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【 2011年東日本大震災の被災地の4年後 】《前篇》

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所要時間 約 9分

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被災者のつらく厳しい時間は、まだまだ終わることなく続いている
生き残った人々も破壊のすさまじさに地元での将来に見切りをつけ、別の場所へと去って行った
オリンピック関連事業を手掛けるために復興事業に見切りをつけ、被災地から出て行こうとしている大手建設会社

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 3月12日

大槌町仮設住宅
かつて町の中心機能が集まっていた場所には現在、土砂と砂利によって大きな台形のかさ上げされた人工の地形が作られ、掘削機やダンプカーが埃を舞い上げながら急ピッチで土木工事が行なわれています。
総工費1,000億円をかけて行われているのは、従来より海抜が2メートル高いかさ上げされた土地を作り上げ、それを高さ15メートルの巨大な防潮堤によって囲い込む工事です。

千年の間誰も経験したことの無い巨大津波に町のほとんどを破壊されてしまってから4年、東北の僻陬(へきすう)にある漁業の町の再建事業が本格化しています。
しかし津波によって住む場所を失い、現在は窮屈な仮設住宅暮らしを強いられている数千人のこの町の被災者にとって、待ち続けるという辛い時間は終わってはいません。

大槌町は津波によって町の機能に極めて深刻なダメージを受けてしまい、1,284人がこの場所で命を失いました。
その中には多くの町役場の職員、消防隊員、警察官などが含まれています。
このため町は復興計画をまとめることにすら、手間取ってしまうことになりました。
新任の町長は、大槌の復興事業はやっと昨年始まったばかりであり、少なくとも2019年までに終わることは無いと語っています。

120205
2011年3月11日、マグニチュード9.0の巨大地震が発生、それによって発生した巨大津波が東北地方の沿岸一帯に襲いかかり、18,490人が死亡あるいは行方不明になりましたが、4年後に日本全国で追悼式典が開催された際に聞こえてきたのは、東北太平洋岸の市町村がみな大槌町と同じような状況に置かれているという現実でした。

東日本大震災では約250,000人が住む家を失いました。
そして現在、約87,000の人々が2~3年の仮住まいで終わるはずだった窮屈な仮設住宅での暮らしを続けています。
もし可能だとして、いつになったらこれらの人々がかつて住んでいた場所に戻れるようになるのか明らかではありません。

福島県では津波によって福島第一原子力発電所の3基の原子炉がメルトダウンし、施設が壊滅する事故が発生し、周辺では今後数十年に渡って人間が住むことができない程放射能に汚染されてしまった市町村も2、3に留まりませんでした。

大槌のように福島第一原発からはるか北に離れた場所にあり、放射性物質による被害を懸念する必要が無かった沿岸の小さな市町村でも、生き残った人々は破壊のすさまじさに地元での将来に見切りをつけ、別の場所へと去っていきました。
日本は現在国家として急速に高齢化が進んでいますが、これらの僻遠の市町村では人口流出に一層拍車がかかることになりました。

岡原7
日本では2020年に開催されるオリンピックなどの行事に国民の関心は移り、東日本大震災の被害と被災者に対する記憶は薄れていく一方であり、被災地に残って復興を待つ人々は、復興事業にさらなる遅れが発生することを心配しなければなりません。

「ここでの生活が正常に戻ったものとみんなが考えているようですが、まだひここは被災地そのものなのです。」
津波によって妻と母親、そして4歳の孫の将也君を喪い、今は仮設住宅で独り暮らしをしている元町の職員の川口博巳さん(66歳)がこう語りました。
「私たちが置かれている状況について、国がもはや緊急性は無いと判断してしまったら、復興事業には尚一層の遅れが発生するのではないでしょうか?」
「大手建設会社ですらオリンピック関連事業を手掛けるために復興事業に見切りをつけ、被災地から出て行こうとしているのです。」

〈 後篇に続く 〉

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【 人生を徹底的に破壊される、あなたはその苦しみを想像することが出来ますか?】《再掲載》

ダミール・サルゴジュ / ロイター通信 / アメリカNBCニュース 2013年10月3日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

義理の父親が自殺した部屋で、遺影を抱えて立つ大久保美枝子さん。
義理の父大久保文夫さんの上着が、壁にかかったままになっています。
農家を営んでいた102歳の文夫さんは、住んでいた飯舘村の自宅から避難するよう命令を受けた後、人生のすべての時間を過ごしてきたこの部屋で首を吊り、自らの手でその人生を終わらせたのです。
美枝子さんは文夫さんが飼っていた犬に食事を与え、家を片付けるために一日おきにここにやってきます。
文夫さんはここ以外の場所で人生を終えることを拒否し、自ら命を絶った、美枝子さんがそう話してくれました。
(写真下・以下同じ)
NBC14
住民が誰もいない浪江町のこの場所は、夜になると自動的に街頭に明かりが灯ります。
NBC15
浪江町の墓地で、破壊されてしまった先祖代々の墓にもたれかかる高齢の女性。
NBC16
すっかり変形してしまった時計、クモの巣、そして残骸。福島第一原発から6キロほどの場所にある浪江町の小学校。
NBC17
原田のぼるさんとなが子さん夫婦は、浪江町で自分たちが飼っていた30頭の牛たちの世話をするため、毎日この場所にやってきます。牛たちの放射線量は高く、商品価値はありません。
「この牛たちは私たちにとっては、家族同然です。殺してしまうことなどできません。どうしたらよいのか、見当もつきません。」
NBC18
配達されず、そのまま放置されている2011年3月12日付けの福島民報。
NBC19
津波の被害によって命を落とした人々のための、浪江町の小さな慰霊碑。
NBC20
福島第一原発の南にあるいわき市のホテルで、接客をするフロントの女性たち。カウンターの上にはその日の放射線量が大きく表示されています。
NBC21
富岡町から避難し、仮設住宅で暮らす斎野香澄さんが飼い犬と一緒に散歩している様子。
NBC22
通過する列車も無く、雑草で覆われてしまった浪江町の線路
NBC23
捨てられた民家のリビングルームからの眺め
NBC24
かつて経営していた菓子店の奥から、ネズミの死がいを運び出す永岡善十郎さんと妻のさと子さん。
永岡さん夫婦は、年に数回だけ許可される自宅訪問の際、できるだけ店と自宅を清潔にするため、懸命の作業をしていました。
NBC25
浪江町南津島地区で、放射能を計測する線量計を身に着けた僧侶がこじんまりと葬儀を営んでいました。
亡くなった菅野やつのさんは避難先の仮設住宅で、満100歳を迎える直前の2013年5月、ひっそりと息を引き取りました。
彼女は亡くなってやっと、故郷の町に戻ることが出来たのです。
NBC26
いわき市で甲状腺の検査を受ける4歳の坂本まりあさん。
この検査は福島第一原発周辺の市町村で、NPO法人が無料で行っているものです。
甲状腺がんは本来きわめて稀な病気で、その発症率は100万人に1人といわれていますが、国際保健機構(WHO)は、原子力発電所事故が発生した地域での、甲状腺がん多発の可能性について警告しています。
NBC13
※ 英文からの翻訳のため、人名表記に誤りがある可能性があります。ご容赦ください。
http://www.nbcnews.com/id/53174408/displaymode/1247?beginSlide=1

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