星の金貨 new

星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

ホーム » エッセイ » テロ、そして戦争 : 史上最大の隠ぺい《5》

テロ、そして戦争 : 史上最大の隠ぺい《5》

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

所要時間 約 10分

広告
広告

CIAによる対イラン工作について「二度とこの問題を取り上げるな…メモを破棄し、誰にも何も話すな…」それが当時の米国政権の要求

「イラクはすぐに片づく…次はイラン、シリア…」大量破壊兵器の保有を口実に次々と軍事侵攻することを計画していたアメリカ

 

デモクラシー・ナウ 2018年1月5日

私がアメリカを中心とする多国籍軍のイラク進攻について取材を進めていたまさにその時、CIAによる対イラン工作の問題が明らかになりました。

ご存知だと思いますが、イラクが大量破壊兵器を保有している可能性があるという事がイラク侵攻を正当化させた理由でした。

従ってイランが核兵器を保有しているのであれば、当然イラクの次はイランということになります。

それやこれやで私はイランの核問題とCIAによるイラン工作に関する記事を書くことは非常に重要だと考えました。

当時アメリカは翌年にはイランにも侵攻するという観測が行なわれていました。

 

「イラクはすぐに片づくだろう。次はイラン、シリア、そこらへんだろう…」

私はそうしたことはきわめて重要な問題であり、イラン、イラクいずれも密接な関連性がありニュース価値もあり、報道することは公共の利益のために避けて通ることはできないと考えていました。

 

しかし私がCIAに関する発言をするとすぐに、アメリカ政府の国家安全保障問題担当顧問だったコンドリーザ・ライスはニューヨーク・タイムズのワシントン支局長だったジル・エイブラムソンに電話をかけ、会見を要求しました。

そして、ジルと私は2003年の4月下旬または5月初めにホワイトハウスに行ったのです。

私たちはライスと当時CIA長官を務めていたジョージ・テネットに面会しました。

そして彼らは私たちに取材内容を発表しないよう強硬に要求しました。

ライスが私にこう言ったことを覚えています。

「この問題について二度とこれ以上電話などしてはならない。そしてメモを破棄し、この問題について誰にも何も話してはならない。」

しかしこうした圧力をかけたことで、彼らは私が取材した事実に間違いが無いことを証明した形になれました。

様々に話し合いをする中で、私が取材した事実と異なるとテネット長官が主張したのは、計画の失敗は実行段階でのミスによるものだという点だけでした。

ジルと私はこれ程までに頭ごなしの要求をされたことに驚きましたが、要は取材内容を一切公表するなという事でした。

しかし、繰り返しましすが、彼らの圧力は私の取材内容が正しいという事を証明することになったのです。

 

圧力をかけられ、私はなおさらすぐに記事を公開したいという思いに支配されました。

しかしちょうどその時は、皆さんが覚えておられるかどうかわかりませんが、ジェイソン・ブレアが引き起こしたスキャンダルによってニューヨークタイムズ全体に激震が走っていたときだったのです。

 

ジェイソン・ブレアはニューヨークタイムズの年若い新聞記者でしたが、少々問題を抱えていました。

彼の記事については疑問点が数多くあり、ニューヨークタイムズは危機的状況に追い込まれていました。

編集ガバナンスが問題となり、当時の編集主幹のハウエル・レインズは社を去らざるを得なくなりました。

そして暫定的に編集者が選ばれ、その後夏になって最後的にビル・ケラーが編集主幹に選ばれました。

そのため私は最終的にケラーに話を持ち込みました。

その結果ケラーはこの記事を公開しないことに決めました。

私は彼の結審を変えようと何度も試みましたが、彼の態度は頑ななままでした。

そしてその翌年にNSAによる国民全員の盗聴という問題が持ち上がってくることになったのです。

 

エイミー・グッドマン:そして、ニューヨーク・タイムズの編集主幹だったジル・エイブラムソンが2014年に放映された米国CBSのテレビ番組『60分(60 Minutes)』のインタビューで話をした時の様子をご紹介します。

彼女はジェームス・ライゼン氏が取材したイランの核開発計画を失敗に導くためのCIAの工作についての記事を傷つける努力についてこう語っています。

 

