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偽りの『復興オリンピック』: 復興から置き捨てられた町、そして人々《後編》

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所要時間 約 13分

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福島第一原発の事故により、双葉町、大熊町は500万トンに上る放射性核廃棄物を背負わされることになった
500万トンもの放射性核廃棄物を背負わされることになった『復興』の現実を、世界中の人に直視してもらいたい

                  

                    

山口真理、スティーブン・ウェイド/ APニュース 2019年12月13日

                  

「気分が悪くなった方は早めにお知らせください。」
双葉町の元広報担当者の大隅宗重氏は訪問者に、カビの臭いとネズミの存在を詫びながらこう話しかけました。

                        

東北地方の太平洋岸で約20,000人がマグニチュード9.0の地震と津波で死亡しました。
高さ16メートルに達した波により、双葉町周辺でも21人が死亡し、ピクニックやブ海水浴の人出で賑わってい海辺の松林がズタズタにされました。

                   

倒壊を免れた白いビーチハウスに取りつけられた時計は、午後3時37分を指したまま止まったままになっています。

                    

福島第一原発が放出した放射線の影響でその場で亡くなった人はいませんでしたが、病院や施設に収容されていた40人以上の高齢患者が町の指定避難場所にバスで長時間移送されることを余儀なくされ、死亡しました。
死亡者の遺族らが刑事告発を行い、東京電力の元役員を法廷に送りました。
しかし元役員たちは全員無罪となりました。

                     

写真[13]2019年11月28日、福島県いわき市沿岸の小さな島と鳥居。この鳥居は、2011年3月の東日本大震災の津波により県内の沿岸地域の大部分が浸水した際にも崩壊を免れました。 (AP Photo / Jae C. Hong)

                     

                  

写真[14]2019年11月27日、福島県相馬市の海産物加工センターで水揚げした魚をおろす漁業関係者。 (AP Photo / Jae C. Hong)

写真[15]2019年11月27日、福島県相馬市の海産物加工センターでのせりに備え魚を選別する漁業関係者。(AP Photo / Jae C. Hong)

                  

2013年に東京がオリンピック開催地に決定した際、安倍首相は国際オリンピック委員会のメンバーを前に、福島第一原子力発電所の事故は「管理下にある」と保証しました。
しかし安倍政権の復興へのアプローチは被災地において多くの人々を分裂させ、そしてその口を封じることになったという批判があります。

                      

再開発計画の下で、双葉町は最終的に550ヘクタールの敷地に、元住民と建設労働者や研究者などを含む新しい住民2,000人が住むことになるのを望んでいます。

                   

現在東京郊外で暮らす吉田さんは帰還するかどうか決めかねています。
しかし吉田さんは双葉町とのつながりを維持したいと考えています。
双葉町では、息子が東北と東京とを結ぶ主要高速道路にあるガソリンスタンドを引き継ぎました。

                     

町の元広報担当者の大隅氏は、元住民の多くがすでに新しい住宅を手に入れ仕事にも就いていると語り、大多数は戻ってこないだろうと見ています。
大隅氏自身も双葉町の山腹にある自宅に戻ることについて複雑な感情を持っています。
福島第一原発の事故後、住民登録者数は1,000人以上減少、これらの人々が帰還する可能性が低いことを示しています。

                    

写真[16]福島県双葉町の放棄された墓地の後ろに積み重ねられている放射性廃棄物を詰め込んだ大きな黒いビニール袋。2019年12月3日撮影。(AP Photo / Jae C. Hong)

               

写真[17]福島県双葉町にある建設会社の駐車場で放射能レベルをチェックする作業員。(2019年12月3日撮影) (AP Photo / Jae C. Hong)

                  

「自分たちの町が破壊され、故郷が失われてしまうのを見るのはとてもつらかった。」
涙をこらえながら大隅氏はこう語り、穏やかな家庭での生活、美しい紅葉、暖かな入浴でくつろいだことなどを思い出していました。

「この町を去らなければならなくなったとき、私の心は痛みました。」
と彼はそうつけ加えました。

                     

再建された双葉駅の外に立ち、伊澤四郎町長は新たな町の再建計画について説明しました。
双葉町は高齢者にやさしく、原子炉の廃炉や再生可能エネルギーの研究のための主要な複合施設になる可能性があります。
福島の復興を支援するためにやって来た人々がそのまま留まり、新しい双葉町の一員になることに望みをつないでいます。

                  

「福島という言葉は世界的に知られるようになりましたが、残念なことに双葉町や(隣の)大熊町の状況はほとんど知られていないのが実情です。」
双葉町の復興の実現は東京オリンピックには間に合わないことを説明しながら、伊澤町長がこう語りました。
「しかし、壊滅的な打撃を受けた町がやっとここまで復興できたことを見てもらうことはできます。」

