空白によって、それまで身に着けたことがほとんど白紙に戻ってしまっているものとみなされ、採用すべき理由は無いと判断されてしまうのです。狡猾で許しがたい差別です。」

「女性が再び職業人としての人生を再開したいと思っても、残されているのは低賃金のパートタイム労働しかないというのが現実なのです。」
小笠原教授がこう指摘しました。
「彼女たちの賃金は正規雇用者と比較すると、著しく低いものです。逆にそのため、企業は安価な労働力を確保するための手段として、この制度をそのまま継続することを望んでいるのです。」

男女間の差別は、この国のあらゆる組織に根深く存在しています。
「日本には、男女間の差別を禁ずるたくさんの法律があります。」
こう語るのは大阪大学経済学部の竹内惠行(よしゆき)教授です。
「しかし日本の年金制度、社会保障、そして健康保険制度は、働いている父親、専業主婦の母親、そして子供が2人という4人家族を想定したものなのです。」

「日本の企業は、妻が専業主婦である場合、男性の被雇用者に対してより高い報酬を支払うようになっています。妻がパートタイム労働を行う場合には、税金の控除などにおいて報酬金額の上限が定められています。これらすべて、1970年代の日本の経済状況に基づいて制定されたものが、そのままになっています。以来ほとんど手が加えられていません。こうしたことも女性が仕事に復帰する際の障害になっています。」

この間日本経済は著しく変化しました。そしてこの20年間というものは、深刻な経済不況に悩み続けて来ました。
急速に高齢化が進み、出生率の低下が続き、このままでは2055年までに日本の人口は30%減少することになります。

「日本の労働人口は減少を続ける一方、海外労働力の受け入れには極めて消極的です。」
キャシー松井さんがIPSにこう語りました。
「現在ある労働力をフルに活用するしか、もう方法はありません。日本の人口の半数が女性なのです。日本の女性は高度に教育されているにもかかわらず、一定の年齢に達すると第一線から退かなければなりません。彼女たちを再び第一線に立たせる、それ以外の選択肢はもう無いのです。これはフェミニストとして行っているのではなく、一経済学者としての客観的見解なのです。

しかし日本社会は相変わらず、こうした考えを積極的に受け入れようとはしていません。

昨年12月、日本政府が行った世論調査によれば、女性は家庭に居て家族の世話をするべきだと考える人々の割合が51%に達しました。
2009年に同様の調査を行った際と比べ、10.3%増加しています。
これは特に20代から30代の間で、こう考える人が増加したためです。

「今の若い世代の人々は、働く母親が増えるという事に関して、明確なイメージを持っています。」
40年間日本で暮らし、教師を続けてきたベルギー人の考古学者であるスザンヌ・アキエダさんがこう語りました。
「これまでたくさんの女性たちが私生活を犠牲にして、職業人としての地位を築こうと努力してきました。しかし今、それが正しかったのかどうか、多くの女性たちが悩み始めています。日本は明らかに後退しています。」

http://www.ipsnews.net/2013/01/japan-values-women-less-as-it-needs-them-more/
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ガンビアなどという国名を久しぶりに聴きました。
日本の男女の平等性が、そのあたりを低迷しているということに改めて驚きました。
私自身、「心を入れ替える」つもりで、考え方や普段の態度を再検証してみる必要がありそうです。

今年も3月11日が目前に迫ってきました。
ここに来て世界の代表的メディアに、「フクシマ」に関する記事が一斉に登場しています。
【星の金貨】でも3月11日月曜日の掲載から、世界の最新の『フクシマ』に関する報道を順を追ってご紹介して行きますので、よろしくお願いいたします。

尚、明日はそのプレ掲載として、あの時福島第一原発の事故を見て、第三世界の人々が世界に向け訴えた、『立ち上がる第三世界』のメッセージを掲載予定です。

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【 1,600キロ!アラスカの犬ぞりレース 】

アメリカNBCニュース 3月3日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
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第41回アラスカ・イディタロッドの犬ぞりレースが開催され、3月3日日曜日、待ちかねた犬たちがシュートから飛び出していきました。
現在アラスカのノームにある1,600キロ先のゴール目指して、65チームがアラスカの西海岸の凍てつくような雪原を走り続けています。

出走前日の2日土曜日には、レースのスタート地点があるウィロウから80キロ南のアラスカの州都アンカレッジで、本番前の約18キロのアトラクション・レースが行われました。
各チームとも本番さながらの迫力ある走りを披露し、集まった観客たちから大きな喝采を受けていました。

ファンの歓呼に応える優勝経験4回のジェフ・キング・チーム。3月3日。(写真下・以下同じ)
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スタート地点に向かうピーター・カイザー・チーム。3月3日。
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出走を待ちかねて飛び上がるジェフ・キングのチームの犬。3月3日。
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出走を待つ犬たち。3月3日。
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アンカレジの繁華街に設営されたアトラクション・レース会場を疾走するブレント・サスのチーム。
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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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