「ジル・アブラムソン:私は今となってはその事を後悔していますが、私の気持ちは公開しないという方向に傾いて行きました。

当時私たちは数々の大きな事件を扱っていましたが、私の中ではこの問題はさほど重要性は無いという結論に達したのです。

そうした決定をしたことを今は後悔しています。

私はともに働き、きわめて信頼のおける新聞記者であったジム・ライゼンを支持しなかったことを後悔しています。

エイミー・グッドマン:

これがニューヨークタイムズの編集主幹だったジル・エイブラムソンの発言内容です。

それではこの2つの問題が、ひとつはニューヨークタイムズに掲載されピューリッツァー賞を受賞したものであり、もうひとつはあなたの著作によって公開され、あなたが危うく刑務所送りになるところだった状況を説明しているわけです。
ジェームズ・ライゼン:

まあ、興味深い話ではあります。

お話した通り、一連のできごとは2003年のCIAによる対イラン工作が発端でした。

そして、2004年の国家安全保障機関(NSA)の問題へと続いて行きます。

 

そしてこれまでお話した通り、私はきわめて不満であり非常に憤慨していました。

ニューヨークタイムズの上層部が私が書いた記事を二度までも不掲載を決めた時 - それ以前にも私が書いた記事が採用されなかったことはありますが - このままでは私が取材を続けてきた事実を伝えることはできないと考えました。
9/11同時多発テロ以降の世界はテロが日常化してしまっていますが、そうした事実をきちんと伝えるためにはもうニューヨークタイムズの紙面だけでは無理だと考え、本を出版する決心を固めたのです。

2004年12月、国家安全保障機関(NSA)による大規模な盗聴事件の記事の不掲載をニューヨークタイムズが再び決定した後、私は自分の予定していた本の出版の準備に取り掛かりました。
私はニューヨークタイムズが不掲載にした二つの事実を世の中に対し明らかにしたかったのです。
私が言ったように、私はその論文に戻ってきました。
2005年の夏の終わり、お話しした通り私はニューヨークタイムズの上層部に再び掛け合いました。
私が取材した二つの大きな事件に関する著作をニューヨークタイムズ社が出版すべきだと迫ったのです。
しかし交渉はいつの間にか国家安全保障機関(NSA)の大規模な盗聴事件に絞られることになり、CIAによるイラン工作の記事は取り上げられなくなっていました。

 

そして結局、お話しした通りニューヨークタイムズ社はNSA事件の著作は出版しましたが、CIAの対イラン工作の本は出版しませんでした。
それは2005年の冬を迎え、核心部分の交渉のタイミングが遅くなってしまったからではありませんでした。
私たちの一連の話し合いの対象にならなかったのです。

そして私の本が出版されると、ブッシュ政権はCIAの対イラン工作、国家安全保障機関(NSA)による大規模な盗聴事件に関する私の取材源を特定しようと躍起になりました。

特にニューヨークタイムズに掲載されたNSAの取材源を特定しようとしました。
私が誰からその話を聞き出したのか、突き止めようとしていました。
後で気がついたのですが、ブッシュ政権が私の取材源を突き止めようと動いたのはそれで2度目でした。
彼らは著作の中の全ての章の中身を検証し、どれだけの問題があるか検証していましたが、それらはニューヨークタイムズの紙面には載っていませんでした。
彼らの狙いは私でした。
ニューヨークタイムズとは切り離していました。
そして最終的にCIAの対イラン工作の記事をターゲットにすることを決定したのです。

 

対イラン工作とは何の関係もない記事についてFBIの捜査官と政府当局者が調査を続けていた事実を私は分かっていました。
私は一挙一頭足を見張られているように感じていました。
彼らの眼中にはもうニューヨークタイムズはありませんでした。
大陪審は国家安全保障機関(NSA)による大規模な盗聴工作についてニューヨークタイムズに対する機密漏洩については刑事訴追しないことを決定しました。
その代わりに第二大陪審はCIAの対イラン工作に関する私の著作について訴追の検討を始めたのです。

 

《6》に続く

https://www.democracynow.org/2018/1/5/the_biggest_secret_james_risen_on

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

 

広告
広告

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

この記事に関連する記事一覧

このサイトについて
ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
最近の投稿
@idonochawanツィート
アーカイブ
広告
広告
カテゴリー
メタ情報