                    

復興の実現を目立たせようと、政府当局者は聖火リレーの出発点となるJ-ヴィレッジとあずま球場の除染と清掃が完了したと語っています。
しかしJ-ヴィレッジには極端に放射線量の高い「ホットスポット」の存在が確認されたという報告がなされ、オリンピックに向け安全性に関する疑問が提起されています。

                       

あずま球場は双葉町の西約70キロメートルの場所にあり、J-ヴィレッジは海岸沿いに約20キロメートル離れた場所にあります。

               

写真[18]2019年12月4日、福島第一原発事故の最もひどい被災地となった双葉町から避難してきた71歳の避難者である吉田俊英さんが、埼玉県加須市の自宅で先祖の遺影の埃を払うため庭にでようとしていました。(AP Photo / Jae C. Hong)

                     

福島第一原発周辺、そして福島県全域の除染によって集められた放射性廃棄物は何万という保管袋に入れられ、双葉町と大熊町の一時保管場所に積み上げられたままになっています。

                  

                     

廃棄物は選別され、一部は燃やされて圧縮されてこれから30年間、中期貯蔵施設に埋設されることになっています。
しかし現在は水田や野菜畑だった広大な敷地を埋め尽くすように置き並べられています。
そのうちの一つは、磨き上げられた墓石が立ち並ぶ墓地と隣合っています。

                  

今年、この工業用コンテナバッグに詰め込まれた400万トンに上る放射性核廃棄物が双葉町に、さらに100万トンが福島第一原発の敷地の一部がかかっている大熊町に持ち込まれることになっています。

                  

                    

吉田さんは、放射性核廃棄物の中間貯蔵施設が30年が過ぎた後もそのまま双葉町に残るのか、それとも移転することになるのか明らかにされていない現状について、元々の住民と新たに住居を構えようとする人々の両方を落胆させていると語りました。

                    

「(町内に400万トンもの放射性核廃棄物がある)そんな場所に住みたいと思う人がいますか? 霞ヶ関界隈の日本政府の高官がそんな場所で暮らそうとするでしょうか?」
吉田さんは、多くの日本政府の省庁が集中している東京都内で最も地価の高い地区を引き合いに出し、こう語りました。
「彼らは決してそんなことはしないでしょう。」
吉田さんがこう語り、次のように続けました。
「しかし、双葉町には先祖代々の墓があり、私はこの町が大好きです。双葉を失いたくありません。私たちの記憶にある古き良き双葉町は永遠に失われますが、なんとか現実と向き合っていこうと思っています。」

                   

写真[19]2019年11月27日、福島県広野町にある屋台で働く熊谷明美さん。(AP Photo / Jae C. Hong)

《完》
https://apnews.com/2a0ef15f82ed9a5c1d4fe78f48504e81
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500万トンの放射性核廃棄物というのは、やはり衝撃です。

まず500万トンという質量が想像できません。

小学校何年生だったかの時、社会見学で1万トンタンカーに乗船し、その巨大さに驚いたことがありました。

500万トンならあのタンカー500隻分ということでしょうか?

人類史上、そんな莫大な量の放射性核廃棄物を抱え込んだ市町村などというのはあるのでしょうか?

ないとすれば、それはこれから一体何が起きるかわからない、という現実があるということです。

                      

そして最終処分の見通しが全く立たないという状況の下での『中間貯蔵』とは、一体どんなものなのでしょうか?

                 

そして、コンテナバッグに入った放射性核廃棄物などホコリかチリのように感じてしまうほど毒性の高い、メルトダウンした核燃料が福島第一原発の中に800トンも残されています。(【 メルトダウンした核燃料、取り出し開始は2021年?最終プランも立てられず : 福島第一原発 】AP通信 - https://kobajun.biz/?p=37407)

取り出しする技術が具体化されてもいないのに2021年から取り出しを開始するとしていますが、仮に取り出しが可能になったとして、地上で最も危険な物質と言われるこの溶融した核燃料を一体どこに保管するつもりなのでしょう?

                    

私は東京オリンピックを子供の時に体験しましたが、あの時代は日本が高度成長期に入ったおかげで、みんなの生活が年を追うごとに良くなっていった時代でした。

                     

復興というものがみんなが安心して暮らすことができ、将来の生活にも希望が持てる状況をいうのだとしたら、持って行き場のない放射性核廃棄物が500万トン、溶融した核燃料が800トンもあり、最終処分の見通しも立たない - 特に溶融核燃利用の方は1トンはおろか1キロの取り出しもできない - という現状はまるで異なるもののはずです。

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